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01「それは苦難からはじまった」

 鳳鳴学園2Aの男子パーティー十四名は一瞬で全滅した。

 すべては、クラスカーストで頂点に立っていた綾小路綾乃のミスである。


「私の責任じゃありませんわっ! トロトロしている彼らが悪いんですのっ」


「綾小路……! おまえ、ふざけるのもいいかげんにしろよッ。みんな、みんな死んでしまったんだぞ! どの口でそんなことがいえるんだっ!」


 一点の光も差さぬどこであるかわからない迷宮の奥底。

 その不条理極まりない場所で、影村英二はクラス内におけるヒエラルキーのトップであった綾小路綾乃が風紀委員長の清閑寺清香(せいかんじさやか)に糾弾されているのを茫然と眺めていた。


 ええっと、ちょっと待ってくれ。これって相当にやばい状況なんじゃねぇの?


 二年生の秋、受験を来年に控えたこの時期に行われた高校生活最後のイベント修学旅行。


 ぼっちである英二にとって究極的に苦しく、そして逃げ出せない地獄のはじまりだった。


「くそ。神さま。世界を滅ぼしてください」


 英二の願いごとを神が聞き届けてくれたかどうかはわからないが、この青春の一ページはほんのちょっとしたことで阿鼻叫喚の地獄へと切り替わった。


 あろうことか移動中に起きたバス事故で、英二たちはクラス丸ごとわけのわからぬ、それこそ悪夢のような地の底穴の底へ放り込まれていた。


 ガードレールを突き破ってバスが転落していくのはクラスメイト一同が覚えていた最後の光景だった。


 奇跡は――望んでもない形でこのクラスにもたらされた。


 バス一台まるごとの異世界召喚。

 それが生き残った者たちに刻まれた共通認識だった。


 気づけば転落したはずのバスは、どこであるかわからない薄暗い穴倉の大空洞に横たわっていた。


 英二たちがなんとかバスから這い出すのを見計らったように、炎上はなんの躊躇いもなくはじまった。


 壊れたタンクから漏れた油が激しく発火したのだ。

 天井のわずかな苔から発せられる光のなかで燃え行くバスを見つめながら、嫌でも自分たちが過酷な状況に叩き込まれたと納得――いや、現実を突きつけられ承服するまでに至った時間は酷く短かった。


 頼れるはずの担任と運転手は「転移」の結果、歪んだ車体から逃げ切れず、炎上したバスごと塵も残らず焼却され、彼らの生き残りをかけたサバイバルの幕は切って落とされた。


 英二たちが「転移」した場所は、巨大な円形上の空洞である。そのホールからはぐるりと無数の隧道が伸びており、まるで当たりを引いてみろといわんばかりの趣だった。


 それこそゲームに出てきそうな典型的なダンジョンである。


 着の身着のまま放り出された学生たちは、誰となく適当な隧道を進んだ。


 運がいいのか悪いのか。

 そこには、ゲームなどで馴染み深い「冒険者」としかいいようのない奇妙な格好をした男たちが遺体となって転がっていた。


 近頃は核家族化が進み祖父母など肉親の死を間近で見る経験もあまりなくなった若者たちは、唐突に突きつけられた他者の「死」に激しくうろたえ、狂乱状態に陥った。


 が、人間は強いショックを立て続けに受けると慣れるものだ。


 もっとも近しい大人である担任の死を目の当たりにしていた彼らは耐性がついていた。


 すぐさま現実を直視した。

 生存本能に従って取ってくださいといわんばかりの遺品を物色にかかった。


 その結果、テントや食料、水、衛生材料、雑多な道具。

 そして武器を見つけることができた。


 謎の冒険者の遺品だけで、2Aの人員に必要な物資をすべて賄うことは不可能であったが、それらはすぐにダンジョンに巣くう怪物たちが調整してくれた。


 そう。三十一人いたクラスメイトは闇に潜む住人たちによって間引かれたのだ。


 怪物。青黒い皮膚に革の鎧を身に着けた百五十センチ程度の小鬼たち。


 いわゆるゴブリンたちは集団のなかでもっとも弱いと見られる個体である女子生徒を襲った。


 たかだか十数匹の襲撃であったが、なんの心構えもない少年少女を狩ることはゴブリンたちにとって容易かった。


 彼らは繁殖のため若い雌を必要としていたのか、若く屈強な見るからに強そうな男子生徒はさけ、五人ほどの女子を手早くさらった。


 目の前に横たわるのは非常な現実だけだった。


 無論、一個の漢として生まれかわった少年たちも指を咥えたままそれらを傍観していたわけでもない。


 根源的な終わりを見た者は、倫理や道徳といったものを自己防衛としてあっさり超越する。


 男子の幾人かは拾った武器でゴブリンたちを殺傷し、血塗られた生の道を歩むと即座に決めたのだ。


 追いつめられた生徒たちに、神か悪魔かはわからないが与えられた福音。


 奇跡の守り手。


 それが〈スキル〉だった。


 鳥が空を飛ぶように、魚が水を泳ぐように。

 彼ら、彼女らに与えられたのは〈スキル〉という謎の恩寵だった。


 神が与えたもうた奇跡か。生徒たちは突如として閃いた〈スキル〉を駆使することによって、なんら戦う力を持たぬ弱者たちに生きる意欲を与えたのだった。


 〈スキル〉は個々によってバラバラで、それをどう使うかということは、まるで生まれたときから知っていたように、突如として頭のなかに浮かんでいた。


(そう。俺たちは、発現したこの妙な力によって、生きる可能性を示された。まるでゲームのようなこのダンジョンを協力し合って進んで、なんとかこのクソッタレな地下から這い出そうとしていたってのに……! それを綾小路のやつは)


 ダンジョン攻略の要となったのは戦闘に特化した〈スキル〉に目覚めた男子生徒が主体であった。


 英二は肩に伸しかかった半端ではない重さの荷物が与えてくる痛みを感じながら、自分がこうしてただひとり生き延びたことを寿いでいた。


 英二が運よく生存サイドに立てている理由はただのひとつしかない。

 それは、彼が俗にいう「ぼっち」だったからであった。


 ぼっちは群れず、目立たず、ひっそりと影のように集団に紛れ、個性を表さない。


 彼は、自らクラスのヒエラルキーの頂点に立つ可能性が高い花形とでもいうべきアタッカーであることを放棄し、ポーターに徹して最後尾で生存率を高めていた。


「ぼっちは最高だ。特に、こんなふうな命を可視化させる戦場においては」


 英二は昏く嘯く。

 自分はただでさえクラス内では浮いていた存在。

 いや認識されていたかどうかすら怪しいが。


 とにかく、これまた卑怯ではない程度に汚れ仕事である荷物の運搬役を率先して務めていた。


 つまりは牛馬代わりを行うことによって、か弱き守るべき存在である女子の次にあたる位置で、ダンジョン内に跋扈するモンスターたちとの戦闘を巧みにさけていたのだった。


 普通に卑怯でカスのやり口である。


 もっともこの戦法が通じるのは、男子のなかには英二の力などを必要としないほど、巨力な〈スキル〉に発現したクラスカースト上位の存在が何人もいたおかげであった。


 積極的徴兵拒否。平和的軍事活動。

 だがそれらを寛容に許してくれていた勇敢な男たちはすでにいない。


 彼らのすべては、英二の眼下にぽっかりと広がっている穴に落ちて行った。


(うん。これはもう、確実に死んでるね。合掌)


 悲しみがないわけではないが、これからどうしようという思いのほうが強すぎるのだ。


 戦争では弱者がもっとも踏みにじられるというがそれは適切ではない。


 戦争で一番死傷率が高い存在は、若くて勇敢で強靭な肉体と精神を持った男子である。


 強い者が前線に出て、敵をもっとも多く撃破し銃後の女子供を守るのであるが、それは同じくして殺される可能性が同率であるという破滅を孕んでいる。


 自らをみなが貶める位置に留めることによって危険をさけて長く生きようとしていた英二の戦略は、ここに至って決定的に破綻した。


「やっば。これからどうするよ」


 英二は泡を食って周囲を見回したが、そんな心配を無視するようなヒステリックな声がキンキンと鼓膜に飛び込み、顔をついしかめてしまう。


「だからっ。私は囮の役を上手く務めましたのよっ? それを生かせない彼らが悪いのではなくてっ」


「もういい。おまえとこれ以上話をしても無駄ということがわかった」


 綾小路綾乃と清閑寺清香のふたりはクラス女子における二大巨頭であり、平時においてそれらは均衡を微妙に保っていたが、ついに目の前で崩れた。


 綾小路綾乃はその名で分かる通り英二などが寄ることもできないほど、ビッグなマネーと旧華族という家柄を誇った典型的なお嬢さまであった。


 ドイツ人であった祖母の血を色濃く受け継いだとされる日本人離れしたくっきりした目鼻立ちに、品のいいブラウンの髪と縦ロール。


 その尊大さと高慢な態度からついたあだ名が「悪役令嬢」である。


 対する清閑寺清香も綾乃と負けず劣らず同格の古い家柄の上、土地の名士であり清閑寺製鋼という大会社の令嬢である。


 彼女は黒く美しい髪をポニーテールにしており、男なら目を引かずにいられないほどグラマラスな体形――いわゆる巨乳だった。


(乳のデカさで負けて、ついにはクラス内のカーストからも弾きだされたか。綾小路、南無)


「ちょっと! どこへいらっしゃるというんですの、清閑寺さん。私のお話はまだ終わっておりませんことよっ」


「ここにいるとおまえを叩きのめしたくなってしまう。少し互い距離を取ったほうがいい」


 勇ましい口調で背筋をぴんと伸ばす清閑寺清香は剣道部の主将でもあり、その技量においては男子ですら軽く凌駕しているという文武両道の剣術家でもあった。


 が、彼女は概して固い。自ら望んで風紀委員などを務めていることからもわかるように、清香は曲がったことが大嫌いな上、嘘がつけずことに当たっての柔軟性というものを欠いていた。


 それを嫌って、まだしも話のわかる綾乃に与していた女子グループも多く、勢力は五分と五分であったはずだが、男子生徒を故意ではなく己のミスでジェノサイドしてしまった罪は、まあ、結構重かった。


「お待ちになって! 江下、北川、作江っ。あなたたちまでどこへゆくのですっ!」


「すみません、綾小路さま。あたしたち、さすがにもうついていけませんわ」


「清閑寺さまのいうとおり、少しおつむをお冷やしになさったほうがいいのでは?」


「ばーか」


 作江はあかんべえをしながら、反目に回ったグループの最後尾を振り返っている。

 つーか関係ない俺もその態度はどうかと思うぞ。


「むううっ。あれほど目をかけてあげたのにっ。こんな状況で裏切るなんてっ。悔しいですわっ、悔しいですわっ!」


 英二は綾乃が地団太をはしたなくも踏むのを呆けたように眺めながら、気づいた。


 あれ、もしかして、俺の存在は完全に消去されているのではないでしょうか?


 英二は降ろしておいたザックを担ぎ直すか、それとも今すぐ圧倒的多数の清閑寺グループに合流して、唯一残った男としての価値をアピールするか迷った。


 が、とりあえずは人恋しさに負けず、そのまま駆け出した。


「ちょっ、待った。俺も戻るっ――ぐえあ」


 慌てて小さくなっていく女子たちのケツを追っかけようとした英二の襟元は、ぎゅうとばかりに引っ張られた。


「お待ちなさいっ。誰が勝手に移動していいと申しましたか? この下民っ」


「げ、下民って。なにするんだよ、綾小路っ」


 英二がむせながら必死で抗議すると、綾乃は「んんっ?」と目を細め、その端正な顔を近づけて来た。


 ダンジョンに落ちてから三日もするというのに、なぜだか甘いような香りが鼻先を漂い、英二は本能的に顔をゆるめてしまう。


(ちょっ。近いよ。ってか、なんで女の子ってこんないい匂いがするのっ?)


「あなた、失礼ですかクラスにおりました? モンスターではないようですね」

「ズコーッ!」


 英二は往年の藤子不二雄キャラのようなずっこけ芸を見せた。実に古い。


「なにをしておりますの?」

 彼女の無邪気さが痛かった。英二は渾身のギャグを披露したことを呪った。


「影村英二。一応おまえのクラスメイトだよ」

 立ち上がった英二が膝のホコリを払いながらふて腐れたようにいうと、綾乃にがっしと手を掴まれた。


「あなたは……。生き残ってくれたのですねっ!」

「え? ああ、うん、はい」


 だって微塵も戦ってねーもん、とはいえる状況ではなかった。

 ――よかった。生き残ってくれた人がいて。


「ん。なにか、いったか?」

 下を向いて呟く声は英二の耳に届かない。

「な――なんでもないですわっ。まったくゴキブリ並みにしぶとい生命力ですねっ。と思っただけですのよっ。おーっほっほっ!」


 綾乃は手のひらを水平にすると口元に当てて高らかに笑って見せた。


 これが、みなが密かに噂していた「悪役令嬢笑い」である。


「あ、出た。例の笑い。てか、そんな笑い方する人間存在するんだ」

「なにか、いけませんの?」

「や、あ。その悪くはないけど、よ」


 英二に突っ込まれると、心地よく高笑いをしていた綾乃は急におどおどし出した。


 日本人離れした赤い瞳が切なそうに潤んでいる。

 ぼっちでチェリーの英二はたたでさえ女子と話すことが少なく、性格や個性に難ありといえども超絶美少女で知られる「お嬢さま」と単体で会話するのは、荷が重すぎた。


(くっそ。こういう弱気モードになってるときはなんかメチャかわいいじゃねぇか! くそっ、どこまで女という生き物は拙僧を悩ませるでおじゃるか)


 英二は軽く混乱しながら掴まれていた手をパッと切り離した。


「とにかく女子ンところに戻ろうぜ? 男子が全員くたばっちまったのは悲しいけど、ここで群れから離れるのは危険すぎる」



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