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妹、リアラはその日から飽きもせず本を開いては眺めていた。
キラキラと広がる本の世界は確かに美しく、見ているだけでも幸せが訪れてくれている気分になる。
そして2日後に彼女は完全に立ち上がれるようになり、4日経てば日常生活にも支障がないほど元気になった。また妹が元気でいる姿を見ることが出来るなんて…先立った両親もきっと喜んでいることだろう。
「お兄ちゃん!ちょっとお外いってくるー!」
「走って転ぶんじゃないぞ?」
「うん!」
元々リアラは外で駆け回るのが大好きだった。早速農作業などの手伝いをすると言ってくれたが、せっかく体が動けるようになったんだ。コータさんがまた来る明日くらいまでは自由に過ごしていいからなと伝えてある。
楽しそうに出て行った妹の背を見送りながらふと思う。一体、コータさんは何者なんだろうか。
コータさんだけじゃない。初めて会った人、キュスルさん。そして他の…男性や双子に助手。そもそもあの屋敷はなんだったのか。まるで自分は夢でも見ていたんじゃないかと思う。でも本は実在するし、妹だって元気になった。それこそ物語のようだ。
「…あれ?」
テーブルの上にいつも置いてある本がない。他の場所にも目を向けるが、何処にもない。
…もしかしてリアラが外に持っていった?
まずい、あれは借り物だ。もし破れたり汚れたりしたら申し訳がたたない。いや、それよりあれはどう見ても特殊なものだ。そんなものが人目につけば…よからぬことを考える輩もいる。
慌てて家を出ると妹の姿を探す。見える範囲にはいなかった。ここらへんで見えない位置のリアラのお気に入り場所は1箇所しかない。丘の上だ。あそこで寝そべったりするのが好きだったはず。村からそう離れた場所じゃない。魔物もいないから走って丘へ向かっていると聞きなれた声が聞こえた。ただし泣き声だ。必死に走れば、丘の上で泣いている妹の姿。慌てて駆け寄る。特に怪我はしていない様子でホっと息をついた。
「リアラ、どうしたんだ?」
「お、おぉお兄ちゃんん~~…」
ボロボロと涙を流しながらオレにしがみ付く。落ち着くようにと抱き返しながら頭を撫でる。しゃっくりをあげながら、何があったかを必死で声に出した。
「ほ、本…とられたぁぁ~」
「本を?!一体誰が…」
「め、めーくんが…ヤダって言ったのにっ持ってちゃ…」
めーくんとはメルド。オレの幼馴染だ。昔はよく3人で遊んでいたが、妹が病になってから何かとつっかかってくる奴になった。こっちは必死で仕事をしてるのに何かと言って妹を泣かせる嫌な奴。またアイツが…!どれだけ迷惑かければ気が済むんだ!!
「リアラ、ここから家に真っ直ぐ帰れるな?お兄ちゃんが本取り戻してきてやる」
「おにーちゃ…っご、ごめんなさい…」
「お前が悪いわけじゃ…外に持ってったのはよくない事だけど、人の物を取る奴が一番悪い。大人しく、家で待ってるんだぞ?」
「うん…っ」
涙を軽く拭いてやりながら頷く妹に笑顔を向けると、オレは駆け出した。そう時間は経っていないだろうから、丘からアイツの家まで走れば途中で追いつけるかもしれない。そうして必死に走れば、見慣れた背中が見えた。
「メルド!!」
オレの声に立ち止まり、ゆっくりと振り返ったメルドは元々目つきの悪い人相を悪化させながら不機嫌そうな顔をしていた。肩に担ぐようにしてあの本を持っている。ヒョロリとやせっぽっちで背だけが高いオレなんかより、ガタイがよく少しだけオレより背の低い彼。取っ組み合いになれば、数秒で負けるだろう。でも、引く気はなかった。それは、妹を救ってくれたもの。そして、救ってくれた人からの借り物なんだから。
「本を返してくれ!」
「なんでお前ら貧乏人がこんな貴重な本持ってんだよ」
「それは借り物なんだ!」
「はっ…どっかから盗んできたんだろう?オレでも見たことねーわこんな魔術式が仕組まれた本。生意気だから没収」
「ふざけんな!」
勝手なことを言ってくる彼に怒りが沸騰する。オレが声を荒げて睨みつければ、向こうも睨む力が増した。
「ふざけてんのはお前だろ?妹が病気だから村人から金かき集めておいて結局治らず?元気じゃねーか。金はお前が遊ぶ金欲しかっただけで集めたんだろ?もしくは…この本に使ったのか?」
その言葉に絶句する。
動けなかった妹。それでも笑みを絶やさなかった、家族。その、頑張ってきた妹や必死に頭を下げて村人に感謝した心を完全に否定された気持ちになる。そんな馬鹿なことするはずがないのに、なんでそんなこと言われなきゃならないんだ?!
「妹は本当に病気だったんだ!!」
「じゃあ何で元気に走り回ってんだよ」
「それはっ…治ったからで!」
「嘘つくならもっとマシな嘘つくんだな。ほんの数日で治る病気なんて、おかしいだろ。この本は貰ってく。売って、お前が騙した村人にオレが慈悲を与えてやるよ」
「返せ…返せよ!!」
そのまま歩き出そうとする相手に掴みかかる。だが先に手を掴まれてそのまま投げられた。背中から勢いよく地面に叩きつけられ、衝撃と痛みに息が止まる。悶絶していると、顔に影が出来た。うっすら目を開けば、不機嫌そうなメルドが覗き込んでいた。
「本当、馬鹿だよお前」
うるさい。お前に何が分かるんだ。何も知らないくせに。
見捨てた、クセに。
痛みで睨み返すことしか出来ないオレを彼は鼻で笑って去っていった。
悔しい。悔しい悔しいなんで。
なんでなんだよ。畜生。
目を固くつむり腕で覆う。泣き叫んでしまいたかった。妹は助かった。助けてくれた人にお礼が言いたい、感謝したいと思うことはダメなのか?治った奇跡に感謝したら悪いのか?それを喜ぶことは罪なのか?
ただ、家族が笑ってくれる未来があることに。
「…こんなとこで昼寝か?背中痛くならないか?」
降ってきた声に驚いて腕を上げれば覗き込んでいたのは、感謝していた人物だった。1日早いのに、なんで?
いや、そんなことはどうでもいい。不思議そうにオレを見下ろしているコータさんに、オレは泣きそうになるのと痛みをこらえてゆっくり起き上がる。そして大きく頭を下げた。
「すいません…っ!!」
「へ?」
「本を…持っていかれてしまいました…!!」
オレは何が起こったのかを説明する。勿論、本を取り返すことを諦めてはいない。でも、オレは正直メルドに腕っ節で勝てる気はしない。目の前にいるコータさんだって体つきはたくましくない。でも一人より二人でやれば取り返すことが出来るかもしれない。恩人に、持ち主にこんなこと頼むのは間違ってるだろう。でもオレだけじゃ無理なんだ。
ごめん、コータさん。あんたには感謝してる。リアラの病気を、治療法を見つけてくれたこと。そして病気を治してくれたあの本にも。オレは感謝しながらあの本が完治前に妹の前から消えることを一番恐れている。だから一番は、あの本をすぐ取り返すことなんだ。
何があったのか説明を終えると、コータさんはひとつ頷いた。
「なるほど」
「すいません…恩を仇で返すような真似をして…」
「いや、俺も悪かったよ。そりゃ医者も匙を投げた寝たきりだった子が急に動けるようになったら疑われるよな」
「妹を…救ってくれた人にオレは…」
「大丈夫だって。ユスリは悪くないぞっと。本を盗った奴が悪い。だから…返してもらう」
「コータさ」
人当たりのいい声が低くなる。はっとして顔を上げれば、コータさんしかいなかったはずなのにその後ろにいる人物達にギョッとする。いつの間に?!
「回収に行くのか?」
「うーわー…出てきちゃったよこの人達…」
しかし楽しそうな男…ヤシャさん、だったか。その問いかけにコータさんは頭を抱えている。その様子を見守る助手の女性、ナナさんにキュスルさん。ナナさん今日は異国の服ではなくメイド服なんですね。別人かと思った…。
「行く?いっちゃう?お前本盗まれるの大嫌いだろ?じゃー派手にいこうぜ」
「あのなぁ」
「別にいいじゃないか。コータもこの辺では無名。見せしめに持ってこいだ」
「こういう時だけ仲がいいなお前ら。って、俺は別に名を轟かせたいわけじゃないぞ?!」
「マスター、この件は早急に片付けてください。時間がおしいです」
「ええー…まぁ、うん。ほどほどに、な」
物騒なことを呟く3人に結局コータさんは苦笑いしながらも頷いた。そのことに少し驚く。
振り向いた彼が「じゃあその幼馴染?くんのとこまで頼む。大丈夫取り返すだけだから。二度と盗ったりしないようにはちょっと…するがな」と呟いた言葉に何故かゾっとしながらしっかりと頷いた。
しかしこのメンバーで村に入ると物凄く目立ちそうだなとも思う。でも取り返すのを協力してもらうんだ、注目されることくらい我慢しよう。そう思って案内しようとした時、キュスルさんが少し村の方角と違う方を睨みつけた。
「ふむ…少し話が変わってきそうだな」
その呟きと共に、彼女が走り出す。何故いきなり走り出したのか、本を取り戻しに行くんじゃないのかとか思う前に自分の左手が掴まれていることに気づいた。物凄い力で引きづられるように自分も走り出す。
「えええ?!ちょ、ちょっと、」
「ごめんなー多分ちゃんと、意味があることだ。多分」
「不安要素しかないですけど?!」
「ははっ面白くなってきたじゃねーか」
「マスター、多数の生物反応あります。手前で止まった方がいいかと」
景色がぐんぐん変わっていく。村の少し離れた森の近くの広場に近づいていると分かった。こんな場所、祭りでもやる時じゃないと人なんて来ないのに。
疑問に思うより先に景色が止まり、何か言い争うような声が聞こえてきた。
「ふぅーん。あの村の役立たずの妹が急に元気になって、その原因がたかが本だって?バカバカしい」
「かえ…せ!」
「迷惑してんだぜ?兄は妹の世話で村の仕事が出来ない、妹も動けない、そんなのただ働きたくない一心で演技してるんだって。村の役に立たない奴はいなくなって当然だってのによ」
「メルド、お前が村人を説得したんだって知ってるぜ?金工面出来るよう一軒一軒頭下げたんだって?ハハ、馬鹿だなお前。幼馴染かなんかって義理なだけでそんな面倒してやったってのに、無駄な努力だ。結局あいつ、演技もしなくなって金ちょろまかしただけじゃねーか」
「違う!ユスリはそんなことしない!医者にだってちゃんと診せたのは、おまえ達だって知ってるだろう!?」
「はぁ?そんなの少し金握らせて返しただけだろー?この本は…そうだな。売れば多少金にはなるだろ。オレ達があの役立たず達の分まで有意義に使ってやるよ」
「離せっ!それはユスリやリアラのもんだ!何かも分からないなら返してくれって言っただろう!はなっ…!」
「うっせ!黙らせろ」
「ちょっと…予想とは違う展開だねぇ」
唖然と木の陰から様子を伺っていると、確かにコータさんの言うとおり予想外の展開だった。なんで、メルドが村で暴力沙汰とかよく起こしてる村長の息子の奴らに囲まれてるんだ?あいつらオレやリアラの家を壊そうとしたこともある最低な連中なのに。本も、取り上げられて、オレを庇うような発言を、え?
「えーと…オレにもどういうことなのか…」
「つまりあれだ。ツンデレだ」
「はい?」
よく分からない発言をしたコータさんは少し目を細めると優しくとも言える声でオレに言った。
「お前達、あの男…メルドって奴にしょっちゅうちょっかい出されてたんだろ?ありゃ心配の裏返しだな。何かと気にかけてたら妹の病気は治るわ変な本を持ってるわで…言ってた通り仮病使って集めた金を使ったんじゃないかって村人に噂される前に何とかしようと思ったんだろ」
「え…」
「見たこともない本を持って病気だった子が元気に外にいるんだ。そりゃ本が怪しいと思うわな。それで噂は悪いけど村長の息子にどういう本かーとか、誰から購入したのかーとか聞こうと思ったんだろう。まぁ今回は裏目に出たな」
混乱する。
え?何で初対面であるコータさんがそんなこと分かるの?いや、それよりも、心配って……
「そんな…だって…」
「今まで長い付き合いだったんだろ?暴言はさておき、アイツは嫌がらせとかしてこなかったんじゃないのか?」
そう言われて彼の行動を思い出す。妹の体に変調が現れた時無理して畑を手伝おうとしていたのを「なんだ、そんな体たらくでいたら邪魔だろ。家に引きこもってろ」と乱暴に言った。あの時はなんて酷いこと言うんだって怒鳴ったが…体調が悪そうなのを気遣ってくれてたのか?
両親を亡くした日、「お前、妹と2人なんて生きていけんのかよ。人に頭下げて生き続けなきゃいけないなんて、面倒だな」と言っていた。けれど頭を下げる前に村の人達はオレ達を気にかけてくれて食べ物を分けてくれたり畑の世話を手伝ってくれた。オレが成人を迎えてからはなくなったけど、子供の頃オレの家の近くでアイツがウロウロしているのをよく見かけた。もしかしたら…みんなに何か言ってくれてたんだろうか?
他にもよくよく考えると何だかんだ彼がオレ達に声をかけてきたのは少なくない。文句を言いながらも、手を差し伸べてくれていた。
「イイ友達じゃん」
その一言に、視界がにじんだ。
分かるわけ、ないじゃないか。両親が死んで、妹が病気になって、必死に、なってて…分かりにくい優しさなんて。オレは自分のことしか見えてなかったのに。
思い出す。まだ、本当にお互い小さかった頃の記憶。まだ妹もいなかった頃の、2人でただ村の中を駆けずり回って笑いあっていた――…
「~~っ」
「あ」
気づいたら飛び出していた。
両手を広げて蹴られていたメルドを背に庇うようにして立つ。チラリと見えたその目が驚きに見開かれていた。
次でプロローグは終わりです。




