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青い魔女の通過儀礼  作者: 籠り虚院蝉
Ⅲ 百年の孤独と人間の玉響
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Ⅲ-19 長い過去に決着を

 空き家に休ませていた馬を駆り、マルールを探し始めてから二日経った。最初は町に出て聞き込み、その後は森に出て痕跡を辿りながら調べているが、一層雪深くなるこの時期にはっきりとした痕跡が残るのは難しい。ましてや着の身着のままで飛び出したとわかるのは、ライフルと少しの着替えとコートくらいしか無くなっていない事からも明白だった。


 つまり、まだそれ程遠くへは離れていない。十分に追い付ける余地がある。


 それでも急がなければますます遠くへ行ってしまう事は避けられない。森の中を当てどなく探し回っているが、馬の体力にも限界がある。


「ごめんなさい。無茶をさせて」


 首周りを撫でると息を切らしながらも嘶き、答えてくれる。やはり限界だろう。つい先日往路数十キロの道程を弾丸のように駆けて、帰ってきたかと思えば雪の中の移動手段として駆り出しているのだ。


 私は一旦馬から降りて、木に緩く繋いでおいた。


「後で迎えに来るわ」


 鬣を整えて落ち着きを取り戻したのを見届け、私は歩き出した。


 積もった雪は歩くたび膝頭を覆い隠した。幸いな事に粉雪で一歩一歩に時間はかからないものの、やはり歩きづらい事に変わりは無い。


 雪の森で身を休められる場所は限られている。自ずと探すべき場所も限られてくるけれど、町近縁の森の山小屋はいずれも(もぬけ)の殻だった。そうなると橋を超えた先まで捜索範囲になり、山小屋の数も減り目星は付けやすいものの、代わりにかなりの広範囲になる。移動手段無しではそれ以上どうにもならない。とにかく少しでも歩を進ませようと両足を動かした。


 一昨日も昨日も早朝から日が暮れるまで探し歩いた。今日も日が昇る前から森へ出ているが足跡すら見つけられない。誰も通っていない道無き道は、孤独だからこそ心細く感じてしまう。でも。


 もしこの道の先にマルールがいたら?


 私は彼女になんと声を掛けたらいい?


 進んでいた歩がふと止まった。意図しない停止に戸惑いながらも意識して足を動かす。


 置き去りにしないで。


 私も一緒に連れて行って。


 違う。きっとそんな身勝手な感情ではないと思う。マルールを知らずの内に傷付けていた、この身勝手な感情が彼女を悩ませる種だった。拙くても、手紙を書いてでも残したかった彼女の気持ちは私と一緒にいたい事だった。その気持ちに一心に応える言葉は、何なんだろう。


「……いけない」


 考え事をしながら歩くと余計に進みが悪くなってしまう。今はとにかく見つけるのが先──と大きく一歩を踏み出した瞬間だった。


「ふごっ」


「えっ?」


 急に腰周りのコートが引っ張られたかと思うと、白い猪。この間私をトラックまで案内してくれた猪だった。


「あの、ちょっと」


 ぐいぐい引っ張られてコートがちぎれそう。ましてや腰の位置をしっかりと噛んでいて、無理やり連れられバランスを崩し、ついそちらへ向かってしまう。それに、向かう先は今まで捜索の考慮に入れていなかった方角だった。木の実を取りに行った場所には確かに小屋があるが、そんな場所へわざわざ出向くなどあんな手紙を書いた本人が向かうとは考えられない。


 この子はマルールの居場所を知っていて、だから無理やり連れて行こうとしている──まさか二度もそんなお伽噺みたいな話がある訳が無い。でも、賭けてみる価値はある。


「連れて行ってくれる?」


 すると白い猪は「ふぎゅっ」と鳴いて口を離し、私を先導するように先を歩き始めた。白い猪について行けばマルールに会える。その思いはますます募ってゆく。


 いくつか小川を跨いで小高い崖の昇り降りを繰り返した時だった。この辺りはマルールと来た事があった。木の実を拾いに通った場所、マルールと天の川を見た広場。


 マルールがいるかもしれない。俄然その期待は高まる。


 やがてその広場に出た。中央に人の立つ影。白い猪はその影に向かって勢いよく駆け出してしまい、それに気づいた影が白い猪を迎えて抱き締めた。まるで飼い主と愛犬が戯れているかのようなその光景の主役は、しかしマルールではなかった。


「来てくれたんだ。ようこそ」


「エリク。どうしてあなたが」


 立っていたのは彼だった。彼は白い猪を撫で回すのをやめこちらにやって来る。それに慕うように連れ添う猪。


「私をその子に連れて来させたの」


「いいや違う。僕は待っていただけだ。昔、白い猪に助けられた事があって、少しの間だけ持ちつ持たれつの関係だったんだ。この子は多分その子どもか孫だろう。白い猪は皆賢い」


「何故ここで待っていたの」


「手紙、読んでないのか?」


「マルールの置き手紙なら」


「それは……なるほどなあ。とんだ行き違いだ」


 やれやれと楽しげに首を振るエリク。彼は納得がいく理解をしたらしいが、私には何の事か全くわからない。置き手紙をしたのはマルールであってエリクではない。私はマルールを探してやって来たのだ。


「僕もこっそり手紙を置いてたんだ。キッチンに、君に出会う直前。だから僕の置き手紙はそのマルールって子が持ってるんだろう。結果的に君はここに来たから、そんな事は関係無くなったが」


 では、私をエリクに会わせないためにマルールは家を出て行ったと、そういう事だろうか。それなら単純に手紙をどこかへ捨てて知らぬ存ぜぬでいれば良かった。そうしなかったのは別の理由があったからに違いない。


 エリクが白い猪と気の済むまで戯れると、彼は猪のお尻の辺りを軽く叩いて森へと帰した。猪は名残惜しそうに森へ消えて行った。きっともっと遊んで欲しかったのだろう。


「さてエルネスティー。突然だけど、僕は君をここに呼んだ。それは何故だと思う」


「天の川は見えないけれど」


「覚えててくれたのか、嬉しいな。でもそれは不正解だ」


 すると、エリクは急に私を抱き締めてきた。不意を突くように体を包み込まれたおかげで呆気に取られ、身動きができない。


「エリク」


「僕が話した事、覚えてる?」


「何の事」


「──君の中にあるものを殺す方法」


 背筋に怖気が走った。耳元で囁かれた低い地鳴りのような声色は、かつて過ごしたどの記憶にも無いものだった。成長遅滞が見られるとは言えすっかり成長し体格も相応に大きくなった彼に、気づけば私は抱き込まれるようにして束縛されていた。身動(みじろ)ぎする事も難しい。


「僕は君の中にあるものが欲しくなった。Legion Graine。永遠の生。調べれば調べるほど興味深く、欲求も増していった。君がこれを他人に譲らなかった理由は何となくわかるよ。こんなに素晴らしい代物は他人に簡単に譲りたくない」


「そうじゃない。私は」


「違わないだろう」


 エリクは一層体を抱き寄せ、抱き寄せた部分が痛んだ。ますます息が苦しく、身動きができなくなっていく。


「世界中を旅してLegion Graineの古い文献を探し当て調べ尽くした。少なくとも現代技術での治療は不可能だ。他者に移植してただ増殖していくだけの代物なんだ」


「そんなのわかってる……」


「だったら少しでも永遠を願う者に与えるのは道理として正しい、そうだろ。望む奴に好きなだけ与えてやればいい。好きなだけ与えれば、身の程知らずな戦争も明日にはピタリと止むさ」


 本当にそうなのか私の中で咄嗟に逡巡した。永遠の生が楽しい事ばかりならそれも間違いでは無いのかもしれない。頭に浮かんだのはミゼットおばさんの言葉だった。


 ──ねえエルネスティーちゃん。周りに自分を大切にしてくれるお友達がいっぱいいたってね、命に代え合うほど大切な人がひとりもいないってのは、寂しいものよ。


 そして私がマルールにLegion Graineを移植した事を彼女はずっと前にこう言っていた。


 ──それでもわたしにこれを移植したのはさ。割り切っていても、寂しかったからでしょ。


 この百年、生きてきてエリクを好きになった時があった。けれど彼は私の意に反して離れて行ってしまった。そうしてまた今度は半世紀ほど喪失の感覚を味わった。


 永遠の生を得ても変わってしまう事はある。それは自身の心かもしれない。周囲の人々かもしれない。私やあなたの生き方かもしれない。あるいは全ての生命が滅んでも、惑星がひとつ死んでしまっても、あなたがいれば寂しくないと思うかけがえのない孤独でさえ。


 永遠であってほしいと願う一番大切なものを守るためにこそ、Legion Graineは存在して欲しい。


「あなたに」


「ん?」 


「あなたのような人たちが望んでも、Legion Graineは渡せない」


「……なるべくなら君の理解を得たかったんだけど、仕方無いか」


 すると腰の辺りで彼の右手が動いた。コートのポケットから何かを取り出しているらしい。そして取り出された何か、銃口のように冷たく固い物が首の後ろに当てられた。


「君の元を去ってから、僕は死体専門の臓器売買を生業にしていてね。これはLegion Guiineを攻撃する薬剤だ。投与すればLegion Graine本体からの指令が届かなくなって、君の体に長いこと傷を付ける事ができる。勿論薬の効果には限界があるから君は死なないし、永遠の生は失われない」


 彼はLegion Graineを摘出し、利用したいのだ。運命の女神を愛し永遠に踊り続けるために。


「薬を投与してしばらくは動けなくなるらしいけど、君なら慣れているだろう」


 首に当てられた物に強い力が加わった。それから針が進入する強い痛み。頚椎の中心まで到達する長い針が止まり、冷たいものが首と背筋を這ったかと思うと、体から急速に血の気が引くのがわかった。酷い目眩がし、同時に力が抜けていく。意識ははっきりとしているのにまるで体が動かない。針が抜かれ雪の上に優しく下ろされた。


 彼の手には白いカートリッジ式の注射器があった。もはや用済みとなったそれは彼の手から放り投げられ、代わりにナイフが握られた。日の光に当てられたそれが煌めきを放った。


「そんな怖い目しないでくれ」


 逆手に握られたナイフが(にじ)り寄る。体の横に膝を付いた彼は来ていた服を切り裂いて腹部を露わにさせると、素早く触診しそれを探し当てた。


「すぐ終わる」


 そして刃先が肌に触れた、その瞬間だった。


「!──、っ!!」


 激しい金属音がしたかと思うと、彼のナイフが弾き飛ばされた。ほぼ直線を描いて雪にめり込んだそれは容易に取り戻せる距離には無かった。


「お前。何してるんだよ」


 マルールの声。けれどもそれは低く唸る獣のようなそれだった。


「レティシア……これは驚いた」


 目だけを動かして見た彼女はライフルを構えていた。片目だけでもわかる殺意を纏った目はエリクだけを捉えていた。


「何故君がここに?」


「置き手紙」


「もしかして君もエルネスティーに拾われた?」


「さっさとエルネスティーから離れろ」


「その狙撃技術は誰に?」


「トワイズ」


 その名前を答えた瞬間、エリクの顔が驚きに充ち、そして沸き上がる高揚を堪えきれないかのように腹を抱え、声高らかに笑った。


「そうか! やっぱりそうだよな! 面白いなあホントに! これだからやめられない……」


 彼の目が鋭く見開かれた。「マルール……!」力の限り叫んだ声に彼女は反応してくれた。エリクが袖に隠し持っていたダーツの矢をマルールに向け投げ放つ。彼女は銃身でこれを防ぎ反撃。しかし先んじて粉雪をコートで巻き上げ目隠しした彼は、やはりコートの裾に隠し持っていた親指大の刃渡りナイフを五指に四本握り込み、彼女に一瞬で詰め寄った。


「どこ見てる」


「!?」


 反応しきれなかった彼女の両脚にナイフが刺さった。足の腱、脹ら脛、膝の裏、そして裏大腿。突き立てられたそれは動きを封じるには充分過ぎた。呻き声を上げ支えを失った彼女はその場にくず折れ、項垂れた頭を硬い爪先で勢いよく蹴り上げられた。血を迸らせ反り返って後ろに倒れる。その首を、エリクの硬い靴底が押さえ付けた。


 マルールでさえ一瞬で組み敷かれるエリクの戦闘技術。彼女は必死に脚を引き剥がそうとするが、重力に加勢されたそれは微動だにしていない。空気を取り入れようとする喉の音が悲痛で、私は耳を塞ごうとするがそれもできない。


「報酬は永遠の生って言ったろう。そう躍起になるな、すぐ生き返らせる」


 その瞬間、鈍い音が雪を伝って私の耳に届いた。そして、喉が空気を求める音も、雪の中で(もが)く音も、同時に止んだ。


「待たせて悪かった。今度こそすぐ終わるから」


 そう言って弾き飛ばされたナイフを取りに戻るエリク。


 どうしてこんな事になってしまったのだろう。いや、きっとこんな事が今もどこかで起きている。私が発端の戦争のせいでいつも誰かが苦しんで、挙句の果てに死んでいる。忘れてしまってはならなかった。楽しさなんかに心奪われてはいけなかった。私がこの生を生きるというのはそういう事だった。


 なればこそエリクの言う事にも一理あるのかもしれない。他の人は私のように大きな罪は背負っていない。もし世界中の人の苦しみが自分ひとりの命で贖われるのなら、喜んで差し出すべきだった。悩む必要は一切無かった。私にはそれすらも贅沢品だった。


 彼の持つ刃が再びLegion Graineの上に降り立った。もうどうにでもなってしまえばいい。Legion Graineで少しでも苦しみの総量が減るのならそれはむしろ望むべき事だった。


「おいおい。クソ野郎が勢揃いかよ」


「!」


「……?」


 突然聴こえてきたのは男の人の声だった。目を向けるとそこには、ヒグマのように大きい体をした壮年の男性。


「……トワイズ」


「久し振りだなイェク。何でレティシアくたばってんだ、ああ?」


 エリクは立ち上がり、トワイズを見据えた。口元には緩やかな弧が画かれていたが、その目に宿るのは明らかな敵意だった。


「僕が殺した。赤子の手をひねるより容易かったよ」


「とことんムカつくよな。ほんとてめえはよ」


 まあここで出会ったのも何かの縁だ、とトワイズが体を慣らし始めた。


「その動き。試合をする前いつもやっていた」


「今日は本気だ。今日で最後にする」


「その台詞も聞き飽きた」


 これ以上邪魔されてたまるか。


 その言葉でエリクとトワイズがナイフを構え、双方睨み合った。

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