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終わりが始まり  作者: 在人
9/9

レンの故郷

 熱を持ったかのような髪を一つに束ね、暗闇の瞳は物事を正確に見定める。

 世界の端に生まれ育った青年は、かつて祖父母がいたという王都にやってきた。

 同じように世界の真実を知り、苦しんでいる人を、放っておけなくて。

 それが世界の端を目指した末裔、レンという青年だ。





―――かつて

 この世界が絶望に染まりかけた時、一人の少女が異世界から現れてその闇を切り裂いた。

 少女は異世界の人であり、このマルカムラの救世主であり…真偽の王と呼ばれる。





本当に?


 いいえ、歴史は嘘ばかりです

 だって人には、見たくないものを見る勇気なんて、ありませんから


 …だから絶望を味わったというのに




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 自ら編んだ魔法とは言え、最近使っていなかったので随分久しい。転移の際に味わう奇妙な感覚は、恐らく初めてだろう彼女には少々辛かったかもしれない。それでも自分に絶対的な信頼を寄せてくれていることに、無意識に口角が緩まる。

 転移魔法もさることながら、目前に広がる景色も随分と懐かしかった。緑がそう多くあるわけでもなく、水さえも手に入れることは容易ではない。そしてどんよりと曇った、それでいて恵みの雨は齎さない空が心に陰りを与える。

 人々が中央、つまり王都を目指すのは、そういった環境面での厳しさも大きな要因である。食料、水、天候、情報、教育…全てのことにおいて大きな隔たりがあることは否めない。

 それでも、ここが唯一の故郷であることに変わりはない。


「これが、世界の端…」

「はい、そうです。俺の生まれた場所です」

「懐かしい?」

「ええ。ここを離れて大分経つので、そう感じます」


 不安げに見上げる彼女を安心させるように微笑み、けれどその笑みのまま指摘する。


「ところでアン、そろそろ服を離してもいいのでは?」

「っ!ご、ごめんなさい!!」

「いえ、役得ではありますが、誰かに見られると面倒ですから」

「…迷惑、かしら?」

「いいえ、俺は構いませんよ。ですがここの人間も色恋沙汰に関しては目敏いので」

「どこの人も、同じなのね」


 自由になった手を口元に当て、小さく笑う。最近見られなかった笑みが、ようやく表れた。そのことに思ったよりも安心している自分がいて、随分気にしていたのだとようやく気付く。

 笑いが収まった後、彼女は恐る恐る周囲を見渡す


「意外と自然もあるのね。何もないところだと思っていたわ」

「王都に比べてしまえば何もありませんよ」

「…これだけの人が、王から離れていったのね」

「王は尊敬していますよ。この世界を救った人と、その子孫ですから。ただ王の負担にならないと決めただけです」


 その口ぶりに、翠の瞳がもの言いたげに見つめ返す。

 明るく優しいその色が、初めて会った時から綺麗だと思っていた。己の瞳や真偽の王とは異なる瞳の色が、何より好ましかった。それは真偽の王とは違う、新たな命の証だから。


「それでは行きましょうか」


 手を差し伸べ、彼女は当然のようにこの手を取る。

 数年前よりも成長したとはいえ、あの頃の柔らかさと白さは変わらない。こんな儚い手に、一体幾つの命を、希望を、期待を乗せているのか。


「ええ、行きましょう。あなたのお祖父さまに、会いに」


 先を真っ直ぐに見つめる翠の瞳、癖の無い漆黒の髪、ピンと伸びた背筋、それでいて女性らしい柔らかさを持った身体。


「案内を務めさせていただきますね」


 もうすぐ見ることが叶わなくなるこの人を、瞼に焼き付けておこう。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「帰りなさい」


 家の扉を開けた瞬間、一番に言われた言葉は、帰還を促すものだった。それが誰に向けて放たれたものか明白だと言うのに、突然のことで何も言えず唖然とするしかなかった。


「ここは君のいるべき場所ではない」


 言葉を放つその人は、記憶の中よりもずっと年を取っていた。当然だろう、随分長くここを離れていたのだから。

 けれどそんなことで、こちらをぞんざいに扱うような人ではないと知っている。それに、その色を認識した瞬間の顔つきから、恐らく原因は…。


「っ!…わかって、いるのです」


 反応したのは隣にいる彼女で、だがそれ以上先が出てこない。暫くの沈黙の後、扉はゆっくりと閉じられた。


「…すみません。私が気に入らなかったようですね」


 隣からため息が聞こえる。その言葉をやみくもに否定することはできない。出てきたその人がこの子の髪色を見て、僅かに顔を顰めたのが見えた。祖父は彼女が誰の血を引く者なのか、一瞬で気づいたはずだ。そしてここに連れてきた意味も、同時に理解しただろう。


「ここで落ち込んでいたら何にも始まりませんよ。少々時間を貰えれば説得してきますので、アンはちょっと庭で休んでいてください」

「…今、私にできることはないんですね」

「残念ながら。ですがアン、覚えておいてください。真打は後々出てくるから格好いいんですよ?俺が先兵を務めますから、大将はゆっくり休んで英気を養っていてくださいね」

「ふふ。わかりました、レン」

「では庭にお連れします。俺の記憶のとおりであれば、ゆっくりできるはずです」


 王都に来る前も色々旅をしていたが、家の庭から見える景色が一等好きだった。ただ静かな、それでいて命の存在を感じられる光景と比べてしまえば、やはり少々王都は煩雑すぎる。王都も嫌いではないが、時折無性に故郷の空間に身を置きたくなる。


「ここが?」

「はい」

「…穏やかね」

「そう言っていただけて何よりです」


 そのまま昔からある木製の椅子に座らせる。これは何時間もここに居座る自分の為に、祖父が黙って作ってくれたものだった。子供時代に貰ったものだが、恐らくある程度大きくなってからも使えるよう見越したのだろう、やや大き目の椅子だった。

 成人を迎えた今では少々小さく感じるが、女性の彼女にとっては丁度具合の良い大きさになっているはずだ。

 予想のとおりその椅子は彼女をすっぽりと受け入れる。それはまるで、今日という日に彼女が来ることを見越して作られたようにさえ感じられた。


「レンは、これを見ながら育ったの?」

「そうですね」

「この景色がレンを育てたのかしら」

「そうですか?」


 意外な言葉だった。好きな景色ではあるけれど、この景色を自分に重ねてみたことはない。ただ、この感想に興味を持った。王都で生まれ育った彼女にとって、この景色はどう感じるのだろうと、純粋に知りたくなった。


「どうしてそう思いましたか?」

「そうね…ちょっと言葉にするのは難しいわ」


 そう言って彼女は暫く黙り、そしてゆっくりと考えをまとめ上げる。


「何もかも飲み込んでしまえるほど、とても広くて見渡しきれない程の雄大さ。晴れているわけではないから明るくも無いし、静寂すぎるとも言えるけれど、何も拒むことはない。命の流れを見届けて、決してその流れを邪魔することなく、ただ受け入れる」

「……」

「許容や肯定と共に、不干渉や静観と言った孤独を抱える…。ね、レンにそっくりでしょう?」


 どきりと、心臓が鳴った。

 この子は、一体どこまで知っているのだろうかと彼女を見る。けれどその瞳がこちらを映すことはなく、ただじっとその景色を見つめるだけだった。


「そう、かもしれませんね。…では、ちょっと行ってきます」

「ええ。行ってらっしゃい」


 やはりその瞳が、自分の方を見ることはなかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「久々の孫の帰郷に、あの対応は無いでしょう?」


 勝手知ったる我が家のこと、最早ノックも無しに入り、やはりサロンにいた祖父に月日を感じさせない気楽な声をかける。

 その自分を見咎めることもなく、ちらりと一瞥しただけで口を開かない祖父は、やはり相変わらず無口な人だと思った。


「只今戻りました」

「あぁ、おかえり」


 燃えるような赤い髪と、輝く金色の瞳。それが祖父だ。


「あれ、少し白髪が増えました?」

「歳だからな」

「面白くない返しですね」

「面白さを求めていない」


 本当に変わらない。口数が少なく、告げる言葉はいつだって真っ直ぐで、偽りも冗談さえ言わない。楽しみが無い奴だと言う人もいるけれど、真実しか告げないこの人を信頼している人間は多い。


「早速本題ですが、アンに真実を話してくれませんかね?」

「断る。女王に告げる言葉など持ちえない」

「女王としてではなく、ただのアンに対して、でどうでしょうか?」

「何が違う」

「真偽の王の後を継いだ女王としてではなく、ランの孫娘のアンという人間に対しての言葉は持っていませんかね?」


 言葉遊びのようだが、真実だ。女王を救いたくてここにいるわけではない。

 ただ、アンという人が心配で仕方がない。もう傍にいられない代わりに、せめて彼女の肩の荷を少しでも軽くしてあげたい。そう願うだけだ。


「俺がアンをここに連れてきたのは、ランが死に際にこの世界の真実を教えたからです。ランは最後の最後に、誰もが見ぬふりをした真実を、何も知らないアンに伝えました。だからアンは今真実に苦しんでします。そして己の地位を、何も知らない国民を疑ってしまっている」

「それと俺と、何の関係がある」

「正確に言うなら、関係ないでしょうね。けれど伝えることはできるはずです」

「…何を」


 金の瞳が、すっと細められる。人によっては恐ろしいと感じるかもしれないけれど、自分にとっては慣れ親しんだものだから、むしろ懐かしく感じる。

 そう、恐れる理由がない。小さい頃からずっと見守っていた、静かな、それでいて優しい人だと知っているから。口数は少ないけれど、だからこそ行動でその愛情を示してくれた。

 その人に、最後の頼みを託す。自分の大切な人を、救ってほしいと。


「俺の祖母であり、あなたの伴侶である…リンの最期を」


 きっとその名は、この人を悲しませると知っている。

 この人がここを目指したのは、王都から離れるため。

 この人が王都を離れたのは、少しでも祝福から遠ざかるため。

 この人が祝福から遠ざかったのは、この人の妻が…。


「歴史から存在さえも消え去った、その人のことを。どうか、あなたの口から伝えてください」


 人々から死を願われた、たった十四歳の異世界の少女。

 祝福を開放した、既に二十六歳になった異世界の女性。


 この二人が同一人物であると、世界は信じ込んでいる。


「それで彼女の気が晴れると本気で考えているのか?」

「晴れないかもしれません。ですが、晴れるかもしれません。俺にできるのは、正確な真実を伝えることです。既に片方の真実を知ってしまったのなら、嘘偽りなく、もう一つの真実を知ってもらうことしか、できません」

「判断するのは、彼女自身だということか」

「はい。余計な負担になるかもしれない、だからこれは賭けになります。それでも現状を維持し続けることは、きっと彼女にとって難しいでしょう。動かずにいれば、更に深みに嵌っていくだけです。だったら、今の内に何とかしたいと思っています」

「お前が、傍にいる間に、か」

「…はい」

「なるほど」


 祖父は、きっともう気づいている。


「お前はそれで良いのか」

「選ばされたのではありません。ちゃんと自分で、選びました」

「そう思っているだけではないのか」

「いいえ。自分で考えて、悩んで、出した結論です。誰の干渉も受けていません」


 きっぱりと言い切る。それが祖父への最後の手向けになるだろうと信じている。

 母は、独り遺される祖父のために自分を生み落とした。もう長く生きられないと知っていたからこそ、無理をしてでも新たな命を欲した。

 本来であれば、子を宿す可能性さえ無かったというのに。

 それでも子を授かった母を、人々は奇跡だと言った。けれど、祖父も自分も知っている。それが奇跡でも何でもなく、当然のことだと。


「俺は俺がそうしたいと、心から思うから…だから、心配しないでください」


 祖父に偽りの笑みなんて見せたくない。

 いつだって俺のことを大事に想ってくれていた、俺の唯一肉親だと思える人だから、嘘をつくような真似はしたくない。

 大丈夫だと、安心させたかった。もう二度と会うことはないけれど、自分の道を選んだのだと伝えたかった。


「…レン」


 暫くの沈黙の後、名を呼ばれる。視線の先には、無表情に近かったけれど、どこか誇らしげな祖父がいた。


「良い面構えになったな」


 薄く、笑った。

 そのことに驚き、次の瞬間思わず破顔した。この人に褒められることは滅多になく、それでいて誇らしげに言われたことなど、今まで一度も無かったから。

 だからこそ、祖父がこの決断を認めてくれたことが、素直に嬉しかった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「何が聞きたい」


 外で待っていたアンを呼び、中に招き入れたと同時に熱い茶が出てきた。外はそんなに寒くないとはいえ、有難い。久々に飲む我が家の茶は、どうやら彼女の口にも合ったようで何よりだ。

 そうして三人分のカップが机に置かれ、家の主が腰を下ろしたところで話は切り出される。


「何から尋ねればいいかわからないほど、沢山あります」

「ではこちらから問おう。どこまで知っている」

「おおよその真実はお祖母さまから聞きました。けれど祝福の後、あなた方がどうなったかは伝えられていません」

「リンは子を遺して程なくして命を落とした。その子も身体が丈夫ではなく、レンと引き換えにこの世を去った」

「そこまではベヤーズに聞きました」

「ふむ、真実と言ったらそれくらいだが。では何を望んでここに来た?」


 単純な真実が知りたいわけではないと、祖父だって気づいているだろうに。ちょっと意地悪な言い方だと思うけれど、多分それはわざと彼女から本音を引き出すためだろう。

 恐らく彼女もそう感じて、少しの間口ごもり、意を決したように口を開いた。


「あなたの、奥さまの…最期を伺いたいのです」


 それはベヤーズに聞いたものと同じで、前よりも幾分落ち着きがあるものの、再び発作のようにならないか、少しだけ心配になる。

 あの時、それまで不安定さを持ちつつもどうにか折り合いをつけていた心が、濁流のように彼女の手から離れ制御不能となったのだろう。こちらもあれを目の当たりにして以来、避け続けてはいけないと思うようになった。見てみぬふりをして、彼女の下から去ってはならないとそう強く感じたから、今ここに連れてきている。

 この邂逅が彼女に何を齎すか、それは誰にもわからない。そこにあるのはただの真実で、それはもう変えることのできない過去だ。けれど、それを受け取ることで彼女の未来が変わるのならば、それに賭けてみたい。


「ふむ」


 ちらりと視線を祖父にやると、無表情ながら険しい顔をしていた。これは、何か来るなと予想する。案の定、出てきたのは固く強張った言葉だった。


「それは誰のための問いだ。君か、それともランか」

「それ…は」


 彼女は、ランの罪悪感さえ引き継いだ。そうして、まるでその罪が自分のもののように感じている。別の人間だと言うのに、その線引きができていない。

 祖父はそれを感じ取ったのだろう、強い口調でそこを指摘する。


「リンとランは仲違いをしたまま死に別れた。それをランはずっと後悔していた、という認識であっているか」

「はい…きっと、ずっとお祖母さまは、謝りたかったのだと。そう、思っています」

「案外あの世で仲良くやっているかもしれない」


 思わず祖父を見る。あの冗談も言わない堅物の祖父が、場を和ませる言葉を言うなんて余程深刻な状況なのかと気を引き締めようとした。だがその顔は真剣そのもので、本気でそう思っているようで、やはり祖父は祖父だとどこか安心する。

 冗談を言う祖父は、気味が悪い。天変地異の前触れだ。…そんな不敬なことを隣で沈黙を保つ孫が考えているなんて、思いもよらないだろう。


「君は、リンがランを恨んでいると、そう思っているのか。いや、違うな、ランがそう君に伝えた、か」

「っ…」

「正解のようだ。つまり、思ったよりランはあまりリンのことを知らないことになる」

「え?」

「リンが他者を恨めれば、とっくにこの世界は終わっていた」


 これは冗談ではない。本気の言葉だと知っている。

 大げさではなく、祖母はそれだけの力を有していた。その悲しい過去の末に、宿すほかなかった、絶対的な力。


「君は、何故俺達が世界の端を目指したか…知っているな」


 その言葉に彼女の肩がびくりと震える。

 そう、これからが本番だ。ランが、生涯抱えることとなった罪悪の核心は、ここにある。


「世界の祝福が、リン様にとって害のあるものだから、ですよね」


 気まずそうに言う彼女は、真実をぼかして言う。

 けれどそれを許す程、祖父は甘くない。


「もっと簡単に言えば、奇獣と命を共有したリンにとって、滅びを意味するからだな」


 奇獣。それは、かつてこの世界を恐怖のどん底に陥れた、不死の存在。

 人は皆、なす術も無く食い荒らされるしかなかった。

 唯一の例外は偽りの王だけだ。偽りの王だけが、彼らの侵攻を阻止できた。

 …王と奇獣の争いを見たものは誰もいないから、どうやって奇獣を退けていたのか知らない。


「…祝福を開放できないリン様に、世界の人々は死を願った。形の無い、残酷な生命体に食い殺されるよう、王都から追放した。けれどリン様は…」


 それでも死ななかった。いや、死ねなかった。


「生き延び、奇獣を宿した。そうして真の王が現れるまで、この世界を守り続けた」

「人々に死を願われたリン様は、それでもこの世界を見捨てなかった。己の心を壊してでも守り続けたのに、人は彼女を偽りだと…偽りの、王だとっ!」


 語気が強まる彼女の翠の瞳には、涙が浮かんでいた。


「偽りの王はリン様のもので、お祖母さまは真の王でしかなかった。けれど人々は、リン様のいなくなった後、あろうことか二人を同一視して、真偽の王の名をお祖母さまに与えたと…自分達の振る舞いをなかったことにするために、死を願った少女を受け入れたように装った!」


 己のように苦しんでいる彼女が、哀れで仕方なかった。本来なら、こんな痛みを背負う必要なんてなかったというのに。


「押し付けられたお祖母さまにとって、それがどれほど苦しいことだったか、人々は知らないわ。その忌み名は、リン様がこの世界で生きた証だったのに」


 彼女の苦しみではない。少なくとも、自分はそう思う。

 ランはこの苦しみを、彼女に引き継がせるべきではなかった。

 そしてまた、ランとて苦しむ必要なんてなかったのに。


「お祖母さまがリン様のことを知ったのは、祝福を開放してからでした。だから、あの光が、リン様の命を奪うなんて、知らなかったんです。でも、知った時は、もう遅かった。お祖母さまはリン様を殺したという事実だけを、突きつけられた」

「勘違いはするな、ランは間違ったことをしていない。ランが祝福を開放しなければ、ランもろともこの世界は奇獣に食われていた。もしくはリンと同じように役立たずの烙印を押されて外に放り投げ出されていたはずだ」

「でもっ!じゃあそれで死んでしまったリン様は報われない…!」

「言ったはずだ。リンのことをわかっていない、と」


 祖父は、それでも静かに言葉を連ねる。それは彼女を宥めるためのものではない。ただ、事実を淡々と語るだけだ。

 だがそれが、今の彼女に最も必要なことだろう。


「リンは、最期まで大事な姉だと言っていた」


 簡単で、真っ直ぐな、偽りのない言葉。

 けれど数秒、彼女は固まる。その意味を理解するのに要した時間だった。


「なん、で」

「何でだろうな。リンとは偽りの王となる前からの知り合いであり、その最期を看取った俺にもわからない。だが事実だ。リンは一度たりともランのことを悪く言わなかった。それどころか、ランが真の王であると知って、喜んでいた」

「そんなの、可笑しいです」

「そうだな、変かもしれない。だが、リンにとって当然だった。ランが人々に受け入れられることを、心の底から喜んでいた。滅びの光を受け、死を目前にしても尚、その心が変わることはなかった」

「では、リン様は、最期まで」

「ずっと願っていた。ランと、ランの家族が幸せに生きられるようにと」



 …大切な姉とその家族が、どうかこの世界で幸せでありますように。


 それは悲惨な末路の中でも変わることの無かった、純粋な願い。



「どう、して…お祖母さまは、わかり、あえなかった、の…」

「二人の間には長い間確執があったと言う。ランは幼少期から身体が弱く、双子であったリンは逆に有り余るほど健康体だった。恐らくその頃のことが影響している」

「でも!それでも、この世界で出会えた、たった一人の肉親だったのに!!」

「……それ以上のことは、俺には何も言えない」


 苦い顔をした祖父に、この場にそぐわないとわかっていて、そっと苦笑する。

 もう一つの最大の要因が、祖父に関する色恋だったなど、本人の口からは言えないだろうから。


「ただ、事実として二人はすれ違ったまま別れた。それでも互いに互いを気にかけていたようだがな」

「もっと、もっとちゃんと話し合えていたら、きっと死に別れてしまっても、あんなに後悔することなんて、なかった…」

「同感だ。もっと素直な言葉で、真っ直ぐ受け止めていられれば、状況は変わっただろうな」


 結末は一緒でも、変えられたものはあった。それが新たな刃となって彼女の心を苦しめる。嗚咽を漏らす彼女に、何も言えなかった。

 けれどそんな状況の中で、祖父はふと思いついたように口を開く。


「…君の名は、アン、と言ったか」

「?…はい、お祖母さまの血縁は皆、同じ音を踏んでいます」

「と、言うと」

「私の父であり、お祖母さまの唯一の子はロン、私の弟達はそれぞれエン、ケン、セン、シン、テンと名付けられています」


 祖父は遠い目をする。

(その気持ちはわかります)

 思わず心の中で同意した。正直、彼らの名を聞いた瞬間、ちょっと引いた。そこまでしてその音を残したがったのは誰か、容易に想像がつく。

 そしてまた、同じ思考なんだな、と少し笑ってしまう。


「あの?どうかなさいましたか?」

「いや。ただ、似た者同士だな、と」

「え?」

「…子を」


(話すのですね)

 ちらりと金の瞳がこちらを見る。いいか、とまるで許可を求めるようで、笑って頷いた。これも事実だから。


「リンの子を授かった時、二人で名を考えた。女児の名は俺が、男児の名はリンが考えることとなった。結果としてリンの子は女児で、俺が名付け親となった」


 だが、と祖父は続ける。


「今度は娘が子を授かった時、名を考えるように言われた。名を付けるなど得意ではないから断ったんだが、男児の方だけでもと言われて、苦し紛れにリンの考えた、使われることの無かった名を提案した」

「ではその名が…」

「レンだ」


 彼女がちらりとこちらに視線をやる。

 自分達の音が似ていたのは当然のことだ。祖母達が、それぞれの思惑を持ってつけた名であり、そしてもう一つ。


「知っているか。リンとランの世界で、レンとはとある花の名前だそうだ」

「そうなんですか」


 薄い反応を見ると、どうやら彼女は知らないらしい。同じことを思ったのだろう、祖父は一つため息をついた。それは呆れたような、それでいてどこか愛おしく思うような、そんなため息。


「ラン、という名も、花の一種だそうだ」

「!!」

「音だけでなく、意味まで重ねてきた。その意図、わかるな」


 驚愕に染まり、じわりとその綺麗な翠の瞳に涙をためる。


「リン様は、お祖母さまのことを…」

「許すとかではない。始めから、そんなことこれっぽっちも思っていない」


 ふ、と息をつく。きっと祖父の目には、祖母が映っている。

 早くに妻を亡くしたというのに、この人は再婚することなく祖母の忘れ形見を育て、そして更にその子供も育てた。それだけ祖母を心底惚れぬいていたのだろうと誰もが言うし、自分もそう思う。

 この人ほど、愛情の深い人間を知らない。


「…元々、あいつはそんなこと、考えられない種類の人間なんだ」



 どうしようもなく愚かで、そして誇らしくて愛おしくて仕方がない。

 祖父がぽつりと呟いたその言葉には、祖母への感情が乗せられていた。

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