Ⅲ-12 真実と虚構のあいだ
「申し訳ありません。わざわざ御足労いただいて」
「いえいえ、これも執事の務めでございますから」
ギヨームさんが馬を撫でながら答えた。
バジーリオさんの元へ熱病に効果的な薬草を貰いに行くため、ベルトラン町長に馬を一頭貸してもらえないか交渉していた。馬車で行くよう提案されたものの、急用の際はなるべく身軽にしておいた方がいい。馬車は断っておいた。
馬の他にもうひとつ別に頼んでいた人がいた。そろそろ来てもいい頃だけど、と彼らの家の方へ視線を向けると、丁度町角を曲がってやって来る二人の姿が見えた。
「こんにちは。エルネスティー」
「二週間ぶりだな」
「ええ、変わりないようで」
留守中マルールの看病のため声を掛けていたのはジャックとエリーヌ。アートフェスティバルの一件以来、通院と服薬を継続して懸念していた傾眠もそこまで重篤にはならなかった。ジャックは家具職人、エリーヌはデザイナーと、それぞれ家族がいて彼女の療養を優先している彼らは、自分の店を持つドックスおじさんやクランと異なり日を跨ぐ用件を頼みやすかった。
「エリーヌに何かあった時のために、薬と飲み方のメモは用意して置いているから」
「ああ、ありがとう。いつも助けられてばかりで恩返しできるなんてこういう時くらいなんだ」
「マルールが大変なんでしょ。看病はあたしたちに任せて」
二人の笑顔を向けられて私も自然と口元が緩んだ。そしてふと思う。こんなに周囲に人がいて私に笑顔を見せてくれる機会は、やはりマルールと出会ってから増えていった。けれど当のマルールは今、原因不明の熱に冒されている。
マルールの笑顔を取り戻したい。
そんな決意を胸に秘めると、エリーヌから肩を叩かれた。
「カナーレまでは遠いんでしょ。エルネスティーのためにハーブティーを作って来たの。喉が渇いたり、疲れたら飲んでね」
手渡されたのは竹の水筒。彼女が持っているもう一本はマルールの分に違いない。
「ありがとう。よろしくお願いするわ」
そうして私は馬に跨り、カナーレへの道を勢い良く駆け出した。
━━━━━━━━
カナーレは花の街と言われています。
ギヨームさんから事前に耳にしていた街の説明だった。過去にはフィレンツェと呼ばれていた都市、戦争による地形の変化で街の規模は縮小し、今では運河が通っている。
街に入って馬を降り、エリーヌから貰ったハーブティーを取り出した。橋の欄干から運河を往来する商船を眺めつつ小休止を挟んでいると不思議な感慨を抱いた。この運河は確かに、不死を求める戦争のさ中で莫大な人員と重機とエネルギーを短期的に徹底集中し完成させたインフラだった。かつては武器や兵士の輸送に使用されていたが、戦線の遠ざかった今ではただ人や食糧を運ぶ役割を担うばかり。それこそ運河が街のイメージになり、いつの間にかカナーレと呼ばれるようになったのは必然かもしれない。
変化──私自身もそうかもしれない。町を出たのはマルールと一緒にラスカシェロスへ行ったのが六十年来になるけれど、身一つで出るのはおおよそ八十年ぶりだった。マルールと過ごすようになってから、自分の中で確実に何かが変わり始めている。
幾つか商船を見届けてから、休憩を終えてギヨームさんから貰った地図を広げた。バジーリオさんの自宅は花市の通りから横道に入り、いくつかの目印を通り過ぎて奥まった位置にあると教えられていた。目的地に「S」を象った宿り木の若芽の紋章が象られている。フードを目深に被り直し、私は馬を引いてそちらに歩き出した。
地図を頼りに進み、程無くしてそれらしい紋章の掲げられた扉を見付けた。馬を玄関先のプラタナスに繋ぎ止め数度ノックする。
「はい……と、君か。上がって」
「失礼します」
ベルトラン町長が飼養するシャンタルによって事前に訪問と用件は伝えていた。適当にくつろぐよう言われソファに腰を下ろす。紅茶を淹れてくれて、私の前に差し出した。
「それで用件は、マルールの熱病に効きそうな薬草を幾つか、だっけ」
「ええ。ご協力いただいてよろしいですか」
するとバジーリオさん、怪訝な表情で対面に座ると紅茶に口を付けながらこんな事を問うてきた。
「ひとつ聞いていいかな。君らLegion Graineってやつのおかげで病気になってもすぐ治るんだろ。マルールの熱は何故長引く?」
「それは……」
わからない。元よりLegion Graineについてわかっている事実は限られている。実証実験はこの身をもって行うしかなかったにしても、その影響には明確に個人差があるとわかっていたのは模様のパターンだけだった。
「煉獄病の一件以来、君の噂はごく時折耳に挟むようになった。君やマルールが不死になった理由もね。だからこれはあくまで聞きかじりの情報を元にした推測の域を出ないが、そのLegion Graineってやつが彼女の内部で活性化している可能性がある。それに百年君の中にあったものを移植したんだろ、臓器移植と同じで何らかの拒絶反応くらい出てもおかしくない」
「……それを確認するために、熱で苦しんでいる人の腹部を切開しろという意味ですか」
「僕は無益な苦痛とは思わない。不死なら尚更さ」
バジーリオさんは眼鏡を正しながら言った。
「負け惜しみのようだけど、青い魔女。常々思っていたんだが君は色々な判断が幼稚だ。いかにも子どもっぽいし、妙な部分に異常に執着する」
「……」そんな事を言われたのは今まで生きてきて初めてだった。「それとマルールの当座の問題と、何の関係があるのでしょうか」
「わからないか?」バジーリオさんは大きく溜め息を吐いて言った。「君、マルールに毒されてるぞ」
「と言うと?」
「アホって事だ」
何も言い返せない。確かにマルールと出会ってからの私は判断が短絡になっていた気がするし、それ以前だって言ってしまえば善悪の判断すら付いていなかった部分がある。体が十七才のまま判断能力も相応のまま止まってしまったのなら、彼の言う事にもやはり一理あるのだろう。
「その沈黙は肯定かな」
「……そうですね。そうかもしれません」
「マルールに毒されると君みたいなやつですら丸くなるらしい」
バジーリオさんはそう言って紅茶を飲み干した。その言葉も一理あるのかもしれない。全く町から出たがらなかった私が一人でここまでやって来るなんて、マルールと出会うまでは有り得なかった。またこれから先、彼女と一緒にいる過程で変わっていく事もあるのかもしれない。
彼が二杯目を注ぎ入れてから、私は予めメモしていた薬草のリストを手渡した。エルダー、ヤロー、ペパーミント、ヒース……発熱や筋肉痛に効く材料をできるだけ列挙した。マルールの体に起きている異変に対して薬効成分の調節がしづらい作り置きの錠剤や点滴は避けたい。活性化や拒絶反応以外に、新手の感染症という事も考えられなくは無かった。
リストをしげしげと眺め、バジーリオさんは「ちょっと待っててくれ」と言い部屋を立ち去った。少しして頼んでいた量よりも多いくらいの薬草を籠に入れ、戻って来た。
「念のため漢方系も効きそうなのを選んできた。君にやるよ。そっちの調合は問題無いかな」
「ありがとうございます。学んでいるので大丈夫かと」
「じゃ、後は任せたよ」
私は籠を受け取り、彼は手をひらひらさせながら再び向かいのソファに身を埋めた。その表情は少し固い。バジーリオさんもマルールの容態が心配なのかもしれない。
「あの」
「ん」
「ほとんど見ず知らずの私にここまでしていただけて、何と言葉にしたら良いのか」
すると、バジーリオさんは大きな溜め息を吐いた。
「全く幼い言動だな。──いいかい僕は常から見ず知らずの人には慣れてる。瀕死や重症になってから慌てて駆け込んで来る患者を診るなんて日常茶飯事だ、ルフェーブル氏もそうだった。でもそこはどんなに愚かでも生きている人間相手、下手に突き放す事もできないって訳さ。ま、見返りに人体実験くらいは付き合ってもらうけど」
「人体実験……」
バジーリオさんが変人である事は知っていたが、自覚済みだとまでは思っていなかった。私を見るなり叫んだ初対面の場面はもはや忘れられない。
「時に青い魔女。君は近頃遠方からやって来る人間が口にする噂を知ってるか」
「いいえ」
「どうやらまだ世界には前時代の研究所が幾つか残って稼働しているらしい。そこで人間が造られていると」
造られた人間、それだけで嫌な予感が頭をよぎった。「お話を伺っても」
「その研究所では人間性を失わせた人間とやらを製造しているらしい。遺伝子操作か薬漬けかは知らないが、長命で強靭、精神的な成長遅滞や多少の身体的欠陥はあっても戦線に投入するには《《十分な》》人間性を有した人造人間」
丸眼鏡のレンズ越しに険しく鋭い視線が向けられた。
「見た事がある。ひとりの少年だ。彼は野営中の兵を襲っていた。銃撃を恐れず怪我をしても笑顔のまま突き進んで行く。僕は先に逃れて隠れている他無かったけど、あれは大学時代に観たどんなスプラッター映画よりずっと酷い。どいつもこいつも急所を射貫かれていた」
バジーリオさんの視線は険しく私を射抜いていた。様子が普通でない事はわかっていた。先程から肘掛けに乗せた手の先が震えていた。
「バジーリオさん、あなたは」
遮るように大袈裟な溜め息を吐いて目を閉じ、ソファに背を預ける姿勢を整えながら眼鏡の位置を三つ指でぞんざいに正した。
「僕は変なやつさ。ベルトランも言うけど自分でもわかってる。ごめんよ」
バジーリオさんは何が言いたいのだろう。けれどそれを直接聞いても十全に理解できる答えは返って来ないような気がした。返答を受けたところで私自身にある答えが何なのかわかっていない。あるいは既に私は答えを知っていて、周りの人から与えられる答えには意味が無いのかもしれない。戦争の発端が私の無邪気な研究にあった事を。
彼はそこで立ち上がりお湯を温め直した。紅茶の葉も新しくしてソファに舞い戻り、一口目を付ける時には表情もだいぶ和らいでいた。指先の震えは止まっていた。
「ま、さっきの話は君がさほど気にする事じゃない。忘れてくれ。あ、そうそうこれからちょっとした実験をするんだけど付き合ってくれないかな。ちょうど人間の皮膚を模したサンプルが欲しかったんだよ」
「残念ですがお断りします」
「マルールなら喜んで引き受けていた」
「マルールを引き合いに出さないでください」
話題が変わってから元のバジーリオさんに雰囲気が戻ったが、やはり彼には彼なりに私に対して思う所があるのだろう。短くも平穏に治まっていた世界を瓦解させ堕落させた原因はやはり私にある。
「さて、長話もなんだ。そろそろ戻ってやれ」
「薬の材料、ありがとうございます」
「気にするな。マルールの誼だ」
玄関先で見送られた後、プラタナスに繋いでいた馬に飛び乗った。ここから帰りはなるべく休憩を挟みたくない。
私は馬を奮い立たせ、街を突っ切ってアンルーヴへと急いだ。




