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04「ゴブリンごときに大苦戦」

 腹がくちくなれば、あとは休むだけだ。テントは洞窟内でも奥まって、三方が岩で囲まれた防御にすぐれた地点に設けてある。これならば、仮に襲ってくるとしても前方のみに備えればいいし、なんとなく気分的にも楽だった。


「え? あの、英二さん。なんで、このテントに入ってくるのですか」

「は、いや。もう休むからよ」


「だから、なんで嫁入り前の私があなたと同衾――? ま、まさかあなたは、最初からこれを狙って私に近づいて来たのではありませんかっ。や、やっぱり!」


 綾乃は寝袋を抱えたまま、ずささっと奥に退避する。

 英二を見る目はまるで白昼の変質者を蔑むものと同じだった。


「こーらこらこら、やっぱりってどういうことだよ……」


「え、えっち! えっちなことを私になさるおつもりでは。来ないでくださいっ。それ以上一歩でも近づいてごらんなさい、私は舌を噛んで自害いたしますわっ」


「そんな気はねえっての! だいたい、テントはまさかのために持ってきた予備ひと張りだけだし、俺に外でごろ寝しろってか。酷いなっ」


 英二はむずがる綾乃を懇々と説いた。これだけで先ほど胃に納めた食事のエネルギーが無駄に消えていくような気がして、ちょっとめまいがする。


「英二さん、断っておきますが許したのは同じテント内で眠ることを許しただけであって、この私はそう簡単に殿方に操を許すような女ではないことを肝に銘じておいてくださいね」


「しつけーな。さすがにそこまでしつこくいわれたら、いくらなんでも襲う気も失せるよ」


「ああ、やっぱり!」

「しつこいっ。無限ループさせるつもりか?」

「ケダモノの英二さんがいけないんですのよ」


 こいつは実のところ襲われたくてしようがないので、こういう態度に出ているのではないだろうか、と逆に勘繰ってしまうほどしつこい警戒であった。


 テントは元々が五、六人ほどがいっぺんに休める長大なものである。英二とは綾乃は寝袋にくるまると、それが当然というように離れて休んだ。


(んで、まあ、寝られるわけないんだよな、これが……)


 明かりを消すのは絶対NO! という綾乃の強い要望で、貴重な魚油を灯し続けている。


 手持ちの資材は限られてはいたが、いきり立った彼女を鎮めることのできない状態では、この蕩尽を黙認するしかないのだ。


 トリップしてからこの方、クラスにおいて男女は頑なまでに寝場所を分けていた。


 モンスターの襲撃を考えれば、男女混合にひとつところで休むのは別に異常とはいえなかったのだが、現代社会の倫理観が自然とそれを忌避させたのだ。


 また、英二は生粋の童貞であるがゆえ、いわゆる家族以外の女生とひとつ屋根の下という状況に陥ったことがなかった。


 ぼっちであり、友人すらいない彼に彼女などがいるはずもなく、このような極限状況でも綾乃を意識しないではいられないのは文字通りケダモノそのものであるのだが、英二本人はそれに気づいていなかった。


(ファック! なんだか寝られないぞ、チクショウめ)


 耳を澄ませると綾乃の健康的な寝息がすうすうと聞こえてくる。ときどき「ううん」とか「あ、あん」などのあられもない唸り声が聞こえ、余計に英二の妄想を掻き立てる。


 下手に近い場所にいるので気を使って外に出て、気分を変えるということも綾乃を起こしそうでなかなか決行に移せそうもない。いろんな意味でヘタレだった。


 身体は疲れているはずなのに、神経が研ぎ澄まされて針のように尖っている。


 幸か不幸か――。


 英二と綾乃を救ったのは、童貞のささくれ立った不眠状態にあったといえた。


 ガサゴソと、なにやらテントの外でモノがこすれるような音が聞こえてきた。


 はじめは気のせいかなと思っていた英二であったが、なんとなく嫌な予感がする。


 半ば、頭がぼうっとした状態で入り口から顔を出した途端、袖口を強く掴まれた。


「わっ!」

「英二さん?」


 あれ、と思ったときは遅かった。


 ぐるりんと天地が逆さまになって、ものすごい勢いで喉首を掴まれた。生臭い、獣のような息が顔面を強く嬲った。たまらず、頭を上げようとしたところ襟首を掴まれ、幾度も幾度も地面に頭を叩きつけられ、目の前に星が散らばった。


「が、は……!」


 なんとか目を開けて自分に伸しかかったものを確かめる。


 そこには青黒いツルツルの禿頭と、ひねこびた一本角を生やしたゴブリンが在った。


(まさか……こんなところでかよっ)


 英二が自分の無警戒さに舌打ちをする間もなく、ゴブリンは左腰から鈍く光るナイフを抜いたのが、天井のヒカリゴケの淡い輝きからでも見えた。


 こいつは俺を始末したのち、獲物である綾乃をジックリといたぶるつもりだ。


 すでに幾人もの女子生徒がこのわけのわからぬ迷宮の魔物の毒牙にかかっている。


 気配からすると、珍しいことにゴブリンは単体だった。


 英二は脳裏に綾乃が怪物に押し倒され凌辱されているシーンを思い浮かべ、カッと全身に火がついた。


 反射的に額を思いきりゴブリンの顔面中央へと叩きつけた。


 ごりっとした音と、ゴブリンの鼻の軟骨が潰れたのが分かった。


 一瞬でひるんだゴブリンを体格のまさる英二がブリッジで吹き飛ばすと、今度は馬乗りになって敵がナイフを持つ右手首を掴み込んだ。


 手加減なしで敵の右手を地面に打ちつけナイフを手放させると、左肘を鋭角に折り曲げてエルボーを顔面に叩き落した。


「このっこのっ、このおっ!」


 トドメの一撃で意識を手放したのか、ゴブリンの股座から生あたたかいものが流れるのを感じた。失禁したのだ。


 薄笑いを口元に浮かべるやいなや、背後から吹きつけるような殺気を感じ振り返った。


「しま――っ?」


 敵はもう一体いたのだ。


 今しがた倒した個体とは別に、やや体格のいいゴブリンがこん棒を振り上げ飛びかかってくる。


「伏せてっ」


 綾乃の声。考える間もなく頭を下げた。

 彼女が肩を伸ばしきって投球を終えたのがわかった。


 放物線を描いてランプが投げつけられ、英二を襲おうとしていたゴブリンの顔面に油が飛び散った。


 あっという間に火が燃え広がる。これにはたまらないのか、ゴブリンがこん棒を投げ捨て火を消そうと、あちこちを悶えて転がる。


「ざっけんなっ!」


 英二は腰のベルトに巻いていた短剣を引き抜くと、顔を抱えて地面を悶えるゴブリンに駆け寄ってうなじのあたりへと思いきり切っ先を埋没させた。


 ずくり、と肉を穿つ嫌な手ごたえで奥歯が軋む。何度も経験したことだが、人型に近い生物の命を絶つ感触はどれほど経験を経ても慣れなかった。


 学生にしては見事な腕前だった。ほとんど一撃で絶命させている。


 英二はふっと息を吐き出すと、四十センチほどの短剣を素早く鞘に納めた。


「な、ナイスだ。綾小路……助かったよ」


 荒く息をついていると、綾乃は一瞬心配げな顔で駆け寄ってきたが、英二が傷ひとつないとわかると、手を口元にあて得意そうに勝利の笑いを木霊させた。


「と、いいましても警戒は怠らないことに越したことはありません。英二さん。今夜だけは私と同じ安全な奥側で眠ることを許して差し上げますわ」


「あ、あー、はいはい」

「も、もうちょっとだけくっついてもよろしくってよ」


 どうやら綾乃も今の襲撃にはショックを受けたようだった。英二は、テントの近くに糸と鈴を使った簡易的な侵入警報装置を作ると、綾乃と背中をぴったりくっつけながら眠った。


「人間は、六時間以上寝ないと、死亡確率が上がるらしいぞ」

「眠いですわー」


 たっぷり七時間は惰眠を貪ると英二たちはテントを撤収して、再び歩きはじめた。


「あのお、英二さん。今日の朝食のメニューを私まだ聞いておりませんわ」


「今日の朝飯は……ナシだ。とっととここを離れるぞ」

「むう」


 綾乃がふっくらおたふく顔を作るが、そんなことには構ってはいられない。


 ゴブリンの襲撃があったということは、英二たちがいる地点は知られているはずである。


 昨晩倒した青黒い怪物は、一体一体の力は脅威ではないが、集まれば少々厄介に過ぎる。


 現に、今のパーティーメンバーは英二と綾乃のふたりきりで往時の隆盛は見る影もない。


「ね。話は変わりますけど、あなたってば結構やりますわね」


 綾乃はちょっとウキウキした様子で、剣を構える動作をしながら「えい、とお」と叫んでいる。いうまでもなく、昨晩ゴブリンを仕留めた英二の剣さばきをいっているのだろう。


「実家で爺さんが剣術道場をやっててな。いささか冨田流小太刀を使う」

「とだ……りゅう?」


 冨田流とは越前の富田勢源が創始した中条流の流れを汲む剣術の流派である。


 綾乃は自らの知識の無さを誤魔化すように、ひとしきり笑ったあと「知ってますわよ!」的な風情でふんふんとうなずいていた。


「んー。人は見かけによらないものですね。あなたのような根暗そうな方が……こほん」

「わざっとらしいんだよ、ったく」


「で、英二さん。昨日から少しお聞きしたかったんですが」

「なんだよ」


「私たちはいったいどこに向かおうとしているんでしょうか?」

「呆れたな……なんも考えないでついてきたのかよ」


「んむっ。馬鹿にしないでいただきたいですわっ。だいたい英二さんが黙っているのが悪いのでしょう!」


「おまえ、思ったよりずっと無警戒なんだな。そんなんでホイホイ男についてくと、あとでエライ目に合うからな。今まで無事だったのは運がよかっただけなんだぞ」


「ふん。おあいにくさまですわね。私、こう見えても人を見る目だけはあるつもりでございましてよ」


「本当かよ」


「だって、英二さんはこうして私をちゃんとエスコートしてくださっていますわ!」


 綾乃はそういうとニッコリと微笑んだ。

 それはかつてクラスでよく見かけていた傲慢な笑みではなく、なんの含みもない純粋なものに思えた。


 英二はもしものときにはエサとして使おうとしていた自分をちょっとばかり恥じた。


「で、どちらにまいりますの?」


 重ねて綾乃がくりくりした瞳で聞いてくる。どうやら彼女は自ら先を考えることを放棄しているらしい。行き先も命も他人任せならある意味しあわせだろう。


 英二は、なにがあろうと生きてこの地下から脱出するという固い信念を抱いている。そのためなら、どんな卑怯なことだって手を染める。


「あのな、綾小路。俺たちがキャンプ地から通った道は崩落でふさがれてしまった。思い出してくれ。拠点の大空洞からは四方八方にトンネルが伸びていただろう? 元来た道が戻れないならとにかく前に進んで、横に抜ける道がないのか探してるんだよ。運よく、隣のトンネルに抜ける道があって、運よく強力なモンスターに出会わず、運よくそのトンネルがキャンプ地まで繋がっていれば、俺たちには生還の目があるかも知れない……!」


「だったら平気ですわ! 私、こう見えてもとっても運がよいのですから」


 綾乃が平均よりやや薄めの胸を張って両手を腰に当て仁王立ちになる。


「ああ、あともうひとつ重要なファクターがあった」

「なんですの」

「キャンプ地に戻るまで水と食料がもつかどうか、ってことだよ」



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