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終わりが始まり  作者: 在人
2/9

レンの日常

 燃えるような赤毛を後ろでチョコンと束ねて、真っ黒な瞳はどこまでも見通す叡智を携え、けれど無邪気に輝いている。

 それが王国マルカムラの旅人、レンという青年だ。





―――かつて

 この世界が絶望に染まりかけた時、一人の少女が異世界から現れてその闇を切り裂いた。

 少女は異世界の人であり、このマルカムラの救世主であり…真偽の王と呼ばれるものとなった。


 これはその真偽の王が崩御し、その孫が王位についてから数年後の話である。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 王城の門番を務めるクルムズは、夕日をぼうっと眺めながら欠伸を一つ。隣に立つ生真面目な同僚のマーヴィは、おい、とクルムズを窘めるが致し方あるまい。暇なものは暇なのだ。そしてそれは平和の証で、何も悪いことはないとクルムズは開き直る。


「少しはしゃきっとしろ。交代してまだ一時間と経っていない」

「いやそれ言わないでくれよ…この仕事が一番辛いんだって、俺にとって」

「相変わらず不真面目な奴だ」

「お前はずっと真面目な奴だよ」


 同期でもある二人は何かと組むことが多かった。この年の期待の星と言われ、力量もほぼ互角と言われている。だからこそ同期の中では群を抜いて出世しているのだが、それでもこの仕事はいただけない。


「何か面白いことないかなぁ…」

「不謹慎だぞ」

「って言ってもな…お」


 すると突然、王城の外にうっそうと生える森の中から、人影が突然現れる。マーヴィは一瞬で臨戦態勢に入るが、クルムズはにかりと笑って迎える。あんな飛び出し方をするのは、大抵一人しかいない。


「今日は帰るのが早いな、レン」

「お、ご苦労様です!クルムズ、マーヴィ」

「何だレンか。今日はどこ行ってたんだ?」


 彼の姿を見届けてからマーヴィは体勢を戻し、呆れながら問う。


「今日は農業都市までひとっ走りです。今年も豊作ですね、豊穣祭が楽しみですよ」

「お前…あそこまで行って来たのか、一人で」

「日帰りできない距離ではないが、あまり感心しない。…まだ道が整備されていない上に、最近は盗賊被害が多い」

「あれ、そうなんですか?」


 こてんと首を傾げる青年に、二人の門番はため息を一つ。


「あのなぁ、幾らレンが世界の端からやってきたとはいえ、危険なものは危険なんだぞ?」

「そうだ。特に君は陛下の親友だ。君に何かあれば陛下が悲しまれる」

二人に窘められ、レンは少し身体を小さくさせて困った顔をする。

「そんなに危険そうな道じゃなかったですよ」

「そうやって油断して幾人が犠牲になったか教えてやろうか」


 聞き分けないレンに焦れたマーヴィが若干声音を変えて脅し始める。それに同期のクルムズはまぁまぁと窘めつつ、レンにしっかり釘をさす。


「お前が多少腕に覚えがあることも知っている。でもな、俺達騎士だって一人で行動するのは禁止されている地区なんだぜ」

「うーん…わかりました。気を付けます」

「最初から素直にそう言っておけばいいものを。大体レン、お前はいつも危なっかしい橋ばかり渡っている自覚があるのか。お前は―――――」

「はいはいマーヴィ、心配だからってお小言ばっかり言ってると嫌われるぞ。ほら、もう日が落ちる、早く中に入りなって」


 そう言われて、レンは礼を言って門を潜ろうとして、思い出したかのようにくるりと身を翻す。


「あ、あとでこっそり夜食持ってきますね」

「お、わかってるじゃないか、レン」

「…お前ら」


 咎めるような眼差しに、だが二人はにししと笑い合う。

 数年前やってきたこの風変わりな旅人は、同じ時期に新人として王城に上がった騎士二人ととりわけ仲が良かった。風のように掴みどころのない旅人は、年齢性別地位に関係なく多くの人に好かれ、対等な友人として接してきた。騎士達もそこに含まれ、そして果てはこの国の王にとっても友人として認められていた。

 いつか風のように去っていくであろうことを、誰もが認識しながらも。その燃えるような髪と、好奇心で輝く黒の瞳を持つ青年を温かく受け入れていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 とある一室に入ると、中にいた子供達がわっと青年に集まってくる。誰もが目を爛々と輝かせて青年に話をせがむ。


「それで、どうだったんだよ、農業都市!!」

「や、やっぱりきんいろのじゅうたんは、あったんですか?!」

「ばっか、まだ収穫の時期じゃないだろうが。…まだ緑色、だよな?成長途中だよな?」

「わ、わわ…落ち着いてくださいって」


 三人の男子はわらわらと好き勝手に言葉を投げつけ、青年はやや困ったようにしていた。すると中でも年長と思わしき少年が三人の首根っこを捕まえ、後ろにぽいっと投げやる。その雑な仕草に、思わず青年はあちゃーと顔を手で覆った。


「いっ…て!ひどいぜ、エン兄ちゃん!!」

「うぅ…」

「自分が一番気がかりだったくせに…い、いや、何でもない」


 文句があるなら行ってみろと、無言で仁王立ちするその姿は、三人を怯えさせるだけの効力を十分有していた。


「全くお前らと来たら。疲れたレンを座らせようって労われないのか」

「あ…」


 日帰りできる距離とは言え、かなり急がせたはずだ。その証拠に髪はどこか乱れていて、外套は脱いでいるものの、いつもパリッといている服もくたびれている。


「すみません、エン。気を使わせてしまって」

「気にするな。むしろ悪いな、弟達の猛攻撃に驚いただろう」

「いえ、俺としては中々嬉しかったですよ?」

「そういうもんか?」

「俺には兄弟がいないもので」


 さらりと言ったつもりだったが、エンはその言葉に顔を顰める。あ、これはまずかったと反省する間もなく、エンは沈んだ面持ちになった。


「…すまん。お前の母親は身体が弱かったな」

「いいえ、お気になさらずに。反面、祖父は頑丈なようで今でも健在ですからね」

「………父親も、誰かわからないんだったよな…」

「あー、っと…………」


 これ以上言葉を続ければ、この年若い友人がどんどん気落ちしていくだけだと悟ったレンは、パンッと掌を叩いて皆に呼びかける。


「さて、今宵の仕事は終わりました。農業都市について聞きたいことがあれば幾らでもどうぞ。ただし、俺としてはふかふかの椅子と温かいハーブティーを希望しますが?」


 いかがですか?と、男の子達に茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「いつも助かりますわ、レン」

「いえいえ、俺のできることなど限られていますから」


 朗らかに笑う青年に、小さな子を抱えた翠の瞳を持つ貴婦人は眦を下げる。


「…本当に不思議な人ですね、あなたは」

「そうですか?俺は格段そう思いませんが」

「いいえ、不思議ですよ。あれだけ他人を警戒していたあの子達が、これだけ懐くのですもの」


 そういって腰かけたベッドの先には、三人の幼い子供が眠っていた。その誰もが、翠の貴婦人とどことなく似ていた。


「あら、エンは今どこにいて?」

「ああ、彼なら自室に戻って今回の話を自分なりにまとめるそうですよ。…少しでも姉の力になりたいと言って」

「あの子もあなたが現れてから随分前向きになれたのですね、ありがとう」

「いいえ、彼自身の性格と能力ですよ。俺はただ手助けしたにすぎません」


 三人の子供を、愛おしそうに眺めた後、翠の貴婦人は視線を青年に戻して寂しげに微笑む。


「……長子であるあの子はね」


 そのまま静かな沈黙が二人の間を流れた。


「あの子は、お義母様が亡くなる直前、彼女から何かを託されたようでしたわ。それはあの子が独りで背負えるほどのものではなくて。誰ともそれを共有せずに…私や夫が何を言っても頑なに守り続けた『秘密』に、いつしか押しつぶされてしまうのではないかと」

「……」

「そんな時、あなたが現れた。…今でも覚えていますのよ?いつか壊れてしまうんじゃないかと思うくらい張りつめたあの子の後ろで見守るしかできなかった私の前に、あなたが初めて現れた日のこと」




『お初お目にかかります。世界の外れから参りました』


 その瞳を見た時に、思わず悲鳴を上げそうになりましたの。そしてその真っ直ぐな、輝く瞳に射止められましたわ。まるでここにいるのがさも当然のような、全く違和を感じさせないその存在に、全身が歓喜で震えていたのを今でもはっきりと、覚えています。

 そう、この人は、全てを知っている、と。私達は知り得ず、ただひっそりと祖母から孫に伝えられた重い『秘密』を、この青年は知っていると直感的に感じましたの。


 この子を、救ってくれると。




「確かに、彼女は今にも潰れそうなくらい苦しそうでした」


 あの日のことを思い出しているのだろう、青年は遠い目をしていた。


「…アルリシル、俺はその『秘密』を生涯誰にも話すことはできません。俺が、俺達が受け継いだのは、そういう類のものなんです」

「ええ、わかっていますわ。だからこそ、あの子はずっと苦しんでいた。けれど、既に知っている者同士ならば、と……」


 希望さえ携えて青年を見やると、青年は静かに微笑むだけだった。是とも否とも言わない、ただ静かに笑っていた。


「………レン?」


 この人懐っこい青年は、時折こうして風のような不確定さを醸し出す。それはここに来た当初からそうで、数年間王都で暮らした今でさえ変わらない。それが時々、無性に不安になる。


「あなた達家族に受け入れられたこと、この王都で多くの友人を得られたこと、この上ない喜びです」

「…ええ」


 そこまで言って、レンは沈黙を守った。だが翠の貴婦人は感じ取る。レンはこれ以上こちらに近づく気はないのだと。この青年は人の懐に簡単に入ってくるくせに、自分の中には入れない。ある一定の範囲は、絶対に近づけないのだ。それが例え、どれほど心許したと思っていても。


「失礼します」


 どれくらいの沈黙の後だろうか。青年はその場を辞した。それに無言で頷いて、その背を見送る。

 青年は世界の端からやってきたと言う。母は元々身体が弱くて自分を生んですぐに亡くなったと。母は未婚のままであったために父は知らぬと。だから母方の祖父が自分を育てたのだと。そう、あの黒い瞳を持つ青年は伝えた。

 アルリシルが知るのはそれだけだった。そして多くの者が知る彼の過去は、それだけだろう。それ以上、彼は何人にも触れさせなかった。共有などさせなかった。

―――ただ一人、アルリシルの長子を除いて


(あの子の重責を、彼が共に背負ってくれたというのなら…)


 母親として、そして青年の友人として、願う。


(彼の孤独を、あの子が理解することもできるはず、そうではありませんか?)


 アルリシルはそう祈り、空を見上げた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「夜番ご苦労様です、クルムズ、それにマーヴィ」

「お、待ちくたびれたぞ。……あー、酒はないか」

「おいクルムズ、夜番が酒を飲んでどうする」

「いやぁ、冷えるからなぁ夜は」


 じろりと睨む同僚に、クルムズはとっさに顔を反らす。その様子を眺めていた青年は、くすくすと笑って中のものを広げる。


「酒はありませんが、身体が温まるスープなら持ってきました。冷めぬ内に飲んでしまいましょう」

「気が利くな」

「マーヴィは絶対に酒を嫌がると思ったので」

「正解だ」


 そのまま三人は黙って胃袋に収めることに集中した。そして一段落つくと、クルムズがそういえば、と話を振る。


「陛下、最近缶詰になっているらしいぞ」

「そうなんですか?」


 薄く切ったハムをぱくりと食べながら、青年はきょとんと眼を丸くする。


「そろそろ誰かがガス抜きしてやらなきゃ、あの陛下のことだから大変なことになるんじゃないのか?」

「真面目なのは有難いが、時折無茶をする…それで御身を崩されては元の子も無い」


 なるほど、とハムを咀嚼しながら青年は考える。そういえば最近、外回りが多くて中々会いに行けない状況だった。


「レンは陛下が友人だと言い切った貴重な存在なんだ、少しは話でも聞きに行ってくれ」

「そーそ。俺達がそうしたがったとしても、天地がひっくり返らない限り無理だからさぁ」

「そうですね、そろそろ顔を出してみます」


 こうして末端の騎士までに心配されているなんて到底思っていないだろう、その真面目な陛下を青年は思う。


「お、こりゃ懸想か。懸想している顔か」

「おいクルムズ、不届きなこと言うなら斬るぞ」

「お前本当に冗談が通じない奴だな…」


 二人の漫才を心地よく聞きながら、青年はそっと瞳を閉じる。




『レンは、いつまで傍にいてくれる?』


 凛とした翠の眼差しの中に垣間見える不安の感情は、それでもこちらを捉えて離さない。指通りの良いその黒い髪を風にそよめかせていた。


『どこまで私達は、同じ時を過ごせるの?』


 別れを既に見越した言葉は、切なく聞こえる。例え自分から離れていくものだとしても、胸が締め付けられた。

 彼女が抱える不安は、大きすぎる。独りで背負うにはあまりに重すぎるもので、けれどきっと、託した彼女の祖母はそれを誰かに伝えなければならないと、そう思ったのだろう。


―――――― 全く持って愚かなことだ




「おい、レン。おーーーい」

「思考に沈んでいるだけだろう、そっとしてやれ」

「っていってもなぁ、マーヴィ。俺達も休憩終わるし、そろそろこいつだって眠らせてやらなきゃならんだろう」

「…そういう所は律儀だな」


 溜息をつくのはマーヴィで、こちらに根気強く声をかけるのはクルムズ。レンにとって大事な、とても大事な友人たちだ。


「すみません、ちょっと考え事をしていて」


 恥ずかしそうに微笑めば、二人は仕方がないと笑ってくれる。この温かさが心地よい。この気遣いが、申し訳なくて、でも嬉しい。


「じゃあ俺、そろそろお暇しますね」

「ああ、ゆっくり休め」

「俺達は明日非番だから、眠り邪魔すんなよ?」

「わかっていますよ、それでは頑張ってくださいね」


 そのままいつも通りの歩調で外にでて、けれど段々と足は速くなっていく。とうとう我慢しきれず駈け出せば、全てのしがらみを置いていけるような気がして。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 一頻り走ってしまえば、残るのは心地よい疲労感と息苦しさだけだ。


「何やってるんですかね、俺は」


 思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。


「さて、と。早く寝て明日は彼女の下にでも行きますか」


 んー、っと伸びをして気持ちを切り替え、そして与えられた一室に向かう際に、ふと気づく。一つの影が、彼をじっと見ていることに。


「……大丈夫ですよ、何とかします。だって彼女は俺の大切な ―――――」


 小さな音は、風にのってその影へと届く。告げ終えたと同時に、影を一瞥し、そのまま部屋に向かう。もう後ろは振り向かない。自分の決意は伝えたつもりだから。





 遠のくその姿を、今宵も影はじっと見つめ続ける


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