Ⅰ-13 ゼロとイチのすれ違い
「で、なんでお前が来るの」
「実は、ある崇高な目的があってね」
ある日の早朝やって来たのは久しぶりの魚屋、イゾーのお店。厳密には彼の父親のお店なのだが、店番は息子である彼の仕事で魚屋に出向けば必ずイゾーに会える。
わたしがここにやって来た理由は簡単だ。ジャックとエリーヌのように、きちんと話をすれば理解してくれる町の人もいるのだ。わたしはイゾーにエルネスティーについて知っている限り包み隠さず教えて、彼女という存在を理解してもらおうと考えていた。身近なところから理解を広げたい。
そう言うと、イゾーは憮然とした表情で言った。
「ああ、あいつら魔女と仲良くなっちまったのか。残念だ」
「どうして」
「お前なあ、わからねえのかよ。魔女は魔女なんだ。近づくだけで自分の身に何が起こるかわからない。そんなやつと関わったやつだってあいつと同じになるかもしれねえ。そんなふうに考えてる人間がこの町にどれだけいるか」
「ジャックとエリーヌも町の人から避けられているかもしれないってこと?」
イゾーはこくりと頷いた。
ジャックとエリーヌは、数日前に四度目の点滴を終えたところだった。いつも希望に満ちた表情で点滴を受けるものだから、わたしはてっきり変わりない生活を送っているものだと思っていた。
しかし、今まで親しかった人から急に避けられるようになったというのは間違いなくあるだろう、と。
「イゾーはそこらへん平気っぽいように見えるけど」
するとイゾーは「まあな。俺が嫌いなのは魔女だけだし、あいつの病気は気がかりだけど、魔女が嫌いなのと病気が気がかりなのは別次元の話だろ」と言う。
エルネスティーの人格や性格が嫌いなのだろうか。たしかにあの性格なら嫌ってしまう人が出てもおかしくないだろう。病気も伝染ってしまうのが嫌だから避けるというのもわかる。でもイゾーはエルネスティーの全てが嫌いというわけではないのだ。彼女があの性格である理由をなんとか説得すれば、エルネスティーのことを理解してくれる可能性が高い。
肝心のその理由をわたしがどうやって説明しよう。わたしはこの町の新参者で、町について知らなければエルネスティーのこともまだよく知らない。クランが以前、エルネスティーは病気のせいで理解者が少ないといった内容の話を言っていたが、それが違うのはイゾーが証明している。
「イゾー。エルネスティーがあの性格になったのって、なんでかわかる」
「知らねえよ。初めて町に来たときからああだったんじゃねえの。物心ついたときから氷みてえに冷たい印象だった」
「そう……」
きっとエルネスティーはずっとからあんな性格だったに違いない。エリクが彼女の目の前から消えるよりもずっと前にだ。彼女の身に一体何があったのか、それを知ればきっと彼女のあのパンダ模様の病気の原因にも近づくことができるはずだ。
わたしはそうして俯いたまま考えた。そんな折、イゾーが唐突に言う。
「お前が現れて、今まで巣から出て来なかったのに、あいつ出て来やがんだ。まあ、親から聞いた魔女の性格がそのまま俺の魔女への印象になってるんだ。悪く思わないでくれよ。こええもんなんだよ」
「え、じゃあイゾーはエリク知らないの?」
「エリク?」
わたしがなんとなく聞いた言葉に、イゾーは疑問符を付けて返す。
「エリクだって。知らないの」
「知らねえなあ。誰だそれ」
「何年か前にこの町に流れ着いて、エルネスティーの世話を受けた男の人。いつもエルネスティーと一緒にいるくらい相思相愛で、町の人ともすごく仲が良かったって聞いてるんだけど」
「知らねえ。そもそも俺が知っている限りでも、魔女が誰かと一緒に町に出るなんてお前が初めてだ」
「ええ?」
思わずすっとんきょうな声が出て来ちゃった。でもなんかおかしいぞ。見聞きした話が微妙に噛み合っていない。
ミゼットおばさんが説明してくれたのはたしか、町の人からも愛されていて、二人は他の人間がつけ入る隙が無いほどの相思相愛の関係だったはずだ。イゾーが言っていることとは根本が異なる。
ミゼットおばさんの言った話はエルネスティーの反応で確認済みだ。となると、イゾーが嘘を吐いているというのか。
「イゾー」
「あん?」
「本当に、イゾーが知っている限りでは、エルネスティーが一緒に歩いた人はいないんだね?」
念を押すように強く問いかけると、イゾーは少しだけびくびくしながら答えた。
「んだよ。そうだっつってんだろ」
「ありがとう」
「あ、おい」
すばやく踵を返した。エルネスティーに確認しなければならない。ミゼットおばさんとエルネスティーで話の裏がとれていて、たとえそれが事実だとしても、もっと重要な他の事実をエルネスティーはまだ隠している。それを確認しなければならない。
わたしはイゾーのお店から出る直前に言った。
「あ、また後で来るから」
「おいちょっと……ちょっと待て!」
「なに」
わたしは苛立ちまぎれに応えた。
イゾーは言う。
「魔女だから──気をつけるんだぞ」
「またそれ」扉を閉めながら「エルネスティーは魔女なんかじゃないってば」
「ちが……」
彼の言葉を聞かずに外へ出ると、ひとつ深呼吸したあと商店街を駆け出した。
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十分経たず家に帰ってきた。わたしはゆっくりと深呼吸して息を正し、扉を開けて地下へと下りた。
エルネスティーがいるはずのリビングに向かうと、案の定、そこには紅茶を飲みながら読書をしている彼女の姿。気づいた彼女が少しこちらに目を向け、ひかえめに「おかえり」と返してくれた。
「エルネスティー」
「なに」
彼女が読んでいた本を取り上げてテーブルの上に置くと、その手を取った。
「わたしに話してないこと、たくさんあるでしょ」エルネスティーはじっとわたしを見据えるだけでなんの反応も示さない。「エルネスティーの口から聞きたい」
「散歩中何があったのか知らないけど、隠していることなんか無いわ」
「隠してること?」
彼女の目が僅かに動いた。
「隠していることがあって、それをあなたに教えてなんになるの」
彼女の声に歪みはなく、いつものエルネスティーのそれだ。
「知りたいのならあなたの口から訊ねなさい。私に。何を隠しているのか」
わたしは唇をきゅっと噛みしめた。あくまでシラを切るつもりなのだろうか。
だが、その言葉を言ってしまうと、仮に気づいたそれが事実だとして、わたしは──。
「訊ねる勇気がないならこんなことしないで」
「う……」
言い切られる、尻込みする。もしかしてわたしの思い過ごしなのだろうか。しかし、だとしたらミゼットおばさんとエルネスティー、それに対するイゾーの証言が一致しない。
一体どういうことなんだろう。
「う、えと、ごめん」
「ページ数は覚えているから心配いらないわ」
「あ、うん……」
本当に、もう隠し事をしていないのか。
それとも、やっぱりわたしはエルネスティーにとってエリクの生き写しに過ぎないから。そのせいで余計に隠し事なんか話せる気分にならない、って意味なのか。
エルネスティーは何事もなかったかのようにいそいそと本を手に取り、再び読み始める。この妙に白々しく感じられる態度が逆に怪しい。
すぐに本の世界にのめり込んだエルネスティーをよそに、わたしはリビングをそろりそろりと後にした。彼女が普段本を貯蔵するために使っている書庫へと向かい、エルネスティー関連の本が無いか探してみる必要があると思ったのだ。わたしも普段から小説や図鑑を手に取って暇つぶしに読んでいるから、出入りはたやすい。
書庫への道すがら、歩きながら考えた。
問題はエルネスティーが何に関連しているかというだ。わたしはエルネスティーについてわかっていることを頭に浮かべてみる。
エルネスティーは体におかしな黒い模様が浮き出てしまう謎の病に冒され、それを治すために日々、治療薬を作ろうとがんばっている。そして彼女はアンルーヴという町の地下、昔の戦争で使われていたという武器貯蔵庫兼保養施設を一部改装して住んでいる。彼女には町の人としてつながりのあるクラン、ドックスおじさん、ミゼットおばさんがいて、最近わたしたちと同じくらいの年齢のジャックとエリーヌが増えた。他の町の人からはあまりよく思われていない。そして、彼女は昔、エリクという記憶喪失の人と相思相愛の関係だった。
十分とは言えないこれだけの情報で、書庫で調べられそうなことと言えば、それはひとつしかない。
この場所についてだ。
武器貯蔵庫兼保養施設であるこの場所が、使われていたという戦争。思えばなぜ彼女がこの町に住んでいるのかも気になる。遠い昔の戦争だが、エルネスティーと何か関係があるのではないか。
わたしは書庫にたどり着き、かちゃりとドアノブを回して中に入った。中は真っ暗。
「キッ」
「わあっ!」
一つ目のシュトートに驚かされたのは数秒後だった。夜行性だからか、彼は暗い場所に好んで居着く。
ランプを付けて書庫内を明るくしたら、キイキイとシュトートが抗議の声を上げるた。「すぐに出ていくよ」と言うとぴたりと止める。そして、わたしの本探しの動きに合わせ、棚の上でついて来た。戦争史なんか記述された本があれば良いのだが、いかんせん蔵書数は少ない。
やがて「軍事」と書かれた擦り切れたタグが貼られた本棚を見つけた。順に見ていく。
都市と森の戦術指揮、東部ゲリラ戦の行方、欧州統合危機、近代物資供給システムAR―MSの深層問題、宇宙航海時代の食糧……。
おおよそエルネスティーとは関係無さそうなタイトルばかりだ。過去どんなことが起きたのかよりも戦闘技術についての本が多い。兵士の保養地だったことが理由のジャンルの偏りだろうか。とにかく戦争史についての本が全く見当たらない。
そうして探している内「軍事」棚の最後まで来た。薄暗い書庫の中でも奥まっていて、とりわけ暗い場所だ。よく目を凝らして探してみると『アンルーヴ町史』というタイトルの本が隅っこにあることに気づいた。なぜ軍事の棚に町史の本があるのか。
ボロボロのその本を広げて年表を見ても、年代はまったくわからない。しかし、この前のアートフェスティバルはたしか九十八回だったはずだ。
わたしは年表でアートフェスティバルが開催される十一月を見た。年表中での最古と最新のアートフェスティバル開催回数を見ると、第六回から第九回までだった。ところが、年表での年代は前二年から十三年までの十五年間となっている。これは毎年開催されるはずのアートフェスティバルが、何らかの理由で十一回も開催できなかったということだ。
つまり、その理由こそが昔あった戦争なのだろう。フェスティバル自体は飛び飛びで開催されているようだが、少なくとも十年以上は続いた長い戦争だったとわかる。しかも、その十年間はやはり戦争関連の記述が目立って多い。
たとえば、戦争が始まった年はまだこの施設は建設されていなかったが、次の年からは建設が始まったことが書かれている。戦争が長期化してくると、この施設の収容人数が数百人を突破するなど細かな情報も記してある。
その細かい年表を見るためにページをめくるとき、ページとページのすき間から、大量の小さな紙片がひらひらと落ちてしまった。
「おっと」
いけない、とわたしは身をかがめその紙片を拾い集める。すると、何か文字がびっしりと書かれているのに気づいた。
すべて拾い集め、わたしは町史を元の位置に戻してから一旦書庫の外に出た。ランプを消して扉を開け「おやすみタイムを邪魔してごめんね」とシュトートに告げ、外に出て扉を閉めた。
明るみに晒された文章に目を通して、一気に血の気が引いた。
『なぜだ なぜだ なぜ? いまおもいだして どうして』
『エルネスティーは 俺が守ってやるんだ 守ってやる 決めたんだ 決めたのに──』
『罪? どうして? 俺は』
『目的があるんだ、手に掛ける 目的 ああいやだ だめだ思い出したくなかった。こんな記憶 どうして俺 いやだ いや』
『だ いやだ いやだ 俺には無理だ 大好きなんだ。好きで好きでしょうがなくて愛しててずっと彼女と生きたかったできないできなくな』
『ったんだちくしょう ちくしょう 今までのツケが回ってきたのか。こんな残酷なはなし──』
『あの谷底に落ちてしまえば、 そうかもしれない 記憶は失えるのか』
『また エルネスティーと何も知らずに生きていけたら── 俺はなんだってやってやる やってやるぞ くそくらえ』
『できなかったら』
『死んでや』──
わたしは堪えきれず紙片から顔を上げた。そして、自分の息が大きく上がっていることに気づいた。冷や汗が流れて全身が冷たくなっている。服が体に張りつく。
これは──。
きっとこのメモはエリクの直筆の手記だ。紙片の破ったような跡とその荒々しい筆致から、記憶を取り戻した直後のものか。酷く取り乱していたようだ。まだ紙片は大量にあるが、大半はあまりに荒々しい筆致でうまく読み取れない。エルネスティーはこの紙片に気づいているのだろうか。
いいや、それはない。エルネスティーの性格やエリクへの思いなどを鑑みても、こんな場所の、本の間なんかに放置しておくわけがないのだ。エルネスティーは記憶を取り戻した直後のエリクをまったく知らない。それ以前に、黙って出ていってしまったのだと言っていたではないか。
わたしは上がっていた息をゆっくりと深呼吸して正した。
わたしはこれをエルネスティーに見せるべきなのだろうか。
それはだめだ、と唇を噛んで頭を小さく振った。この紙片の続きなどエルネスティーなら否応にも考えてしまうはずだ。思い出した記憶──に苛まれ、エリクが自害してしまったものと。
そんなことがわかってしまえばいつも冷静なエルネスティーすら何をしでかすかわからない。ただでさえ谷底に捨てられていた詩入りのボロ布を拾っているのだ。その場にエリクがいなかった理由を考えれば、尚のこと言い出せたものではない。
そこまで考えて、知らず知らずに奥歯を強く噛み締めている自分がいた。そして紙片をぎゅっと握りしめようとした。しかし、それはできなかった。
わたしは紙片を丁寧にまとめてポケットに入れると、再び書庫に入った。シュトートが抗議の声を上げる中、適当に小説を選び取り、この奇妙な時間をエルネスティーに怪しまれないようにするためだ。手に取った本は、『月と六ペンス』。
それからすぐにエルネスティーのいるリビングへと戻った。リビングではまだエルネスティーが本を読んでいた。対面に本を置き、彼女同様紅茶を淹れる。
持ってきた本に視線を向け、ちょっとした興味が湧いたのか「それ、モームの作品ね」と言う。
カップに紅茶を注ぎながら「そうなんだ。悩みに悩んで適当に持ってきたんだ。タイトル気になった」
椅子に座り、わたしは続ける。「この本、好きなの」
「いいえ」彼女は自分が読んでいる本に視線を戻し「あまり好きではないわ」とつまらなそうに答えた。
「どうして」
「エリクが好きな本だったから」
どうやら墓穴を掘るのが得意らしい。わたしは。
はあと息を吐きながら本を開き、さらに「どうして嫌いになっちゃうの」と問う。
「思い出さないようにしていたから」
「わたしのせいで思い出しちゃったわけ」
「そう」
これでは酷く跋が悪い。
「じゃあさ。エルネスティーはわたしを助けて良かったって思ってる?」
そう問うと、彼女は明らかに嫌そうな顔をしてみせた。「そんなつまらないこと聞いて」と言う。
「わたしのせいでエルネスティーが苦しい思いするなら、わたしは君の側にはいられないなって、ちょっとだけ思った」
「でも、私から離れたくないって」
「エルネスティーのためだよ」
強く言い切った。
「あなた本当に身勝手ね」
「身勝手だなんて」
「私の気も知らないで」
その言葉に、かちんとくるものがあった。啖呵を切るように口から勝手に言葉が出て来る。
「──あのさ、わかるわけないじゃん! だって何も話してくれないんだし! それともあれだ。君はわたしのこと『身勝手』にエリクの生き写しだと思って、『身勝手』にエリクと一緒に暮らしてるものと思い込んでるんだ。『わたしの気持ちも知らないで』ね」
エルネスティーが眉間に皺を寄せて苛立ちを隠さず睨み付けてきた。
「何、その言い方」
「お互い様だと思うけどな」
わたしはあくまで冷静だったが、彼女は相当頭に来たようだ。
「私が気に入らないわけ」
「そんなのこと言ってない」
「じゃあなんなの」
わたしはすぐには答えず、一息置いてから落ち着いて言った。
「わたしエルネスティーのこと何も知らない。わたしはエルネスティーが好きで、ずっと一緒にいたいし……そのためには君について誰よりも知らなきゃいけないんだって思ってる。でも、君はなんにも教えてくれないよね。エルネスティーが好きだって何度だって言ってやる。でも、好きだからわたしのせいで君が苦しむなら、わたしは君から離れなきゃならない」
「それが身勝手だって言ってるの。私のためだとか言って、好きとか嫌いとか、一緒にいたいとか離れるとか、勝手にあれこれ理由付けて悩んでいるのはあなたでしょ。何が不服なの」
納得いく答えが欲しくて悶々と考えてるのに、悶々と考えてるとそんなこと言われちゃうし、もう、よくわかんないよ。
「──そうだよね。その通りかも。もしかして……エルネスティーがわたしを気に入らないんじゃないのかも。わたしがエルネスティーのこと、あんまり好きだから──」
わたしはそこで椅子を蹴るように勢いよく立ち上がった。
「ごめんね。ほんと、何言ってるか自分でもよくわかんないや。──ちょっと頭冷やしてくる」
「マルール?」
エルネスティーの呼び掛けを無視し、わたしはとぼとぼとリビングの扉を抜け、自分の部屋へと戻った。長くなってしまった髪を紐で結わえ、黒いライフルと弾薬帯を携え、ハンチング帽を目深に被る。リビングの扉の横を通り抜けて地上への出入口を目指す。リビングからは物置ひとつ聴こえなかった。
そして、わたしはしばらくの間、エルネスティーの元から離れることに決めたのだった。




