21.エリカを探して~4
「アォォォォ……ン!」
限界に近い疲労の中で、その遠吠えは何かの警鐘のように俺の直感に訴えかけた。
仲間を呼ぶのか?それとも逃げるつもりなのか?
その答えははるか遠く、街道の先からやって来た。
人が造った道であろうが関係なく、森の木々に隠れる訳でもなく。
たた悠然と何者にも憚らず、ソイツはこちらにやって来た。
それを見た瞬間、俺はこみ上げてくる感覚に逆らえず、胃の中のモノを全てぶちまけていた。
そのぐらいの恐怖だった。
ジジイと一緒に山でクマに遭遇したことはある。あの時だって命の危険を感じたし、恐怖も覚えた。
それでも今目の前にいるアイツを見れば、クマだって裸足で逃げ出しかねないくらいの威圧感だ。
黒焔狼 どんなに間違ってもここにいちゃいけない類の魔物。
黒狼を従える森林の王たる存在、正真正銘のAランクに属する化物だ。
大森林の奥深くに生息しているって聞いてはいたが、それがまたなんでこんな人里近くに現れたんだ。
勝てる勝てないの話じゃない。
コイツの討伐には軍隊が出るか、Aランク以上の冒険者パーティーに特別依頼が出る相手だろう。
それが今、目の前にいる。
前座である黒狼と戦い、ボロボロになった俺になんという仕打ちなんだろうか。
果たして応援の騎士団が駆けつけてくれても、どうにかなる相手じゃない。
「アーサー君、これ!」
その声で我に返った俺は、雨裂からはい出てきたエリカに驚き声を荒げる。
「出てきちゃダメだ!」
「わかってる!でも、これ!」
一生懸命手を伸ばして俺に何かを渡そうとするエリカに、俺は駆け寄った。
まだ怖いのだろう。震える手で俺に押し付けてきたそれは、お守りポーションだった。
赤と青の小瓶がぶら下がったそれは、道具屋なんかで売っている気休め程度の代物。
エリカに押し付けたバックに取り付けてあったそれは、日頃お世話になっているからと、エリカのお父さんにプレゼントされた物だった。
赤が体力で青が魔力を、それぞれほんの少しだけ回復するポーションになっている。
「戻ってて、エリカ……」
俺はそれを受け取り、瓶の蓋をねじ切ると両方ともいっぺんに飲み下した。
とたんに、体の芯が熱くなって左肩の痛みが引いていく。
それに魔力が底をついたあの気怠さもずいぶんとマシになっていた。
あれ? これ、普通のお守りポーションじゃないぞ?
見れば刻印の一番下に小さくHと刻まれている。
ああ、ロイドさん。外見は普通の安いポーションと同じだけど、中身はハイポーションなのか。
プレゼントにしては随分奮発してくれたんだな。これ、この量なら銀貨2枚はするんじゃないかな?
でも、そのおかげでずいぶんと動けるようになったよ。
ついでに気弱になってた心も、だいぶ持ち直したみたいだ。
「エリカ―― ありがとうね」
俺は気合を入れなおして、背後にいるエリカに礼を言った。
勝てるとか負けるとか、そんな問題じゃない。
今はたとえ刺し違えてでも、エリカを守る。それが俺の意志だ。
改めて黒焔狼に向き直る。その目を見れば、ヒザが笑い出しそうなくらいの恐怖を感じる。
それでもエリカに背中を押してもらった俺は、視線を逸らさずに足を踏み出した。
長く生きる魔物の中には、人間の言葉や思考を理解する種もいるらしい。
俺が一歩を踏み出した時、間違いなくコイツは口の端を吊り上げて嗤ったように見えた。
俺が反応できたのは、偶然だったかもしれない。
一歩前に踏み出しながら、まだ痛みの残る左腕をわずかに動かして、感覚を確かめていた。
黒焔狼の前足が風を切るように鋭く振られ、風の高等魔法、飛刃がいきなり俺に向けて飛んできた。
俺は咄嗟に魔法障壁を展開して、防御に徹するが黒狼の攻撃を受け止めた障壁は、あっさりと破られ吹き飛ばされてしまった。
勢い良く後方に転がされ、やっと止まったと思ったら、いつ動き出したのかもう目の前に黒焔狼が迫っていた。
今の俺から見れば、この黒焔狼は、大人が見上げるサイズの象にも等しい。
そんなサイズの狼が前足を振り上げて、鋭い爪で俺を切り裂きにかかる。
俺は何とか体勢を入れ替え、前転して唸りを上げる大きな爪をかわすと、短剣で腕の付け根に斬りかかる。
ガリッと、嫌な音がして短剣が根本から折れ、黒焔狼には傷ひとつつかなかった。
黒狼でもやっとだったのに、鋼の短剣とはいえ普通の刃物と俺の細腕では、コイツに傷がつけられるとは到底考えられなかった。
そのまま転がるようにして移動した俺に、攻撃のチャンスが有ったはずの黒焔狼は視線を送るだけで、ただ黙って動かない。
コイツ――楽しんでやがる……
間違いなく猫がネズミをいたぶるように、俺をオモチャか何かと思っているらしい。
俺はそんな黒焔狼の視線にイラつきながらも、バックステップで距離を取ると左手に魔力を練り込んだ。
窮鼠猫をかむって事、俺が教えてやるよ!
俺は魔弾(改)を、黒焔狼めがけて放つ。いくら体毛や表皮が固くても、鍛えられない場所があるだろ?
狙い違わず飛び出した魔弾は、正確に黒焔狼の左目を貫いた!
その瞬間、大地を揺るがすほどの咆哮が、周囲に響き渡った。
「グォォォゥゥゥゥゥ……ッ!!」
楽しいオモチャが突然、自分に傷を負わせたと知った黒焔狼は、それまでとは違って、皮膚に痛みを覚えるほどの殺気を放ちながら、こちらに接近してくる。
この突進はまずい!
そう思った俺は、突進を止めるべくフレイム・バーストを放つ。
大きな爆発が黒焔狼に炸裂するが、それでも構わず向かってくる黒焔狼の勢いを削ぐことは出来なかった。
何とか横に飛んで突進をかわすが、スタッと、着地した野郎はくるりと方向を変え、再び俺に襲い掛かってくる。
横に飛んで逃げようにも、すでに崖が近くて避けられそうにない。
俺は迎え撃つ覚悟を決めて、腰を落とし指先にフレイム・バーストの火種を、一粒だけ指先に作り出した。
その瞬間はまるでドキュメンタリー映画の中で、ライオンが獲物に襲いかかるシーンを、スローで撮影したようにひどく他人事のように見える。
咆哮を上げながら黒焔狼が、俺に向かってジャンプしその大きな口で俺を一飲みにしようと、飛びかかってくる。
俺はその口の中に小さな火種をそっと放り込んだ。
次の瞬間、黒焔狼の粘膜に触れた火種は爆発的に大きく膨らんで、その口内を焼きつくす。
その熱気が俺にまで伝わり、そして何が起こったのか分からないまま、黒焔狼はもだえ苦しむ。
俺は、火種を放り込む事に集中していて、奴の突進の勢いを殺せずに、前足の下に倒れこんでいた。
必死に前足で顔をこすり、口内の痛みを何とかしようともがくが、それは叶わない。
「これで、終わりにしようぜ……」
俺は残った最後の魔力を振り絞ると、必死にイメージを組み立ててソイツを作り上げる。
無属性の魔力で練り上げた短刀、この魔力刀なら黒焔狼を貫ける筈だ!
「喰らえっ!」
渾身の力を振り絞ってのたうち回る黒焔狼の下から、喉に向けて短刀を突き刺した。
僅かな抵抗というか手応えを感じたが、それでも止まることなく根本まで進んで行く。
俺は短刀を突き刺したまま横に振りぬいて、黒焔狼の喉をかっさばいた。
「ガッ……ギャウゥゥゥゥッ!」
黒焔狼は喉をやられて断末魔の叫びも、声にならないうめき声のような唸りが出ただけだった。
そして一呼吸置いてから、バケツをひっくり返したように大量の生暖かい血が俺の頭上から降り注いできた。
この状態でもまだ立っているなんて……
やっとのことでヤツの下から這い出した俺は、苦しむ黒焔狼と目を合わせた。
大森林の王者としての威厳、そして少し寂しそうなその目は、徐々にその色を失ってゆく。
『アォォォォ……ン!』
声にならない小さな遠吠えを残して、黒焔狼はドサリとその身を倒し息を引き取った。
そう言えばもう1匹、黒狼が残っていた筈だ……
俺は遠くから聞こえてきた馬蹄の音と、駆け寄ってくるエリカの姿を見て、意識が遠くなる。
「アーサー君!しっかりして!…………」
ごめんエリカ、ホントにもう動けない。魔力もカラだし、体力だってとっくに限界超えてますから……
それにね…… そろそろシリアス続けるのも、疲れたのよ……
そこで、俺の意識はぷっつりと切れた。
もう一話をたぶん夜に投稿(予定)




