母の肖像
フェーンバッハ子爵領領都ミャスライは、そこまで大きな街ではない。元々フェーンバッハ家自体が子爵家にしては小さい方だ。大きな産業もない。幻の第一王子の話がなければ気にもしなかったようなただの宿場町だ。5年前に当主が代替わりして以降、特に大きな動きもない。俺も部下を用意してはいなかった。
のんびりした田舎の雰囲気が漂う街だ。冒険者ギルドも大きくない。過去に一度訪ねたことがあるが、特に変わった様子はなかった。あの時は結構余裕がなかったものだけれど。
領主の館も警備の人間がほぼいない。のんびりしたようなものだ。これなら、夜を待たずして忍び込むこともできるかもしれない。いや待てよ、そもそもの話強行突入する必要もないか。内側から門を開けてもらい正々堂々と領主邸に入れてもらえばいい。
そういうわけで、俺は変装する。中年太りをした商人だ。子爵に商談を持ってきた。そういう体を取っている。あとでリーベルに話を通しておこう。ここで嘘を吐く理由もないし。そうだな、王国海軍の増強でももっていくか。
そういうわけで、あっさりと子爵に合わせてもらえることになった。この領地は相当暇なのではないだろうか。まあ、王国内に貴族家がいくつあるのか俺は知らないし。
そういえば、フェーンバッハ子爵は代替わりしていたんだったか。もともと納めていたのはカールガンツだったが、とある事件で代替わりしたので、今のフェーンバッハ子爵はその息子ダミアンだ。ダミアンは第一王子の母とされている人物の異母兄に当たる。髪はかなりくすんだ金髪で、目はグレーだった。下位の貴族としては普通だろう。正直なところ冒険者をやっていても違和感がないが。
「その肖像画はダミアン様の母上ですか? お美しい」
「ああ、いや。父の妾だよ。母の肖像は隠居した父の部屋に飾ってある。見るかい?」
「それなら、是非ともお願いしたいですな」
まあ、そっちはどうでもいい。問題はカールガンツの妾とやらだ。栗毛で茶色の目。この娘が国王のお手付きになったのであれば、栗毛に茶目であっても不思議ではない。くしくも、特徴は俺の母親と同じなのだ。
そんなことを話しながらも商談を進める。明日ここを発つと伝えておいた。商談はそれまでに考えておいてくれるだろう。後は、肖像画を見て回るだけだ。
「なかなか腕のいい絵師を抱えているようで羨ましいですな」
「実は先祖代々、絵師をしている家がありましてね。この街では少し有名なんですよ。ミャスライから出ないのであまり知られてはいませんが」
「なるほど。今度、私の娘の肖像画も頼んでみたいものですな」
そんな話をして警戒心を紛らわせる。そうすれば、肖像画をじろじろ眺めていても不審がられないだろう。ただ、この辺りに飾ってあるのは全部古いものばかりだ。年齢からして、古くとも25年位前のものだろう。それほど新しい、しかも女性の肖像画というのは見当たらない。一つあったが、これは金髪碧眼、しかも絵柄が違う。おそらくダミアンの妻だろう。
「でしたら紹介しますよ。ミャスライに足を運んでくだされば恐らく描いていただけるでしょうし」
「その時は妻と娘も連れてきますよ。二人とも美人でしてね」
「楽しみにお待ちしておりますよ」
そう言ってダミアンが笑う。第一王子の母と思しき人物の肖像画は確認できなかった。仕方ない、夜に忍び込むほかはないか。だが、間取りは確認した。問題ない。
「それじゃあ、いい返事を期待しています」
「ええ、少し検討させてもらいますよ」
そんなことを言って、領主の館を辞する。さて、これからは俺の本業ともいえる時間だ。
夜、寝静まるのを待って、塀を乗り越える。そして音もなく着地した。裏口の方が扉が小さいのでそこから侵入する。
貴族の屋敷というのは大抵左右対称になっているものだ。そのことを頭に浮かべながら部屋を調べていく。探すべきなのは妾の部屋だろうか。と言いつつも既に死んでいてもおかしくない。総当たりにするしかないだろう。
屋敷は異様なほどに静かだった。王都なら、深夜でも使用人が動いているし、火急の用事にあわせて対応するように導線も整っている。けれど、ここは夜は寝る時間とでも言うように静まり返っていた。警戒しているピリピリとした雰囲気もない。土地柄泥棒もそういないのだろう。侍女の一人の足音も聞こえない。
……まあ、盛んなのか嬌声は聞こえてるけど。
一つ一つ部屋を見て回っていく。肖像画というのはある程度大きいものだ。隠し部屋でもない限り、見落とす心配はないだろう。そして、隠し部屋があったとして異母妹の肖像画を置くだろうか?
どこかに、飾ってあるはずだ。
書斎にも、応接間にも無かった。子ども部屋も寝静まっているのを確認して侵入してみたが、ない。ダミアンの寝室に侵入するわけにはいかなかった。カールガンツの部屋にも飾っていない。
燃やされてしまったのか? そんな事を考える。もしそうなら最悪だ。確認できない。
いや、そうでもないな。肖像画と遺体、その二つが揃って立証されるわけだ。ダミアンの証言は最悪消せばいいから、どうにかなるのか。
ただ、リリアーナ王女は言っていたはずだ。肖像画があると。あの王女はかなり性格が悪い。が、頭脳も確かだ。となれば、あんなくだらない嘘はつかないだろう。肖像画があるのを把握していると思われる。
つまり、どこかにあるはずなのだ。疑念を抱きながらも、俺は足音を消しながら進んだ。
……見つけた。
こんなところにあるとは思わなかった。
階段下にある物置。手入れがされていないのかホコリが舞い、蜘蛛の巣が張り巡らされているような一室にその肖像画はあった。かなり疎まれているようだ。まあ、国王のお手つきになって騒動を巻き起こした原因だし、仕方がないか。
あまり人の手を入れたくは無かったが仕方ない。ホコリを払う。そうでもしないと、絵を確認できない。罠がないのを確認して、ホコリを払った。
その少女は、確かに綺麗だった。栗色の髪に、ブラウンの瞳。年齢は、13歳くらいだろうか。なるほど、確かに貴族らしさはない。ただ、村娘らしい純朴さが目を引く。けれど、着飾ったこの絵画は決してドレスに負けているわけではない。むしろうまく引き立てているようだ。笑顔が目を引く。
宮廷にはいろんな美女がいる。そんな中で一風変わった美少女と言えるこの少女に国王が惹かれたというのは考えにくいことではない。十分に魅力があると言える。
額縁も凝っているし、絵のタッチだって昼間に見た肖像と大差ない。生前は妾腹とはいえ家族に愛されていたのがよくわかる。
……これが俺の生みの母親かも知れない人物か。
何か感慨深いものがあるな。こんな美少女が俺の母親だったかも知れない。もちろん、この絵画から年齢は増したのだろうが、それでも母と対面していると思うと何か込み上げてくる気がする。とはいえ、彼女はもはや生きてはいないだろう。国王の子を宿して、一人で追い出された。生きていけるかといえば微妙なところだ。それに、俺の母親だとしたら墓があるわけだし。
そこで、俺ははたと気づいた。
……俺は、母親の顔を知らない。
育ての親の顔なら知っている。だが、生みの母親は物心つく前に亡くなり、葬られた。これじゃあ、彼女が俺の母親かどうか、確信が持てない。大問題だ。そう思った。
「……ん?」
絵画におかしなところがあると気づく。なぜか、額縁が分厚い。そう思って、額縁から外してみた。
別の絵画が現れた。
裸婦像だ。まあ、上流階級ではよくあるのかも知れないが。中々のものだろう。こんなものまであったのかと呆れたくなるが、これは大いに役立った。
傷があったのだ。
かなり大きな傷だ。背中の左側にある刺し傷。まず間違いなく骨に達しているだろう。よく無事だったものだ。だが、その傷が役に立つ。
俺を産んですぐなくなったと仮定するなら、死後20年は経過している。骨だけになっていてもおかしくない。そこまではいかないにしても、大部分が腐っていることだろう。ただ、骨に傷跡があると思えば、照合できるはずだ。
できることなら、傷はない方が嬉しい。が、確認しなければいけないだろう。
翌朝、俺はミャスライを後にした。目指すのは、俺の故郷ブラック村だ。




