婚約破棄したいのに、婚約指輪が外れなくて婚約者様から逃げられない。
「ヲルディオ様! どうか、婚約解消してくださいな!」
デスクに乗り出さんばかりの勢いで、私は婚約者であるヲルディオに言った。
「それはできないよ、アルル。このやり取り、もう百回目だよ?」
私の申し出を、ヲルディオはあっさりと却下した。
彼は悪びれることもなく、デスクに置かれていたティーカップを手に取り、ハーブティーをひと口飲む。
脚を組んで優雅にお茶を楽しむ姿は、とても絵になっている。それほどに、彼は外見に恵まれているのだ。
(っ、て。見とれてる場合じゃないわ!!)
「やっぱり早摘みのレモンバームティーは格別だね。アルルも一杯飲むかい?」
「それはぜひ……ではなくて! 私は婚約解消していただきたいと言ってるのです!」
部屋全体に響くような声で、私は必死に叫んだ。
ここは、王立魔法庁の一室。ヲルディオは若いながらも、強大な魔力を持つ大魔術師であるため、特別にこの広い仕事部屋が与えられている。
この部屋に出入りするのは、私と彼の二人だけ。
叫び声が消えたあと、防音が行き届いた部屋に、一瞬の静けさが広がる。
「だって、アルルはその婚約指輪を外せないんでしょ? だから無理だよ」
「うっ……」
私の左薬指をちょんちょんと指の先で突きながら、ヲルディオは言った。
私の薬指に嵌っているのは、ヲルディオから贈られた婚約指輪。
強力な魔術がかけられているため、私の意志で外すことはできない。
無論、魔術をかけたのはヲルディオである。
「悪いけど、婚約解消したいなら外してから言ってくれる?」
「だっ、誰のせいでこうなったと……!」
「アル」
「……っ!?」
くい、と私の顎を掴み、ヲルディオは顔を寄せてきた。
互いの前髪が触れ合い、唇が触れ合ってしまいそうな距離。
私は赤面して、顔を背ける。
「っ、は、離してください……!」
「アル。君は自分が、僕と不釣り合いだから婚約を解消したいと思ってるんだろう? そんな理由、僕は許さないよ」
妖しい笑みを浮かべながら、ヲルディオは私の耳元で囁く。
その姿はあまりにも艶やかで、彼が妖魔の類だと言われても頷けるほどだった。
しかし、そんな悪魔の誘惑に乗ってはいけない。私は慌てて、ヲルディオから離れた。
「と、とにかく……! この指輪が外せたら婚約解消できるんですよね? だったら私、絶対に諦めませんから!!」
「そうかそうか、分かったよ」
頬杖をついて、ヲルディオは小馬鹿にしたように言った。
(絶対に、別れてみせるんだから……!)
そう思いながら、私は足早に部屋を出ていった。
+
ヲルディオと私は、幼い頃からの友人だ。
互いの両親の仲が良かったこともあり、子供の頃はよく一緒に遊んでいた。彼に対して恋心を抱いていたのも、事実である。
いつしか私たちは、互いを愛称で呼び合う仲になっていた。
『大きくなったら、アルは僕のお嫁さんになってね!』
『うん! もちろんよ、ルディ!』
ヲルディオとは、そんな約束をしたこともある。
しかし。私たちが思春期になった頃、大きな転機が訪れる。
ヲルディオには強大な魔力が発現したものの、私には少しも魔力が発現しなかったのだ。
成人してから、ヲルディオは王命により魔法庁への入庁が決まった。
そしてこの国では、強大な魔力を持つ者同士が結婚するのが通例である。
だから私は、初恋を胸にしまうことに決めた。
それなのに……ヲルディオは、なぜか私を婚約者に指名した。
それどころか、彼は根回しをして私を自分の秘書に任命したのだ。
無論、反対の声は根強かったようだが、彼は「大魔術師」という肩書きを使って、すべて黙らせてしまった。
『誰がなんと言おうと、僕の奥さんはアルに決まってるじゃないか』
彼に釣り合うほどに強い魔力を持っていたならば、嬉しくて泣いていたであろう言葉。
しかし私は、ヲルディオの言葉を素直に喜べなかった。
無力な私との結婚は、将来彼の足枷になってしまうから。
+
「んー……本当に、どうしたらいいのかしら」
夜。自室で私は、すっかり頭を抱えていた。
ちらりと、左薬指に視線を落とす。
伸縮性のある特殊な素材の指輪は華奢な作りだが、指にぴったりと隙間なく嵌っている。私が指から抜こうとしても、ビクともしない。
魔力同士は反発する性質を持つため、ハサミやペンチなどの魔法具を使うことも考えた。
しかし隙間がないとなれば、そもそも魔法具を使うのも難しい。
「いっそ、指ごと……いや、絶対無理!!」
さすがに、婚約破棄のために指一本持っていかれるのは全力で避けたい。私はすっかり途方にくれていた。
「そうだ。制服のジャケットのボタン、付け直しておかなきゃ」
私は引き出しから裁縫箱を取り出して、縫い物を始めた。
魔法庁の職員は、全員が制服を着ており、その生地や糸には特別な魔力が織り込まれている。
そのため、メイドには修繕が頼めないのだ。
「針に糸を通して……ホント、通しにくいわね」
そんな独り言を呟いた時、私の中で、とあるアイデアが思い浮かんだ。
(そうだ……! これさえあれば!)
ボタンを付け直した私は、さっそく「あること」を試してみたのである。
+
「ヲルディオ様、今日こそ婚約解消してくださいな」
翌日。登庁した私は、ヲルディオにそう言った。
いつものように、ヲルディオは首を横に振る。
「残念だけど、指輪が外れないなら……」
「それが、外れたんですよ」
「え?」
私は指輪を着けていない左手を差し出し、にこやかに言った。
方法としては、こうだ。
まず、魔法糸を通した魔法針を指と指輪の間に滑り込ませる。そのまま魔法糸と指輪の魔力反発を使い、指輪を少しずつ滑らして指先側にずらしていき、抜き取ったのだ。
魔力反発は微細なもののため、かなり時間がかかったものの、無事に指輪は外れたという訳だ。
「さあ、ヲルディオ様。婚約指輪も外れたことですので、婚約解消を……」
「へえ、なかなかやるじゃないか。アルル」
「え?」
気づけば、ヲルディオはイスから立ち上がり、私の左手をしっかり掴んでいた。
口元は笑っているが、目はまったく笑っていない。
「じゃあ、そんな器用なアルルに、ひとつお願いがあるんだ。僕の着けた婚約指輪も、外してくれるかな?」
「……え?」
ヲルディオの左手に、指輪ははまっていない。そもそも、婚約指輪は女性が着けるものだ。
私が混乱していると、ヲルディオはさらに続ける。
「ここだとさすがにアレだから、少し場所を変えようか」
「え? え? え?」
ヲルディオは私の手を引いて、隣の仮眠室に連れていった。
バタン。
「ほら、全部で二つあるよ。『婚約指輪』」
「ひああああっ!?」
……これ以降のことは、口にするのも憚られる。どうか、私の悲鳴と叫び声で察してほしい。
「さ、どっちから外す? どっちが先でも良いよ」
「ゆ、指に嵌めたもの以外、指輪とは認めません!! こんなっ、こんな……!」
「知らない。どこに着けてても、僕が指輪と言ったら指輪だよ。じゃあ、まずは簡単そうなここから行こうか。さっき使ってた糸を使っても良いよ」
「こんな場所……っ、取れないですっ!!」
「ほら、しっかり掴んで?」
「無理、無理ムリむり!! そんなことしたら、もげちゃう!! 潰れちゃう!!」
「ははっ、男の身体がそんな弱い作りだと思ってるの? 可愛いなあ。ほら、頑張って。二本目もすぐ隣にはめてるでしょ?」
「ひえっ……!!」
結論から言うと、二つの指輪はすべて外すことができた。
しかし、仮眠室から出てくる頃には、私はすっかり意気消沈していた。
なぜなら……『指輪外し』は、私にはあまりにも刺激が強すぎたのだ。
「っ、もう私、お嫁にいけない……っ」
「僕がもらってあげるって、言ってるだろう?」
半泣きの私とは対照的に、ヲルディオはすっかりご機嫌だ。
私を束縛するためには、自分が体を張るのもいとわない。そんな彼が、私は恐ろしくて仕方がなかった。
「ね、アルルって、僕と結婚するのが心の底から嫌?」
応接ソファに私を座らせて、私の髪を撫でながら、ヲルディオは問うた。
顔をあげると、サファイアのような瞳と目が合った。
彼の美しい金髪と碧眼は、美しすぎるあまりつい見入ってしまう。
「世の中のルールとか、世間体とか全部無視しても、僕との結婚は嫌?」
「それは……っ」
私がヲルディオと別れたいのは、彼に迷惑をかけたくないから。
彼と不釣り合いな自分が嫌なだけで、ヲルディオのことが嫌いなわけではない。
「嫌じゃないみたいだね」
「ち、違っ」
「だったら良いや」
私の心を見透かしたように頷き、ヲルディオは私の腰に手を回した。
「僕たちの結婚に文句を言う奴は全部始末するから、安心して?」
「あ、安心できませんっ!! 物騒なことを言うのはやめてください!!」
(私がこの腹黒魔術師から逃げるすべは、ないのかしら?)
そう思いながらも、私はヲルディオから逃げる方法を考え始めていた。
結局。私が彼から逃げられず、私たちが結婚するのは、もう少し先の話。
終わり。




