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恐竜時代で放課後を  作者: 半ノ木ゆか
第3話 ジュラ紀の森
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#15 アロサウルス・フラギリス

 暗い森の中を歩く。紫がかった早朝の空が木々のあいだから覗いていた。よく見ると、まだ星屑が煌めいている。


 涼しい風を体に受けながら、星の目グラスで見たあの大きな影を思い返す。


 あれは何だったんだろう――マキナさんは植物食恐竜じゃないかと言っていた。確かに、大きな恐竜には植物を食べるものが多い。植物を消化するのに、長い腸が必要なんだと図鑑に書いてあった。しかも、体が大きければ肉食動物に襲われにくい。アフリカゾウやアジアゾウが、ライオンやトラに狙われにくいのと同じだ。


 けれど、肉食恐竜にも大きなものはいた。大きな獲物を狩ることのできる、大きな肉食動物が進化したんだ。この時代のこの場所には、ケラトサウルスやトルヴォサウルスがいる。それから――。


 俺は足を止めた。呼吸も止るかと思った。


 遠くの木々のあいだを、大きな影がのそりのそりと横切ってゆく。全体的には黄色っぽい。肩周りは焦茶色に見えた。首筋は青くて、目のまわりは赤い。二本足で歩く、巨大な肉食恐竜がそこにいた。


 辺りのにおいを嗅いで、何かを探しているように見えた。俺は手のひらを胸に当てた。鼓動が速くなっていた。


 その手前に別の一頭が現れる。二頭もいたんだ。俺は音を立てないよう、素早く木の影に隠れた。


 こっそりと様子を窺う。二頭は並んで歩いていた。どちらも同じくらいの大きさだった。手を高く挙げれば、「よしよし」と頭を撫でられるくらいの高さだ。もちろん、そんなことは恐しくて出来っこないけど。


 大きな口から鋭い歯を覗かせている。目の上には小さくて赤い、三角形の角が生えていた。俺は確信した。アロサウルスだ。


 図鑑のアロサウルスは全身に鱗をまとっていた。一方、本物のアロサウルスは肩周りに焦茶色の羽毛を生やしている。星の目グラスで見た動物の正体も、たぶんこれだ。


 胴体や尻尾についてはほとんど何も憶えていない。大好きな恐竜に出会えて確かに嬉しかった。でも、吞気に観察していたら喰われちゃうじゃないか。


 俺はゆっくりと後ずさり、振り返った。そして、頭の中が真白になった。


 目の前に三頭目がいた。鼻と鼻が触れ合いそうなほど近くにいた。口先が鳥のくちばしのように固くなっている。肩が毛に被われているので、正面から見ると胴体はふっくらとしていた。


 アロサウルスが口を開く。


 悲鳴をあげる暇もなかった。俺はアロサウルスの股を駆け抜けた。意外と腹が低くて、地面に手をついてくぐり抜けた。その時に見た大きな足は、今でもはっきりと憶えている――足の甲は瓦のような鱗で被われていた。爪は日頃から地面と擦れて、先っぽがすり減っていた。


 俺はマキナさんのもとに駆けつけた。ツキが車内で立体画像を眺めている。本のような形をしていた。小説を読んでいたみたいだ。


「は、早く帰ろう。今すぐに」


 俺は後ろを指さした。アロサウルスが三頭、軽かな足取でこちらに走ってくる。ツキは目を見開いた。


「アロサウルス・フラギリス……」


 俺をマキナさんに引き込み、ドアを閉める。一人用の座席に二人、しかも急いで乗り込んだので、車内は大混雑だ。


「マキナ、起きて」


「マキナさん、起きろ!」


 二人でマキナさんを起す。計器盤にぽつり、ぽつりと光が灯った。


「うーん、あと五分……」


 マキナさんがむにゃむにゃと言った。三六〇度、どの窓を見てもアロサウルスがいる。ツキが冷静に言った。


「早く、羽揺の部屋へ」


 一頭が車内を覗き込んでくる。ドアのガラス越しに目が合った。瞬膜の下から、野球ボール大の黄色い眼玉を覗かせる。俺の頰を一筋の汗が伝う。


「行先、第四紀完新世、日本」


 マキナさんの言葉の直後、窓の外に白い霧が立ち上った。光に驚いたアロサウルスたちが、一目散に霧の向こうへ逃げていく。


 霧が晴れる。


 窓の外に見慣れた光景が広がっている。マキナさんは俺の部屋にいた。俺はきょろきょろと周りを見た。机の上にぼろぼろの恐竜図鑑が置いてある。それを見て、二人で安堵の溜息をついた。俺たちは助かったんだ。


 靴を脱ぎ、マキナさんから降りる。俺は床にぺったりと坐った。体の力が抜ける。見ると、空はもう暗かった。西のほうに僅かに赤みが残っている。焦点をずらすと、窓に映った自分の姿が見えた。


「ははは」


 俺は笑い出した。どうして笑ってしまったのか自分でもよく分からない。急に気が緩んで、自然と声が出た。


「間一髪だったね」


 ツキも目を細める。


「ふふ」


 マキナさんも笑った。機械とは思えない、人間くさい笑い声だった。


「どうしてマキナさんが笑うんだよ」


「だって、羽揺さんの必死な表情が、あまりにおかしくて」


 マキナさんが笑いを堪えるように、つっかえつっかえに言う。俺は彼女にジト目を向けた。でも、二人の楽しそうな様子を見ていたら、また頰が緩んだ。


 机に向かい、ノートを開く。


「何を書いているのですか」


 マキナさんが尋ねてきた。俺はシャーペンを走らせながら言った。


「今日のことだよ。小説になると思って」


 息を飲むような美しい景色のこと。いろいろな姿形の動物のこと。それから、ツキとマキナさんのこと。見聞きしたものが次々と脳裡によみがえる。俺はそれを思い出すままに書き付けていった。


 ツキとマキナさんが眠ってしまったあとも、あくびを嚙み殺しながら俺は書き続けた。


 涼しい風が頰を撫でた。ふと、顔を上げる。


 空高くに月が浮んでいた。昨晩よりちょっとだけ満ちている。網戸から夜風が吹き込み、前髪をくすぐる。そうして、月明りに照された一脚の回転椅子に目がとまる。


 この部屋に勉強机は一台しかない。でも、椅子は二脚ある。俺は、自分が腰掛けていないほうの椅子を見つめて、記憶を手繰り寄せた。


 小学校低学年くらいの女の子が、足をぶらぶらさせながら回転椅子に坐っている。腰まである長い髪を一本に束ねている。


 そのヘアゴムには、青いリボンが付いている。


飛鳥あすか……俺さ、この五日間のことを長篇の小説にしようと思ってるんだ」


 俺は彼女に向って言った。眠い目をこすり、シャーペンを握りしめる。


「俺はまだ短篇しか書いたことがない。でも、きっと完結させてみせる。だから、それまで見守っていてくれるかな」


 月明りの下で、女の子が微笑んだ気がした。

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