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高校生最後の冬。
早朝の平日に走っている電車は人が少ない。そして学生の数はさらに少ない。
その少ない学生のうちの一人である千葉俊は、乗車口の真横にあるわずかなスペースに入り、耳にイヤホンを付けていた。その先はポケットにある音楽プレイヤーだ。彼は吸い込まれるような黒い瞳をしており、髪もそれと同じ色をしている。それと反して肌が病的に白い。
彼の手に単語帳が握られていた。
電車が止まり、次々と人が乗ってきた。そろそろラッシュの時間帯に入る。
「おはよう」
誰かが俊に声をかけたが返事が返ってこない。そして耳にイヤホンが付けられていることに気づく。
俊は集中しており、単語帳に目を向けている。
―邪魔しちゃ悪いよね
俊の集中力が解けて、何気なく前を向くと、目の前に幼馴染がいた。
「いるなら声をかけろよ」
幼馴染である吉田桜は、俊を見て笑っていた。コートとマフラーを付けており、肩まである髪はそのままだが、前髪はいつも横分けなのに対し今日は真ん中分けしている。
「だって集中してたから」
俊は足元に置いてあるスクールバッグに単語帳と音楽プレイヤーをしまった。
「今日は早いな」
桜はいつも俊より遅く登校している。
「今日はいつもより早く起きちゃったから」
「そうなんだ」
俊は窓に結露でできた滴が垂れていくところを見ていた。
「今日はなんかあるのか?」
「なんで?」
「前髪」
「前髪?あー、これね。寝癖ができちゃっててこうするしかなかったの」
桜の髪は黒くまっすぐで、寝癖ができていたようには見えなかった。
「なるほどね」
「かわいい?」
「似合ってるんじゃない?」
彼は言葉を濁してどうにか流すことにした。
彼にとっては言葉を濁したつもりだったが、濁せていない。
「ありがと」
高校の最寄り駅―外苑前。地下鉄線の駅なので、地上階まで登らなくてはいけない。登校ラッシュの時間帯になると階段が混んでしまう。そのせいで遅刻する生徒は少なくない。
朝が早いこの時間帯だと、生徒は全然いない。実際、今は俊と桜しかいない。
二人が高校までの道のりは長くもなく短くもなく。
地上に出ると冷たい空気が二人を迎えた。
「寒いな」
「マフラー持ってくればいいのに」
「マフラー持ってねんだよ」
「買ってきてあげようか?」
「別にいいよ。そこまでしなくても」
俊は、近づいてきた自分が通う高校を見て言った。
「もう冬は終わる」
そろそろ冬休みが入り、ほとんど学校に来なくなる。冬休み明けは自由登校になって、場合によっては外に出なくなる。
「そっか、推薦とれたんだっけ?」
「今日が合格発表だ」
「そうなんだ、実技があったから発表遅かったんだ」
「まあね。お前は……もちろん受かったよな?」
桜はばつが悪そうな顔をして笑った。
「わたしね、一般受験することにしたの」
「え?お前の成績だったら第一志望を推薦で行けるだろ」
俊はどうしてという顔をした。彼の顔があまりにもわかりやすすぎて桜は声を出して笑った。
「行けるけど、志望校を増やしたの。それが今の第一志望。そこは推薦で行けないから一般で受けなくちゃだから」
「そっか。がんばれよ」
「うん」
校門をくぐり、下足室へ向かう。
下駄箱を開けると、ひらりと紙のようなものが落ちた。
「なんだこれ?」
「……っ!」
俊がとる前に、桜がものすごいスピードで拾った。彼女にしては珍しい、冷静さを欠いた行動だった。
桜が拾ったものを胸の前で大事に抱えている。
「もしかして、らぶr…」
「待って!それ以上は言っちゃだめ!」
俊の言葉を途中で断ち切った。
「まだそうと決まったわけじゃないでしょ?!」
桜の顔が赤くなり、涙目になっている。
「ふむ」
「な、なによ?」
「はよトイレにでも行って、中身確認してこいよ」
桜の表情がほんの一瞬固まった。
「……見たくないの?」
「もちろん、後で見せてもらうよ。……ゆっくりとね」
俊は人が悪い笑みを浮かべて言った。
「うわぁ!」
桜は猛ダッシュで階段を上って行った。
「ふぅ」
彼はその後を追うように階段を上った。
ただ、教室に行くのにこの階段が一番の近道というだけで、他意はない。




