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青い魔女の通過儀礼  作者: 籠り虚院蝉
Ⅱ 過ぎ去りし痕と遺された今
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Ⅱ-18 全て敢え無きひととまに

 数日間は誰も彼も口を開こうとしなかった。わたしもクランもソフィも、ルフェーブルさんが亡くなった事に意気消沈してしまっていた。生活する上での些細な会話だけに留まりそれ以外の事は何も語らず、する事もしなかった。ただひとり、エルネスティーだけが実験室に忙しなく出入りしてルフェーブルさんの遺体の検死解剖をしていた。


 怒りと失望と諦めの感覚がエルネスティー以外のわたしたちの間に漂っていて、特にクランの纏う雰囲気は刺々しかった。エルネスティーも寄せ付けないといったふうだ。対してソフィはルフェーブルさんの行く末を半ば覚悟していたらしく、彼の亡骸を前にして微かな嘆息をし、眉を顰めながら黙祷しただけだった。


 そして、わたしはどうする事もできず自室にずっと引き籠っていた。記憶の事も、エルネスティーの気持ちも、ソフィへの欺瞞も、全てが否応無しにのしかかってきているような気分だった。


 何か少しでも解消して気分を軽くしなきゃ──そう感じて、わたしはエルネスティーのいる実験室へ重い足を引きずって向かった。


 そこには彼女がいた。そして、布を掛けられ台に横たわり微動だにしないルフェーブルさんがいた。わたしは顕微鏡を覗いて操作している彼女から、少し離れた位置でテーブルに腰かけた。


「マルール」


 音を立てないように来たが、気配で気付かれたらしい。彼女は顕微鏡から目を離すと赤らんだ目を向けて言った。


「何をしに来たの」


 返答に困る。何しに来たのか。エルネスティーの手伝い。それはたぶん一蹴される。


「エルネスティーは、その、どう思ってるのかなと思って」


「どう思うって、何について」


「記憶の事とか、ソフィのパパさんが亡くなった事とか」


 打ち明けて、彼女は僅かに目を伏せ顔を背けた。あちらも返答に困っているようだった。


 けれど小さく息を漏らすとこう言った。


「今は、ルフェーブルさんの命を奪ったこの病の事だけを考えていたい」それを聞いて、また胸が痛い。


 もう何なんだよ、これ。「少しだけでいいから……」


「あなたが今欲しいものは何?」


「え?」


「欲しいもの。心から」


 何だろう。欲しいもの。今一番。「……慰めてくれる人」


「そう──それならミゼットおばさんやドックスおじさんみたいに何も知らない人たちのところへ行って事情を話してくればいい。そうしたら言ってくれるわ。『大変な事があったね、でもマルールが気に病む必要は無い』って。そうでしょう」


 そんなのわかりきってる。


 本当に欲しいのは、エルネスティーの言葉。


「少し休憩しよう。もう四日も寝てないんでしょ」


「休憩している暇は無いわ」


 エルネスティーはそう言って顕微鏡を覗く。覗いてノートに鉛筆を走らせながら彼女は言った。


「今は私じゃなく、自分やクランやソフィを気に掛けなさい」


 一度、ゆっくりと瞬きをした。


「あなたたち三人とも心が疲れきってる。もし少しでも私の役に立ちたいのなら、あの子たちを無理やりにでも外に連れ出して。外の空気を吸わせてあげて」


「……わかったよ、エルネスティー」その声を聞いて納得し、わたしは腰掛けていたテーブルから立ち上がった。「二人を連れて外の空気吸ってくる。でも、エルネスティーもたまには休憩して。疲れは治せないんでしょ」


「ええ、わかってる」


 わかっていそうに思えない声だが、返答は返答として受け取っておくしかない。


 わたしは「行ってきます」そう言って実験室を出た。



━━━━━━━━



「クラン、ソフィ。わたしと気分転換しに外へ出よう。このまま鬱ぎ込んでちゃだめだ」


 二人はリビングで手持ち無沙汰にしていた。クランもソフィも勝手に淹れた紅茶でクッキーをつまんでいる。それを食べる速度は速く、焦燥気味なのは目に見えて明らかだった。


「外行ってどうするの。どうせ何も変わりゃしない」


「変わりゃしないって……。その考え方がもっと鬱ぎ込んじゃう要因なんだよ。ソフィのパパさんが亡くなったのは悔しいよ。でも、だからってもう四日間も気持ちが沈んでちゃ、そのうちわたしたちも病気になっちゃう」


「マルールの心配は単なる同情でしょ。自分は不老不死で、病気になってもLegion Graineが勝手に治してくれるし」


 そう言われてしまうと反論できない。確かにエルネスティーとわたしはもう殆ど不老不死の体になってしまっている。けれど、それとこれとは話が別だ。ルフェーブルさんを心配していたのは揺るぎない事実。


 それに、どれだけ不老不死になったって心の痛みや傷はLegion Graineでも治せない。


「ソフィはどう? 外に出たくない?」


 わたしはソフィに話を振った。すると「じつは、ちょっとだけ」と控えめに答えてくれる。


「ママにね、パパそっちにいる? って聞きたいの。天国で元気にしてる? 二人で楽しくすごしてる? って聞きたいの。もしかして、まだあっちに着いてないかもしれないけど」


 どきりとした。天国なんてありはしないのに、ソフィはパパさんが天国に行って楽しく暮らしてくれている事を心の底から望んでいる。彼女だから前向きな考え方ができるのだろうか。いや、ソフィはもう現実を受け入れて、次に訪れる悲しみと闘おうとしているのかもしれない。


 むしろしっかりしないといけないのは、わたしやクランの方──。


「そうだね。もしかするとパパは天国で楽しく暮らしているのかもしれない。ソフィの言う通りだ。今からあの墓所に行こう。ね、クランも」


 わたしがクランにも呼び掛けると、彼女はテーブルを勢いよく叩いて立ち上がり、激高した。


「──いい加減にして!!」


 初めて聞くクランの叫びに、思わず身が竦んだ。


「天国とか、元気してるかとか、もうあの人は死んだの。後は燃やして灰にして墓の下に埋めるだけ、死んだらもういないんだよ、どんなにがんばっても──もう会えないんだよ……。うれしい事もつらい事も、何でも……」


 そして彼女は言った。


「何にも……楽しくなんかなんなくて……っ」


 声も表情もくしゃくしゃで、涙を溜め、今にも泣き出しそうだった。彼女も両親を幼くして亡くしソフィの気持ちは十分にわかっている筈だ。けれどその現実を、まだ。


「クラン。わたしたちと一緒にお墓に行こう。きっと何年も行ってないんでしょ。ねえ行こう……行ってあげよう」


 ちゃんと向き合わないといけないんだ。今がその時なんだよ。


 言葉尻に呟くように言うと、クランはとうとう、わっと泣き出してしまった。抱きしめて頭を撫でながらあやしてあげると、首を微かに縦に振って、行く、お墓に行く、と返事をしてくれた。


 しばらくそうしているとクランはようやく落ち着きを取り戻してくれた。わたしたちは気を取り直して手頃なクッキーを数枚ラッピングしたものを二つ用意し、花瓶に差していたカザグルマを二輪抜き取った。ソフィのパパはまだ埋葬していないが、両家の墓への手向け用だ。準備は早々に完了し、わたしたちはそのまま町の外れの墓所へと向かうため、家を出た。


 今日は晴れだが、少し風の強い日だった。冷たい風が吹きすさび、防寒服の合間から風がひゅるりと侵入してくる。寒さにみんなで身を寄せ合った。


「あの、実はあたし、しばらくお墓に行ってなくて、お墓の場所忘れたの。その、墓所の場所じゃなくて墓石の位置なんだけど」


「それなら大丈夫。墓石は入口からレター表の順に並んでるみたいだったから」


 数日前に訪れた時の記憶からクランの不安を払拭する。クランは安心したようで、ほっと溜め息を吐いた。


 わたしたちはそうして商店街からのルートで北側の共同墓地へ向かったのだが、雰囲気が数日前とは違う事に気付いた。


「ねえマルールお姉ちゃん。あれ」


「ん?」


 初めに気が付いたのはソフィだった。指さした方向には黒いクロークを身に纏い店の軒先に座り込む人がいた。それもたくさんだ。みながみな燦々と照りつける秋の太陽を見上げている。傍から見て異様だった。


「何かしら、あれ」


「聞いてみよう。……あの、すみません」


 近くのひとりに近付きわたしは声をかける。よく耳を凝らすと、うう、うう、と呻くような声がその人から漏れていた。


 はっとした。ルフェーブルさんが亡くなったショックで失念していたが、ソフィと墓所へ向かった時ゾンビのような風貌の人と出会ったのだ。


 その人と、似ている。いや──ルフェーブルさんの症状そのもの。


「あ、ああ、なん、な、なんだい。なんだい、こ、声、みみが、き、聴こえなくて」


 その人の顔は黒くどろどろになっていて、男性か女性かもわからない有り様だった。かろうじて声で判別できるのは、その人が女性だという事。


 さらに気付く事があって周囲を見渡した。どの人もフードの影から見える顔は全て、黒くどろどろに変わり果ててしまっていた。


 エルネスティーに言わなきゃ──咄嗟にそう思った。しかし、それは目の前を通りがかった二頭の馬によって遮られる。顔を上げると、見た事無いくらい切羽詰まった様子のギヨームさんが片方の馬に乗っていた。


「マルール様! 大変です! 至急邸宅までお越しください!」


「ギヨームさん、これは……」


「その件でお話があります! さあ早く!」


「わ、わかった。クラン、ソフィ」


 とりあえずの事態を察したわたしは二人に向かって頷いた。どうやら二人も自分が何をするべきかわかっているらしい。わたしはギヨームさんに手伝ってもらって馬に飛び乗ると、二人を置いて馬を駆る。彼女らはわかっているはずだ。


 早く、この事をエルネスティーに伝えて。



━━━━━━━━



「ベルトランさん!」


「おお、マルール殿! 早かったな。さあこっちへ」


 邸宅に着くなり、わたしは出迎えるために待っていたベルトランさんに強く手を引かれた。引かれて着いた先は小さな部屋。入ると、そこには白衣を着た数人のおじさんがベッドのひとつを取り囲んで突っ立っていた。ああでもないこうでもないと神妙な顔つきで話し合っている。ベルトランさんは彼らを掻き分け、わたしをベッドの傍らまでエスコートしてくれた。


「ほら、さっさと退くのだ! マルール殿、この人を見てくれ」


「あ、ごめんねみんな。一体何……っ、う……」


 そこにいたのはやはり、体中どろどろになって息も絶え絶えといった様子の誰か。


「町長。この小娘は何者なんです」


「見たところ医学の知識は無さそうですが」


「マルール殿はエルネスティー殿の伴侶だ。この全く新しい未知の病について治療のための糸口を探っている」


 ベルトランさんがエルネスティーという言葉を口にした途端、わたしに対する視線が一変した。肌に痛い程の視線が心の奥まで突き刺さる感覚がした。


「このような無粋な輩を屋敷に連れこんで来てはまいりませんぞ、町長」


「その通りです。魔女の伴侶など悪魔のしもべのようなものです。そんな安易な対応をされていては……」


「ええい黙れ黙れ! お前たちは何も知っとらんからそんな事が言えるのだ! 見よ、この純真無垢な顔たちを。これが町を災禍に陥れる者の顔かね?」


 ベルトランさんはわたしの顔をつかんでずいと差し出したが、そういう事を言いたいんじゃないという医者たちの呆れの気持ちがよくわかった。問題はそこではない。町の医師として、また数年前のようにエルネスティーの力を借りるのは避けたいのだろう。


「ベルトランさん離して。……町医者さんたちは、この病気をいつから知っていたの」


「いつから、とは……一週間くらい前からだったか……」


 彼らは顔を見合わせる。


「わたしは一ヶ月くらい前からその病気の存在を知ってた。カナーレって街の医師にわざわざ会いに行ったんだ。この町の医師の対処に負えない患者が診察を受けに来てないかって。そしたらバジーリオ・ストゥッキって医者のところに、今ここで寝ている人と同じ症状を抱えた人が半年前に診察に来てた。その人はアンルーヴに治療できる医者がいなかったからわざわざ遠いカナーレまで行ったんだ。その人は四日前に、死んじゃったよ」


 医師たちは何も言わない。わたしは続けた。


「エルネスティーから聞いたよ、伝染病が流行した時の事。エルネスティーが造った薬を製造方法すら受け取らなかったって。受け取った時どれくらい町の人が亡くなったのかはわからないけど、君たちが早くエルネスティーの薬を受け取っていれば大惨事にはならなかった。大切な人を失うのだって──また同じ事繰り返したくないでしょ。町の人の命が大事なら」


 まるでやり場のない怒りをぶつけているような気分だった。


「エルネスティーは四日前に死んだ患者を調べて、この病気の治療薬が造れないか一睡もしないで頑張ってる。だからお願い。エルネスティーを手伝ってあげて。もう半年以上彼女と一緒に過ごしているわたしに模様は出てない。エルネスティーは、存在さえ認められないような魔女なんかじゃない」


 そこまで言い終えて頭を下げると、ベルトランさんも頭を下げた。町長に頭を下げられたじろぐ町医者たち。


「私からもよろしく頼む。これは町の一大事なのだ。私とて彼女の事はよく知っている。お前たちが魔女と呼び恐れ慄く存在は、ただ寿命が長いだけの聡明なひとりの人間であった。彼女の伴侶であるマルール殿も、こうして町の人々を一心に考えてくれている。どうかお前たち医師会もこの危急を乗り越えるため、エルネスティー殿に力を貸してやってほしい。アンルーヴ町長ベルトラン・バラデュールより、心よりの請願である」


 その言葉はわたしなんかよりもずっと、強い意志が感じられた。町医者たちも明らかに動揺していた。


「お願いします!」


「頼む!」


 そして、しばらく患者のひゅうひゅうという息づかいと、うう、と呻る苦しげな声が響く。


「……実は、ぼくの妻は、数年前に流行した日没病で命を助けられた者のひとりでね」


 わたしもベルトランさんも顔を上げ、町の医師たちも突然の告白をしたひとりに顔を向けた。その人は五十代に見える壮年な男の人で、表情はくたびれ、頭は真っ白に染まっていた。


「本当はあの娘から薬だけを貰っていたんだ。試験用として造ったというものだった。組成を調べてみたら効きそうだったから、妻に投与してみたんだよ。すると、投与した次の日は苦しそうな息づかいも、呻く声も、格段に改善しているのが観察できた。間違いなく特効薬と呼ぶにふさわしい代物だった」


 他の医師たちは黙っていた。彼は続けた。


「だが医師会の決定に逆らい、自分の妻だけそのような恩恵を受ける訳にはいかない。君たちの家族にも恐らく存在していたであろう患者を……。苦肉の策として、ぼくは妻をぼくの妻だという事を隠して被験者として提供した。結果はみんなも知っている通りだ。彼女の薬のおかげで、ぼくの妻も町の人たちも、多くの命が救われた。多くの人が悲しみに涙を流すのを避ける事ができた。彼女の偉大な功労に報いるのは、今がその時ではないだろうか。なあみんな」


 その人の告白に誰ひとりとして言葉を発しない。居心地の悪そうな顔をして溜め息を繰り返すだけだ。しかし、やがて腰を曲げて一番年老いた人がすうっと息を吸った。


「確かにエルネスティー殿のおかげで、かつてこの町は救われたのだと言っても過言ではない」


 ざわついた他の面々、厳かな声、どうやらこの人が医師会でもっとも権威ある人のようだ。


「我々は未熟だった。だからこそ彼女から今よりもっと多くの事を学べる。医術を持つ者全ての目標が(あまね)く人々を救う事ならば、現に町を救った彼女から学ぶ姿勢は道理に適っている。彼女は不老不死を手に入れ、世界一の知恵と知識を蓄えた錬金術師なのかもしれぬ。決して魔女などではないと、せめて今この時だけでも……」


 誰よりも会長の言葉こそ彼らには重く受け止められるもので、町医者たちは一息置いてすぐに大きく頷いた。わたしとベルトラン町長は彼らと向き合い、固い握手を交わす。


 馬はすぐに人数分用意された。各々馬に乗り、わたしたちはエルネスティーの待つ家へと向かった。

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