その2「悪」
投稿予定より早くなってしまった。
今回は、自分前回の投稿から反省をして、
少し読みやすくしてみました。
悪は無くなって欲しいのは、皆さんの願いなんでしょう。
もちろん私もそう思いますし、
悪は嫌いです。しかし、悪が無くなると困ったことに警察や軍隊などの存在意義が
分からなくなってしまう。
さらに敢えて言えば、
小説や映画はアクション系などのものが出来なくなってしまうではないか。
例えば、この世から犯罪が無くなるとしましょう。皆さんにとっては嬉しい話ですなんですが、
これまで犯罪人を取り締まりしていた警察や犯罪予防を産業にしていた人々の
仕事がなくなり、不要となってしまう。これは困ったことだ。
もう一つ例をあげると、
正義の味方スーパーマンなどが戦う極悪人がいなくなれば、
スーパーマンは使えそうもない超能力を持つただの変人になり、
そういう系のものを題材にした映画、
アニメや小説が成立が出来なくなってしまう。
世の中の娯楽の楽しみが半減してしまうことに・・・。
こうすると悪が嫌な割に、実は必要だったのはと感じるかもしれません。
非常に不思議なことですが、
「悪が無くなること」=
「責める相手がいなくなり自分の正当性を証明出来なくなること」
と言われてみれば分かると思います。
某国が核開発を弾頭ミサイル実験を繰り返し行うことに国際社会が責めており、
世界のためにこれは正しいと思っているという
実例をあげるとかなり分かりやすい。
私たちが自分の正当性を証明するために、
誰かを常に悪としているというようなことが言え、
このような悪は必要悪になる。誠に嫌ですね。悪が必要だなんて。
国際社会では、一応戦争や核兵器を嫌って
無くなって欲しいと願っている。
しかし、戦争を望んでいる国、
戦争で儲けている会社や革命を果たそうとしている左派。
左派の共産主義などは、
混乱状態にあるところでしか革命ができないし、
彼らは、理想のためなら武力行使は構わないそうです。
但し、この話はひと昔前の話になってしまうので、
今はどうか分かりません。
武器商人や武器製造会社は武器を平和な時でも売るが、
戦争の方が一番儲かる。どっかの集団がうるさいがために、
大きくは言わないが密かに望んでいる。
というよりは、今紛争している所に武器を大量に売っている。
悪を利用して商売している人がいることは、
わたしはなんとも言いませんけれど、
悪はこのようにして、無くなるに無くなれないのである。
政治の世界でも同じです。
与党の揚げ足を取ろうと汚職、違法な寄付金などを例に
厳しく批判してする野党がすぐに辞職しろだの解散しろと言うが、
この汚職のような悪が存在しなければ、彼らは辞職しろと言えない。
野党の意味がなくなる。
ところが悪の捉え方は人によって全く違うのです。
先程書いたように、違法な寄付金が実は合法で問題に
ならないはずが処理の間違いで違法のように見えたりして
野党やメディアが与党の揚げ足を取るための資料に使いたい
と思っていたら、自分の解釈で違法な物にできる。
こうすると物事は人によって、善か悪かになるかが変わる。
例えば、ある小型の旅客機が何もない寒い山に墜落をして、
4人が死亡し、10人が生き残った。
食料は頑張って集めても、1日分しかない2人分。
かなり工夫しても、たった2日で無くなる。
救助隊は未だ来ていないし、いつ来るかどうかも分からない。
事故から2週間で救助隊が到着した。
10人はまだ生き残っていた、食料がなくなったはずなのに。
死体がどこにあると聞かれてると、食べたと答えた。
一般的に言うと、生き残った彼らはなんて野蛮だ、
と世論は思うでしょう。
しかし食料が無く生き残る為に、仕方なく食べたことを
知ると、どうでしょう。
世論は、ある程度同情するでしょう。
裁判で無罪になっても、
文句を言う人はあまりいない。
人を食べることは悪業のはずなのに。
2度目だが、悪は捉える方によって違う。
私が取り敢えず言いたいことは悪は無くせないし、
人によって捉える方が全く違う。
私たちは、心の中で密かに必要としているかもしれません。
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