#14 森を進め
車内前方でドライブレコーダーの立体映像が流れている。太い枝の上を、白い動物が左から右へ飛び跳ねていった。ほっそりした体つきで、尾の長い鳥のような姿をしている。首元で緑色の光がきらめいていた。
「僕はコパリオンに変身してたんだね。トロオドン科の恐竜の、古い種類だよ」
車内に座席は一つだけある。その後ろに、人が一人うずくまれるくらいの広さの空間があった。マキナさんのトランクだ。ツキはそこで膝立になって、俺と一緒にさっきの映像を見ていた。
俺は席に着いたまま顔を上げた。フロントガラスの向こうに、ドライブレコーダーと同じ森の景色が広がっている。俺は立体映像を指差した。
「ツキの故郷もこれで探せばいいのに」
「そんなに昔の記録は、さすがの私にももう残っていませんよ」
マキナさんが笑った。
「羽揺はこれをかけてくれる? 目盛は録画時刻に合せてあるから」
ツキから星の目グラスを受け取る。俺はそれをかけた。太い枝の上を、白い動物が左から右へ飛び跳ねていった。
「昨日、学校の塀が壊れた時刻を、星の目グラスで探り当てたよね。それと同じことをしてくれるかな」
「……同じこと、っていうと?」
眼鏡を外し、俺は訊ねた。
「過去の僕が――つまり、今見たコパリオンがどこからやってきたのか、調べるんだよ。今、コパリオンはどっちから走ってきた?」
ツキが言った。俺は答えた。
「左からやってきたよ」
「じゃあ、マキナに『左』と言って」
「ひ、『左』!」
マキナさんは少し左に移動した。ツキが続ける。
「次に、眼鏡の目盛を何秒か過去にずらして」
言われた通りにして、また眼鏡をかける。コパリオンが森の奥から駆けてきて、枝に飛び乗るところが見えた。
「今度はどっちから走ってきた?」
「奥……だから、『前方』!」
マキナさんが少し前に進んだ。
「それを繰り返していけば、過去の僕が降り立った場所に辿り着けるはずだよ」
「なるほど」
小さな簞笥のようなものがツキの周りに並んでいる。ツキはその場にかがみ、下のほうの引出を開けた。半透明の引出の中に、おなじみの道具や保存食の包装らしきものが見える。種類別に仕舞ってあるみたいだ。
「ツキの道具ってマキナさんに積んであったんだな」
ツキが頷く。
「いつもペンダントで、マキナのトランクから取り寄せてるんだよ。ほら、ここに」
ツキが指さす。トランクの床附近の空中に、小さな四角い孔がぽっかりと開いていた。
「さっき、トゥキ様と羽揺さんに四次元ペンダントを通じて連絡しましたよね。あれも、その孔に向けて私が声を吹き込んでいたんです」
マキナさんが言った。
「つまり、マキナさんのトランクは、クローゼット兼連絡窓口みたいなものか」
何気なく会話を交わす俺とマキナさんを見て、ツキは微笑んだ。
「じゃあ羽揺、あとはよろしくね。――僕は体調が悪いから、休ませてもらうよ」
ツキが申し訳なさそうに言った。言われて見れば、確かに普段にも増して顔が白い。心なしか、髪もいつもより白く見える。
「諒解。――そっか。お大事にね」
ツキは小さく頷いて、リボンになった。
俺は星の目グラスをかけてコパリオンを逆追跡した。リボンになったツキはトランクの床で眠っている。
はじめは眼鏡の目盛の調節がうまくいかなくて、マキナさんにじれったい思いをさせてしまった。でも、俺もだんだんと慣れてきた。マキナさんもいちいち停車することがなくなった。俺の言葉に合せて、走りながら方向転換してくれるようになった。
空高く昇っていた太陽が、じりじりと東のほうへ下りてゆく。やがて、森の木々のあいだから眩しい光をちらつかせるようになった。朝日だった。
そろそろ終りに近づくという時に、大きな影が視界を横切った。
「停って!」
俺は言った。マキナさんが急ブレーキをかけた。
「どうしたんですか、羽揺さん」
「今、目の前を大きな動物が通ったんだ」
ダイヤルを戻して、見直す。鱗で覆われた黄色い肌だった。さらさらした焦茶色の毛のようなものも生えている。けれど、体が大きすぎて全体像がまるっきり摑めない。
「きっと、大型の植物食恐竜でしょう。ここは獣道ですから」
マキナさんが気軽に言った。
「でも、植物食恐竜に羽毛があるだなんて」
「珍しいことではありませんよ。プシッタコサウルスの尾に、長い毛がふさふさ生えているのを見たことがあります」
「そういう類なのか……?」
もう一度ダイヤルを戻して、毛皮をじっくりと見詰める。この時は結局、大きな影の正体はわからずじまいだった。
俺はその後、過去のマキナさんからコパリオンが降りてくる瞬間を目撃した。白い光とともに彼女が現れるところも、ばっちり確認した。
俺は目盛を読み上げた。マキナさんはその時刻にタイムスリップした。
日が出たばかりで、森の中は薄暗かった。
過去のマキナさんを待ち構える。マキナさんは透明になって、大きな倒木の裏に身を潜めていた。
トランクの床でリボンがぴょこりと動いた。
「もう少しですよ、トゥキ様」
マキナさんがなだめるように言った。
白い光が現れた。マキナさんがドローンを飛ばす。俺は咄嗟に座席の後ろを見た。
マキナさんが言った。
「ドローンはトランクではなく、天井の中にしまってあるんです。車内からは見えませんよ」
「なあんだ」
光の中から過去のマキナさんが飛び出した。猛スピードで森の中を走り、俺たちが隠れているのとは別の倒木に突っ込んだ。俺はそのあまりの迫力に、びくりと体をこわばらせてしまった。
過去のマキナさんが後退する。ボンネットから木屑がポロポロと零れ落ちた。けれど、そこにはかすり傷ひとつ付いていなかった。
「……丈夫なんだな」
「人工蜘蛛糸繊維でできているんです。銃弾も跳ね返しますよ」
マキナさんは誇しげに言った。
「銃にも負けないの!? すごいなあ」
「ふふ、ありがとうございます」
天井燈が暖かな色に染った。
車内前方に動画が映し出された。過去のマキナさんを真上から見たものだ。今まさにドローンが撮影しているらしい。
映像の中のマキナさんがうっすらと透け始めた。車体全部が透けるんじゃない。天井だけが透明になって、車内の様子が丸見えになる。
「透視映像です」
マキナさんが教えてくれた。
座席にいるのは過去のツキだろうか。あの、白い長髪を垂らした人間の姿をしている。でも、表情はわからない。真上から撮っているから、つむじしか見えないんだ。
ぎこちない手つきで千変鏡を構えている。過去のマキナさんに使い方を教わっているようだ。車外には一匹の赤茶色のコパリオンが立っていた。
映像が拡大される。過去のマキナさんのメーターパネルが映し出された。オドメーターには「0yr 4d」と表示されている。その下にはこんな文字列があった。
(数字はいい加減だ。四年も前のことだから、俺も正確な値を憶えていないんだ。申し訳ないけど、これで我慢してほしい)
「Late Cretaceous (−80440081.045601), Japan (51°31′21''N, 127°66′33''E, 5.41m)」
「Late Jurassic (−140508726.895400), North America (28°3′62''N, 62°50′33''W, 75.33m)」
「Not Entered」
「上の段が出発地と出発時刻、中の段が現在地と現在時刻、下の段が目的地と目的時刻です。どうやら、過去の私たちは白堊紀の日本から来たようですね。着いたばかりなので、行先は未入力になっています」
映像が途切れた。
窓の外に目を向ける。過去のマキナさんから白いコパリオンが降り立ったところだった。
「ツキ。終ったよ」
千変鏡を座席の後ろに置く。ツキが鏡面に寄りかかって、人間に変身した。
「羽揺、マキナ。ありがとう」
少し眠ったおかげかな。だいぶ顔色がよくなっている。
「一件落着ですね。ああ、疲れました」
マキナさんが言った。直後、車内の灯りが消える。
「あら、もう眠っちゃった」
ツキが目を丸くした。昼寝が好きなんだな、と俺は思った。
「確かに、今日も一日頑張ってくれたからね……。家に戻る前に、五分くらい休ませてやりたいから、羽揺は外で待っててくれるかな」
マキナさんを降りる。ドアを閉める前に俺は尋ねた。
「散歩してきてもいいか」
ツキが頷く。
「でも、あんまり遠くには行かないでね」




