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最初でも最後でもないけれど、唯一の君へ

このお話は私の愛犬への哀悼文です。

 いわゆる【ペットの死】を扱っています。

 苦手な方は読むのをお控えください。


 これは私のただの備忘録にすぎないのかもしれません。

 私の愛犬への言葉です。彼が亡くなってからもう何年も経ちました。

 今日、彼の死を受け入れた自分がいます。

 いつか私はこの気持ちも忘れてしまうかもしれないことが怖いです。

 だからこれは、未来に向けた備忘録です。

 私の大切な彼がどれだけ素敵で優しかったか、彼にどれだけ救われていたかを記録した、ただのメモだと思います。

 生まれた時には犬も猫も飼っていた。

 でも、物心ついてから初めて飼うことになった子犬は、あなただけだった。


 犬に噛まれた私のために、あなたは私の家に来た。

 選ばれた理由はもらってくる予定の兄弟の中で一番不細工で、貰い手がいなさそうだったから。そう言った母が、あなたを心底可愛がっていたけれど。

 小さかったあなたは、母親似の柴犬みたいな外見だった。小さい頃は夜になる度に寂しがって鳴いていたけれど、厳しく躾けられてそのうち鳴かなくなった。

 後悔だ、あの時少しでもあなたの傍にいたら痛い思いも怖い思いもさせなかったのに、幼かった私はそれができなかった。そして、しなかった。

 私自身もそう育てられた。怖かった。どこかで煩わしくも思っていたのかもしれない。

 最悪な人間だ。私は害悪だ。

 でも、あなたは私を見ると嬉しそうに寄ってきて尻尾を振るのだ。こんなに健気なあなたが身を寄せてくれるような人間じゃない。

 それでも、それが救いだったなんて都合がよすぎて言えやしなかった。



 予想に反してあなたはどんどん大きくなって、私よりも大きくなってしまった。すごく毛が長くなって、ブラッシングは私の楽しみになった。

 もこもこの毛、どこもかしこも絡まってしまうから時々は散髪をしてあげた。

 撫で回して、お腹までブラッシングをかけて、私がそれをしやすいように体勢を変えてくれるあなたは本当に優しくて賢いと思うよ。

 額の毛を真っ直ぐに切ってしまったことは、正直申し訳ないと思っているんだけど、子犬の時から変わらない優しいお顔がよく見えた。

 とてつもなく大きいのに、でもその垂れ目は変わらなく可愛いと思っていた。



 高校受験が終わるまで勉強詰めで、家にいる時間は寝る以外ほとんどなかった。勉強しないと怒られた。それにかまけてあなたの世話だってしていなかった。

 登校と帰宅の挨拶だけは欠かさなかった。

 父の車だとすぐに逃げるのには笑ってしまった。幼い頃、厳しく躾けられたものね。

でも、私の声がすると寝ていても必ず小屋から出て出迎えたり、見送ってくれたりするあなたの姿はくすぐったくて、優しい気持ちになった。これがたぶん、愛おしいという気持ちなんだろう。

 時間ができるようになったのは、自由すぎるくらい自由な校風と個性豊かな友人が私という人格を認めてくれた高校以降。

 相変わらず多忙だったけれど、ご飯は家族の中で一番最後だったけれど、休日のあなたとの散歩が好きだった。

 田舎だから、畑と深い木立の影の向こうに広がる、夕日と黄昏の空がなにより美しいと言うことをあなたが教えてくれた。いろんな色の混ざり合ったあの空は、この世のどんなものより綺麗だった。あんな風に色んな物が融け合っても美しい存在に慣れたらどんなに素敵だろうと、あなたに語った。

 辛いこと、悩み、苦しいこと。嬉しいこと、綺麗なこと、楽しいこと。

 あなたには語った。ゆらゆらと揺れる尻尾、大きな背中、私を引っ張るハーネス越しの力の強さ。私が子どもだからか、とにかく走る。

 あなたからの返事はない独り言だ、でもなによりも誰よりもあなたが私の話を聞いてくれた。

 そんな気がした。

 あなたは優しい子だ、健気な子だ。私はそんなあなたが傍にいてくれる、幸せ者だった。

 だからなんだろうか、あなたとの散歩はいつも一時間以上してたね。

 ・・・本当はね、あなたみたいに優しい子を鎖につないでおくことにすごく罪悪感があった。本当は広い所でハーネスも紐もなく暮らせた方があなたの幸せなんじゃないかと思うと、あなたにひどいことをしているようで、可哀想で、申し訳なくて。

 あなたが行きたい方向に付き合ってしまったんだよ。きっと、私の自己満足だね。

 でもその頃の趣味は散歩になっていた。




 あなたは優しい子だった、地域の人気者だった。子ども好きだから大きいけれど子どもたちにすごく好かれていた。子どもたちがうちの庭にあなたの名前を呼びながら入ってきた時は嬉しくて、誇らしくて、でもちょっと寂しかったかもしれない。

 でも喧嘩は強かった。温厚な分、本当に嫌いな犬には容赦がなかった。

 近所の仲の悪い犬が逃げて来てあなたに襲いかかった時、私は真っ青になった。あなたを助けないとって家から飛び出そうとした時にはあなたはその犬をものすごい勢いで撃退しながら、追撃しようとした勢いで首輪に繋がっていた紐が結えてある車庫の柱をへし折っていた。

 あれは私、びっくりしたよ。

 あんなに怒ったあなた、初めて見た。口の周りが血だらけになった時はどっちの心配をしたらいいのか分からなかった。心臓に悪いから、喧嘩はしないでね。

怖かったけど、この子は本当はこんなに強いんだって思った。私なんかより、ずっと強いんだって思った。

 弱い者扱いして、ごめんね。

 でも、あなたと妹と散歩中、ドーベルマンに襲われた時は妹とあなたを守らなくちゃいけないと思ったから、私は立ち向かったよ。自分より三十センチは大きな犬に向かって行くの、怖かった。まあ、ドーベルマンが人懐こくてその巨体で私に全力でじゃれてきたから事なきを得たけどさ。

・・・あなたなら、喧嘩には負けないかもしれない。あなたの強さを、私はよく知ってる。

 でもね、強いからって怪我しないわけじゃないでしょう? 血だらけのあなたなんて、たとえ自分の血じゃなくたって見たくない。

 怪我なんかしないで、わたしだって頑張って守るから。守れるから。

 小さい頃、守れなかった分、必ず守るから。

 怖いこと、しないで。




 大学は県外だった。

 初めて自由になれた。就職の為に勉強して、単位を取って、実習とレポートに明け暮れた。

それでも実家に帰ればあなたが変わらず私を出迎える。散歩をして、ブラッシングをして。

 年老いて目脂が多くなった目を濡れたティッシュで拭いて、目薬を点した。お尻に出来た出来ものに薬も塗った。

 それがガンだなんて知りたくなかった。あなたは少しも苦しげに鳴かなかった。いつだって元気だった。ご飯だって一杯食べていた。散歩だって、今まで通り行っていた。

大丈夫だと思う。大丈夫なんだと、思いたかった。

 夏が来るたびに不安になる。毛深いあなたは夏になるとすごく辛そうだ。

 一年、二年、三年。夏が過ぎていく。

 もう少しで帰れる。もう少しで帰れるよ。それまで、生きていて。お願いだから、生きていて。願っては都会に向かう。あなたが見送ってくれたから、後ろ髪引かれながらも踵を返した。

 でも、あなたは私を待ってはくれなかった。



 訃報はあなたがこの世を去ってから三ヶ月後に届いた。あなたの写真と共に、あなたの手紙として届いた。

 天国に散歩に行くと書いてあった。目の前に夕焼けが広がる。綺麗だねと言ったあの空が。一人で行ったの? 私が一緒じゃなくて良かったの?



 知らせが遅れたことに目を疑った。

 私だけが三ヶ月間も、のうのうと生きていた。帰れば変わらずあなたがいると信じて疑わなかった。その愚かさを、どうしたらよかったんだ。

 電話で母に問うた。母は泣きながら、父と相談して決めたことを教えてくれた。

 大事な時期だ、可哀想で知らせられなかった。私の邪魔を、あの子はしたくはないだろう。だから落ち着くまで言えなかった、と。

 家族の優しさだった。それを跳ね付けることなんてできない。両親は私を慮ってくれた。あの子を蔑ろにしたかったわけじゃない。

 でも、私は気がかりだった。




「あの子は・・・一人で死んだの?」


 

 あの子、すごく健気なんだよ。可愛いんだよ。人気者で、優しくて賢かったから、大人しかったけど。

 小さい頃夜が怖くて、一人が寂しくて、ずっと鳴いてたんだよ。

 怒られて、躾けられて、誰も助けに行かなかったから諦めていたけど、大人になってからはへっちゃらだよって顔していたけど。

 あの子、寂しがりだったんだよ。本当は傍に誰かがいないと、寂しいって思う寂しがりなんだよ。

 あの子、一人じゃなかった? 傍にいてあげてくれた? たった一人で、死ななかった?

 私のあの子は・・・寂しくなかった?


 あなたは嵐の夜、弱っているのに小屋に入らなかった。父と母が傘を持って小屋に入れようとしても外で横になるばかり。雨の日はいつも外だったもんね。

 父と母だって仕事があった。深夜過ぎに家に入った。

 翌朝、あなたはまだ生きていた。そのあなたを、母が労った。


「もういいんだよ、ありがとう、おやすみ。」


 あなたは母に見守られて息を引き取った。

 一人じゃなかった。あなたは、一人じゃなかったっ!

 それだけが・・・ただただ、救いだった。




 涙はちょっとしか出なかった。

 きっと私はひどい人間なんだ、そう思った。



 

 家に帰ってもあなたはいなかった。一番最初にただいまを言っていた姿は、もう出迎えない。小屋はそのままだった。でも誰もいなかった。

 遺体はあなたが壊した車庫の裏側の静かな茂みの中だった。涼もうとしてよく紛れこんでいた場所だ。

 私はそこにお線香をあげた。


「・・・一人にして、ごめんね。さようなら。」


 やっぱり涙は出なかった。零した言葉が、ただただ虚しかった。作り物みたいで、最悪だと思った。




 次に家に帰ったら知らない犬が飼われていた。妹の犬だった。すごく吠えられた。どんなに躾けられても朝晩の吠えるのをやめなかった。

 徐々に慣れて散歩に付き合っても手綱を握る気にはなれなかった。握っても私にじゃれつくばかりで進めないからだ。

 夕日を眺める散歩コース、好きだった風景なのに美しいだけだった。私の好きな風景ではなかった。

 一人で散歩をしてみた。見上げた夕日は変わらず美しかった。


「綺麗だね。」


 独り言だ。いつも声は返ってこなかった。でも、そんなんじゃ利かないくらい、それはただの景色だった。好きだった場所でも好きだった時間でもなかった。

 私は散歩をしなくなった。



 あれから、数年経って、私は社会人になった。

 就職早々新人いじめの対象になった。

 崩れ落ちそうな私は、でも、誰にも話せなかった。


「あの子みたいに、あなたの話を聞いてそっと寄り添ってくれる子を飼う?」


 母の言葉は衝撃だった。そうか、あなたは私の話を聞いてそっと寄り添ってくていたんだね。だからあなたと過ごす時は心地よかったんだね。私は普通だったらとっくに可笑しくなっていた幼少期を乗り越えられたんだね。

 私は首を横に振った。


「あの子じゃないなら、いらない。」


 あなたみたいな子は、もう二度と出会えない。そんな気がしていたから。




 一年をなんとか乗り越えて、やっと少し認められた私は、周りから色んな評価を聞いた。

 優しくて、寂しがり屋。人懐っこくて、でもやる時は誰よりも強い。人の話を真摯に聞いてくれる。大人しいから溜め込みやすい、どうか自分を傷付けないで欲しい。




 前にどこかでこんなことを言われていた子を知っている。でも、誰だったっけ?

 誰だったっけ・・・




 あなた・・・だったね。

 それは、あなただったように思う。思えた。それを、やっと理解して・・・あなたがいないその事実が、急に私に追い付いた。

 涙が溢れて止まらなくなった。



 あんな、最期の言葉も言えない、土の下の姿も見えないお別れなんかじゃ信じられなかった。あなたがいない事実なんか、分からない。そんなの分からないに決まってる、私はあなたが迎えてくれるところしか思い描かなかった!


 本当は、寂しい。悲しい。物心ついた頃から一緒だった、私のたった一人の理解者。

 あなたがいなかったら、あの夕焼けのには何の意味もない。あなた以外が一緒だって、意味なんてない。

 あなたみたいな子、私にとってはあなた以外にいなかった。

 それなのに、私は・・・



 さようならと言えなかった、ごめんなさい。

 あんなに優しくしてくれたのに、ちゃんと返せなくてごめんなさい。

 一人だけ置いてきぼりにしてごめんなさい。

 悲しいことばかり共有させてごめんなさい。

 全然遊べなくてごめんなさい。

 気付くのが遅れてごめんなさい。

 悼むのが遅れてごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 優しくしてくれてありがとう。

 話を聞いてくれてありがとう。

 一緒にいてくれてありがとう。

 向き合ってくれてありがとう。

 好きになってくれてありがとう。

 いつもお見送りと出迎えしてくれて、ありがとう。

 私と散歩してくれてありがとう。

 守ってくれて、ありがとう。

 ありがとう、ありがとう、ありがとう。




 ずっとあなたに謝りたかった。ずっとあなたにお礼を言いたかった。

 ずっとあなたといたかった。

 それが叶わないなら、最期に逢いたかった。撫でてあげたかった。

 私が、あの時、寄り添って、あげたかった。




 それでもあなたは、私と過ごした最後の日、私がハーネスを持って向かった時、弱々しくてもふらふらでも、家から数歩出ただけだったけれど、散歩をしてくれた。

 その次の日から散歩に行けなくなったと聞いたよ。

 そんなあなたの優しさに、振り絞られた力に私は悲しくて、嬉しくて、どうしたらいいか分からないよ。

 あなたの存在全てで、私がどれだけ救われていたかということを、今になって思い知る。




 大好きだよ、今までありがとう。

 あなたに似た私は、あなたの優しさと寂しさを抱えながらもうちょっと頑張って生きてみる。

 ひとりでも、生きていくよ。

 あなたとの歩いた夕日の日を、ずっと覚えているよ。


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