Ⅱ-11 青い魔女が魔女たる由縁
「マルール。そういえばあなた、最近出かけることが多いわよね」
「え、そう?」
ぎくり、とその言葉に肩を震わせたのは、バジーリオさんの所でひと悶着あった日から数日後の夕飯時だった。今日はぽかぽかした陽気だったために、いつものかぼちゃのスープではなく、あっさりしたコンソメスープ。白菜やウィンナーなんかがどかどかぶっ込まれていて、妙に手抜きっぽいところがわたしへのちょっとした当て付けなのかも。
つまり「たまには構って」という言外の主張。
「やだなあエルネスティーったら。わたしといたいなら一緒にいたいんだって言ってくれればそうするのに」
「違うわ。マルールがいないと心配で」
「やっぱり寂しいんじゃない」
「だから、もう」
はあ……と困った表情でこめかみに片手を当てて溜め息を吐くエルネスティー。
「フォルジェロの襲撃の時にマルールがいたらと考えたら、それ以来、独りでいるのが怖くなって」
急にしゅんとした表情になって項垂れると、彼女はぽつりぽつりと言った。確かにあの時わたしが側にいれば彼女がフォルジェロに襲われるなんて無かっただろう。
ひとつわかるのは、少なくともエルネスティーはわたしがいる生活を当然と思い始めている。
「そんな怖いならしばらくエルネスティーと一緒にいてあげるよ」
自分で言って気付いたが、確かに最近エルネスティーと一緒にいる時間が少ない。ここ二週間はベルトランさん邸に入り浸ったり、クランとお茶したり、バジーリオさんの所へ行ったりと外出が多かった。ここはエルネスティーの機嫌を繕うためにも一緒に過ごしてあげるのが上策だろう。
「今日はエルネスティーのして欲しいこと、できる限りなんでも叶えてあげる」
「なんでも? いいのかしら」
「できる限りね」
「それなら、ちょっと来て」
と言われて嬉々として付いていった先には、今まで断固として入室を許されていなかったエルネスティーの自室。
「部屋の掃除を手伝って欲しいの」
「部屋掃除? 入っていいの? 下着とか見ちゃうよ?」
「あなたの両目にぴったりなのは私の二本指かしら」
「じょーだんじょーだん、そんなことしないって?」
そう言うとエルネスティーはわたしを部屋に招いてくれた。
「わあ……」
「あまりじろじろ見ないでちょうだい」
「だって、エルネスティーらしからぬ部屋……かわいい」
ベッドには動物の編みぐるみ。床は木の板を敷き詰め、その上にカーペットを敷いている。そして、そのカーペットも大きなパンダの顔。まるでエルネスティーの部屋らしくない。もっとずっと質素で簡素な機能性溢れる部屋だと思っていた。今までの鉄仮面な彼女を考えれば、この部屋に招きたくない理由もわかる。
「やっぱりエルネスティーも女の子なんだね」
「どういう意味よ……」
わたしとエルネスティーは靴を脱ぎ、部屋の真ん中にある低いテーブルに、向かい合って座った。
「掃除なのにくつろいでいいの」
「話しておきたいことがあって」
「はあそりゃまた、なに」
改まって言うエルネスティーに小首を傾げて訊ねると、彼女は一旦間を置いて切り出した。
「ベルトラン町長の話」
「町民になるかならないかってやつ?」
「ええ」
もしやわたしの行動がエルネスティーに筒抜けだったんでは、そう考えた瞬間体からさっと血の気が引く感覚。けれど、その焦りも次のひとことで払拭された。
「マルールはずっと前から言っていたわ。この町の人ともっと積極的に関わるべきだって」
「うん。本望だよ」
「こんなこと彼から言われたことは無いわ。長い付き合いのクランやドックスおじさん、ミゼットおばさんにだって。あなたが初めて、私の気持ちをくみ取ってその上で前に進ませようとしてくれている」
わたしは黙っている。
「私、どうしたらいいのかしら」
そう言ってエルネスティーは体を極力丸めて三角座りをした。こうして見るとエルネスティーの体もだいぶ小さく見えてしまう。いつも落ち着いた態度で毅然としているものだから。
「あの事件の日、わたしクランから聞いたよ。ずっとこのままでいいのかなってエルネスティーが悩んでたって」
「あなたほどの洞察力なら気付いていると思っていた」
今は事情が違って、ベルトランさんという強い後見人がいる。願ってもないチャンスがようやく訪れたのだ。けれど彼女はベルトランさんとの食事の時「考えさせてくれ」と言った。
「どんなに強い人が安全を周囲に振り撒いても、それ以上に私の存在は恐怖や嫌悪の対象だわ。恐怖や嫌悪というものの権化が、私として町の人に根付いてしまっている。そればかりはきっとマルールにだってベルトラン町長にだって変えられるものではない」
「うん。それで。だからどうしたいの。現状維持?」
ちょっとだけ突っかかるように訊ねると、彼女は怖いものを見たような表情を隠すように、顔を膝にうずめた。
わたしは立ち上がってエルネスティーの隣に座った。エルネスティー同様小さく三角座りになる。
「エルネスティー」名前を呼んだけど黙っている。「エルネスティーはね、何枚も何枚も、自分を守るための殻を着込んでる感じ」
彼女は答えない。わたしは続けた。
「いきなり本性を出そうってのはさすがに無理だろうから、ちょっとずつでもその殻を壊してあげられたらなあ……てのが、わたしの本当の気持ち。今までもちょっぴりだけど、閉じ籠ってるエルネスティーが顔を覗かせたことがあるんだよ。エルネスティー自身は気付いてないかもしれないね」
わたしが笑うと、彼女の体が少し震えた。
「長生きのエルネスティーが昔は──本当はどんな人だったのかはわからない。でも殻からちょっぴり顔を覗かせたときの君は、すごくすなおで、恥じらいがあって、子どもみたいな危うさがあって、それでいて、本当にすごく思いやりのあるいい子なんだって」
そこでエルネスティーは顔を上げた。
すごく悲痛そうな横顔。
「違う。私、そんなんじゃないの」
「じゃあ何」
「私の……昔の、こと」
聞いてみるとぐっと堪えるように息を飲み、目を瞑った。
「君の過去?」虚空を向きながら苦しそうな表情を見せる彼女。「つらかったら言わなくていいよ」
「でも、話さなきゃいけない」
わたしは少し間を置いてから、小さく頷いた。
「私が生まれたのは百年くらい前。その時の世界は科学技術の極致にあって、みんなその恩恵を受けて平和に過ごしていた」
ハイテク、その言葉は以前エルネスティーの口から発せられたのを覚えている。わたしの右腕からギプスが外れたあの時だ。
「私はその世界のごく普通の家庭で生まれたわ。でも、決定的に他の子どもとは違うところがあった。生まれてすぐに言葉を理解し、あらゆる物事をスポンジのように記憶した」
「引く手数多だね」
「……二歳の頃、私はどこかの研究所に連れられて、そこで生活するようになった。五歳くらいからは実際に研究に参加するよう仕向けられた。それが不老不死の研究」
「つまり、Legion Graine」
「ええ──でも、研究は基本的に医療ではなく開発目的。平和な世の中で宇宙開発が進んでいて、資源目当ての惑星開拓競争が苛烈していた中、遺伝子操作で人間らしさを奪った不老不死の人間こそが、ロボットに替わる新たな労働力と見なされた。けれどそれは倫理的に問題があったし、どの国も行なってはいたけれど、他の国が軍事目的に利用する事態を恐れた」
エルネスティーは一旦言葉を切り、そこからの歴史を簡単に説明してくれた。
彼女は五歳から十七歳までの十二年間を、片時も休まず、全て研究に注いだ。それから国で政変が起きて国内は大混乱、不老不死だけでなくあらゆる研究データが流出してしまい、平和は一気に崩れ去った。そして、それらを巡る疑心暗鬼をも世界中に広まってしまった。
「でもどうしてLegion Graineを体に」
「現物はつねに手元にあった。完成したLegion Graineが動物実験に利用される前に戦争が始まって、私は国外の研究施設に移された。けれど、その対応はすでに後手に回っていた。移動してすぐ兵士が研究施設を襲ってきて……」
そして、顔が青冷め、急に体を震わせ始めた。
「エルネスティー」
「大丈夫。……」
エルネスティーが隠れたのは研究施設の地下。厳重なロックで守られた最後の砦のはずだった。けれど厳重な扉も近代兵器には敵わない。扉が破られるのは時間の問題だった。せめてLegion Graineだけは渡してはいけないと思って、彼女はそれを隠した。炸裂弾を握り締めて、扉が破られて銃を持った人たちが入って来て、彼女はピンを抜いた。それを彼らに投げた。
エルネスティーは咄嗟の恐怖から錯乱した一人に体を撃ち抜かれた。次の瞬間炸裂弾が爆発して、彼らは炸裂した破片を浴びて、皆死んだ。彼女はそのいくつかを掠めただけで、それが致命傷にはならなかったけれど、銃弾を全身に浴びて息をするのも精一杯だった。
絶対に他の人の手に渡ってはいけない。
その一心で這い進み、隠していたLegion Graineを、銃弾で裂かれた体の内側に捩じ込んだ。
そこから先の記憶は気を失ったせいか覚えていない。
「こんなこと訊くの、おかしいけど、エルネスティーは」
「……」
「エルネスティーは、それでよかったの」
意を決してそう言うと、彼女は答えた。
「あなたにLegion Graineを移植した後、それを話したクランにも同じことを言われたわ。正直良かったとは思ってない。今はただ後悔しかない」
「わたしを生き返らせたことも」
「……あまり私をいじめないで」
ごめんなさい、言えた義理じゃなかったわ。と、彼女はまた膝に顔をうずめた。
「Legion Graineだけ造っていた訳じゃない。他に生物兵器だって、毒薬だって造っていた。科学の知識で造り出せるものはなんでも造っていた。それが混乱のうちに一気に拡散して、私にはどうすることもできなくなった」
「昔にあった戦争が、今も続いてるって言うの?」
「一度発生した大きな戦争の火の粉が、他の地域の別の火種に飛んで収拾がつかなくなっているのが今よ。フォルジェロを送ってきた人間は私の存在を嗅ぎ付けて、Legion Graineを奪おうと。これまでもそういうことはあった。上手く切り抜けてきたけれど。文明はすっかり後退して、Legion Graineをどうすれば治せるのかわからない。それに──私が造った兵器は、この時だってどこかで人を殺し続けている」
その無神経なひとことで無性に腹が立った。悪いのはエルネスティーじゃない。人を殺している人たちだ。
「それ本当に自分のせいって思ってる?」
エルネスティーは悲痛そうな表情で黙るばかりだ。
「ねえ、エル……」
「──私は楽しんでた」
そして彼女は苦痛の表情で続けた。
「人間性を奪うとか、永遠の命とか、動物実験とか、新しい発見とか、誰も知らないことを一番乗りで知るのが楽しくて、私たちが生まれるよりずっと昔から……何も変わらないこと……本当に大切なことは何ひとつわかろうとしないまま……目の前の大人たちが喜ぶ顔が嬉しくて、だから……」
どうしてだろう。すぐ隣にいるエルネスティーの姿が、一瞬だけ、体を抱えて縮こまる小さな子どものように見えてしまった。
孤独。
「……もしかして」彼女は完全に項垂れてしまって長い黒髪で顔は見えない。「親のこと知らないのって……」
躊躇いながらも僅かに頷いてくれた。
連れ去られたのか、身売りに出されたのか、いずれにせよその事実に気付いたのは打ち捨てられたこの場所に辿り着き、落ち着いて考える余裕が出来た後だと、呟くように答えてくれた。
「エルネスティー。こっち向いて」
弱々しくこちらを向いた彼女の表情は怯えきっていた。それで、わたしは次に出そうと出かかっていた言葉を咄嗟に喉奥に引っ込めた──人を頼ろうともしない癖に、つらいのをどうにかできるなんて思うな──痛いくらいにつっかえた言葉の代わりに、その肩をそっと、痛くないように抱き寄せた。
「大体わかった。エルネスティーの気持ちも」
静かに奥歯を噛み締めた後、「ごめん、エルネスティーは痛かった?」離さないようにしていた肩への力を緩めると、エルネスティーはゆるく抱き締め返してくれた。
「痛いのは慣れてる。やっぱり少し、痛かったけれど」
「う、と、ごめん」
わたしもエルネスティーも大きな溜め息を吐いて、ようやくお互い体から離れた。
「部屋の掃除が深刻な話になってしまったわね」
「うん。でも、わたしのこともっと頼りにして欲しい。一緒に頑張れば怖いものなんてないから」
そうね。と笑うと彼女は立ち上がり、「またベルトラン町長のところへ行ってみたいと思う。マルールがいるなら」と言った。
「ホントに?」
「ええ」
「やった! あ、でもその前に、わたしからも話があるんだけど」
「何かしら」
「この町で病気にかかっている人を見つけたんだ。ウサギ捕りで森に入った時、同じように狩りをしていた人から聞いたんだ」
「病人ね、そちらを優先しましょう」
それでこそエルネスティーだよ! と言って抱き着こうとしたけれど、すっかり自分を取り戻した彼女には敵わない。ぺしっと軽くあしらわれてしまった。そのあしらい方がまた、わたしへの愛に満ちている。
それからすぐにエルネスティーの部屋掃除を開始して、終わってからゆっくりと、彼女の淹れた紅茶で午後をまったり過ごしたのだった。




