天使の昔語り
この話はナナ視点になります。
残酷な描写があります。ご注意ください。
自分の世界は3回変わった。
もう変わることはないだろう。
天界で自分は天使として生まれた。
天界は暖かくて穏やかで明るかったと、わずかに記憶が残っている。
それが1つめの世界。
ただ天界は酷く不安定な空間に存在している為、まだ飛ぶことに慣れていなかった自分は隙間に落ちてしまった。
2つめの世界。
気づいたら知らない場所にいた。周りには沢山の人、人、人。
天使は生まれながらに知識がある。だから、地上界に落ちてしまったこと、人間は恐ろしいものだと知っていた。
まず、羽を切り取られた。力を封じられる枷をつけられ、押さえつけられ容赦なく6枚あった自分の羽は全て人の手に奪われた。あまりの痛みと喪失感に絶叫し、気を失った。
次に目を覚ますと足が無かった。今度は逆に声が出なかった。呆然としている自分を見て人は笑った。嬉しそうに、楽しそうにしていた。
それから地下に連れていかれ腕をえぐられるように切り付けられた。あふれ出る血を大切そうに器に流し込んでいく。痛みで泣き叫ぶ自分を見てやはり笑っていた。それが酷く嫌で怖かった。
何度も何度も繰り返されるうちに、慣れてきたのかあまり痛みを感じなくなった。顔も壊れてしまったかのように動かない。声も出ない。悲鳴をあげなくなった自分を人間は笑わなくなった。ただ苛立ちげに顔や体を殴られる日々。
腕を切り付けられたり殴られたりするのは必ず地下室だった。それ以外の時は何処かの部屋の中にある大きな鳥篭に入れられていた。ほぼ1日をそこで過ごしているうちに、鳥篭が自分の居場所になった。ここにいれば、傷つけられることはない。じっとしているだけでいい。だから、そこから引きずり出される度絶望し、戻される度に安堵した。
そして、3つめの世界。
目が覚めると、どこも痛くなかった。不思議と力が満ちていて久々に体が軽い。今にも飛べる気がしたけれど、羽はやっぱりなくなっていた。鳥篭の中じゃない、知らない部屋のベッドの上だと気づく。落ち着かなくて視線を動かすと、そこには1人の人間がいた。ああ、また傷つけられると諦めた時、そっと声をかけられた。
「もう、君を傷つける人間はいない。安心して休んでくれ」
優しい声だった。驚いて見た人間の顔は、笑顔だった。
笑った顔が嫌で嫌で仕方なかったはずなのに、その笑顔は嫌じゃなかった。
だから戸惑った。その戸惑いに人間は「どうした?」と聞いてきたので「帰る場所がない」と答えた。実際、ここにあの鳥篭はない。1人で安心できる場所がない。そうしたら人間は「ここが今日から君の家だぞ」と言った。意味が分からない。黙り込む自分に「とにかく体を休ませてリハビリもして、全快になったら好きな所に行ってもいいからさ」と更に言った。好きなところ?もう羽も手も足もないのに?
この人間は不思議だった。天使に必要ない食事を食べさせ毎日寝床を整えて本を渡してきた。本というものが何かは知っていても実物を見るのは初めてだ。人間が持ってきた本は、少年が少女と出合って様々なことを経験し成長していく物語だった。
最初は人間が読み聞かせていた。しかし、たまにいなくなる。忙しいらしい。そうすると物語が止まる。気になって人間がいない時、風を操って本を枕元に寄せなんとか体をひねって続きを読んだ。ページは腕でなんとか捲れる。捲るごとに変わっていく展開に夢中になった。それで?なるほど。危ないっ。1つ1つに、自分の中にあった感情が目覚めていく。
全て読み終えた。不思議な満足感が心を満たす。
ほっと息を吐くと「面白かったか?」と声がかかった。驚いた。人間が戻ってきていることに気づかなかった。
「気に入ってくれたなら嬉しいぞー。他にも本はあるし、多めに置いておくから好きなのを読むといい。あ、その前にコレ」
気軽に人間はそう言って、自分の前に何かを置いた。それは、手と足の形をしているもの。
「君の手足だ」
人間はこれを『義手』と『義足』と呼んだ。魔力で動くというので魔導具ではないのかと思ったが、少し違うらしい。そして自分の無くした手や足につける。重い…でも、ゆっくりと自分の意思で動いた。慣れれば以前と同じように動かせるようになると言った。
どうして?
どうして、この人間は自分に優しくするのだろう。色々与えてくれるのだろう。今の自分には羽はない。羽があれば天使だけが使える魔法や術もあった。出来ない自分に価値はほぼない。聞けば人間は「出来ることがあったから俺はやっただけだ。気にするな」と言って笑った。助けられるから助ける行動をとった、ということらしい。出来ること…。
この人間は忙しい。いつも何かをしている。合間に自分の様子を見にきたり義手の練習に付き合ってくれる。出来ること、が、あれば…自分もしてもいいのだろうか。
この人間の役に立ちたい。
「何か、手伝いたい」
真っ直ぐ人間を見て出した声は、緊張で少し震えた。人間は休んでていいと言ったが、やりたい。自分の出来る範囲でいいから手伝いたいとしつこく言った。困った顔になった人間に焦る。怒らせてしまったら…嫌われてしまったら、自分は、何処へ行けばいいの?
だが人間は「よし」と言って、あっさり仕事をくれた。
「俺は本を書くことを仕事にしていて、結構忙しい。それを手伝ってほしい」
「本を…?」
「お前さんが読んだ本も、俺が書いたものだぞ」
驚いた。あの全てが、この人間によって書かれたもの。
本は凄い。中に世界と知識が詰まってる。自分が初めて好きだと思ったモノ。
それを自分が手伝えるのか。
「代筆なら動かなくていいし手のリハビリにもなるだろうし…字って書いたことあるか?」
首を横に振る。手伝えないだろうか…。すると何かを握らせてきた。ペンだ。
「これを、こう持って、インクをつけてから紙に――…」
大きな手に包まれた自分の手は、ペンを握っていてそのまま動かされる。カリカリと、ペン先と紙が擦れる音が響いた。
「よし。こんな感じで書けばいい」
初めて書いた字。
それは歪で、滲んでいてとても読みにくいものだったけれど…凄く…凄く。
「『ナナ』?」
「そう、お前さんの名前……じゃない?もしかして」
「自分は生まれてすぐ地上に落ちたから…」
名前はない。どうしてナナなのかと聞けば、あの鳥篭にそう彫られていたらしい。しまった…とばかりに落ち込んでいる人間を見る。きっと数字のようなものだったのかもしれない。それでも……
スッと、滲んだ文字をなぞる。
「ナナ」
「え?」
「自分は、ナナ、です。あなたは?」
ナナという名を名乗ることにする。そして人間の、あなたの名前が知りたい。
コータと名乗った人間の名前も横に書いてみる。やっぱり歪で歪んでいた。
それから様々なことを学んだ。本を作り上げるのは酷く大変な作業だった。
文字が綺麗に書けるようになった時「自分で本を1冊書き上げてみるか?」と言われ、すぐ頷いた。内容は自由に決めて書いていいとも言われたので3日かけて書き上げた。表紙に貼る布も選んだ。コータは自分の目である空色をオススメしてきたが、黒にした。
丁寧に丁寧に作っていく。そうして、自分の思い通りに義手や義足を動かせられるようになったと同時に本が完成した。
「ナナが作り上げた本だ。おめでとう」
そしてこの本は自分のものにしていいと言われた。自分が作った本。真っ黒の表紙を撫でて、そっと抱き込んだ。中身は自分とコータが出会って、日々暮らしていく物語だ。なんだろうこの気持ち。涙が溢れそう。別に痛くも苦しくもないのに。
「これからもよろしく」
コータ。あなたが何気なく言ったひと言は…ここが帰る場所だと、安心出来る居場所だと、ここにいていいんだよと教えてくれたのだ。
なのに。何処に行ってもいいだのと言ってくる。自分の家はここなのに…マスターは馬鹿です。仕事だってサボればサボるほど後が大変だというのに。だから仕事を促す。本を書かせる。自分がサポートすればきっと計画通り物事を進めて、休める時間が作れる。
出来ることが増えたおかげで色々と着手する。マスターの世界の話はどれも興味深い。この世界にも浸透させたい。今は衣服を中心に動いている。それは凄く革命的で好調に広がっていった。だがそのせいで少し無理して怒られた。
だから少し休憩。少しだけ。だってマスターはすぐ人の心配ばかりして仕事を疎かにするから。休憩を削ってしまうから。早く戻って手伝って計画通りに進めなくては。そうすれば、あの幸せそうな顔で、本を読む彼の姿が見れるから。
部屋に飾ってある黒い本を見て、その思いを強くした。
ナナのお話でした。マスターと呼ぶようになった話はまたいつか。
読んでくださりありがとうございます。