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終わりが始まり  作者: 在人
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アンの困惑

 光を反射する艶やかな黒の髪は肩甲骨まで無造作に流されており、その時々によって形を変える。真っ直ぐな髪質は持ち主の性格を如実に表し、美しい宝石のような翠の瞳は知性と慈愛を携える。冷静に状況を見つめ判断を下し、けれど情を持つが故に苦しめられる。その矛盾を抱えながらも、決して屈しない強さを持っている。

 それがこの世界の女王を務める、アンという女性だ。





―――かつて

 このマルカムラは、謎の生命体によって多くのものが失われていた。

 世界の端から来たらしい彼らに、人は為す術なく、ただただ奪われていくだけだった。土地を、食料を、命さえ喰らい尽くす彼らに、人々は一つの希望を強く求めた。


 この世界の祝福、ベレケを開放すること。


 その為に異世界から、尊い犠牲を持ってして、一人の少女が呼ばれた。

 少女は長い間祝福を開放することができず、一時は多くの者から失望された。けれどこの世界に来て十二年後…女性となった少女は確かにそれを成し遂げた。

 こうして異世界人の評価は一瞬で覆り、このマルカムラの救世主と尊敬の念を集めることとなる。

 ベレケを開放できぬ頃は偽りの王と言われ、だが開放後は伝承のとおり真の王と讃えられ、皆に望まれマルカムラの女王となった。

 そしてその治世の中、女王は『真偽の王』と、民に親しみを込めて呼ばれるようになる。




 これはその真偽の王が崩御した後のこと。

 真偽の王の血縁で唯一の女性だった孫娘が、世界の真実と人の思惑に苦しみながらも、女王を継いで数年後の話である。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 青年の友人と出会ってから数ヶ月が過ぎた。

 ベヤーズは既に王都を出発、あちこち旅をしているらしい。未だに商人だと信じ切れないが、世の中知らないことが沢山あるのだから、自分の尺度で物事を図ってはいけない。




 それはベヤーズを見送りに来た時のことだった。王都を離れる際に(またも)お忍びで王都の端まで来た時のことにベヤーズは悪い笑みを浮かべる。その顔がより一層凶悪さを増した。どうやら青年から正体を聞いたらしく、これが内密であることを知っての笑みだった。

 けれど今度は、不思議と怖さを感じない。それどころかどこか愛敬さえ感じさせ、思わぬところでベヤーズの一面を知れた。身分が知られたことにはヒヤリとしたが、青年が話したのならば大丈夫だろう。他愛のない挨拶をすませ、さあ別れるぞというところで、ベヤーズはアンに顔を近づけ密やかにこう言った。


「嬢ちゃんが誰を選ぶか、楽しみにしてるぜ?」


 何を選ぶと言うのだろうか。よくわからないアンは気の抜けた返事をして、その様子に何故か苦笑したベヤーズだが、突然その厳つい顔が離れた。


「いってぇ何しやがんだレン!!」

「そこまでです、ベヤーズ。むしろ俺に感謝してください。あと少し遅かったら、アルトがサックリやるところでしたよ」

「…そのままでも良かったのですよ、レン殿」

「さすがの俺も友人同士の斬り合いは見たくありませんので、ご遠慮させていただきます」

「おっかねぇ面してんなぁ、童貞にーちゃん。詫びに今度女の扱い教えてやるぜ」

「…………騎士の私闘厳禁、騎士は私闘厳禁、騎士は私闘厳禁、騎士私闘厳禁騎士私闘厳禁……」


 ぶつぶつと唱え始めたアルトを不気味に感じたベヤーズは、傍にいたエンに問う。


「おうい、いかれちまったのかあの童貞にーちゃん」

「ベヤーズが挑発するからだろう、アルトは悪い奴じゃないんだ」

「悪い奴じゃあねぇのはわかるがなぁ。坊ちゃんは平気なのになぁ、何であんな堅物なんだ?」


 最後までわからないと首を捻って、そのままベヤーズは去っていった。




「結局あれはなんだったのかしら…」


 休日の午後、茶会を楽しんでいた時にふと思い出した言葉に、思わずアンは声に出してしまう。


「いかがなさいましたか、女王陛下」

「何かお悩みでもあるのでしょうか」

「最近はお仕事落ち着いているはずですよねぇ?」

「んまぁ、あなたたち、わからないんですの?」

「このため息、この遠くを見つめる眼差し……!」


 そこまで導かれてわからぬ者はいない。いるとすれば、ぼんやりと過去に思いを馳せているアンただ独りだろう。


「「「「恋!!!」」」」

「………………は、い?」


 ようやく意識をこちらに向けたアンを待っていたのは、同じ年頃の乙女たちの熱い眼差し、彼女たちの異常な熱に、アンは女王としての面が落ちそうになった。


「ど、どうしたの、みんな。そんな目を輝かせて…」

「陛下こそどうして仰ってくださらないのですか?!」

「そうですわ、水臭いですわよ。わたくしたち、皆陛下のことを心より慕っているというのに…!」

「それはそうと、どなたです?」

「そうねぇ、どんな方かしらぁ?」

「どんなお仕事をされていますの、どこで出会いましたの?」

「爵位は?ああ、それとも騎士かしら?!」

「ここは大穴を狙って庶民とかどうでしょう?!」

「「「キャーーー!」」」

「ちょっとあなた方、小説の読み過ぎじゃないの?陛下と親しくできる庶民なんて…」


 ぴたりと、その場が固まる。

 アンは置いてけぼりだった。びっくりするぐらい、話しについていけなかった。ポンポン飛んでいく話のタネに振り回され、ちょっと頭がふらふらし始めていた。

 それが駄目だった。止められたのは、この瞬間でしかなかったというのに、見逃した。


「レン殿なら十分考えられますね」

「あの爽やかな微笑み、貴族とも遜色のない立ち振る舞いと教養、近衛騎士と互角に渡り合う腕の持ち主…悪くないわ」

「突然現れた庶民でありながら王宮に住まいを持ち、果ては僅か数年で宮廷士や騎士、王族と強い繋がりを持つとか。最近は貴族からも高評価を貰っているという話も?」

「特に王弟殿下方には兄のように慕われているみたいですねぇ」

「それだけではなく、ロン様とアルリシル様からは絶大な信頼を得ていますのよ!」

「我が家でもレン殿のことは話します。好青年を絵に描いたような方…爵位が無くとも欲しがる家はあるみたいですよ」

「ええ、私の従姉なんて、レン様を見かける度にため息をついてしまって…」

「それはつまり…?!」

「女王陛下が望まれるなら、身をひかねばなりませんね…」

「あぁレン様、なんて罪作りなのかしら!」

「あ、あのー…戻ってきてー…」


 もう駄目だ、声さえ通じない。同じ世界の人間だろうかとアンは慄く。このテンションの高さ、熱の籠り様、甲高い声、熱に浮かされ輝く瞳…。

 執務に忙しく中々時間は取れないが、休日は時折こうして集まってくれる気の置けない友人と茶会を開いているのだが、今回は普段と違う。アンの発言が引き金をひいたらしいが、一体どこにそんな爆弾が潜んでいたのかアンは全くわからない。

 全くわかっていない、つまり全く色恋に興味を持たないまま女王になったアンを心配し続けた友人たちが、ようやくそのアンに春がやってきたのかと喜んでいるのだが、本人が気づくことは無い。


「それでは早速作戦を開始せねばなりませんの」

「もちろん。善は急げ、ですわ」

「単純に接触回数を増やすと言うことは大前提として、何か盛り上がる要素入れないと話が進みませんね」

「好敵手、がいるといいんですけどねぇ」

「それよ!従姉には悪いけど、陛下の当て馬は従姉として…レン様にはどうしましょう」

「陛下の周りに妙齢の男性は沢山いるけど、皆レン様と釣り合うほどではありませんわ」

「くっ…このままではレン殿が一人勝ちになってしまいます…!」

「それではいけませんの。他の男性から最愛の女性を奪ってこそ、殿方は至福を得るのですから!!」


 何という理論を植え付けてくれたんだ恋愛小説、とアンが突っ込む間もなく作戦会議は順調に、恐ろしい速さで進んでいく。本人を目の前に当て馬を決定された時は、相手の女性に本気で申し訳なかった。というか、躊躇いなく従姉を当て馬にするなんて何か恨みでもあるのか顔をひきつらせたアンに、夢中になった友人たちは誰一人として気づくことは無かった。

 それにしても、とアンは思う。青年がここに来た時は随分風当たりが強かった。青年はそれを全く苦にしてなかったが、アンでさえ眉を潜めるような行為が裏で行われていた。それをあの青年は、あの人好きな笑みを冷静な対処で、結局アンの手を借りることなく丸め込んでしまっていた。少し悔しかったのは言うまでもない。アンは青年を頼ってばかりだと言うのに、青年はアンを頼ってくれない。それがアンには不満だったし、不安だった。


(でも、それは正解だったのね、レン…)


 レンは最初から、ここで生きるつもりは無かった。だからアンの気遣いも、もしかしたら他の人のも、わざと受け止めなかったのかもしれない。知らぬふりをして、自分一人で全て対処していたのかもしれない。

 …独りで抱えて、何を思っても誰にも知られずに、ただあの静かな笑みを浮かべて。

 そうして、いつかアンの傍から離れていく。


「いやよ、そんなの」

「陛下?」

「どうしかしましたの?」


 嫌に響いたその言葉は話を止めるだけの力を持っていた。きょとんとする友人たちは、今にも泣きそうなアンを見るや慌てて慰めにかかる。


「わ、悪かったですわアン様、あまりの嬉しさにアン様を置いてけぼりにして」

「アン様のしたいようになさって、わたくし達はそれを見守りますから…!」

「ごめんなさいねぇ、ついつい熱くなっちゃいましたぁ」

「アン様の気持ちが一番です。失念しておりました」

「ほら、泣かないでくださいませ。折角の休日なんですもの、笑って、ね?」


 普段気を付けている呼び名さえ、かつてのものに戻っていると誰も気づかないまま、あわあわと宥めにかかる。しかし誰一人としてアンの沈んだ心を引き上げることはできなかった。

 かなりの重症だと結論づけた友人たちは、皆顔を合わせて頷いた。


(((((アン様の恋を成就させてみせる…!!)))))


 さてここで忘れてはならないことが二点。

 友人たちは決めにかかっているが、当の本人であるアンは一切恋心を青年に抱いていないと言うこと。

 そして何より、アンが憂いているのは別の問題と言うことだが。


 不幸にもこの場にそれを指摘するものは、誰一人いなかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



・とある執務官の証言

 

 陛下とレンについて、どう思っているか、とは?何、しかも恋愛的な意味合いで?

 …一体何を仰っているのか、わかりかねますが。いえ、そんな期待の籠った目で見られても困ります。

 私の目から見てお二人がどう映っているか、ですか。そうですね。

 確固たる絆のようなもので結ばれているように思います。それは誰にも追随を許さない、ただお二人だけのものです。

 こんなことがありました。以前、誰が説得してもどうしても休んでくれなかった陛下を、レンがいとも簡単に攫って行きました。勿論力づくで執務室から連れ出していったので陛下は抵抗されていましたが、そのあと大人しく部屋でお休みになったことを考えるとレンに説得されたようです。我々では届かなかった声が、レンは簡単に届けることができる。それはひとえに陛下がレンに絶対的な信頼を置いているからに違いはないと思います。そしてレンもまた、陛下を気にかけているのでしょう、陛下の体調が思わしくない時には必ず現れ、拒む陛下を休ませます。

 一見陛下の方が頼ってばかりに見えますが、我々執務官は知っています。陛下を連行する時のあの優しい、他の誰にも向けない微笑みを。

 …え、今のが良かったですって?メロメロ?何ですかそれは。あ、ちょっとお待ちなさい、まだ話は終わっていません!!!


 行ってしまわれた…。しまった、大事なところを言い損ねていました。お嬢様方が勘違いなさらないと良いのですが…。




・とある門番の証言


 はっ、自分に何かご用件でしょうか。……女王陛下と、レンの話、ですか。いえ、自分はレンのことは知っていますが、女王陛下とはさして親しくはありません。

 ではレンが女王陛下をどう思っているか、ですか?

 そうですね…これは私個人の勝手な見解ですが、レンは女王陛下をとても大事にしています。

 知ってのとおり、レンは数年前ふらりと王都に現れ、謁見の間で女王陛下に随分無礼な口をききました。丁度その頃王宮に勤め始めた私はそれを聞き、レンに酷く腹を立てました。何て失礼なやつだと、だから世界の端の人間は、と。…今思うと酷く偏見に満ちた考え方です。あの後大分反省いたしました。

 さて、実際レンに会ってみると、その考えは簡単に昇華されてしまったんです。私自身が驚くほど、簡単に。生まれも育ちも、今の地位さえ感じさせないその振る舞いに驚かされ…その独特の雰囲気に居心地の良さを感じていました。そうしていつの間にか友人と呼べる関係になっていました。始めは嫌悪さえ抱いていた私がそうなったくらいです。女王陛下にとって、…この国を、世界をただ一人束ねる方にとって、きっとレンの存在は安らぎをも齎したのでしょう。

 ああ、そうでした。レンが女王陛下をどう思っているか、ですね。そう言えば以前、こんなことがありました。

 知ってのとおり、あの大災害が起きてから王宮は随分慌ただしかった。丁度その頃レンは地方によく行っていて、あまり王宮内の情報が入ってきませんでした。その日はレンが地方から帰ってきていて、私の同僚と他愛のない話に興じていた時です。女王陛下がここのところ、随分根を詰めているようだと話した時、レンは暫く表情を消し、瞑目していました。私が知る限り、いつも静かな笑みを浮かべているレンが、その時は少し、本当に少し苦しそうでした。何か思い悩んでいるような、そんな表情だったように思います。

 これくらいでいいですか?いえ、お役に立てたなら光栄です。ではお気を付けて。


 ……今思い返しても、あの時のレンは不思議だったな。




・とある弟の証言


 ああ、お前か。久しぶりだな。今日は何の用件だ。

 あー…アン姉様とレンの関係か。俺に思う所はあるかって?そういうの、女性は本当に好きだな。いや、責めているわけではないし、侮蔑しているわけでもない。気にするな、ただ事実を確認したかっただけだ。

 何?…姉様がいないと口が悪い…?ほっとけ。

 そうだな…。俺が知る限り、姉様が最も頼りにしているのはレンだ。はっきり伝えられはしないが、俺達家族でも支えられない姉様の心を、レンは救ってくれる。誰とも共有できない苦しみを、レンは理解できる。

 随分前になるが、少々姉様が取り乱してしまわれたことがあった。俺達はその鬼気迫る様子にただ驚いてばかりで何もできなかった。あそこまで追い詰められている姉様を生まれて初めて見たかもしれない。それくらい、異常な事態だったんだ。誰もが硬直する中、少し離れたところにいたレンだけが、動いた。いつの間に傍に来ていたのかわからないが、そっと姉様の視界をその手で遮って、囁いた。ただそれだけで、姉様は正気を取り戻したんだ。その時丁度抱きしめていたんだが、その手つきがとても優しかった。姉様のことを本当に大切に思っているんだろうな、姉様が苦しくないように、でも離さないように…そんな抱きしめ方だった。

 そのまま姉様がちゃんと落ち着くまで、抱きしめるとは行かないまでもレンは傍にいた。姉様が時折不安そうにレンの服を引っ張って、レンはそれに優しい笑顔で応えていたよ。あの笑顔は特別だな。俺や、俺達兄弟だって多分見たことが無い位、穏やかで、温かいものだった。それに安心した姉様もそうして少しずつ平常心を取り戻していったってわけなんだが…。

 何だ、抱きしめ方が最高? まあそこは同意する、俺もいつかあんな風になりたいと思ったよ。あと何を囁いたかだって?うーん、何だっただろうか。そこまでは聞き取れなかったな。はぁ…?役立たず、だって?おいこら喧嘩売ってんのか。あ、待て、逃げるな!!


 ……逃げ足だけは早いな、相変わらず。

 だが今思い出してもあの笑顔は反則だと思うけどな、レン。




・とある侍女の証言


 いかがなさいましたか御嬢様、陛下は不在ですが。…私に用があるのですか、今度は何を計画なさっているのです。前回の『ドキッ☆イケメン公爵家と運命の出会い』はどうなりましたか。ああ、やはり失敗でしたか。ご愁傷さまです。

 今度は何でしょう。…なるほど、陛下とレン殿のことですか。また面白いところに目を付けましたね。あの二方の話、となると…。陛下にとって思い悩んであられたことではありますが、陛下の昔からのご友人ならば話して差し支えはないでしょう。

 前に陛下から尋ねられたことがあります。心から大切に想っている人を助けたいのに、その助けを相手は必要としていない時、どうすれば良いか、と。…確かに客観的に見てもレン殿が陛下に頼っているようには見えません。その逆は数多く見受けられており、陛下もそのことを自覚しているようです。そしてそれを気にしているご様子でした。ですがあのとおりレン殿は器用に何でもこなしてしまわれます。陛下どころか、私達の手も必要としていない。恐らく、誰の手も必要としていないでしょうね。対等であるように見せかけて、その実誰かの手を煩わせることなく、それでいて多くの人の心を温かくする。それがレン殿だと私は思っております。

 ですが悲しいことに、助けられた側はそれでは寂しい。そんな簡単なことをレン殿が気づかないとは思いません。気づいていて、わざとそうしているとしか思えないのです。そして陛下もまた、それを知っている。いえ、私よりもレン殿を陛下は知っているのですから、何か他のことにも気づいているのかもしれません。

 ともあれ、陛下は自身を幾度も救ってくれたことに感謝し、けれどそれを返せぬことに申し訳なさのようなものを感じているように思います。今は多少違う心境の様子ですが、陛下の中に留めておいているようで、私からは何も申し上げられません。

 ああ、私のアドバイスですか。ならばレン殿を知ることで、陛下御自身の考え方が変わるのではないか、と申し上げました。無暗に手出しされることを、レン殿は望まれないでしょう。確かに人の心に簡単に入ってくるというのに、己の心には入れさせないところがレン殿にはありますが、その心に入れるとしたら…私は、陛下だけだと思っております。陛下には、レン殿はきっと、その心に立ち入らせるであろうと。

 ふぅ、これくらいでよろしいでしょうか。いつものとおり、陛下にこのことは内密に。でなければ二度と情報をお渡しできません。よろしく願いします、ではごきげんよう。また何かあったら教えてください。


 …アン様はきっと気づいていないでしょうけど、アン様がレン殿のことを考える時、女王と言う面を捨てて、ただ一人の、何も気負わない人間になれているんですよ。




・とある近衛の証言


 わ…っと、お怪我はありませんか?はい、勿論存じ申し上げております、陛下のご友人ですね、いかがなさいましたか、近衛の寄宿舎に来られるなど、珍しいですね。はい、今日は非番ですよ。別に構いません、部屋で本でも読もうかと思っていたところです。さて、用件は何でしょうか。

 え…陛下とレン殿のこと?それは一体…?だ、男女の関係として?!!モグッ、グググ…ぷは、すみません、余りにも驚いてしまって。ああ、周りの皆さん、特に異常はありませんよ、気にしないでください。…ほら、気にしないでくださいって言っているでしょう?それとも今度手合せしましょうか?手加減くらいして差し上げますよ、気を失わせないように、ね?

 …全く、人をからかうのは大概にしてもらいたいものです。そんなに怯えて、どうかなさいましたか?寒い気温ではないと思うのですが、念のためこれをどうぞ。

 さて、んん、こほん。えー、陛下とレン殿の、その、恋愛的な、関係ですね?困りました、私はそういう手のことが…ええ、本当に苦手でして。ううん…これが恋愛によるものなのかはわかりませんが…。

 少し前に、レン殿と共に、陛下の願いを叶えることがありまして。陛下個人的な願いなどそうそうないので、我々としてもその願いを叶えたいと思うのですが、如何せん中々刺激的なことを願われるわけです。あ、いえ、そんな期待の籠った目で見られても…。ち、違います違います、そういう刺激じゃなくて、我々の心の平穏を打ち砕くと言うか、バレたら色々不味いことになるとか、そういう類のものです。…ええ、主に締め上げ正座お説教コースでしょうか、我々が。とにかく、それに私は陛下の第一の近衛ですから、お供するのは当然のこととしても、その時はレン殿とエン王弟殿下もご一緒でした。レン殿は最初、その様子に諦めと呆れが混じったため息をつかれていましたが、まぁ、その、目的地に向かう道中が少し暗くてですね。…ええ、御察しのとおり抜け穴です。暗い道を通る際に、夜目の効かない陛下がバランスを崩されまして。私は最後尾を担っていたので手を差し伸べても間に合わず、冷や汗がぶわりと出てきました。ですがその御身をふわりと受け止めたのが、レン殿です。近くにいたとはいえ、ほぼ真後ろにいらした陛下の危機を察知し、決して強引ではなく、優しく抱きとめていらしたのです。私の前にいらしたエン王弟殿下も夜目が効かないので詳しくは見られていないとは思いますが、絵になっていましたね。抱きとめてくれることを信じ切っていた陛下と、焦りを一つ見せずに悠然と微笑んでいたレン殿と言い、強い関係で結ばれているのだと感じずにはいられませんでした。

 暗闇のら、ラブロマンス?い、いいえ違います私が言いたかったのはそういうことではなく…!!あぁ、もう行ってしまわれた…。


 ふう…私も少しはレン殿のように陛下に頼られる人間にならねば。




・とある母の証言


 まあお久しぶりですわね、丁度お茶にしようと思っていたところですの。どうぞおかけになって?遠慮なんてしないで頂戴、可愛い娘の友人ですもの。いつだって大歓迎ですのよ?

 え、今日は特別に話がある?まあまあ、どんなお話ですの、聞かせてくださいな。

 アンと、レンの関係?それも恋物語を聞きたい‥そう、ですの。

 あ、気になさらないで。別に問題があるとかではありませんの。ただ…いえ、やはり何でもありませんわ。

 確かにあの二人の間には、他者が近づけない独特の雰囲気がありますわ。それはアンの家族も同じ…けれどそれが恋を生み出すかと言えば、ちょっと違うかもしれませんの。ふふ、意外かしら?

 確かに、もしもアンとレンが共に歩んでくれたら、と思った時もありましたのよ?ああ、これは他の人には秘密にしてくださいな。女王の母の発言って、思いの他影響力があるみたいですのよ。だから誰にも内緒、ここだけの秘密ですのよ?とにかく、一時はそう思いましたの。あの二人の間に流れる雰囲気が、今は恋や愛でなくとも、時間をかければいつかは、と。

 …でも、違うんですの。一度レンに発破をかけてみたのですけれど、答えは否、でしたわ。レンは直接的には言いませんわ。けれど、その態度が、表情が、全てを物語っていましたの。レンは、アンの特別であるけれど、伴侶にするつもりはないのだと。

 そしてまた、アンもそんな気がしますの。アンにとって、レンは初恋にさえならないほど、特別で、替えがたい存在ですのよ、きっと。ああ勿論、初恋の相手だってとても大切ですわ。初恋をして、破れる時もあって、次の恋に進んでいく…その中で良き思い出になることだってありますわ。でも、アンにとって、レンは一生思い出にはならない。心の支えになる人ですの。決して、失うことの許されない、ただ一人の人ですのよ。

 …あら、ちょっと話が重かったかしら?ふふ、ごめんなさいね。そういうわけで、私としてはアンとレンが恋仲になることは無いと思っていますわ。



「何故って?」


 ここまで断言されてもまだ期待を抱いている年若い貴婦人に対して、彼女は笑顔できっぱり告げる。


「アンもレンも、そうなることを望んでいませんわ。一生、ね」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ちゃぷんと、湯が揺れる。

 水は捉えどころがない。質量を感じるものの、すくい上げたそれはすぐに零れて行ってしまう。水でさえこうならば、風は…。


(馬鹿なこと、考えてる)


 身体を清めて温めれば、心も落ち着くと思っていた。けれど、中々上手くいかない。一度揺らされた心は、いとも簡単に揺れ動くようになってしまった。


(別れが、近い)


 それを思い出す度に、心が締め付けられる。あの暗闇に再び独り取り残されるのかと、震える。伝えた祖母を恨む気持ちなどない、この重たい真実を投げ出したくはない。だからこそ、発砲塞がりだった。もういない祖母に八つ当たることもできず、誰かに打ち明けることもできない。

 たった一年間、独りでもがき続けたその期間、どれほど苦しかったか。そしてあの日、青年が城に現れたその日から、アンの心の重りが嘘のように軽くなった。

 独りではなかった。知っている誰もが口を噤み、次の世代に伝えることが憚られた、真実。その真実を受け継いだのは、アン唯独りではなかった。あの黒の瞳を見た瞬間、全てを知った。その瞳が柔らかく、労わるようにアンを見つめていたこと。そしてなにより、その色が、アンを救った。

 この世界で、たった二人だけが継いだ真実は、誰にも言えないものだ。ましてアンが認めるわけにはいかない。女王となったアンが、国を混乱に陥れてはならない。


(民は善であり…簡単に、悪にもなる)


 彼らはただ、平穏無事な生活を望んでいる。それを与えてくれる者の前では善であり続け、それを与えてくれない者には悪になる。

 『善』と『悪』は逆になりうるが、『与える』と『与えない』は真実逆ではない。

 民は奪う者に対してだけ悪になるのではない。望みを与えてくれない者に対してさえ、悪になる。それが例え、相手に過ぎた望みを勝手に抱いたが故の結果だとしても、彼らにとって関係ない。彼らはいかに自分が憐れかのみを語る。憐れな存在は、上の者に聞き入れても貰えない、ただ搾取されるしかないと訴える存在は…………。


―――― 平然と、残虐な行動に走る


(………いけない、気持ちを切り替えなくては)


 ようやく、湯から上がる。

 アンは女王だ。この国を統べ、民を想い、生きる人間だ。民を疑ってはならない。国を厭うてはならない。アンに望まれるのは、この国で生きる者達にとって光であり続ける王だ。

 ただ、それだけだ。


(…きもち、わるい)


 民は、人々は。

 アンという個人など、必要としていない。




「陛下、随分長湯でしたようなので、お水をどうぞ」

「シハ…」

「どうか、なさいましたか」

「何でも、ないわ。…お水、ありがとう」

「お加減が悪いようですので、どうぞこちらにおかけください」


 抵抗する気力も無く、ただのろのろとシハに手を引かれ、アンは柔らかいソファーに腰を掛けた。沈んでいく身体は、まるで己の心のようだと思った。ソファーはアンの身体を押し戻してくれるが、心にはソファーがない。ただの底抜けの沼に落ちていく気分だった。


「…無礼を承知でお伺いします、アン様」

「な、に?」

「我々が、聞けぬ悩みでしょうか」

「………そう、ね」

「レン殿をお呼びします。悔しいことですが、私には今のアン様の心中を明確に察することはできません。ですがレン殿なら、それができるはずです」

「レンは、呼ばないで」

「何故でしょうか?」

「私が、受け止めなくては、ならないの」


 意志はわかる。だがその声には全く力が入っておらず、説得力に欠けていた。

 弱り切った主を前に、ただそうですかと頷いていられるほど、シハは無情な侍女では、無情な友人ではない。命令を無視することとわかっていても、行動するしかなかった。即座に控えの間にいる他の侍女を呼び、レンを呼んでくるように告げる。そして濡れたアンの髪を拭き、その身なりを整える。

 その間、ずっとされるがままだったアンは、気だるげにシハを見た。


「レン、呼んだの…?」

「ええ。怒ってもらっても構いません。ですが、今のアン様を見て何もしないことなど、私にはできません…!!」

「…ごめんね、シハ」

「何故、謝られるのですか?!私は命令を無視したのですよ、怒るべきところです!」

「悩みを、言えなくて。それが、シハを苦しめているって、わかっているの。でも、私は…お祖母様のためにも…言えな…く、て」

「もういいのです、もういいのですよ、アン様…!私に打ち明けてもらえずとも構いません。誰にだって言えないのなら、構いません。だから、どうかレン殿には…既に知っているレン殿には、どうかその本心をお伝えください……!」


 アンを無言で抱きしめて、シハは懇願するように告げる。切羽詰まったその様子に、アンは言葉を詰まらせる。こんなにも自分を想ってくれている人がいるというのに、自分という存在のために苦しんでくれている人がいるというのに、心は沼地に沈んだままだった。

 何が不満なのだと頭の片隅で声が聞こえる。こんなに想ってもらえて、何が不満なのだと。

 彼女は真実を知らないからそう想えるのだと、別の声が聞こえる。真実を知ってしまえば、この想いは変わってしまう、と。


(私、私は…)


 抱きしめ返すことができないことに、シハは気づいている。だというのに、それでもずっと、何かから守るようにアンを抱きしめてくれている。そのことに、アンは感謝の気持ちで一杯だったと言うのに、嬉しくて仕方が無かったと言うのに、何も反応できなかった。


―――――― 心が、ばらばらになりそうだった。


 どれくらい経っただろう。コンコンと、扉から聞こえる音は、青年が来たことを告げるものだ。

 シハはゆっくりとアンから離れ、その眼差しでアンの翠の瞳をしっかりと見た。


「忘れないでください。何があっても、私はアン様の味方です。世界中がアン様を敵と見なしても、軽蔑したとしても、罵倒を浴びせたとしても…私は、アン様の御傍でお守り致します」




「…夜に急ぎで呼ばれるものだから驚きましたが」


 走ってきたのだろう、風の匂いがした。


「随分、落ち込んでいますね、アン」

「レン…来ちゃったね」

「はい、来てしまいました」


 朗らかに笑う青年は、そっとアンの手をとり、己の額に押し当てる。


「アン、聞かせてください。何がアンを苦しめていますか」

「………いつか、みんなが、私をいらないって」

「……」

「いらないって、与えてくれるものをくれないのなら、お前はいらないって。そう言って、汚いものを見るような目で私を見て、捨てるの。王都の外から出して、その堅牢な扉を締め切って。わ、私たった一人で、外に投げ出されて、どこも行く当てがなくて…!」


 止まらない、止まれない、感情の濁流。


「彼らの望むものを与え続ける人間じゃなきゃ、駄目なの。少しでも与えるのを止めたり、苦しいことを言い渡せば彼らは私を簡単に切り捨てる。この国の実権を握っているのは私じゃない、執務官でも騎士でもない、顔も名前も見えない、『その他大勢』の民なの、私はその民の思いどおりの人形じゃないと、生きていられない。女王ではなくなった途端、私には何も残らない、だって私は女王になるために沢山のものを捨てたから、家族とも距離を置いて、友人とも線をひいたわ。そこまでして、ようやく認められた立場だったのに、彼らは何の躊躇いも無く、ただ遊び飽きた玩具を捨てるように、私を捨てるのよ…?!」

「アン」

「レンは、レンはこの国の民じゃないって言ったわ…世界の端は、世界に属しながらも王国マルカムラの民ではない人たちが集まっている。皮肉よね…その意味は、本当の意味は、私を捨てないってことになるなんて…」

「捨てることなどできませんよ。始めから、アンを持っていないからです。アンという、人の希望を詰め込んだ虚像を、俺達は持っていません」

「レンだけじゃないんだって、ベヤーズに会って気づいたわ。あの人は、私を私として見てくれている。女王だと知っても、あの人は女王という役割から切り離して、私を見てくれていた…」

「世界の端の人間は、世界の祝福後に生存圏から移ってきた…疑念を抱いた人間たちなんです」

「疑念…?」

「はい。今までの生き方に、疑念を抱いた人間たちです。かつてこの地を治めていた王族に寄りかかることしかせずに、果ては王族に死を望んだ自分達の生き方を。…かつて」


 青年は、一度言葉を止めた。だが、続ける。翠の眼差しが、逃げずにこちらを見ていたから。


「かつて、望んだ力を持たぬと罵倒し…死を願ってしまった、たった十四歳の女の子のことを、悔やんで」

「レ……ン」

「歴史は語りません。歴史は、光の部分しか見ません。語り継がれていくのは、その部分だけです。誰が悔やみ、悲嘆に暮れ、そして、いなくなったかなど、受け継がせない…それが、この世界なんです」

「でも、本当は、本当は、その女の子は…!!」

「民は望みません。民は己の過ちを認められない。民は人と言う集合体に過ぎず、責任の居場所が曖昧になります。だから都合の良い方にしか見ません、違うかもしれないと、誰かが勘付いても、口を噤むしかないんです」


 そこまで話したレンは、アンの手を繋いだままソファーに降ろす。双方、互いの顔がよく見えた。


「疑念を、後悔を胸に、誰もいない土地に移ってきた人間が、少なからずいる…そこで生まれ育った俺は、それを知っています」

「それを知っているレンが羨ましいと、そう思ってしまう私は、いけないのかしら…」

「いいえ、自然なことだと思います。民を無条件で信じられるほど、アンの抱えたものは軽くないでしょうから」


 泣きそうになっている綺麗な翠の瞳に、かつて羨んだ黒の瞳は静かに笑いかける。


「アンが望むなら」


 それは、きっと終わりの始まり。


「二人で、世界の端へ行きましょうか」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



女の子は、泣いていた。

助けてと、何度も泣いた。

泣いても、泣いても、泣いても…楽にはならなかった。

だからいつしか、憎むようになった。

そうしないと、心を保てなかった。


でもきっと、それが過ちだった。




女の子は、泣いていた。

見て欲しいと、何度も泣いた。

泣いても、泣いても、泣いても…振り向いてくれなかった。

だからいつしか、諦めるようになった。

そうしないと、心を保てなかった。


でもきっと、それが過ちだった。




そうして本当の言葉で、伝え合わなくなった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「決められたのですね、陛下」


 旅支度を手伝ってくれたシハは、緊張した面持ちで外套を渡してくれる。この冷静な侍女に、親友に一体幾度助けられただろうか。年々聡明になっていく彼女を誇らしく思う。


「ええ、暫く留守にするけれど、必ず帰ってくるから」

「約束ですよ」

「約束するわ」


 不安げな面持ちのシハはゆっくり下がり、いってらっしゃいませ、と震える声で伝えてくれた。


「支度は整ったようですね。ではこちらへ」


 先に道を歩いてくれるのは、長く近衛を務めてくれていたアルトだ。いつになく伸びた背は、初めて会った時から比べると随分大きく、逞しくなった。


「私がいない間、アルトはどうするの?」

「暫く騎士団の方で鍛えます。陛下が帰ってきてからも、お守りできるようにと」

「楽しみにしていいかしら」

「楽しみにしていてください」


 立ち止まり道を開けたその先は大きな扉だった。旅の安全をお祈りしています、と寂しげな色を含ませて言ってくれた。


「準備はいいかしら、アン」


 揃っていたのは、アルリシルとエンだった。弟達はまだ幼いから、アンの父は現在アンの代わりを務めているので、ここにいない。


「姉様…どうか、どうかご無事で」


 翠の瞳に涙を一杯にため、けれど泣くまいと懸命に気を張っている弟に、優しく微笑む。大きくなったものだ。昔はアンの後を追いかけただけだった。けれど今、もう背もほとんど変わりなく、そして泣かないように我慢もできるようになった。


「ありがとう、エンも身体に気を付けてね」

「姉様も、健康には十分気を付けてください」


 その隣に佇む、エンと全く同色の髪と瞳を持つ人は、全てわかっていると言うように頷く。


「こちらのことは任せて、あなたは自分のことだけを考えて頂戴ね」

「色々迷惑をかけますが、お願いします」

「そんなこと思わないでいいのよ。…家族なんですもの」

「……はい」


 俯きがちに頷いたアンに、アルリシルは顔を近づけ、エンに聞こえぬように言う。


「世界の端に、良い男がいたら捕まえて着なさいな」

「お、お母さま?!」

「エンに聞こえたらきっと怒るから、内緒よ?」

「…ふふ、わかりました。良い方がいたら、そうします」


 緊張で強張った身体がほぐれた。機嫌が良さそうに笑う母子を、息子は不審な目で見つめるが、内容がわからない以上なにも言えなかった。


「行けますか」


 ふわりと、風の匂いがする。青年の匂いだ。

 奥の間から出てきた青年の服装は、かつてこの城に来た時と同じものだった。久しぶりに見るその姿に、アンは気を引き締める。


(私は、これから世界の端に行く)


 レンが生まれ育ったと言うその場所に行く。それがアンに何を齎すのかはわからない。けれど、レンがいなくなる前に、アンは決着をつけなければならない。


(受け継いだ、その真実は変えられないわ。けれど、受け止め方は、変えられる。そのために、私は王都を離れて、世界の端へ行く)


 レンが言った、疑問や後悔を抱いた人たちが暮らすその場所へ。そして何より…。


(レンの、お祖父さまに、会うの。会って、話を聞かせてもらうわ)


「それでは陣を発動させますので、どうぞお二人はお下がりください」

「…魔法は、既に消えたものだと思っていたのだが」

「ええ、消えたものです。もうほとんどの人が扱えないでしょうね」

「それを成せるレンは…いや、聞かないでおこうか」

「助かります、エン」


 静かに笑い、そして術を起動させる。


 ふわりと浮き上がる身体が不安定で、思わず傍にいたレンをぎゅっと抱きしめる。ちらりと見たレンは、その黒い瞳を細めた。


「行きましょう。世界の端、俺の故郷へ」


 陣の外側にいるエンたちは歪んで見えない。けれど青年の声だけははっきりと耳に届く。


「生きる真実を、本当の歴史を知る、その人の下へ」


 静かで、それでいて優しいレンの声に、不安も恐怖も今は吹き飛ぶ。


「アンが望むものを、見つけに行きましょう」


 世界が、一瞬にして白く染まった。



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