Ⅲ-8 誰の目にも触れずに
「マルールには大切なものが?」
「どうしたの急に?」
ベルトランさんのお家に色々持って行ってから数日、いつものようにわたしはジョンさんを看病しながら待っている日だった。と言ってもジョンさんはすっかり傷も癒えて、わたしと同じようにキッチンのテーブルで暇潰しをしている。ジョンさんはノートと鉛筆で黙々と何か書いていた。
対するわたしは文字書きの練習。
急に投げ掛けられた言葉に、それでもわたしはすぐ答えた。
「大切なものは色々出来たけど、やっぱり一番はエルネスティーかなあ」
「エルネスティーってあの子はそんなに大切なんだな」
「うん。だってすごく美味しいかぼちゃのスープ作ってくれるんだよ」
「飯に釣られたのか」
「うーん。命を救ってくれたし、迷子になるといつも探しに来てくれるし、何かあっても見捨てないでくれるし、色んな事褒めてくれるし」
「そうか。……」
ジョンさん、何だか悲しそう。やっぱり記憶を失くしてそういったものが何なのかもわからないと不安になるに違いない。
「ね、ジョンさん。ちょっと町に出てみない?」
「いいのか」
「もう体は大丈夫なんでしょ。エルネスティーが帰って来るまで時間たっぷりあるし、少し町に出て色々なもの見てみようよ。そしたら何か思い出せるかも。屋台に美味しい食べ物も置いてるんだよ」
わたしの提案にジョンさんは考えているのか、鉛筆を走らせる手を止めてしばし目を瞑った。それから鉛筆を手から離して意を決したように大きく目を見開く。
「よっし。外の空気も吸いたかったところだ。マルールには是非町の案内を頼む」
「そう来なくっちゃ!」
ジョンさんのノリの良さに親指を立てて片目をぱちり。そんなわたしの様子に悲しそうな様子も少しだけ和らいだ気がした。
「ジョンさんは何か食べたいものある?」
「俺は……そうだ。野菜っぽいのが食いたい気がする」
「あっ、じゃあ野菜スティックをフライしたのとかどう? パン粉のころもに包まれてて甘辛いソースに付けて食べるとすっごく美味しいの」
「それで頼むよ。金はどうしてる」
「毛皮売った時の端金を貯金してる。大丈夫任せて、少しくらい奢るのなんてへっちゃらだから」
「そうか、じゃあ甘えようかな」
そう言って天気の良い商店街をゆっくり歩き、目的の屋台にはすぐ着いた。最初はてっきりお祭りの時だけに出すものだと思っていたけど、屋台で生計を立てている人もいるらしい。商店街を歩いていると確かにちらほら営業してる屋台を見かけた。
冬の間は屋台を店じまいして別の仕事をする人が多く、人気のお店は冬でも人手を借りて屋台を出している。わたしが提案した野菜スティックフライのお店もアンルーヴでは人気のお店のひとつ。煉獄病の一件の後、向こうから声を掛けられた事が知り合うきっかけになった。
「こんにちは、ココさん」
「いらっしゃい。見慣れない人といるね。そちらは?」
「ジョンって名前だ。よろしく」
「ちょっと訳ありでわたしたちの家に居候してる。優しくしてね」
「当然。じゃあマルールのよしみで野菜スティックおまけしたげる」
出し抜けにココさんがそう言ってくれるけど、気持ち的にその提案は気が引けた。
「おまけは嬉しいけど、ちゃんと支払わせて。じゃないとウサギやキツネやリスが可哀想」
「そっか、わかった──それじゃあちゃんとお金、受け取ろうかな。何がいい?」
「わたしはホワイトアスパラ。ジョンさんは?」
ジョンさんがメニュー表を探していると、ココさんが代わりに答えてくれた。
「フライドポテトとグリーン&ホワイトアスパラ、かぼちゃ、セロリ、あとオニオンリングもあるよ。ここだけの話裏メニューがあって、それはナゲットって言うんだ。鶏肉のミンチを丸めて揚げたやつ」
「マルールは裏メニューも知ってるのか。すごいな」
「エルネスティーと一緒に通り歩いてるとこ、何度も見かけてたみたいで覚えててくれたんだよ。ね、ココさん」
「煉獄病の一件以来、話し掛ける機会が出来て良かったよ。ウチは子どもがエルネスティー苦手だったから何となく話し掛けづらくってさ。ジョンさんは何がいい?」
「あ、ああ、じゃあフライドポテトとその、ナゲットってやつで」
「わかった。そこのベンチで待ってて、揚げて持ってってあげる」
「ありがと!」
お金を支払ってベンチで鼻歌を歌って待ちながら、ふと横を見るとジョンさんが怪訝な表情でわたしを見ていた。
「マルールは誰にでも好かれるんだな」
「そうかな。深く考えたことないからわかんない」
「悲しくならないか」
「ううん。わたしにはエルネスティーがいるし、本当にわたしたちが傷ついたらベルトランさんが黙っちゃいないって」
ベルトランさん、という言葉に反応した関係で、わたしは彼との出来事も話してみせた。ベルトランさんはわたしたちの事を知っていて、最初はこっそり付き合っていたけど、煉獄病がたちまち流行してから助け合って、今ではとっても親身な付き合いになっている。
そう説明するとジョンさんは何だかまた悲しそうな表情を見せた。そう言えば、どうしていきなり大切なものがあるかなんて聞いてきたんだろう。
「お待たせ二人とも。アスパラ、ポテト、ナゲットだよ」
「ありがとうココさん」
「美味そうな匂いだ。ありがとう」
「ありがと。じゃ、屋台に戻ってるから他に何か欲しければ言ってね、ごゆっくり」
そう言ってココさんは屋台の中に戻っていった。紙を折って作った容れ物に入って、こんがりいい色に揚がったフライ。甘辛のソースはカップの底に入っていて、これにスティックフライを付けて食べる。
わたしが先にアスパラをつまみ上げてソースの付いた先っちょの部分を食べると、ジョンさんも同じようにしてポテトフライを食べてくれた。「うん、美味い」そう言って笑みを浮かべる彼に笑い返した。食べ進める姿を見て気付いたけど、特にナゲットを気に入ってくれたみたいで何より。
それからわたしたちは他愛無いお話をしながらフライを全部平らげた。それから行き着いた話は、やっぱり大切なもののこと。
記憶の有無を確かめると首を横に振られた。けれど、ぼんやりと思い浮かぶものがあるのか顎に手を当ててしばし唸った。聞くと頭に浮かんだのは銀色をしたコインみたいな物らしい。名前はわからないのか、彼は大きな溜め息を吐いてしまった。
「何だろう……首周りが少し寂しいんだ。むずむずする感じがする」
「むずむずする感じ?」
問い直すと、彼は首に手を当てた。
「首に何か下げたり、巻いたりしていたのかもしれない。薄ぼんやりの感覚だから確証は無いが」
「ううん、それたぶんすごく大切な記憶だよ。わたしもにおいで記憶が少し戻ったりしたから」
においが?、と言うジョンさんにわたしは頷いた。
「もしかしたらあの場所に、ジョンさんの大切なものを忘れてきちゃったかもしれない……」
「あの場所って俺が倒れた場所か」
「うん、たぶん」
だとしたら悠長にフライなんて食べていられない。この季節の森は毎日雪が降っていてまともに歩ける道は限られているし、雪で見失ったら最後、次の秋までは見つからない。それでなくても落ち葉や土にまで埋もれたら見つかりっこなくなる。光り物を大事にする野生動物に持って行かれたら絶望しか無い。
「ジョンさんごめん、わたし探しに行ってくるよ」
「え、おい。今からか、留守番は」
「家で待ってて。帰り道は簡単だから覚えてるよね。エルネスティーならすぐ帰って来るから」
「丸腰で?」
わたしは駆け出しながら手を振った。
「心配してくれてありがと! 大丈夫、ライフルくらい持ってくから!」
幸い森の方角の空も雲ひとつ無い快晴のよう。道のりも場所も覚えているし、道草を食わなければ二、三時間くらいで帰って来られる。
それに、感覚で覚えていられるほど大事なものを無くすなんて、たぶん記憶を取り戻した時にすごく悲しんじゃうに違いない。これはわたしが蒔いた種なんだからわたしが何とかしないと。
路地裏を過ぎて家に寄り、ライフルを持って一路、わたしは森へと走り抜けた。
━━━━━━━━
「確か、この辺り……」
ジョンさんを撃ってしまった現場までやって来て、わたしは木の幹の周りの雪を手で掘り始めた。だいぶ息が切れているけど問題無い。そうして幹の周囲を土が見えるまで掘っていると、やがてきらりと雪の中に埋まったチェーンみたいなものが見えた。引っ張り出して見てみるとチェーンの先に何か繋がっている。銃弾がめり込んだ金属の小さい板だった。
あれこれ観察してみると、被弾時の熱のせいか捲れ上がった金属板には文字が掘ってあった。掘ってあると言ってもAとZが辛うじて読み取れるくらい。
「コインみたいな物って言ってたけど、これでいいのかな」
銃弾がめり込んでる事以外は楕円形のコインみたいな形をしているし、似たようなものを身に付けている人も見た事が無いし、これだと信じて持っていこう。
わたしはコートのポケットに入れながらそう思った。
そして、振り返ろうとした瞬間──。




