第8話 複写
夜の帳が下りて周囲が真っ暗になった夜。この世界では、ネオンの灯などないので頼りになるのは夜空に浮かぶ月と星の光だけ。
大聖堂というだけあって周囲には酒場もないので建物から漏れる光がなければ喧騒も聞こえてこない。
そんな中、俺とハルナの姿は大聖堂の裏手にあった。
「これからどうするの?」
ハルナにはきちんと目的を伝えてあったのだが、よく分かっていないらしい。
彼女を連れて来たのにはきちんと理由がある。
「大聖堂の中にある聖典を回収する」
「……それがどういう事なのか分かっているの?」
裏手に回る前に大聖堂の正門前を確認している。
正門前には門番が二人立っていた。中からも人の気配がなんとなく感じ取れることから巡回中の警備員がいるのかもしれない。
と言うか言葉だけ聞けば窃盗――普通に犯罪だ。
「……ちょっと数秒だけ借りるだけだ」
「借りるだけって……」
「お前も俺がガイドブックを収納して中の情報をコピーしたのは見ていただろ」
「うん」
おかげでお金を支払わずに街の情報を手に入れる事ができた。
これで観光名所巡りには困らない。
「あの時と同じで数秒だけ収納したらすぐに戻す」
本当に数秒だけ借りれば俺の用事は最低限終える事ができる。
「でも、どうやって収納するの?」
案内してくれた白髪の男性が言っていたように聖典が置かれている台座のガラスケースは全ての魔法を弾く効果がある。物理的な方法でガラスケースを砕けば壊された時の音を聞きつけて巡回中の警備員がやって来る事になる。
いくら夜で、最低限の人しかいないとはいえ盗み出すのは難しい。
もっとも、それは近付く必要がある場合の話だ。
「接続」
裏手から大聖堂の壁に触れる。
この場所は常に警戒する対象になっていないせいか人目がない。おかげで、夜にこうして建物に触れ続けるという怪しい行動をしていても咎められない。
「何をしているの?」
だが、俺の行動を見ている仲間からは不審な目で見られる事になる。
「俺の収納魔法が特殊な事は既に分かっているだろ」
ハルナが頷く。
「こんな風に建物に触れた状態だと建物そのものを収納魔法の対象にする事ができるんだ」
もしかしたら普通の収納魔法の使い手でもできるのかもしれない。
しかし、通常の収納魔法では収納に限界容量があるせいで対象にする事ができたとしても小さな箱に限定されてしまう。
そのせいで収納魔法に価値が見出されていないし、窃盗に使われるなんて警戒もされていない。
だが、生憎と俺の収納魔法の場合だと建物程度なら限界容量に触れるような事すらない。
「窃盗に使いたい放題とか……やっぱりチート能力じゃない?」
「もちろん発動に条件はある」
収納したい物の正確な姿と場所を知っている必要がある。
幸いにも案内してくれたおかげで保管されている部屋の場所も聖典がどんな形をしているのかも分かった。あれだけ頑丈なケースに入れられているなら夜の間だけ別の場所で保管されているという可能性も低い。
俺の目的は案内された時点で達成されているようなものだった。
「それに収納、コピー、解放――これら3つの手順を行っている間、俺は完全に無防備な状態になるんだ」
意識を収納の内部に集中させる必要があった。
そのため数秒間だけでも俺の身を守ってくれる仲間がどうしても必要になる。
さすがに夜とはいえ、4人もの人間が大聖堂の裏手にいれば気付かれる可能性があったので俺ともう一人だけを連れて来る事になった。
戦力や状況の危険性を考えればショウに着いて来てほしいところだったのだが、待機している女子の方にも何らかの問題が発生した時の事を考えれば俺とショウを別々にしたかった。
そのため人相手の近接戦もできると証明できているハルナを連れて来た。
おっと、余計な事を考えるのはここまでだ。
俺の仕事は聖典をパクる事だ。
「ほら、やっぱりあった」
収納魔法に意識を集中させれば昼間見た時と全く同じように保管されている聖典の姿を認識する事ができた。
後は収納するだけだ。
「でも、ガラスケースが魔法を全て弾くなら中にある聖典を収納する事もできないんじゃない?」
「問題ない。魔法を弾く効果を持っているのはあくまでもガラスケースそのものだけだ」
ガラスケースに触れる事なく、中にある聖典だけを対象にすることができれば問題なく収納することができる。
「俺の収納魔法は現在、建物全てを対象にしている。正確な場所さえ判明していれば聖典だけをピンポイントで指定することができる」
あのガラスケースは収納魔法を警戒しての物だったのだろうが、俺みたいな規格外の収納魔法まではさすがに予想する事ができなかったらしい。
「収納」
聖典がガラスケースから姿を消す。
次いで、意識を切り替えると収納内に聖典がある事を確認する。
後は収納内にある聖典に書かれた文章をコピー。
「解放」
元の場所に出せば聖典は元通り。
ここまで、わずか5秒。
巡回の警備員が近くにいたとしても薄暗い状況では5秒間だけなくなっていたとしても見間違いか何かだと勘違いしてくれるだろう。
「もう、終わったの?」
魔法を使っている姿を見ていたハルナでも俺がただ大聖堂の壁に触れているようにしか見えなかった。
おかげで首を傾げている。
「問題ない。聖典に書かれていた内容は全て収納内にある」
試しにコピーした内容を確認してみる。
「……おいおい! こいつは予想以上にチートだな」
俺の収納魔法も建物の外から窃盗が可能とか、かなりのチート能力になったものだと感心していたけど、聖典はそれ以上のチート魔法道具だ。
「何があったの?」
状況が全く分からないハルナが訝しんでいる。
「お前らもある程度は救世主の正体について予想していたんじゃないか?」
「やっぱり日本人だったの?」
聖都にはところどころ日本のような雰囲気が残されている。
定期的に日本から勇者召喚が行われているこの世界なら日本の技術や知識が流れていてもおかしくないと思っていたが、聖都ウィルニアは勇者召喚を行った国に対して敵対的な感情を持っている国だ。
一部の者には魔物を退けるには勇者の力が必要だと理解していながら、勇者が国内にいる事に対して反対な者がいる。
そんな状況では勇者の来訪も難しい。
「ああ、それは間違いない」
だが、国を救った救世主なら都作りにも積極的に意見を取り入れてもらう事ができる。
「この聖典だけど……聖典なんて呼ばれているのに神様の有り難い言葉を書き記した物なんかじゃない。どちらかと言うと聖典を持っていた救世主の日記に近い」
「日記?」
そう、日記だ。
聖典には救世主がこの世界に来てからどのような境遇で過ごして来たのかが細かく書き記されていた。
救世主と呼ばれるだけの力を持っていた事から、最初からチート能力を持っていたのかと思ったが、境遇は俺たちに近かったようで時間を掛けて覚醒へと至る事に成功した。
その結果、得たのが救世主を名乗っても問題ないだけの力だ。
「勇者として召喚された事まで書いてあるのか……」
「それもそうなんだけど……俺が救世主を日本人だと判断したのには別の理由がある」
俺たちを案内してくれた男性は聖典に書かれている内容が読めないと言っていた。
だが、俺には簡単に読むことができる。
「これ、書かれているのが日本語なんだ」
この世界において日本語を流行らせる意味などない。
召喚された時の加護があるおかげで、この世界の文字を読むには問題ないので書く能力を自分で磨く必要がある。日本語を流行らせる労力に比べれば、書けるように練習した方が効率いい。
敢えてメリットを上げるとすれば暗号代わりだろう。
「とにかく、このチート魔法道具の説明はショウとレイも含めて宿でする」
俺の予想が正しければ、聖典の力では元の世界に帰る事はできない。
だが、試してみる価値のある魔法道具だ。




