第17話 洗脳していた者
「こ、困ります!」
建物の奥へと歩く俺たちを止めようとする職員の女性。
彼女は本当に困っていた。いつも通りに業務をこなしていたら、一般人は立入禁止の場所へ入ろうとする者が現れた。さすがに9人もの人数が歩いていれば誰でも気付く。
本来なら警備員でも呼んで実力行使に出てでも止めるべき場面なのだが、相手に問題があった。奥へ進む者は勇者。勇者が相手では実力行使は無理だし、何よりも世界を救う為に異世界から召喚された者たちなので「世界を救う為に必要だ」と言われれば仕方なく従うしかない。
ただし、このまま進めてしまうのも彼女の職務に反していた。
「この先には会議室や長官室しかありません」
貴重な書類が収められた部屋もある。
そのためアポのない者を通す訳にはいかないし、アポのある者でも警備員が同伴でなければ進むことができないようになっていた。
「俺たちは勇者だ。勇者の意思に反するのか?」
「そういう訳では……」
案の定、女性職員はその言葉を言われて言い返せなくなってしまっている。
そんな問答をしている内に建物の一番奥にある部屋へ辿り着く。
「邪魔するぜ」
「まさか、ここまで辿り着けるとは思っていなかった」
部屋の中では男が椅子に座って机の上に置かれた書類を処理しており、女性秘書が隣でサポートしていた。
「なんですか、貴方たちは……」
「いや、いい」
「ですが……」
「いいと言っている」
「行政長官である貴方の予定は詰まっています。急な予定を入れられてしまいますと今後の予定に差し障りが……」
「いいと言っている。これは全ての予定をキャンセルしてでも優先するべき案件だ」
女性秘書と長官と呼ばれた男が言い争いをしている。
けれども、長官は女性秘書の言葉を気にしたところがなく、突然の侵入者である俺たちへ興味を示していた。
「あ、君はもう退室していいよ」
「……失礼します」
ここまでついて来た女性職員は自分の持ち場へと戻る。
女性秘書の方は自分にできる事は何もないと判断して部屋の隅へ移動する。
「こういうのも灯台下暮らしって言うのかな?」
「さあ? たしかに塔の下にあるけど、意味は違うような気がするな」
ここはイルミナティの中心にある塔の下にある役所。
そこの5階の一番奥にある部屋を訪れていた。
この部屋の主である長官こそが黒幕だ。
「どうして私が街の人々を洗脳している人間だと分かったのか理由を教えて欲しいな」
長官――ロットが興味深そうに尋ねて来る。
「理由は彼かな?」
勇者以外の同行者――諜報員の事を見ていた。
自分が見られていると知った諜報員は、洗脳されていたという事実が蘇って来てしまったのか後退りしてしまった。しかし、彼を守るように後ろにはショウがいるのですぐに前を向く。
「私に繋がるような痕跡は残していなかったつもりだけど?」
「声だ」
「声?」
ロット長官は、洗脳している人間に対していくつかの指示を出していた。
指示の内容には、シンプルだったが故にロットに繋がるような手掛かりはなかった。ところが、指示そのものに手掛かりがあった。
「指示を自分の声で出してはダメでしょう」
「それは迂闊だった」
声はロットの物をそのまま使っていた。
「どうせ全員が気にしなくなるのだからと私まで気にしなかったのは失敗だった」
洗脳している相手の声を聞いたとしても全員がロットの声を知っている訳ではない。洗脳している数万人の内、数十人が知っていればいい方だろう。
ところが、諜報員は数少ないロットの声を知っている人物だった。
「貴方は上流社会の人間です。知っている人間は声まで覚えています」
ロット長官についても諜報員から聞いていた。
元々は、クウェイン王国の王子として生まれたロット。ただし、第6王子という王位継承権がほとんどないような状態だったために自分から望んで副都であったイルミナティの役所で行政に従事。その後、王族という立場も役に立って若くして行政庁長官の座に就いた。
「私は諜報員です。王都で行われたパーティーにもこっそりと参加した事があって挨拶をした事があります」
その時に要注意人物として声や容姿を記憶していた。
もっとも、その時は魔族などとは思っておらず政治的な意味で注意しなければならない人間だと思っていた。
「はぁ……国王である父たちから参加するよう言われたパーティーから気付かれるとは思っていなかった」
「じゃあ、やっぱり」
「そう――私がイルミナティにいる全ての人間を支配している魔族だ」
『……!』
あっさりと認めた事に全員が驚いた。
俺たちもそうだが、訳が分からずに驚いているのが女性秘書だ。
「え、魔族……?」
女性秘書も魔王の復活と同時に人間の中に魔物に近付いた人間が現れる事は知識として知っていた。しかし、こんな身近にいるとは微塵も思っていなかったみたいだ。
「そんなにおかしな事か?」
「――いいえ、相手が人間であろうと魔族であろうと私が仕える相手である事には変わりがありません」
女性秘書は、ロット長官から一言言われただけで魔族である事を受け入れてしまった。
これが洗脳の効果なのだとしたら強力だ。
だが、ロットの特性は『洗脳』ではない。
「その様子だと気付いているみたいだ。私の特性は他者を自由自在に操れるようになる『洗脳』ではない。人の意思を導き、誘導させる事ができる『教示』だ」
女性秘書のように『魔族でもかまわない』という『教え』を『示されれば』その言葉を受け入れるしかなくなる。
諜報員のように『毎朝と毎晩、健康を祈願する祈りを捧げなければならない』と言われれば祈りを捧げずにはいられなくなる。
さらに街の人たちが俺たちを襲ってきた時のように『俺たちが親の敵にも等しい憎い相手』という『教え』を刷り込まれれば敵だと認識してしまう。
絶対支配者からの教えに従う――それがロットの特性。
「最初に洗脳の効果範囲を知った時は広すぎると思った。けど、特性について知った今は狭いぐらいじゃないかと思う」
一人一人を支配するのではなく、単純な命令を下すだけに留めているために効果範囲を広くすることができていた。
「そう。この能力は、自分が支配している場所――つまり、都市のトップである行政庁長官を務めているイルミナティ内に対してのみ効果を発揮する」
外に出れば特性は何の力も持たなくなる。
むしろ戦闘向きではない特性のため冒険者よりも弱いかもしれない。
「随分とペラペラ喋ってくれるんだな」
「ゲームに勝ったご褒美かな?」
制限時間内に黒幕の正体を暴けるか。
そのゲームには勝つことができた。
「ただ、目的までは理解していないみたいだ」
ロットが言うように『封緘の棺』を用いて何がしたかったのかが分からない。
「よって、これからは鬼ごっこにしよう」
――バン!
大きな音を立てて長官室の扉が開かれる。
外から入って来たのは役所の警備員たち。全員が武器を手にしている。
「彼らには既に君たちが『敵』であると認識させている。全員が血眼になって襲い掛かって来るぞ」
警棒のような物を手にした警備員が襲い掛かって来る。
ロットの指示を受けていないメンバーは相手が魔族でもない普通の人間だと知って気後れして攻撃できずにいる。
これがロットの特性の怖いところ。
何の力も持たない一般人でも俺たちを心の底から敵だと認識させて襲わせることが可能になる。
「ぐわっ!」
一人の警備員が吹き飛ばされて長官室の壁に叩き付けられる。
ボロボロになって意識を失った警備員が床に倒れる。
「洗脳されているだけの連中には申し訳ないけど、こっちは魔族を倒す必要があるんだ。少しぐらい痛い目を見るのは我慢してもらうしかない」
襲い掛かって来た男を殴って吹き飛ばさせてもらった。
既にこんな世界へ召喚されるという理不尽な目に遭っているのだから、洗脳されているだけの一般人にもそれなりの理不尽に遭うぐらいは我慢してもらわなければならない。
「洗脳されているだけの奴を躊躇なく殴るなんてまったく酷い奴だ」
それでもロットは余裕の笑みを浮かべていた。
「私の目的を達成するまでもう少し付き合ってもらうよ」
扉近くにいた俺たちに対して背を向けて走り出すと窓に向かって飛び出す。
この部屋から逃れる為に5階から飛び降りた。