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03「話が合うと仲よくなることもある」


 孤立無援。


 最初に英二の脳裏に浮かんだのは、日常生活であまり用いることがなかった残酷極まりない熟語だった。


 そう、クラスメイトたちは英二たちを見捨てたわけではない。

 来たくても、道をふさがれ来れなかったのだ――。


「と、まあ、お気楽なやつならそう考えることだろうけど」


 実際はどうなのだろうか。

 可能性としては、綾乃と袂を分かって距離を置くため移動している最中、残りが全員この落盤事故で全滅した可能性は低くない。


 そうなれば進退はまさに極まったといっていい。


 キャンプ地に戻れないのだ。あそこには、偶然にも飲料に適した湧き水もあれば、死滅した冒険者から回収した野営道具のほとんど、それに大多数の食料も保存してある。


 そして、もちろん自衛のための武器や一切合切なども。


 みるみるうちに脳裏が絶望に染まっていったのか綾乃が蒼白な顔色で食ってかかってきた。


「どう、してくれるんですのっ」

「いや、俺はなんもかんけーねーだろ。自然現象だよな、これ」

「帰れませんのっ、これじゃ戻れませんのっ」


 綾乃は頭を左右にぶんぶん打ち振るって不満の意を表するが英二にしてやれることはなかった。


「それどころか、こいつにみんなが巻き込まれたって可能性もある」


 道をふさいでいる崩落の規模はかなりのものだ。たとえ〈スキル〉持ちの人間がいたとしても、咄嗟のことで間に合わなかった公算が強い。


「逆に考えれば取り残されたのはラッキーだったといえなくもない」

「なんで、そういうブラックなことばかり! このネガティブ人間さんっ」


「それって罵りの言葉なのっ?」

「ああっ、もおおっ。こういうときに沢村や二階堂がおりましたなら、心強いですのにっ」


(残念だったな。やつらにはツキがなくて俺にはあった。ただそれだけのことだ)


 口に出してしまえば角が立つので黙っているが、英二は重機でも使わぬ限り動かせそうにない岩石の山を見て己の悪運に、このときばかりは感謝した。


 綾乃が何気なく言葉に出した名は、先ほどの暗渠に滑落して死んでいった、いわゆるクラスカースト最上位に位置する男子のことだ。


 沢村も二階堂も確かに強烈な攻撃スキル〈剣山〉や〈切断〉というものを持っていたが、それゆえ好む好まざるを別に前線の矢面に立ち散っていった。


 綾乃は自分で出した名の人物がこの世にいないことを再認識すると、困ったような瞳で英二を見つめてきた。


 弱い。

 男はこういった目に弱いのだ。


(勘弁してくれよ。俺にはあのふたりの代わりなんて到底できっこねーぞ)


 英二には小賢しくルールの裏をかくような搦め手の作戦を考えるのは得意だが、衆を導いて明確な決断をするようなことは性格的にできなかった。


「え、え」

「え?」


「英二さん。そう、あなたはこれからこの私、綾小路綾乃を無事地上まで導くという栄誉ある任務に就くことを許して差し上げますわ。おーっほっほっほ! 光栄に思ってくださいまし、あの? ちょっと。どこへゆくのですか? 私のお話はまだ終わっておりませんわ」


 今泣きそうになったかと思えば、もう馬鹿笑いをしている。

 真面目に悩んでいた自分が阿呆みたいに思えてきた。


「ばーからしくてつき合ってらんね。じゃな、綾小路。達者で暮らせよ」


「ま、待って。お待ちになって! レディをこんな暗くて冷たい場所に置いていくなど騎士道に反する行為ではなくって?」


「でーじょぶ、でーじょぶ。俺ってば由緒ある鎌倉御家人の血を引いてるからそういったバタ臭いものとは無関係なんだ」


「まー、待ちなさいっ。このっ。モブの分際で私を無視するなんて許されませんことよ」


 後方でなにかがギャーギャーいっているが、この際それは無視することにする。


 元来た隧道は崩落で通れなくなってしまったが、キャンプ地からは無数の隧道が伸びていたことを思えば、先に進めば必ず横に抜ける道がある……と英二は推測した。


 もちろん地図などないし、万が一その横道に入って元の隧道と隣接するルートに入れたとしても、それが必ずキャンプ地まで繋がっているとは限らない。


 むしろ、その可能性は低いだろう。


 だが、このなにもない場所でジッとしているのは愚の骨頂だし、そもそもザックにある水分では三日と持たないだろう。


 最低でも水場を見つけなければ英二の身体は長持ちしない。


 酷く透徹した考えだが、頭のなかはいつもよりはるかにクリアな状態だった。


「お待ちなさいっ。このっ!」

「わ。びっくりしたっ」


 考えごとに耽っていると、目の前に赤い瞳の綾乃が立ちふさがった。


「私を置いてきぼりにしようなんて、百年早いですわ。まったく、こうなったら勝手についていきますから、救出の折には褒美は出ないものと心得てよ」


 綾乃は華麗にステップを踏みながら、「しゅっしゅっ」と口から鋭い呼気を吐き出しつつシャドウボクシングを行っている。どう見ても簡単に振り切れそうにはない。


「もう、勝手にしてくれよ……」


 足元もよく見えぬ洞窟をなんの手がかりもなく進んでいくというのは、結構に度胸のいるものだ。


 なにせ、この先に必ずゴールがあるとは決まっていない。


 幾日も幾日も、それこそ水と食料が尽きるほど歩いても得るものはなにひとつない可能性だってある。


 英二も取り立てて確証があって進んでいるわけではない。


 ただ、一個の生物としてこの場に留まることは「死」と同義であると悟っているだけだ。


 本能に突き動かされるように、目に見えぬ恐怖を振り払うかのように足を動かす。


「本当に足元が悪いですわね。気分がすぐれませんわ」


 綾乃は美人であるが、どうにもこの世界に順応できていないらしい。


 先ほどからブツブツと不平不満をひたすら口にし、英二が応じないと見るとそれが悔しいのかぷりぷりと腹を立てている始末だった。


 通常時であるならば、このような美人に構われることはまずないだろうが、危機においてはあまりスポーツ万能ではない彼女は足手まといに過ぎなかった。


「ちょっと! お待ちなさい。英二さん。あなた歩くのが早すぎではなくて? もっとレディである私に気を使わなければ一流の紳士とはいえませんわ」


 綾乃がたたっと目の前に回り込んできた。

 どうでもいいが、いちいち人の進行方向を遮らないで欲しいと英二は思った。


 彼女は咎めるように、長い指を鼻先に突きつけてくる。


 英二は反射的によく磨かれた爪の先からついと顔をのけると厭味ったらしく唇を尖らす。


「俺は、こんなくっそ重い荷物背負ってるんで、いつもよりずっと亀の歩みなんですが」


「ふうん。あなた、亀さんがお好きなんですの? 私は家ではわんこを飼っておりましたの。シェルティーの雄でブラッドという名ですわ。三歳になりまして、とってもかわいらしいのですよ」


「は、はあ……?」


 放っておくと綾乃は自分で飼っている犬ころの話を上機嫌で延々と話し出した。どう考えても、このような情況に陥っている人間の話すことではない。


(にしても、コロッコロ機嫌の変わるやつだなぁ)


 どうやら綾乃は大の動物好きであり、ペットのブラッドについて話しているときは、なんというかとてもやわらかな表情で本当に品のいいお嬢さまそのものであった。


「英二さんは犬派ですの? それとも猫派?」


 クリッとした目で小首をかしげてくる姿がチャーミングだ。下手な女がやったらグーパンから顔面膝蹴り繋げてバックドロップもので一発KOものの仕草であるが、美少女がやるとなんでもさまになってしまう。世界は不公平だと再認識させられた。


「いや、実家で犬飼ってるから、たぶん犬派だと思うんだけど」

「まあっ。種類はどのような子なのですか?」


 先ほどまで機嫌が悪かったと思いきや、手のひらをぱたんと顔の前で重ね合わせると、瞳を覗き込むようにしてくる。


 たぶん、無意識なのだろうが美少女に接近されて英二も気分が悪いはずもない。


 突き放したりすることもできず、気乗りしない口調で答えた。


「シェパードだったと思う。ミックスだから正確にはわからんけど。名前はタロウマルだ」


「まぁ、シェパードですか。雄々しくて美しい犬種ですわ。英二さんは趣味がよろしいのね」


 綾乃は再度顔を接近させニッコリと微笑んだ。

 英二は端正な容姿を間近で見たことで、長いまつ毛や澄んだ瞳に魅入られたように頬がやや赤らんだ。


「まあ、別に犬好きには犬好きに違いないけどよ」


 そうして話していると、案外にふたりは話が合った。

 共通点があると人は相手と馴染みやすいものだ。


 はじめこそは、ワガママお嬢さまと見ていた英二であったが、綾乃は口調はともかく、ごく普通の女子高生であるとわかると色眼鏡で見ていた自分が少し恥ずかしくなった。


(ま、まあ、別に悪いやつじゃないよな。び、美人だし)


 それから四時間ほど歩いただろうか。ふたりともさすがに疲れて口数が少なくなる。


 英二がそろそろ野営の場所をどこにしようかと考えていると「くーきゅるう」とかわいらしい腹の虫の音が聞こえてきた。


「おなか、すきましたですの」


 見れば綾乃は下を向いて恥じ入っている。こういった場合は聞こえなかったふりをすればいいのだろうが、返って白々しいと思い普通の口調でいった。


「テントを張るから手伝ってくれ。それから飯の支度にしよう」

「はい、ですの」


 力尽きた冒険者たちから接収した道具のなかにはもちろん野営用のテントもあった。


 装備一式を任されていた英二の荷物には当然ながらそれも積んである。


 どこの世界でもテントの張り方にあまり違いはない。

 骨組みを立てて、シートを上からかぶせればあっという間にできあがり。

 違いは重いか軽いかくらいである。


「じーっ」

「いや、おまえも手伝うんだよ」

「え! あれはジョークではなかったんですの?」

「違うよ」


 突っ立ったまま作業を見守る綾乃にツッコミを入れると、彼女はこのような雑多な作業はすべて英二が行うものだと認識していたようだ。


(俺がおまえの従者ではないということを骨の髄まで教え込まにゃならないな)


 英二がテントの建て方をざっと説明すると、頭の回転は速いのか女子にしては珍しく一瞬で構造を把握しものの三分もかけずに張ってしまった。


「驚いたな……女の子はこういう作業手こずるもんなんだが。綾小路は呑み込みがいい上に手先ももの凄く器用なんだな。マジでびっくりしたよ」


「え? ほほほ、おーっほっほっほっ。まあ、私くらいになるとこのような雑用も赤子の手をひねるようなものですわ。ま、当然の結果ですわね」


(なんだ、コイツ。マジでおだてに乗りやすいやつ。活用しよ)


「いやぁ、手間取るようだったら俺が手伝おうかなとか思ったんだけど、そんな暇もなかったわ。まったく綾小路さまさまだな。これからは不器用な俺は補助に回るよ」


「まぁまぁまぁ! 手先の鈍い英二さんは仕方がありませんわね。これからは、困ったことがあったらなんでも、私にお任せなさいな。大船に乗ったつもりで、どーんと」


「凄いな、助かるよ、さすが綾小路だ。これからは、テント張り係よろしくな」

「お任せなさいな、ほほほっ」


 綾乃は口元に手を当てながら、そっくり返ってひたすら恍惚の表情を浮かべ続けていた。


 とりあえずテント係を委任した英二は一息ついてから食事の調理に取りかかる。


 とはいってもお嬢さまを連れて優雅なキャンプに来ているわけではない。手元の食材や水は限られており、メニューは質素なものにならざるを得なかった。


 鉄のフライパンに脂の塊を薄く引き、そこに輪切りにした玉ねぎと乾燥ニンジン、唯一潤沢にあるハムを刻んで強火でじゅじゅっと炒める。


「おいしそうな香りですね」


 はらぺこりんなお嬢さまが目をキラキラさせて英二が握るフライパンを見つめている。


 ほどよく焼けたところで、塩を振って主菜はできあがり。あとはつけ合わせに、じゃがいもをゆでたものでメニューは完成した。


 皿に乗せて突き出すと綾乃は飛びつかんばかりに、ぐぐっと身を乗り出したが英二の目を気にしてか、フンと鼻を鳴らすと突然興味なさげな態度で横を向いた。


「ま、このような粗末な食事、私の口には合うはずもないでしょうが、しもべである英二さんがせっかく用意してくれたのですから、今回だけは特別に箸をつけてあげてもよろしくてよ」


 自分も含めて2Aのメンバーは男子全滅イベントが起きる時点で、丸一日は水以外口にしていないはずだ。


 綾乃はどう見てもほっそりとした体形で、食いしん坊キャラではありえないが、食べ盛りの空腹には耐えられないはずである。


 そこまでして、お嬢キャラは取り繕わねばならないものなのかと、半ば感心しながらも、ちょっとだけ意地悪な気持ちが持ち上がった。


「そうだよな。俺が作った粗末なモンが綾小路の口に合うはずもないよな。てなわけで、これらは責任を持って処理するよ。んでは、いっただきまーす。はふっはふっ、なにこれ? めっちゃうめ! 自分で作っておきながら、マジでうめーわ! ごめん、綾小路。俺ってば馬鹿舌でごめんっ。うめーっすよう、これ」


「あ、あああ」


 綾小路を煽るため半ば演技で飯を食い出したのだが、一日中重い荷物を担いで行動した英二の若い肉体は、久方ぶりに得られたタンパク質と糖質の雨に打ち震えた。


(程度の悪い肉ながら噛めば噛むほどに染み出す旨みに、この炙った玉ねぎとニンジンのハーモーニーに、じゃがいものホクホク感がまた……!)


 綾乃は腕を組んだまま顔を背けているが、呼吸がわずかに荒くなっていた。


 人間は空腹であっても食物を見なければ案外耐えられるのだが、本能に語りかけてくる脂の焼ける匂いと、それを頬張る仕草には耐えられない。


 ――ていうか、すげぇ我慢してるし。しょうがねーなぁ。苛めんのはこのくらいにしておくか。


「と思ったけど、さすがにこの量は食い切れないので、ちょっと手伝ってもらえませんかね。綾乃さん」


「ん、んんん。ま、まあ英二さんがそういうのであれば、この豚のエサを口にしてもよろしくてよ。ま、まったく私としたことが、自分でもこのボランティア精神の深さに驚きしきりですわね」


「綾小路、よだれ、垂れてる」


 英二が料理を手渡す直前、綾乃の口元から垂れるものを指摘すると、彼女は慌ててうしろを向いてハンカチを取り出すと、小さな呟きを漏らした。


「英二さんの……いじわる」



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