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冬休み。
学校は自主登校で三年生はほとんどいない。来るのは図書室で自習する生徒だけだ。図書室は三年前に新しくできた別館へと移されたので、本館に行く必要はなくなる。
「受かったんだ」
疑問ではなく断定。
「ああ」
別館と本館の二階にある連絡通路で由美と俊は会った。
この二人だけで話すのは珍しいことだった。普段、話すときはその場には桜がいたのだ。
友達の友達―実際その程度の知り合いだった。
「お前は指定校推薦で決まったんだったな」
「受験なんてめんどくさいまねしないわよ」
由美はそのまま通り過ぎようとした。
「何か探してるのか?」
「……違うわ」
俊は小さな声で「そうか」と言い、別館最上階へ向かう。
最上階には音楽室がある。彼はそこでピアノの練習をする。
「由美?」
「……え?」
由美が後ろを向くとそこには桜の姿があった。
「おはよう」
「おはよう、桜」
由美の親友の桜だ。高校に入って、最初に話しかけてくれた。桜がいなければ、高校三年間一人ぼっちだったかもしれない。
「桜って一般じゃなかった?」
由美が最初に感じた疑問は、桜が本館にいること。
桜もその疑問に気づいたのか、ここにいる理由について話し始めた。
「うん。ちょっとだけ散歩してたの。私たちが来れるのって、あとちょっとだけじゃない?」
三年生は学期末になると自由登校になる。受験生も自由登校なので、学校に来ることがほとんどなくなってしまう。
「勉強だけじゃ気が滅入るんだもん」
「推薦で行けばよかったのに」
推薦を辞退した親友に呆れた風に言った。
「そうだ!ねえ、遊びに行かない?」
「勉強どうするの?!」
「いいじゃん、今日だけだから」
―……まぁ、いいかな?
「今日だけだよ?」
友達ではないとできないこと。それは由美にとって大事なものだった。当たり前のようで当たり前じゃない。それはとてもかけがえのないもの。
階段で一番上まで登ると、そこは他の階と違った造りをしていた。この学校は進学校でありながら、スポーツや美術方面にも力を入れている。もちろん音楽も。
鍵を開けると、天井は段々になっており、黒板の前にはピアノが置かれている。そこは音楽教室だ。
俊は荷物を置き、ピアノへ近づく。赤い布をとると漆黒のピアノがあらわになった。
鍵盤に手を置き、音を奏で始める。
音が止むと入り口から誰かが入ってきた。
「私がいるときといないときでは音が全然違うね、千葉君」
「先生、来てるのなら来てると言ってくださいよ」
入ってきたのは浅田宏先生。音楽を教えており、俊のピアノも教えている。宏は今年で七十を超える年だ。
「千葉君のピアノは面白い。何を考えているのかわかってしまう。でも、君はもうそういうピアノを聞かせてくれない」
「昔の話です」
俊は息を吐いた。
「君のピアノは素晴らしい。しかし、そこには君がいない」
「だからプロから降ろされたと言いたいんですか?」
俊は中学の時、プロのピアニストになった。しかし高校に入ったと同時にアマに降格させられた。
「自分を殺さないで、自分を生かしなさい」
「それはできません」
「傷つくのが怖いのかい?」
―先生。あんたは、なにもわかっていない
俊は自分の中にいる自分を殺す。そして、笑った顔でこう言った。
「そんなことはないですよ」
「そうか……」
宏は残念そうな顔をして教室を出た。
「なにもわかっていない」
俊は誰もいない音楽室で、ピアノを弾き続けた。
彼の思うが儘に。




