Ⅱ-8 花も恥じらう真っ赤な嘘
先日の町長宅訪問の日からおよそ一週間が経った。わたしはエルネスティーが出かけている隙にギヨームさんの乗ってきた馬車に乗り込み、ベルトラン町長の元へと向かう。町長宅に着くと玄関付近でベルトラン町長が手に筒のような物を持ち、そわそわと忙しなく歩き回っていた。馬車がそんな彼の傍らに停まり、ドアを開けて降りた。
「待っていたぞ。さあ中へ」
促す彼について行き客間に着いてソファに腰かけると、ベルトラン町長は手に持つ筒のような物をさっそくテーブルの上に広げてみせた。
「まずはこれを読んでくれ」
親愛なるベルトラン・バラデュールへ
シャンタルが僕の診療所の窓を嘴でこつこつつついた時は、それはそれは驚いた。君から便りを寄越すなどとおおよそ何年ぶりだろうかと。しかし、そのように喜び勇むのもほんの束の間、久しぶりに便りを寄越したと思ったら、君はなんと、アンルーヴの町からの患者の情報をくれないかと申し出てきたではないか。いくら僕と兄弟の契りのような関係を続けてきた君であっても、今にして何故そのような無粋な真似をするのだろう。僕は思った。もしや彼の町の地下に住まうという青い魔女にそそのかされ、一服盛られて操られているのではあるまいな、と。貴重な経験だが、しかし、それはそれで、何故青い魔女が患者の情報など欲しがるのだろうかと訝った。そこで君からの便りをよく目を凝らして熟読してみると、君と青い魔女の伴侶なる方は、青い魔女を救いたいがために患者の情報を寄越してほしいのだとの旨が書かれていたのだ。これは一体どういうことだろう。シャンタルの足に括り付けられる言葉としてはこれが限界だ。僕は青い魔女の伴侶なる方から直接事情を聴いてみたい。どうかその方をこちらに連れてきてはくれないだろうか。
バジーリオ・ストゥッキより
「なんか結構失礼な人というか、歯に衣着せぬ人というか」
読み終わり、ちょっとした感想を言うと、ベルトラン町長はあからさまに苦々しい顔をして応える。
「私とバジーリオは幼なじみなのだが、昔から彼は度を超して理屈っぽい性格でな。多少の無礼は許していただきたい」
彼は片手でこめかみを軽く押さえつつ大きく溜め息を吐いた。わたしからしたらベルトランさんも十分にアクの強い性格だと思うが、敢えてそこは言わない。
「うん、まあいいや。それでこのバジーリオさんって人、わたしを待っているみたいだけど、わたしが行っても大丈夫なのかな」
「彼は私と違いエルネスティー殿を別の意味であまりよく思っていない者のひとりなのだ。医師という職業柄、彼女が体に抱えている病気とやらには興味津々の様子だが……彼は何を隠そうマッドサイエンティストでな」
ベルトラン町長は顔を少し引き攣らせながらわたしをじっと見て告げた。
「青い魔女と共にいるというマルール殿がバジーリオの元へ行って、何もされずに戻って来られる可能性というのは、その……」
ベルトラン町長は視線をわたしから逸らしてその先の言葉を濁したが、なるほど十分過ぎるほどわかってしまった。
いくら体が死ななくなったといっても、切り刻まれる速さと治る速さでは切り刻まれるそれが勝っている。わたしのLegion Graineはエルネスティーのものとは少し性質を異にしている。だからエルネスティーのものほど回復力は高くないし、もしも切り刻まれるほうが速ければ、わたしはそのままポックリ逝ってしまうという訳だ。そうなると傷が完全に癒えるまで数日間から数週間は目覚めない。
そうなった場合のために、エルネスティーへの言い訳を考えておかなければならない。
目だけ右上を向いて想像に黙りこくったわたしに、ベルトラン町長はハンカチを取り出し、汗を拭きながら呼びかける。
「大丈夫か。バジーリオはマルール殿をご所望のようだが、正直ひとりで向かうというのは勧めないぞ」
「ううん。送り迎えの馬車だけ出してくれれば大丈夫。この数ヵ月でだいぶ修羅場を潜り抜けてきたもん。今さらマッドサイエンティストくらい恐るるに足りないってやつだよ」
わたしは心配そうに呼びかけてきた町長ににこやかに答えた。
「本来なら私が同伴するべきなのだろうが、私は町民大会の準備があってしばらくまとまった時間が取れないのだ。本当にすまない」
「大丈夫。念のため護身用の武器も持っていくから」
「本当に申し訳ない」
ベルトラン町長はそう言って深々と頭を下げた。
「ベルトランさん、顔上げて。ここまでしてくれて、こちらこそありがとうなんだから」
「う、むう」町長は戸惑いながら頭を上げた。「では、馬車を出すのはいつにする。気難しい彼のことだ。なるべく早めに向かうのがいいだろう」
「そのつもり。それよりも問題はエルネスティーへの言い訳かな。バジーリオっていう人がいる町へはだいぶ遠いみたいだし」
「彼の住む町の名前はカナーレという。カナーレへは馬車で急いでも半日はかかってしまうからな。もしエルネスティー殿を説得できなくとも……なるほど、わかった。馬車をいつでも出せるようにしておくから、都合のいい時に来るといい」
「いいの? それなら助かるよ」
ベルトラン町長がそんな提案をしてくれたおかげで、懸念はエルネスティーへの説得のみになった。
しかし、どうやってエルネスティーに説明するべきだろうか。実は今までこっそりべったりベルトラン町長と会っていましたなどと告げたあかつきには、彼女の不信感が募り数日は口を利いてもらえないかもしれない。それだけは回避しなきゃ。
ともかく、帰り道でそのことは考えておけばよいだろう。エルネスティーもそろそろクランのお店から戻ってくる頃だ。わたしが家にいないとなれば怪しまれるのは必至。
わたしはベルトラン町長に断りを入れ、邸宅を離れた。
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「えっ」
家に戻るなりわたしは声を上げた。てっきりまだ戻っていないと思っていたエルネスティーが、キッチンのテーブルに座って眉間に跡が残りそうなほど皺を寄せながら紅茶を飲んでいたのである。当然ながらその鋭い視線と渋い表情が語るのは「家をほっぽってどこほっつき歩いてたのよ」だ。
「え、えっーと……」わたしは咄嗟に言い訳を口に出した。「あ、あのね。急に散歩がしたくなったから外に出たかったっていうか、ほら、今日すごく天気よかったじゃない。だからね、その」
ところがエルネスティーはそんな言い訳など問答無用で跳ね除けた。どうしてかって、彼女はすっくと椅子から立ち上がるとわたしの目の前でさらに険しい顔をしてみせたのだ。まさにパンダ模様のハンニャの形相。怖い。
詰問するかのようにずいっと身を乗り出してくる彼女に、両手で制しながら問うてみた。
「その、なんでそんなに機嫌悪いのかな。家をほっぽりだして勝手に外に出たのは謝るよ。ね、ごめん。許して」
するとエルネスティーはゆっくり項垂れ、大きな溜め息を吐いたのだった。
「家に帰ったら留守番しているはずのあなたがいないもの……またあの時みたいに……」
エルネスティーはそれから肩を落とした。そして、なるほどと思う。
きっと彼女が言いたいのは数ヵ月前のあの事件のことだろう。起きたら彼女がいなくなっていてわたしがどれだけ心配したか。その時のわたしの不安な気持ちを、彼女自身も少し実感してくれたのかもしれない。
「そっか。ありがと。でもほら、わたしエルネスティーのこと好きだからさ、君の前から簡単にいなくなったりしないよ」
そこまで言って、エルネスティーもようやくわたしと一緒の生活を当たり前のように思い始めているのかも、と頭をよぎる。そんな風に思ってしまって自然と頬が緩んだ。
「なんだか嬉しいね。好きな人から心配されるのって」
「……そうね」
そう言って少しするとおずおずと彼女の右手が伸びて来て、一瞬躊躇った後わたしの左手の人差し指をちょびっと掴んでくれた。手を取ってうつ向いて、黙ったままでいるから、ノリでその頭をなでなでしてみたんだけど、彼女はさらに人差し指を握ってくるだけで何も言わない。
前にも似たようなシチュエーションがあったような、そんな気がしないでもないが、されて気分の悪いものでもなかった。とりあえずわたしが心配で一緒にはいたいようだから、それだけで今は十分嬉しい。
しばらくして気が済んだのか、彼女はするりと右手を離した。頭を撫でていた手も黒髪を梳かして離れる。
「ごめんなさい。夕飯の支度をするから、手伝ってくれるかしら」
いつもの様子に立て直し、しゃんと張りのある声で申し出てくるエルネスティー。けれども、その準備を始める前に彼女に言っておくべきことがあるのだ。
「その前に聞いておきたいんだけど」
「何かしら」
「明日、またちょっと森に入って獲物を捕りたいんだ。一日二日か……獲物次第では一週間くらいかな、山小屋に泊まってミゼットおばさんへの借りを返す分を捕らなきゃいけないし」
エルネスティーは小首を傾げて小さく唸った。やはりこの提案は怪しいだろうか。ミゼットおばさんへの借りは彼女も知っているが、期限などは特に無いから焦る必要は無いのでは、と考えているのかもしれない。
それならば、とわたしはもう一つ押しの文句を告げた。
「冬の森は雪深いし、秋の間くらいしか安心して獲物を捕れないじゃない。だから今のうちに行けるだけ行っておきたいと思って」
その言葉で納得してくれたのか、エルネスティーはそれもそうねと小さく頷いてくれた。お利口さんな彼女は理にかなった意見なら聞き入れてくれる。実際のところ、このすごく真っ当に聞こえる提案は花も恥じらうほど真っ赤な嘘なんだけど。
「森に入った時、それも含めてミゼットおばさんへ土産の品を採っておくべきだったわね」
「うーん、そうかも。そうしたらもっとエルネスティーと一緒の時間を過ごせたし」
あっけらかんとしながら言うと、エルネスティーは少し固まったあと徐々に顔を紅くさせ「なんでもない」と慌てて取り繕った。ほんと、もっと素直になってくれないかな。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「気を付けて行ってらっしゃい、かあ……。よくわかんないけどいい言葉だね」
のほほんと言うと、エルネスティーは途端に眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をしてみせた。最初の頃と比べるとだいぶ表情豊かになったことに気づいて、わたしはまた自然と口元が緩んだ。だからこそ嘘を吐いてしまっている事実に胸がちくちくする。エリクの手記も隠したままだ。けれど彼女の気持ちを察すると、ここで本当のことを全て話してしまおうという気分にはならない。
思いの外すんなりと話が進んだのは安心だ。バジーリオさんの所へ行くにも万が一の護身用にはナイフだけ持って行こうかと考えていたが、口実のおかげでライフルまで持って行ける。
「じゃあ、明日の朝には出かけるから、ちゃんと見送りしてね」
「……わかったわ」
表情は相変わらず嫌そうだが、わかってると言われたわたしは表情には出さないままほくそ笑んだ。




