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終わりが始まり  作者: 在人
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レンの意地

 鮮やかに燃える炎色の髪を無造作に後ろで束ね、色を受け付けない黒の瞳は狡猾な大人のように、そして無邪気な少年のように世界を見通す。

 それが世界の端の住人、レンという青年だ。





―――かつて

 このマルカムラは、謎の生命体によって多くのものが失われていた。

 世界の端から来たらしい彼らに、人は為す術なく、ただただ奪われていくだけだった。土地を、食料を、命さえ喰らい尽くす彼らに、人々は一つの希望を強く求めた。


 この世界の祝福を、開放すること。


 その為に、異世界から一人の少女が呼ばれた。

 少女は長い間祝福を開放することができなかったが、この世界に来て十二年後…確かにそれを成し遂げた。

 こうして少女はこのマルカムラの救世主と尊敬の念を集め、皆に望まれマルカムラの女王となった。

 そしてその治世の中、女王は『真偽の王』と、民に親しみを込めて呼ばれるようになる。




 これはその真偽の王が崩御した後のこと。

 真偽の王の血縁で唯一の女性だった孫娘が、真実と思惑を知りながらも、女王を継いで数年後の話である。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 賑やかさを見せるのは、王都の一角にある市場だ。中心と言うだけあって、品揃えは豊富だし、何より人が多い。最近は地方への道路整備も順調に進んでおり、最近まで大災害で停滞していた土地のものも少量ながら売られていた。流通が再開されたのだろう。

 アンはその品を手に取って、どれを土産にしようかと考える。その後ろから覗き込むように物色しているのはレンだ。


「まだ品数は少ないけれど、あの地域も復興の兆しがようやく見えてきたのね」

「そのようです」

「いつも城の中でしか復興状況を聞いたことが無かったから、本当は心配だったの。…この目で確かめたいと思っても、私が行ってできることは限られている。それよりもここで彼らの支援をした方がよっぽど良いんだって…わかっているのにね」

「己の目で確認しようとする姿勢が悪いわけではありませんが、今やるべきことはそのとおりでしょうね」

「ふふ、レンにそう言って貰えると自信がつくわ」

「買いかぶりすぎですよ」

「そうかしら?」


 すぐ近く、フードの中から覗いて見える翠の瞳は、いたずらっ子のようにきらりと光っていた。年月が経って、随分女性らしくなったというのに、こういうところはあの頃と変わらない。初めてアンと城を抜け出した時も同じ瞳だった。


「初めて城下に来た時が懐かしいわね」

「ええ」

「随分昔のことにように思うけど、実際はまだ数年しか経っていないのよね」

「はい」

「あなたから色んなことを学んだわ。色んな思い出を貰ったわ。色んな感情を知ったわ」

「何よりです」


 言葉が、詰まった。

 すぐ近くにある端正な顔は、長く傍にいてくれたように感じてしまう。それほどまでに馴染んでいた。そして何より、その黒の瞳がアンに安らぎを与えてくれる。

 けれどこの青年に、自分は一体何をあげられるだろうか。

 貰ってばかりだ、守られてばかりだと今更気づかされる。自分が抱えた秘密を共有しているけれど、彼はそれを自分のように苦にしていていなあった。ただ飄々と、風のように軽やかな彼にとって、それはただの真実であり、苦しめるものではなかった。

 この人に何かをあげたいと、けれど何も持ちえない。沈黙の中、ようやく出てきたのは、ありきたりな言葉だけだった。


「……あの、ありがとう」

「どういたしまして」


 けれど青年は静かに微笑み受け取ってくれる。そのことに、少し鼻がツンとした。それをごまかすために視線を品物に移し、本格的に土産を選び始める。

 アンの様子から勘づいたのかはわからないが、レンはそっとその身を後ろに引いた。フードを被り、彼女が自慢としている黒の髪は完全に隠れている。致し方あるまい、お忍びで来ているのだから、その目立つ黒は隠すべきだ。それを最初に告げた時は大分ふくれっ面をしていたが、この世界で黒髪が大変珍しいことを知った後は、何も言わなかった。


「あれ、まだこんなところにいたのか?」

「ああ。かの地域の品を土産にしたいようです」

「姉様らしいな」

「ええ」

「レンは何か買わないのか?」

「特にないですね」

「ふぅん?そういえばレンが買うものって、食料とか生活必需品以外見たことないな」


 その言葉に青年は笑顔のままピシリと固まり、それを見たエンは不思議そうにこてんと首を傾け、その拍子にフードが落ちそうになって慌てて被り直す。この少年の毛色は珍しくないとは言え、貴族に多い色合いなので隠しておくことに越したことはない。

 元々市場は埃が舞う場所でもあるので、フードを被っていることに違和感はない。フードばかりではなく、ターバンを巻いた男性も、布で髪や顔を覆っている女性も多い。また、色々な地域の人間が入り交じっていることから、変わった衣装をまとっている者も多く、よっぽど奇抜な格好でなければ人々は目にも留めないだろう。

 それはともかく、ようやく復帰した青年は、こほんと一つ咳ばらいをしてから、ひそひそとエンに呟く。


「……あの、俺の買い物風景を見せたことありましたっけ」

「時々騎士団に紛れて城下を視察する機会がある。その時結構な割合、街でレンを見つける。ま、視察と言ってもかなり安全な地区の昼間だし、面を被っているから俺だと気づく人間がいないから心配するな」

「………………どちらの協力の下に」

「父様と右の副団長だな」


 苦く笑い、顔を片手で隠す。してやられた、衝撃が二つほどあった。

 一つは面白半分に(青年は確信している)騎士の巡回の隊に入れた面々のこと、それも複数回。

 もう一つは、知己の気配に気づかなかった自分の落ち度だった。


「落ち込む必要はないんじゃないですか、レン殿」

「……アルト、気休めなら不要です。精進します…」

「そんなに気落ちしないでください。エ……こほん、若の気配の消し方は若の父君仕込みですから、我らの知覚をもってしても捕まりません」

「ああ、そういえば随分苦労なさっていたようですね」

「ええ。…お恥ずかしいことに」


 アンの近衛であるアルトは年齢からして直接的な被害は無いだろうが、親戚から色々と話を聞いている可能性は高い。

 それどころか、エンの父が随分色々やらかしていることは、この王都ならず世界の端でも時折噂になった。城下に繰り出すのはしょっちゅうのこと、果ては変装・隠密を駆使して関所さえ超えてしまったとも言われている。どこまで真かはわからないが、今はようやく落ち着き、そこそこ真面目に仕事をしている、らしい。

 だからそれを知っている王宮は、彼の子供たちが外に出たがる度に『血は争えない』と半眼で彼を睨むらしい。本人は全く気にしていないそうだが。


「あ。姉様、買い物終わったみたいだな」

「そのようですね」

「待たせたわね。…最近はこんなものも売っているの、知ってた?」

「へぇ…俺にも見せてくれませんか、姉様」

「勿論、どうぞ」

「………(一昔前に流行ったものだと進言したら、お忍びが増えますよね、確実に)」

「………(そうですね、アルト。今は黙っておくことに越したことはありません)」

「あれ、これって確かちょっと前に…モガガっっ!」


 何かを言いかけたエンの口は、突然何かが遮った。

 え?と目を瞬かせているアンの肩を優しくくるりと反転させ、指を指したのはアルトだ。


「おや、あちらに面白いものがありそうです、行きましょう今すぐ行きましょう」

「え、あ、あの、アルト?でもレン達が…」

「すぐに帰ってきますから、大丈夫です」

「でも」

「大丈夫です」

「そう?」


 穏健な近衛に押され、ちょっと納得いかないが頷いて見せる。何よりエンの傍には青年がいる。青年がいれば問題はないと、青年に絶対的な信頼を寄せるアンは素直に頷いた。

 そのことにひとまずの安心を抱いたのは、誰よりもアルトだったに違いない。




「い、いきなり何するんだ、レン…!」

「こちらにも事情と言うものがありまして。ええ、中々に重要な案件です」

「…俺にも聞く権利くらいあるだろう?」

「そうですね…。あれが庶民の間で既に流行遅れになったものだと知ったら、彼女はどうするでしょうか」

「……………姉様なら民との認識の差に落ち込んで、きっと頻繁にこっちに来る、か」

「そういうことです。誰かのように、騎士の面を被って許されるものではありません。…わかりますよね」

「俺と姉様には決定的な違いがあるからな。わかっているよ、それくらい」


 少しむくれているものの、本質は理解しているのだろう。彼女と同じ色の瞳がそれを物語っていた。

 そのことに安堵し、そして別の方向に進んでいった二人を追いかけようとした矢先のことだった。


「おいお前、ちっと顔をよぉく見せろ」


 日の当たる往来の中、声の主は光当たらない路地裏にいた。鋭い眼光を、余分も隙無く浴びせる。子供が睨まれれば確実に泣き出す程の凶悪な面構えだ。

 何よりその言葉に身を固くしたのはエンの方だった。こんなところに王族が来ていると知られたらまずい。何がまずいって、イェトに知られたらと思うと冷や汗が止まらない。

 青年は顔を顰め、そして素早く逃げ道を探し始めた。少なくともこの王弟さえ逃がせばどうにかなる。問題はその後護衛がいなくなることだ。いくら彼が強いからと言って、独りにはできない。もう一人の護衛であるアルトはどこだと、人だかりの中で必死に姿を探す。

 だが相手は待ってくれなかった。


「お前だよ、お前」

「っ!」


 伸ばされた傷だらけの剛腕がまっすぐこちらに向かってくる。思わず目をつむりかけた瞬間、エンは突然背を押される。それに驚き、はっと押した腕の主を見る。

 逃げろと、小さく呟き前に出たのは青年だった。静かな微笑みの中、その黒い瞳は強い光を宿していた。確かにここは身代わりが最善だ。この中で最も自由に動けるのは、見つかっても全くお咎めが無いのは青年だけだろう。

 それはわかっているけれど、そんな風に青年を置いていきたくは、無かった。

 けれど思いとは裏腹に、凶悪な面をした男の腕は、しっかりと青年を捉えた。男性の中でも少々体つきの細い青年と男とでは、あまりに体格に差がある。


「っは、やっぱりな。どっかで見たことあると思ったら」


 捕らえた青年をまじまじと見つめた後、その凶悪な顔を歪ませる。その様子に周囲の人間も何だ何だと二人から距離を保ちつつ、野次馬の壁を作りつつある。

 状況が更に悪化している。青年を助けようにもこれでは動けないと、エンの額から汗が一つ流れていく。


「てめぇかよ、レンッ!!」


 未だ青年を捉えた腕とは逆の手が、風を切る。それはそのまま青年の方へ力を保ったまま向かう。


「レンッ!!」


 野次馬の壁にもまれ、身動きが取れなくなったエンが唯一出来たのは声を挙げることだった。そうして何とか壁を突破できるその瞬間に聞こえたのは、パァンと快活な音だ。

 互いに顔の近くで交わされた、強固な握手の音だった。


「久しぶりですね、ベヤーズ」

「ったく、忌々しい。謝罪も無しかよこの恩知らずめ」

「俺は何か恨まれることをしましたか」

「黙っていなくなったくせに何を言うか」

「あた、あたた…手に力を入れないでください。相当怒ってますね」

「怒らずにはいられねぇだろ」

「俺は一人旅だと最初に言いましたよ」

「だが俺は共に行こうと言ったぞ」

「頷いた覚えはありません。一人で気ままに旅をしたかったんです」

「可愛げのない餓鬼だな。相変わらず」


 親しげに交わされる二人を、ぽかんとエンは見つめるだけだった。

 何だ知り合いだったのかと、野次馬達は一抹の失望と大きな安堵を胸に散り散りになっていく。その代り、逆方面から走ってきたのはアルトとアンだった。


「どうなされましたか?!」

「レンはどこにいるの?!」

「えっと、知り合いと楽しく談笑されています」

「…えっと、あの人と?」

「………レン殿は本当に、色々な方と交流なさっているのですね」


 やはり男の容姿に引き気味になってしまうのは、あの手の男が中々王宮や貴族にいないせいだろうかと、エンは自分を棚に上げて二人の様子に苦笑する。


「随分仲が良さそうですよ、姉様」

「……何が言いたいのかしら?」

「いえ、宜しいのですか」

「だから、何が」

「あの男は外に人間のようです」

「……」

「レンを外に、連れ戻してしまうかもしれません」

「どうしようも、ないわよ」

「本当にそうお考えですか?」

「望んだら、どこにだって行ってしまう…レンはそういう人間よ」


 まだ何か言いたげな弟の眼差しを受け止めず、そっと青年を見る。

 楽しそうに笑っている、無邪気な少年のような顔を見せる青年を、ただ離れた場所から見ていることかできなかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「まぁまずは食えや。そこのにーちゃん達も、ほら、嬢ちゃんもだ」

「え、ええっと…」

「あ?食べ方知らねぇのか?これは俺の故郷の食べ物でな、ちっと行儀は悪いかもしれねぇけどよ…こうして手でちぎってだな…ほら、口開けろよ、にーちゃん」

「う…は、はい…」

「はは、最初はちょっと受け付けないかもしれませんが、慣れれば美味しいですよ。この酸味も癖になりますし。………うん、懐かしい」


 美味しそうに咀嚼する青年とは裏腹に、口に押し込まれたアルトは、初めて食べる味に目を白黒させている。

 不味いとは言えないが、美味とも言い難い。特に王宮では都の料理がほとんどだったし、アルトは都の生まれ育ったため、地方の料理に触れることはあまりなかった。そう言い訳しようにも、口の中は突っ込まれたもので一杯だった。吐き出すのも失礼だ。何とか咀嚼し飲み込もうにも、量が多いし、口の中がかさばって上手くいかない。

 その様子に、都生まれどころか上品且つ健康的な宮廷料理しかほとんど口にしない王族二人は顔を青ざめさせる。それに気づくことなくベヤーズは再び同じように料理を手でちぎって、具を包んでいた。


「ほら、今度は嬢ちゃんの番だ。口開けろや」

「え、ええと、わ、私は…」

「あ?どうした便秘か?」

「べ…!姉様になんて口の利き方を…!」

「なんだ、良いとこの嬢ちゃん坊ちゃんだったか。ほら、心配すんな毒も入ってねぇって」

「う…」


 その心配もあるが、今は他のことを心配している。

 近づけられると、酸っぱい匂いが鼻を満たす。それが食欲をそそるかと言えば、断固として違う。何より主食と言うそれに包まれた具材が、酷く油っぽく見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと、思いたいのだが…。


「ほーら。早くしねぇと具が落ちるだろうが」

「ううう…」


 アンは世界を知りたいと思う。己が治めるこの世界の人を、想いを。そこには勿論、彼らが作り上げた素晴らしい文化だって、興味がある。その文化の一つである食事も、勿論興味対象ではあるのだが…。


(ちょ、ちょっとハードルが…高い、かし、ら…?!)


 まだ今は、その文化を許容できないようだと身を持って知った。正確には、護衛の様子を見て。

 どうやって穏便に断ろうかと、窮地に立たされた脳は懸命に動き出す。だがその前に、その剛腕を捉えて、アンを追い詰める元凶をぱくりと食べてしまう口が見えた。


「あ˝?おいレン、俺は嬢ちゃんのために用意したんだがなぁ?」

「わかっていますよ、ベヤーズ。ただ、この料理は初心者にはきついでしょう?俺の故郷でさえ食べられない人間が多かったんですから」

「ったく、何でだろうな。こんなに美味いのに」

「慣れれば美味ですよ。…ほらアルト、水で流して飲み込んでください。あ、来ましたよ、質素ではありますが王都の食事です。皆さんはこちらをどうぞ」

「あ、ああ。すまないな、レン(助かった)」

「こ、今度頂くわね、ベヤーズ、さん(命拾いしたわ)」

「んく、んく……精進、しますね…(自分には無理だ)」


 ぼそぼそと、ベヤーズには届かない声で呟く彼らに青年は苦笑し、不服そうな顔をするベヤーズにその料理を差し出す。


「何のつもりだ、レン」

「俺の記憶が正しければ、こうして食べさせ合うことが友情の証でもあるはずですが?」

「っち、嫌な奴だぜ」

「はい、どうぞ」


 悪態をつきながらも、青年の手のものを一気に口に入れ、もしゃもしゃと黙って咀嚼していた。それを見届けてから青年は己も久々の郷土料理を口に入れ、昔を懐かしんでいるように見えた。


(強者だわ)

(世界の端の食事事情が忍ばれます、レン殿)

(あれくらいじゃないと、外へは行けないのか)


 庶民の食事とは言え、ある程度慣れ親しんだ王都の食事を口にしながらその様子をじっと見ていた。

 すると突然、ベヤーズは手を止め、ふと青年を見る。


「…随分ここにいるのか」

「もう五年ほどになります」

「長いな。次はどこへ行く?」


 その言葉に、アンはぐっと堪える。それを横目に見ていた二人は、痛ましげに眉を潜め、そっと会話に耳を傾ける。


「決めていません」

「ほう?故郷に帰らないのか」

「ああ、一旦帰るかもしれませんね。祖父が亡くなる前に、きちんと挨拶をしておこうと思います」

「…爺さん、まだ生きてるのか?」

「俺に黙って死ぬと思いますか?」

「思わねぇな。っつーかあの人が死ぬところなんて想像つかねぇ」

「死にますよ、人ですから」

「……そう、だよなぁ」


 そうして再びぱくりと料理を食べるベヤーズに、アンは驚愕の眼差しを向ける。

 ベヤーズと青年は当然のように話をしているが、アンからすれば聞き捨てならない言葉が聞こえた。それは他の二人も同じだったらしい、驚きに目を見張っている。


「レンの、お祖父さまを知っているの…?!」

「あ?あぁ、まぁな。俺の故郷は世界の端に近いのもあるし、俺自身が商人だからよ」

「商人、…でしたか?」

「言いたいことはわかってるぜ?この面と身体で商人名乗るなんてそうそういないだろうからな。だがま、世界の端じゃあ当然のことだ。商人兼戦士じゃなきゃ身を守ることさえできねぇ」

「世界の端は、そんなに危険なところなのですね」

「それなりに、な。にーちゃんのような騎士が足りねぇんだよ」

「っ!」

「おっと構えんな。それくらい身の動きを見ればわかるだろうが。自覚しておけ、にーちゃんたちの動作は結構わかりやすいんだぜ?」

「……肝に、銘じておきます」

「そうしておいてくれ。で、なんだっけか…話が逸れたな」

「俺の祖父の話、ですね」

「ああ、それだそれ。何だレン、お前、爺さんの話をしてなかったのか、冷たい奴だな。随分仲良さそうなのによ」


 その言葉につきんと痛みを感じる。

 存在は知っていた。それが彼の唯一の肉親なのだと話してくれた。でもそれだけだった。どんな人なのか、彼は語らなかったし、聞き出せなかった。

 だから、アンが知っている青年の祖父は、あの人から聞いた話の中だけだった。


「仲が良いからと言って、無暗に家族のことを話すとは限らないでしょう。それに俺、ベヤーズにも祖父の話はしたことありませんよね」

「あー…確かにそうだな。毎回俺が一方的に話すだけか。…何か腹立ってきたな、殴っていいか」

「お断りします」

「それで、レンの祖父様はどんな人間なんだ?」


 青年の祖父のことを知らない弟は問う。その姿がアンの目には無邪気に映る。アンは真実を知るからこそ、聞けなかった。青年の祖父が今、どんな暮らしをしているのか。どういう人なのか。

 何を想い、世界の端で暮らしているのか。


「静かな人だな。だがレンと違って笑うことは滅多にない。大体が真顔、しかめっ面…あとたまに般若の形相だな」

「酷い言われようです」

「うるせぇ本当のことだろうが。…あとべらんぼうに強い。俺の故郷も何度か助けてもらった。それから教養もあるな、灌漑だとか農地開拓だとか、あと水力を使ったからくりの作成とか。何より本を読める人間が少ない場所だからな、世界の端は。王都から出回ってきた本を全部読んで、それを口語で伝えてくれる」

「普段口数少ないのに、そういう所ではよく喋りました…若干薄気味悪かったですね」

「お前爺さんに恨みでもあるのか…。まあそういうわけで、俺がこうして商人やってるのも、あの人に頼みこんで文字を教わったからだな。騙されないように計算もきっちり教えてもらった。静かな人だったが、優しい人だよ、あの人は」

「人からそう評価されると、身内としてはむず痒いものです」

「だから、よ」


 続く言葉は、アンを大きく揺さぶるには十分すぎる程の衝撃を持っていた。


「だから、どうしてそんな人が、世界の端にいるのか。それだけは誰も知らねぇんだ。知っているのは、あの爺さんは王都にいたらしいことと」


 ドクリと、鼓動が脈打つ。

 アンは知っている。その人が王都にいたその理由を。


「旅の途中、妻を失ったこと…それくらいか」


 指が震える。

 アンは知っている。その人が世界の端を目指したその理由を。


「元々弱っていた上に、出産に耐えかねて死んじまったって話だ」


 視界が、滲んでいく。

 アンは知っている。その妻が死んでしまったその理由を。

―――――― 誰によるものなのか


「その命がけで生んだ娘も身体が丈夫じゃなくてな。元々大人になるまで生きられねぇって言われていた。けど、何の奇跡だか知らんが、何とか生き延びて、誰の種だかの息子を生んだ」

「そう、だったのですか…」

「ぎりぎりの中で、次に命を繋いだ…全く、大した女だよ」

「ベヤーズの女ではありませんよ」

「んなことわかってるわ!…ま、その父親のわからん息子は幸いにも病気怪我とは無縁の健康体そのもの…つまりそこに座ってる恩知らずなレンってわけだが。他に何か質問あるか、答えてやるぜ?」

「何故他人の家族の経歴を偉ぶって喋ってるんですか…」

「てめぇが語らねぇからだろうが。世界の端じゃ、爺さん一家の話はちょいと有名だからな」

「それはベヤーズと俺の故郷だけでしょう。辺境でさえ暇つぶしの噂話程度になっていますし、ここは王都ですよ」

「連れねぇな相変わらず」


 じろりと睨むベヤーズを他所に、青年は食事を続ける。強面の眼差しを難なく流すところにも、その料理をぺろりと平らげることにも、アルトは畏敬の念を覚える。もう少し、頑張ってみようと思う。明日から。


「えっと、一つ、聞いていいか」

「おう、坊ちゃん。何だ言ってみろ」

「その……」

「あー、そうだよな、本人前に聞きにくいよな。おいレン、ちょっと耳塞いでろ」

「変わらない暴君ですね、ベヤーズ。ですがわかりました、今は素直に受け入れます」


 椅子を持って店内の端へ行き、耳に何かを詰めた。何故耳栓を常備しているのかは謎だが、今は助かったとエンは息をつく。


「ほう、今日は随分聞き分けが言いな。…それで、何だ?」

「……世界の端では、父親のわからない子供って、普通なのか?」

「なっ!?何てことを聞くの!父親が誰であろうと、レンはレンじゃないの!」

「わかっていますそんなこと!!……だけど、それが原因でレンが嫌な目にあっていたかもしれないって……!」

「ほー、同情か、坊ちゃん」

「っ」


 言葉の裏に潜む感情の一つを言い当てられ、思わず言葉に詰まる。その瞬間に動いたのは護衛として来ているアルトだ。すぐにその柄に手をかけ、普段の彼からは想像もつかないほど険しい顔でベヤーズを睨む。


「貴様」

「おっとにーちゃん、睨むなよ、ついでに手も引きな。俺は喧嘩しにきたんじゃないんだ。…まぁ、意地の悪いこと言った。わかっているさ、坊ちゃんの感情がそれだけじゃないことくらい」

「わかっているなら何故…!」

「アルト!…大丈夫、俺は大丈夫だから」

「……畏まりました」

「質問に答えるぜ。全員ってわけじゃないが、少なくない。どういう理由であれ、そういう子供は王都よりもずっと多い。…答えになっているか」

「ああ…ありがとう」

「坊ちゃんを試したんだ、礼には及ばんな。ほら、他はあるか。レンが耳塞いでいる間に答えてやるからよ」

「あの」


 静かに声を挙げた方を見て、ベヤーズはにかりと笑う。反対にアルトは警戒を強めた。


「お、次は嬢ちゃんか、なんだ?」

「……レンのお祖父さまの、奥さまは……どんな、人だったか…知っています、か?」

「へぇ、面白いな。爺さんの方じゃなくて、話にほとんどでない嫁に興味を持つなんて」

「……その人は、笑うことは、ありましたか。ずっと、泣いていませんでしたか。……何か、言っていませんでしたか」


 様子がおかしいと、アルトとエンは眉を潜める。初対面のベヤーズでさえ、その異常に気付き始めていた。

アンの焦点が、合っていない。


「……姉様?」

「苦しいとか、辛いとか、もう嫌だとか、誰かに対して恨み言とか、言い残したこととか…!」

「お、おい嬢ちゃん…?」

「何でもいいんです。その人が言っていたこと、何か知っていませんか?その人がどんな風に最期を過ごしたのか、最期の時に何を想ったか、話したい人がいませんでしたか…!!ああ、でも最期はちゃんと安らかに眠れていましたか、最期までずっと苦しんでいたんじゃ……!!」


「はい、ちょっと落ち着きましょうか、お嬢さん?」


「れ………ん…?」

「はい、俺がわかりますね?では深呼吸して…そう、上手ですよ…息を吐いてー」


 いつのまにか駆け寄って来ていたレンは、アンの視界を片手で隠してながらその身体を緩く拘束し、ゆっくりとベヤーズから引き離す。

 言い詰められていたベヤーズは、そこでようやく自分の身が固まっていたことに気が付く。小娘に圧倒されるなど普段なら考えられえないことだが、それ程アンの雰囲気が異常だったのだ。


「…どうしちまったんだ、あの嬢ちゃん」

「お、俺にもわからない」

「自分も初めてです。あんな風になるなんて…」

「まあレンは何か知ってみるみたいだな。あの野郎、そういうところが昔から気に食わねぇ。何でも知ってるって面しやがって」

「レン殿が…知っていること…」

「……姉様が、抱えた真実……」


 ぽつりと呟かれた言葉を、ベヤーズは拾う。声の主は、顔色を失ったエンだった。


「あ?」

「姉様が、祖母様から伝えらえた真実のせいかもしれない」

「若、それ以上は…!」

「真実だと?なんだそりゃ」

「わからないんだ。俺達にさえ知らされていない。祖母様と、姉様だけが知るその秘密を…レンは知っているんだ」

「どういうこった?」

「世界の端に生まれたはずのレンが、どうしてそれを知り得たのかは知らない。ただ、レンだけが姉様を救えるんだ」

「………救える、ねぇ。お、そろそろ嬢ちゃんも落ち着いて着た頃だな」


 それ以上深追いしなかったことにアルトは安心し、伸びをして身体をほぐし始めたベヤーズは金を払う。アルトが慌てて金を出そうとしたが、連れてきたのは自分だからとベヤーズは譲らなかった。

 そしてちらりと、レンの腕の中で正常に戻りつつあるアンを見た。


「俺は仕事に戻るが…気を付けろよ。そう嬢ちゃんにも伝えておいてくれ」

「ああ、姉様に伝えておく」

「あとそうだ、そこのにーちゃん」

「なんでしょうか」

「レンに伝言。『王都で一番の遊郭に今宵待つ』ってな」

「ゆ、遊郭?!」


 ひっくり返った声に、はて、とベヤーズは首を捻る。王都では名前が違ったのだろうか。間違いがあってはいけないと、説明を付け加える。


「何だぁ知らねぇのか?酒と、綺麗なねーちゃんが山ほど…」

「そそそそそれ以上は結構です言わないでください知っていますけど聞きたくないですははははは恥ずかしい!!!」

「……なぁ坊ちゃん、こいつ、タマァついてるよな?」

「れっきとした男だ」

「はー…世界は広いぜ」


 そうベヤーズは、感心しているような、呆れたような目線をアルトにやった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「こんばんは」

「おう、上がってこいや」

「こんな所に呼びつけたせいで、暫く不名誉な噂が流されていい迷惑です」


 ベヤーズの周りには綺麗に着飾った女性たちがいた。ある者は酒を注ぎ、ある者は舞い、ある者は妖艶に寄りかかる。

 その様を見て、普段は穏やかな顔が固まっている。その様子を、目を細めて楽しんでいるベヤーズに気づき、今度は口をへの字に曲げる。


「全く、ベヤーズのこういう所は理解できません」

「何言ってんだこの色男。世界の端じゃ、女を食い漁ってた癖によ」

「あのですねぇ。…………あの、それ、言いふらしてませんよね」

「あ、どうしたいきなり?…あー、どうだったかな?」

「本当に勘弁してください。ベヤーズの口八丁でどれほどの風評被害を受けたかしれません」

「……まじで食い漁ってねぇの、女?」

「当たり前です。というか、本気でそう思っていたんですか?!」

「あんなに色んな…それこそ幼女から老婆にまで言い寄られていたのに、か?」

「女性だからといって誰でもいいわけがないでしょう」

「何だぁ?お前もタマァついてないのかよ」

「なるほど。では代わりにベヤーズのそれを切り落としてつけましょうか」

「冗談だ、冗談。目が座ってるぞ」

「可笑しなことを言うからです」

「お前が男なのはわかってる。昔しょっちゅう素っ裸で川に入ってるからなぁ」


 さて、とベヤーズは指をパチンと鳴らし、傍にいた女性たちが一斉に退く。

 そうして一つ、残された器を青年に渡して酒を注ぐ。青年はぶすりとしながらも器を掲げ、ベヤーズも同じように掲げた。


「世界の端に、一握の恵みがあらんことを」

「世界の端に、小さな幸せがあらんことを」

「「そして永久の自立を」」


 かつんと、器が鳴った。




「で、昼間の連中…ありゃ一体なんだ?」

「それを聞きに来たんですか?」

「いいや、違う」


 すっと、その瞳が細められた。獰猛な色合いが潜め、代わりに知性を見せる。


「真実って、何だ」

「誰がそれを言いましたか」

「あの坊ちゃんだ。嬢ちゃんとその婆さんが知っている秘密を、なんでお前が知っている、レン」

「何故でしょうか」

「はぐらかすなよ。お前は世界の端で生まれ、育った。対してあの嬢ちゃんたちは、俺の推測だが、王都から出たことは無いはずだ…違うか」

「そのとおりでしょうね」

「じゃあ一体どこでお前と嬢ちゃんたちの接点があったか…爺さんだろ」

「どうでしょう」

「そうだな…爺さんか、その妻…ってところか」

「……さて」


 青年は静かに喉を潤す。良い酒だと、ほぅっと息をついた。


「なぁ、俺はその真実が知りたいんじゃあねぇんだ。わかるか?」

「では何を求めますか」

「…お前、これからどうするんだ」

「どうする、とは」

「そのままだ。この先、未来の話だよ」

「中々大きな話ですね」

「茶化すな。どんな真実であれ、嬢ちゃんは随分そのことを気にかけてる。じゃなきゃ、あんな半狂乱で初対面の俺に問い詰めたりしねぇだろ。…ただ、俺があの爺さんの知り合いってだけで、よ」

「初対面でありながらそこまで見抜けるものなんですか」

「これでも色んな人間を見てきたつもりだ。綺麗なもの汚いもの、どうしようもないものどうにかしたいもの、真っ直ぐなもの卑屈に曲がったもの」


 ベヤーズは器をゆっくりと揺らして青年を見る。

 この青年と別れてから、多くの人間に会った。沢山のことを知った。けれど他を知れば知るほど、青年が浮き上がる。面白い奴だとベヤーズは口角を上げた。


「あの嬢ちゃんは、綺麗で真っ直ぐで、……だが痛々しい何かを背負っちまってる。それが、あの坊ちゃんが言った真実なんだろ、違うか?」

「…………愚かですよね」

「何?」


 呟く青年は、今まで見たことの無い表情をしていた。

 嘲笑。

 人の環の中心で朗らかに笑っている青年からは、想像もつかない。ベヤーズはそれなりの月日を青年と過ごしてきたが、一度たりともそんな表情は見せなかったと言うのに、ここに来て何故。


「愚かですよ。もうどうしようもないというのに、それをずっと引きずって。無かったことにしてしまえばいいんです、見なかった振りを聞かなかった振りをしなければいいんです。忘れてしまえば…いいのに」

「お前」

「少なくとも世界はそうしました。栄えある貴人たちは、そう判断したんです。誰もが黙ったその事実を、墓まで持っていくべきその事実を。…最も伝えてはならない人に、伝えた」


 誰に対する嘲りなのかは、ベヤーズにはわからない。けれど一つわかるのは、伝えたことで傷ついている人間がいること、その人は青年にとって大切な人であると言うことだけだ。

 そう思うと感慨深い。青年は誰とだって打ち解け、その心に入ってくる。それは世界の端にいた時もそうだった。けれど青年の内側に入れたのは、一体誰だっただろう。青年は平等に皆を大切にする。そこに優劣は存在しない。恐ろしいほどの等しく、人と接する。

 そんな青年に、他者を否定してでも守りたい存在ができたということか。


「ベヤーズ、俺に聞きましたね。この後どうするのかと」

「聞いたな」

「俺はここを去ります。もう二度と、会うことは無いでしょうね」

「…あの嬢ちゃんとは二度と会うつもりはねぇんなだ」

「ええ」

「それじゃああの嬢ちゃんはどうする。あのままだと壊れちまうぞ」

「そうなったとしても、………俺の責任ではありません」


 言った途端、ベヤーズは拳でその面を殴る。多少は手加減してやった。


「もう一度その言葉を口にしてみろ!」

「っ」

「俺の知っている男は、レンという男はなぁ、ちっと顔が整ってるからって女にもてまくって鼻持ちならねぇクソ餓鬼だがな…人を悲しませる奴じゃあねえ!!!」

「……買いかぶりすぎです、よ」

「買いかぶって何が悪い、俺の目が、耳が、魂がそう言ってるんだ!それが俺の真実であり、お前と言う男だレン!」

「ベヤーズの価値観で俺を作らないでください、…迷惑です」

「迷惑だろうが泣いて嫌がろうが知ったこっちゃねぇな。撤回しろ、嬢ちゃんを無責任に放り出すなんてさせねぇからな」


 鼻息荒く言い放つ。発破をかけたつもりだ。青年は大事に想うその存在を、突き放そうとしている。悲しむのは彼女だけではない、青年もだと、ベヤーズは確信する。

 互いに傷つくと言うのに、何故別れたがるのか。


「…もう、どうしようも無いんですよ」

「わからねぇのか。お前が嬢ちゃんの傍にいればいい。それだけだ」

「それでは駄目なんです」

「煮え切らねぇな男だろタマついてんだろ!」


 まだぐちぐち悩んでいるのかと、とうとう堪忍袋の緒が切れそうになる。ついでに額に血管も浮いている気がする。大事な友が、その友が大事に想うその人が、不幸になる道など歩ませはしない。

 けれど熱くなるベヤーズとは対照的に、青年はどこまでも静かだった。静かに、ぽつりと言葉を放つ。


「アンの傍に、俺はいられない」

「はぁ?何女々しいこと言ってんだ馬鹿じゃねぇのか、馬鹿か」

「ベヤーズ」

「んだよ」

「アンは、この世界の女王たる人です」

「………………………………あの、嬢ちゃんが」

「はい」

「………あー、そういえば女王はそんな名前だったか。そしたらあの坊ちゃんは」

「王弟ですよ」

「あんなところに何しに来てんだ」

「色々あって、内密に行動していたんです」

「まぁ、何があったかは聞かねぇよ。ってことは真実を伝えた婆さんってのは、真偽の王か」


 それは、この世界に光を齎した人。

 その人のことは世界の端の人間だって知っている。当時はまだ生存圏が狭かったせいでもある。それに、失った大地を、水を、命の息吹を一瞬にして救い上げた奇跡の人を忘れるにはまだ早い。そしてその人が数年前天寿を全うし、孫娘がその地位を継いだのを旅先で知った。


「…ええ。その人が、アンに伝えたんです」

「そりゃすげえな、どんな真実なんだか」

「気になりますか?」

「いや全然、むしろ興味が失せた」

「ベヤーズならそういうと思ってました」

「で?だからどうしたってんだ」

「アンは女王です。光の中に生まれ、歩いていく人です」

「王族の中でも王位を継いだからな。だが…それがどうした?」


 青年に挑みかかるような眼差しを向ける。


「嬢ちゃんが貴族だろうと女王だろうと、お前の顔と性格と能力で何とかできるだろうが。嬢ちゃんはもとより、王宮の人間を頷かせることくらい、お前にはわけないはずだ」

「…そういうのでは、無いんです」

「話が見えねぇ」


 手ごたえの無さにやる気がそがれ、ベヤーズはくいっと器の中を飲み干す。そこへ丁度いいタイミングで注ぎ足すのは、黒い目を伏せた青年だった。

 注ぎ終わり、トンと酒瓶を静かに置いた青年は、ベヤーズの真正面に礼儀正しく座る。その様子を横目で見ていたベヤーズは嫌な顔を隠そうともしない。嫌な話が始まると、直感的に悟った。


「ベヤーズ。きっとベヤーズは怒るだろうから、先に話します」

「ああ˝?お前今度は何やらかすつもりだ」

「既に怒っているようですね…。本当は、あの時、ベヤーズの商隊を離れた時、ベヤーズとは二度と会うつもりは無かったんです」

「っ…いい度胸してんなぁ相変わらずよぉ?!」

「聞いてください。…祖父も、次が最後だと思っています」

「…何、考えてやがる」

「…俺を知る人間の前に、二度と姿を見せないようにと」

「だからそれが!一体何でだって聞いてんだよ!!」


「聞かないで、ください」


 一瞬俯いた青年の声は、低く掠れていた。


「……お前も、なんか面倒くさいの抱えてんのかよ」

「自分のことはきちんと自分でやります。ですが、アンを支えることはできない。…もうすぐ俺は、アンの前から消えるから」

「それが嬢ちゃんのせいじゃなくて、お前の理由でなんだな」

「ええ」

「一発殴らせろや」


 応えなど必要ない。

 今度は加減無しに殴ってやれば、青年は色んなものを巻き込んで後ろへ吹っ飛ばされていった。柱にぶつかりようやく動きを止めた姿を見て、ベヤーズは多少胸がすいた。根本的な解決にならないとはいえ、胸糞の悪さがある程度すっきりした。


「痛い、ですね」

「おうよ。だがな、覚えておけよ。残される嬢ちゃんの痛みは、こんなもんじゃあねぇぞ」

「わかっています」

「ったく…まかり通らない世の中だぜ、嫌になってくる」

「ベヤーズは」

「あ?」


 まだ何かいうつもりか、とベヤーズは半眼で柱にもたれかる青年を見る。

 頬を赤くしているというのに、その端正な顔に微塵も醜さを感じさせない。むしろ男前になったとさえ言える。そのことに腹が立ったのは致し方あるまい。世の中不公平だ。

 心中で悪態をつくベヤーズの目の前で、青年は笑った。嘲りではなく、透き通った、どこか儚さを感じさせる笑みだった。


「ベヤーズは、幸せになってくださいね」

「お前、何を」

「ここにいたいと思う場所に、一緒にいたいと思う人の傍に、やりたいと思う仕事に…きっとそれが、幸せというものでしょうから」

「……お前、本心では嬢ちゃんを」


 その言葉に、笑みの種類が変わる。それは困ったようなもので、よく青年がどう否定しようかと考えあぐねている時の顔だった。ようやく自分の知った青年が見られてほっとするも、否定する青年が嘘をついていないかじっと見定める。


「アンに向けるのは親愛ですが、それは兄弟と同じ類のものですよ。俺に兄弟はいませんけどね」

「お前なぁ……ばっさり言われる嬢ちゃんが哀れだ」

「そうでしょうか?」

「女にもてる奴は冷てぇな」

「そういう意味ではなく、アンも……いえ、これは俺の憶測ですから言うのをやめましょう」


 青年にも思う所があるらしいが、途中で止めた。だがその先をベヤーズは察し、なるほど似た者同士かと結論付ける。天然たらしか、彼女も。

 一体王宮の中でどれくらいの男泣かせてるんだか、とベヤーズは悪い笑みを浮かべる。奴等にとってレンは非常に邪魔な存在だろうし、レン自身は彼女の傍から離れると言う。これからが嬢ちゃんの本領発揮かと、今後の王宮の噂話にも耳を傾けようと思う。どこのどいつが、隣にいる価値のある男だと認められるか、見届けてやろう。


「ったく、折角上等な酒だってのに不味くなる話をしやがって」

「人の触れられたくない話に触れたのはベヤーズですからね」

「うっせ」

「変わらない我儘っぷりに安心しました」

「嫌味か」

「あれ、そう聞こえましたか?」


 ベヤーズはドンドンッと二回、足で床を力強く踏んだ。するとしばらくしてから女たちが舞い戻り、再び場に色が戻る。


「では俺はこれにて失礼します、っ?!」

「逃がすか馬鹿。おい、こいつの相手もしてやれ…って」


「あら、随分お綺麗な顔をしてらっしゃるのね」

「でも男前、悪くないわ」

「その割には随分鍛えているのね…引き締まった身体をしている」

「あら」

「あららら」


 始めはベヤーズの方にいた女たちは、もう一人を視界に入れると自然に身体がそちらに向く。正直すぎるその行動にベヤーズは顔を引きつらせ、彼女らの先にいる青年をぎろりと睨みつけた。


「おいレン、お前俺の女をとるんじゃねぇえええええ!!」

「知りませんよベヤーズ引き止めたのはそちらでしょう。ああ、お姉さん、自分でできますから結構です。こちらのお姉さん、ちょっと体勢を変えますのでこの腕を解いてください」

「お前なんか手慣れてね?」

「慣れてませんよ。………………いいですか、変な噂は流さないようにお願いしますよ、ベヤーズ」




 ようやく収まった場に、若干疲れ気味の青年と憮然としたベヤーズが舞を見ている。

 結局青年は女を寄せ付けず、それに反発した女たちはベヤーズにも寄り付かなくなった。そういうことで、二人は静かに手酌で舞を見る羽目となる。


「お前のせいで大損だ。折角綺麗処を揃えたってのによぉ」

「断固として俺のせいではありませんから」

「しかしまぁ、あの対処。本当に女に慣れてねぇのか?嘘だろ」

「黙ってください」

「そんな冷徹なお前がまさかこの世界の王ぞガボボ!」


 青年は瞬時にひっつかんだ酒瓶を無慈悲にベヤーズの口に突っ込む。溺れたように抵抗するが、頭を鷲頭神にしてでも飲ませる。


「その単語は禁句だと言ったはずですよ、ベヤーズ」

「っが……げほ、げほ…てめ……」

「約束は守って頂きます。お嬢さんたちのことは内密に」

「へーへー、わかりましたわかりましたイダダダダダ!!」

「内密に、頼みますよ?」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夜半

 さくり、さく、さく、と、不規則なリズムを刻みながら王宮に戻ってくるのは、少々顔を赤らめた青年だ。




 先程会った、本日も夜番の友には遊郭から持って帰った飯を分けた。喜々として食べ始めたのはクルムズだが、生真面目なマーヴィは酒の匂いに首を傾げていた。


「珍しいな、レンが酒を嗜むなど」

「そりゃあレンだって男だからなぁ、飲むだろ」

「そうではない。ここまで酔うほど飲む男だっただろうかと」

「遊郭の帰りだろ」

「何…?」


 マーヴィの顔が瞬時に変わる。敵に対峙した時と同じような顔なんだろうなと、酔った頭でレンは考える。隣のクルムズは苦笑い、慣れているのだろう。


「怖い顔するなって、マーヴィ。言っただろ、レンも男だって」

「レンはそういう所は好まないと思っていたのだが?」

「いや、まぁ、知己に、誘われ、ましてね」

「それにしても随分飲んだなぁ。部屋に戻れるか?」

「はぁ。なんとか、大丈夫だと、思います、よ?」


 心配そうな顔をする二人を他所に、何とかふらりふらりと王城を歩く。






 あと少しという所で、青年はドンッと乱暴に背中を壁に押し当て、片手で視界を塞ぐ。


「あの、ですね…俺に、期待しても、無駄ですからね」


 誰もいないはずのその場所で、青年は喋ることを止めない。


「何を、望んでいるのかは、大体想像つきますが。…俺や、アンは、全く、そのつもりなんて、ありません。………ふぅ……俺達の間にあるのは、真実を知る同胞という、ただの絆ですよ」


 くっと青年は笑う。


「望みは、叶いません。俺はここを出ます。アンはここから出られない。望みは、叶いません、わかりますか?」


 ずるりと手をよけた視界の先には、真っ暗な影。青年の数歩先で、じっと固まっている。


「思いどおりになんて、なってやりませんよ、俺は、俺達は。きっとアンは無意識でしょうけど、俺は違う。俺はね、怒っているんです」


 その言葉に、影が一瞬揺らぐ。


「大昔のことではありませんよ。…アンに、真実を告げたことだ」


 ぎらりと、その漆黒の瞳が影を睨みつける。


「あれさえなければ、アンは何一つ憂いなく女王として生きられた。本当を知らずにいられた。あんな真っ直ぐな優しい人を…俺の大事な人を、くだらない真実で縛り付けている。そのことを怒っているんですよ。ねぇ、ラン?」


 青年は影に歩み寄る。


「死して尚も孫娘のことが心配なら、あんなことを伝えなければよかったんです。ですがランは己の中にある罪悪が、己の死と共に消えてしまうことを恐れた…違いますか。だから次を継ぐアンにそれを押し付けるなんて、愚かな真似をした」


 言葉を、突きつける。


「それは、その真実は、抱えた罪悪は、ランと共に葬られるべきものだったんです。…未来に、アンの心には、必要なかったんです」


 影が怯む。


「だから、本当は………………俺は、ここにいるべきじゃ、なかったんです」


 泣きそうなのを必死に堪えた悲痛な言葉が、静かに響いた。


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