#13 マキナさんが消える?!
「遺伝情報を読み込んだら、持手が点燈して知らせてくれるよ」
持手の中央で丸い印が光った。
「ツキ。今光った」
「鏡面に触れて」
人差指で鏡に触れる。
手放した鏡が、すぐに四次元ペンダントに吸い込まれる。体がむくむくと大きくなってゆくのを感じながら、俺は目を閉じた。
そっと目を開ける。
まず気づいたのは、視野が随分と左右に広いことだ。首を動かさなくても自分の両脇を見渡せる。カンプトサウルスが水飲みをやめて、びっくりした顔でこちらを見ていた。
でも、距離感が摑めなかった。どれが手前にあるもので、どれが奥にあるものなのか、それに近づくまでわからないんだ。まるで、のっぺりした映画館のスクリーンを眺めているみたいだった。
一歩後ろに下がる。尻の上に鈍い痛みが走った。尻尾を樹の幹にぶつけたんだ。振動に驚いたんだと思う。頭上からキャーキャーという鳴声が降ってきた。
俺はそれを見上げた。尻尾の長いコウモリのような動物たちが、樹の上から一斉に飛び立ったところだった。そして、釘付けになった。動物たちに釘付けになったんじゃない。空があまりにも綺麗だったんだ。
空に雲がかかっている。ただの水色や白じゃない。山吹色や藤色が混じって、微妙な色合を作り出していた。その美しさに、今にも吸い込まれてしまいそうになる。
一歩踏み出す。
木々や地面にも初めて見る色が混ざっていた。鮮かで、斬新で、今まで見たどんな色にも似ていない。
「羽揺、どこへ行くの!?」
ツキの声が頭に響く。視界の端の地面に小さな獣が映り込んでいた。けれど、俺は走り出してしまった。
色とりどりの森の中を四本足で駈ける。途中から前足を浮かせて、二本足で走った。すべてのものが輝いて見えた。
俺は木々を抜け、小高い丘の上に立った。心地良い風を全身で受け止めた。眼下に雄大な景色が広がっていた。蛇行する川に沿って、植物が生い茂っている。背の高い灰色のブラキオサウルスが群れをつくって歩いていた。
このとき見た光景は、今も俺の脳裡に焼き付いている。
俺は一旦人間に戻り、マキナさん乗りこんだ。
「三人で手分して、これから過去の僕を探す」
鼠姿のツキが言った。
「過去の僕も、この時代の動物に変身してるはずなの。何の動物かはわからない。でも、四次元ペンダントをつけているから見分けられるはずだよ」
「ちょっと待った」
俺は言った。
「どうして過去のツキを探す前提なの。マキナさんを探したらダメなのか」
「昨晩、過去の僕らを見たでしょ――マキナは普段、透明になってる」
「なるほど」
ツキはドアに飛びついた。
「マキナと羽揺は、この川の南側を探して。僕は向こう岸を探す。見つけたら四次元ペンダントで連絡してね。――それじゃあ」
ツキがマキナさんを降りる。ドアの向こうに色白のカンプトサウルスが現れた。カンプトサウルスは小川をじゃぶじゃぶと渡ると、対岸の森の中に消えてしまった。
俺とマキナさんだけが残った。
「では、私たちも行きましょうか」
マキナさんはそう言うと、さっきの空撮写真を前方に映した。画像を大きくしたり、小さくしたりして、これから探しに行く場所の下見をしている。俺は彼女のカメラを見上げた。
「マキナさん、ちょっとお訊ねしてもいいですか」
「なんでしょうか。あっ、タメ口で結構ですよ。私の口調は癖のようなものですから」
俺はこくりと頷き、言った。
「……ツキは故郷に帰ったら、もとの姿に戻るつもりなんだよな」
「そうですね」
天井のカメラが俺のほうにちらりと向いた。
「その時、マキナさんはどうするの?」
突然、写真の動きが止った。計器盤で、ハザードランプのマークが無音で点滅している。
「私は……灰になります」
「ハイ?」
俺は耳を疑った。
「ハイ、そうです」
「ちょっと待って、意味がわからないんだけど」
困惑する俺を見かねて、マキナさんは写真を閉じた。ダッシュボードの中央に四角い穴が開く。そこから無色透明のガラスでできた、拳銃のようなものがせりあがってきた。
「『万化銃』です」
マキナさんが言った。俺は小銃を覗き込んだ。
天井燈の光がきらりと反射した。試験管のような小瓶が無数に内蔵されていて、それぞれに違う色の薬品が入っている。
「二十二世紀の人間が、ゴミをなくすために発明した道具です――千変鏡は、生物をいろいろな種類に変えることができますよね。これは、無生物をいろいろな種類に変えることができます。つまり、物の材質を変えられるのです」
マキナさんが淡々と説明する。俺は戸惑った。
「これで、マキナさんを灰にしちゃえっていうのか? そんな、いくら何でも」
「私は機械としての寿命をとっくに超えています。トゥキ様が古くなった部品を定期的に交換してくれるので、なんとか形を保っていられましたが……。トゥキ様が動物に戻ってしまったら、私は遅かれ早かれ壊れる運命にあるんです」
「別の人間の世話になることもできないの?」
「出処のわからない車を売りに出すことはできませんよ」
俺は言葉を失ってしまった。これまで何気なく見てきた二人のやりとりを思い返す。ああやって話したり笑ったりできるのは、あと四日間だけなんだ。
「……こ、怖くないのか? 嫌じゃないのか?」
思い切って訊ねる。すると、天井燈がだんだんと暗くなった。
「もちろん、トゥキ様に会えなくなることは嫌です。トゥキ様にそんなことを提案されて、ショックでもありました」
彼女は言葉を切った。そのあと、車内が少し明るくなった。
「ですが、私はもう千年も生きたのです。二人での旅を存分に楽しみました。悔いはありません。ですから、消えることは怖くありません」
俺はその言葉を黙って聞いていた。オドメーターには「999yr 361d」と表示されていた。
俺は再びカンプトサウルスに変身して、マキナさんと一緒に歩いた。空撮写真によると、川の下流に湖がある。そこへ向いながら探すことになったんだ。
川に沿って歩いてゆくと、確かに湖に出た。しかも、かなり広い。予備知識なしにここへやってきたら、海だと思ってしまうかもしれない。
岸に鰐が群れていた。ゴニオフォリスだ。大きな口を開けて、日向ぼっこをしている。口周りを小さな翼竜(空を飛ぶ爬虫類で、鳥とコウモリの合の子のような姿をしている)につつかれている者もいた。
俺は鰐に嚙みつかれないよう、遠巻にそれを眺めた。四次元ペンダントをつけていないか、一頭々々確認する。
「ツキはこの中にはいないみたいだけど……あれ、マキナさん?」
彼女は浜に停っていた。車内で緑色の光が点滅している。
「ああ、羽揺さん」
マキナさんがのろのろと近づいてくる。俺は動物に変身しているから、言葉が通じない。彼女は俺の身振とかその場の流れを見て、適当に返事をしてくれる。
「日差があたたかかったので、つい充電をしてしまいました」
「充電?」
首をかしげた俺に、マキナさんが説明する。
「私は太陽光で発電するので」
そういえば、そんなことも言っていたような気がする。
俺たちは岸に沿って歩いた。マキナさんが話す。
「昼寝とは別ですよ。時間移動にはたいへんな電力が必要ですから、こまめに蓄えておかないと、すぐに電気を使い切ってしまうのです。百パーセントの充電でも、三回連続で時間移動をしたらすっからかんになります。私のような多機能の車輛では、なおさら電池の減りが早うございます」
「そっか。タイムマシンも大変なんだね」
脚のすらりと長いオレンジ色の鰐類が、土煙をあげながら猫のように駈けてゆく。
奇抜な恰好をした恐竜が歩いてきた。体の大きさはカンプトサウルスと大差ない。けれど、背中に菱形の板が互い違いに生えている。横から見ると、自分より一回りも二回りもおおきく見えた。
「ステゴサウルスだ……!」
俺は感嘆して、マキナさんのもとを離れた。
ステゴサウルスは黄緑色をしていた。腹は色が薄い。背中は鮮かなエメラルドグリーンのまだら模様になっている。ただし、これはカンプトサウルスの眼を通して見た色だ。人間の眼にはもっと地味に映るかもしれない。
背中の板はほんのりと赤みを帯びていた。背中の中心から離れるにつれて板は小さくなる。尻尾の尖端では二対の棘に変っていた。棘は太く鋭く水平に生えている。時々尻尾を左右に揺らすので、反対側に回り込むときに、俺は危うく串刺になるところだった。
今は湖の水を飲んでいる。首にペンダントはなかった。けれど、代りに面白い特徴を見つけた。硬そうな粒々がびっしりと喉を覆って、頸甲を作っていたんだ。まるで発泡スチロールの断面か、和菓子の五家宝みたいに見えた。
湖を中心に、マキナと手分して探す。ディプロドクスの長い首を見上げていると、ペンダントから声がした。
「トゥキ様、羽揺さん、来てください。私は湖の南東の森の中にいます」




