12「契約のとき」
英二たちはとりあえずは鍋を囲んでの情報交換に移った。
今回は固めの宴ということで、量だけは奢っている。
特に英二たちはキャンプ地に戻るまで、水も食料も節約していたので、気にせず塩を使えることはうれしかった。
ざくざくと切った玉ねぎに肉の旨みが染み込んでいる。
それこそ、日本にいたときからすれば料理といえないものだろうが、あたたかいものを胃に収められるだけで精神的にも充足を感じることができるのだ。
「で、影村に綾小路。おまえたちに、なにかこの先の考えはあるのか?」
「む、むぐっ。な、なーにをいってらっしゃいますの! ないわけないじゃありませんか」
「――――」
「まあ、そういう目で見てやるなよ清閑寺。考えならあるよ。でもその前に、おまえたちの方針も聞いておきたいんだが、いいか?」
「ふん。上手く逃げたな。まあいい。どうせ綾小路が細かい先行きまで考えているとは思っていなかったしな」
「な、なーんですっ――むぎゅ」
「綾小路。いい子だから、静かに。な。さ、清閑寺。そろそろ話してもらおうか。もっとも、西園寺がチラチラ背後のトンネルを気にしているところから見ると、敵は相当なやつか」
「英二。気づいてたのね」
「な! 雅、おまえたちいつからそのような関係にっ。影村、どうやって雅をいいくるめたのだ。こいつは綾小路と違って頭は軽くない。ネタはなんだ。どんな弱みを握った」
「あのな清閑寺。おまえ、俺をいったいなんだと思ってるんだよ」
「性犯罪者。違うか?」
「ちーがーいーますわよっ。英二さんのことをなにひとつ知らないくせに、そのいいようはあまりに無礼過ぎてっ。これは、私がどうこうというよりあなたのモラルの問題ですわよ」
「さーちゃん。今のはいくらなんでも、えーちゃんに対して失礼やわぁ。謝って」
「く――しかしだなッ。雪絵も影村と綾小路がクラスで親しくしていた場面などただの一度も見たことなかっただろうっ。それはバス事故が起きたあとでもそうだ。いきなり、この数日間で――こんな、名前で呼ぶようになるなどとは、ふふふ、不純異性交遊しか、ななな、ないに決まっている」
「うわぁ、清閑寺、それはないわぁ」
「清閑寺さん。あなた、頭のほうが――」
「さーちゃんのえっちぃ」
「清香、英二に謝って」
「わわわ、私が間違っているのか? じゃ、じゃあ清香はなんでこの男を名前で呼んでいるのだっ! 意味がわからないぞっ」
「あたしはあなたのことも名前で呼んでいるじゃない。おかしな子ね」
「私とおまえは、同じ女子で友だちだろうっ」
「じゃあ英二とも同じクラスで友だち。それでいいじゃない。前から思っていたのだけど、あなたはあたしや雪絵以外、それと綾小路さん以外に壁を作り過ぎているわ。ここには、もう、この五人しかいないのよ。綾小路――いいえ、綾乃と呼ばせてもらうわね。今ならわかる。あたしは、あの作戦でクラスの男子を失ったことに関してなにもいえないわ。だって、命を張って地竜の前に立ったのは、ほかの誰でもないあなたですもの。清香、今はこの話は置いておきましょう。とにかく、あたしたちは力を合わせてあの地竜を倒さないと、今夜だって枕を高くして眠れなくなるはずよ」
「む、むにゅう」
「清閑寺。おまえたちの懸念ってのは、その地竜のことなんだな?」
「そうだ。この地下迷宮を脱出するかどうか以前に、このキャンプ地自体、防備が危うくなっている。あの、我らの宿敵ともいうべき地竜のせいでな」
「あんな、あんな、えーちゃん。キャンプ地の結界みたいなもん。ほらほら、黙っててもここには敵きぃへんかったやんか。それが、あの地竜のせいでな」
「英二。あの地竜が無理やりキャンプ地に入る穴をこじ開けようとしたせいで、ここも不安定になりかけているの」
「そういえば。ここが襲われなかったのも、不思議な膜――みたいなもののおかげでしたわね」
「そうだ。ここには、俺たちが転移してからずっと理由はわからないが、固い防護壁みたいなもんがあった。表現方法はどうでもいいが、その結界のおかげでゴブリンたちもここまで侵入してくることはできず、探索を終えたあとはゆっくり休むことができたんだが」
「そうだ。クラス男子全員を葬った――ああ影村は生きているから正確には違うが、あの地竜が昨日から、やたらに隧道の入り口で叫び回ってな。おちおち寝てもいられない。それで、今朝方、今朝といえばいいのか、わからないがとにかく起床後三人でなんとか奇襲をかけられないかと思っていたが、油断したところをゴブリンたちに襲われてな。影村たちが雪絵を救えたのも、天運があったと思っている。その、だな……さっきはおざなりになってすまなかった。影村、綾小路。本当にありがとう。助かったよ」
「えーちゃんも、あーちゃんもありがとうございますー。この御恩は一生忘れへんよ」
「あたしからも礼をいうわ。英二、綾乃。雪絵を助けてくれてありがとう」
「は――ただ、たまたまだよ。雪絵にツキがあっただけだ」
「ふっ。影村。ここで謙遜をするか。どうやら先ほどは私の眼鏡違いのようだったな」
「おーっほっほっほ! 私と英二さんにかかれば、あーんなゴブリン程度の雑魚などお茶の子さいさいでございますわ!」
「……影村。こいつとふたりっきりで、よく我慢できたな」
「あーちゃんは明るくて気持ちのえぇ子やなぁ」
「お茶の子さいさいなんて言葉、普通の人生であまり聞くことのないセリフね」
「まあ、そのへんは流して流して」
「英二。ところで、あの五十匹もいたゴブリンをどうやって倒したの?」
「雅のいうとおり、私もそれが気になっていたんだが」
「ころりーんの、ずばばーんでっ。凄かったんやよ」
「ああ、あれな……」
「モチのロン。すべてはこの綾小路綾乃のスペシャルなスキルと英二さんの知力ほとばしる計略の前に敵などおりませんことよ!」
「影村、具体的に頼む」
「そんなに聞きたいかぁ。まぁにわかに信じがたいだろうが、綾小路のスキルでほとんどゴブリンを殲滅したことに間違いはないよ」
「嘘だろうっ」
「清閑寺さん? いきなり人の存在そのものを嘘呼ばわりとはいい度胸してらっしゃいますわね」
「ねえ、英二。綾乃のスキルは確か、このくらいの盾を作るやつでしょう?」
「あ、そやな。あーちゃん、ちみっこい盾で攻撃を防ぐやつやったやん」
「私の攻撃力を向上させる勇気の紋章とは違って綾小路のスキルは、シールドだったはず。なぜそれで、あれほどの数のゴブリンを倒せたのだ?」
「ふっふん。それはですわね。すべては英二さんのスペシャルなスキルと私の技が合わさ――もごっ」
「ば、馬鹿っ。黙ってろ――!」
「なあ、影村。今、綾小路はなにをいおうとしたんだ。そういえば、おまえは無能力者を宣言していたはず。なにか、まだ隠しごとがあるのか」
「いや、は、ははは」
「えーちゃん、あんな、あんな。うちら仲間やんか。隠しごとは、うちさみしいで」
「英二。綾乃のスキルは剣の威力を向上させる勇気の紋章。そして、雪絵のスキルは怪我や毒を治す癒しの青。そしてあたしのスキルは幻覚を作り出す大いなる幻影よ。アタックスキルは清香だけ。もし、あなたあのスキルが攻撃に関することなら、黙っていたことを咎めはしないわ。あたしたちに教えて欲しいの」
「はっ!」
「あのな綾小路。もうちょっと気づくのを早くして欲しかったんだが。もっとも、いつまでも隠し通せるとは思えない。時間の問題だったけどな」
「で、影村。おまえのスキルは? できれば実演してくれたほうが早いと思うぞ」
「まー清閑寺のいうとおりだ。綾小路。見せてやってくれ」
「ふふん。任せておいてください。この方たちの度肝を引っこ抜いてあげますわぁ」
「引っこ抜かんでいいぞ。死んじゃうからな」
「ふふふーん。では、参りますわよぉ。とああっ」
綾乃は調子に乗って盾を作り出した。嗚呼、綾乃。
「わっ、出た! デカっ。めっちゃでかいやんか!」
「んなっ。いきなりここでやるのか……これはっ」
「凄く、大きいわね」
「ふん、ふふーん。今では余裕で三メートルは保持できますわ。これの反射力、鬼ですわよ」
「確かに、これなら数十匹のゴブリンだろうと容易に倒せるかもな」
「ええやんかー。凄いなぁ、あーちゃん。頑張ってこの短期間で練習したんやろなぁ」
「待って。たった三日程度で、元々六十センチくらいのシールドがここまで向上するのはおかしいのでは?」
「というと、影村のスキルは補助なのか」
「ああ、俺のスキルは――契約を結んだ相手の力を向上させるものなんだ」
「ええっ。凄いやんかっ。ほんなら、ここにおるうちら全員えーちゃんと契約すれば、ドカンとパワーアップできるやん」
「そんなこと許せるはずないでしょうっ!」
「わ、なんや! あーちゃん、驚かせんといて」
「なにを、そんなにムキになっているのかしら」
「いきなりどうしたんだ綾小路」
「は! 私としたことが……とにかく英二さんと契約することは絶対に許しませんの!」
「あーちゃん、ケチやなぁ。えーちゃんのスキルでパワーアップ、うちもしたいねん」
「私も自分のスキルが向上するなら、この際だ。なんでもやるぞ」
「綾乃。彼と契約することによってスキルが向上するのであれば、万難を排して行わなければならないわ」
「あ、えーと。その、だなぁ。なんていったらいいんだろうか……」
「とにかくっ。これ以上英二さんの奴隷が増えるなんて私としては承服しかねますわ!」
綾乃の言葉――。
清香、雪絵、雅の三人は地面にプレスされた猫の死骸を見るような視線を向けて来た。
奴隷の首輪。陰村英二が誇る補助系〈スキル〉のひとつである。
発動条件は主に対するサーヴァント側の宣言とキスだ。
戦闘状態において主の命令を絶対的に受け入れる代わり、契約した奴隷のスキルはその属性を問わず飛躍的に向上させることができるすぐれたものだ。契約者は首筋に能力で具現化された首輪が現れ、主に対する信頼度によって、白から青、青から赤、赤から黒への四段階に変化し、それに応じて能力はさらに段階を飛び越え飛躍的なパワーアップを遂げることができる。
「で、影村。結局おまえはスキルの力で綾小路をいいように扱ってきたわけだな」
「えーちゃん、うち見損なったわ……てか、怖いわぁ」
「呆れた。あなた女の敵じゃない」
「痛い痛い痛い。みんな勘違いしてるようだが、俺はそんな不埒な考えはまったくないぞ」
「そうですの、そうですの。なぜ、そうやってあなたたちは一方的に決めつけるんですの?」
英二はカマドの前で正座させられたまま、木の枝でぐりぐりと頭を突かれていた。
あのあと、能力を説明し出した英二を三人がよってたかって取り押さえたのだ。
手はうしろに回され荒縄で縛られている。
ちょど目の前にいる雅の冷たい瞳を見ていると、なぜか英二はいけないことをしている気分になり、謎の多幸感に包まれつつある自分に動揺していた。
唯一、綾乃だけが抱きしめるようにして英二をかばっているが、みなは白けた目のままだ。
無理もない。多感な時期の上、彼女たちはなんといってもお嬢さまだった。
その筆頭が綾小路綾乃である。
彼女はクラスカーストの頂点でありながら浮いた話ひとつなかった。
傲慢でちょっと抜けたところもあるが、それを除けば容姿、家柄、成績など完璧に近い。
現に、学園では彼女は毎日のように告白されていながら、誰ひとり鼻すら引っかけなかった。
そんな少女が典型的なぼっちであり、特になにかがすぐれているわけでもない、カースト最底辺の男に、ただの数日でなびくなど、これはもう〈スキル〉を悪用していなければ説明がつかないことなのだ。
「失望したぞ影村。すっごく、すっごくだ。今やおまえはどうでもいい存在だぞ」
「じゃあ、手枷くらい解いてくれませんかねぇ」
「ダメよ。下手に開放してあなたの肉奴隷にされたらたまらないもの」
「あのなぁ西園寺。俺の能力は相手の同意がないと不可能なんだよ……」
「えーちゃん。やっぱ、うちのことも最初から肉奴隷にするつもりやったんかぁ」
「だから、なんで言葉の枕に肉がつくんだよ。ただの奴隷だってば! 便宜上の!」
「つまりあなたと綾乃はそういった肉欲に塗れた関係なのね」
「違うって……おまえも顔を赤らめるなぁッ」
「だって、そうあからさまにいわれると、恥ずかしいですわ」
「恥ずかしいのはおまえの頭の中身だあああっ」
英二が怒り狂って頭をぶんぶん左右に振りたくると、雅がふぅと目を伏せて背後に回り込んだ。それに雪絵も続く。
「と、まぁ英二をからかうのもこのくらいにしておきましょう」
「そうやね。第一、うちらを奴隷にするつもりだったら、たぶんうちを助けに来てくれたとき、交換条件としていいそうなもんやしなぁ」
「まったく、あなたたち。悪ふざけが過ぎましてよ。英二さんが青くなって、かわいそうに」
「あはは。咄嗟に合わせてくれたあーちゃんも、さすがやなぁ」
「な、なんだよ。冗談だったのか」
「え――じょ、冗談、なの?」
清香はポニーテールをぴこぴこ振って雅にジロリと睨まれると、慌てて咳払いをした。
「とりあえず、英二のスキルのことだけど、あたしたち全員契約を結んだほうがいいと思うの」
「まあ、仕方がありませんわね」
「わー。うち、はつキッスやわぁ。照れるわぁ」
「反対反対、絶対はんたいっ」
雅、正妻を気取る綾乃、雪絵の三名は賛成したが、清香は目をうず巻き状にぐーるぐるさせ、頬を真っ赤に火照らせ猛烈な抵抗を見せた。
「あのね、清香。綾乃のスキルを見たでしょう。奴隷うんぬんはともかく、彼の能力は本物よ。地竜の力は今まであたしたちが倒してきた小者とはケタが違う。ちゅうのひとつくらいで、落とさなくてもいい命まで落としてしまうかもしれないのよ……?」
「だ、だってだな! 雅っ。き、ききき、キスだぞっ! 接吻だ。わ、私は将来伴侶となる旦那さまにしか許さないと決めていたのにっ。でもでも」
「ぷっ」
「なーにがおかしいんだっ。綾小路ィ!」
「いえいえ別に。お続けになって、清閑寺さん」
「だいたいおまえは、そのっ。影村と、き、きき、キスしたんだろうっ。破廉恥な!」
「ええ、それはもう……英二さんはとても情熱的でしたよ。私、奪われてしまいました」
「ちゅ、ちゅー。えへへ。えーちゃんと、ちゅうだ。えへへ」
「落ち着きなさい清香。あなた、英二が生理的に受けつけないのかしら?」
「そ、そういう問題ではなくてだな」
「ほら、この顔。よく見ればそれほど悪くはないでしょう? 若干目つきはよろしくないかもだけど」
「おいおい、よせって。西園寺、顔、近い。近いってば」
「見ようによってはかわいいわよ。変な病気も持って……ないわよね?」
「ねーよっ。なんだその疑問符はっ」
「西園寺さん。そのおっしゃりようは私にも失礼でなくて」
「……わかった。雅、とにかく私にも時間をくれ。これは、一生の問題だ」
「仕方ないわね。どれくらい?」
「まあ、半年ほど」
「三十分以内にね。時間は有限よ」
「やあああんっ」
清香は非常に往生際が悪かった。英二たちは清香が覚悟を決める間に、奴隷契約の儀式をすませるため、その場を移動した。