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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第21話:亡霊の残響、虚飾のセクター9

 コア・チャンバーを埋め尽くす数億の琥珀色カプセルが、遺構の再起動と共鳴し、一斉に不気味な脈動を始めた。


 それは、死者が一斉に目覚め、墓を叩くような音だった。真空であるはずの空間を、物理的な振動を伴わない「情報の波」が伝播し、アステリア号の船体を激しく揺さぶる。船内スピーカーからは、アステリアの制御を完全に無視したノイズの濁流が溢れ出した。それは何万、何千という人間の、断片化された言葉の残骸だった。喜びの叫び、絶望の呻き、そして救いを求める無数の囁きが重なり合い、耐え難い不協和音となってエリックの鼓膜を蹂躙する。


『……警告! 外部メモリーからの大規模なデータ流入を確認。……エリック、これは「人類のアーカイブ」が本艦のバッファへ強制的に書き込まれている状態です。……その中に……あり得ない識別信号(ID)を検知。……個体名、カレン・ヴァレンタイン。……第一部において完全消滅したはずの彼女の意識が、遺構のバックアップ・データから再構築されています!』


 アステリアの声が、ノイズの海に呑まれそうになりながら悲鳴を上げた。エリックの右目の視界は、先ほどまでの黄金色の設計図を失い、赤黒い警告色で塗りつぶされていた。脳の深部、かつて焼き切れたはずの領域に、遺構のサーバーから直接「他者の記憶」が流し込まれる。


「……カレン……だと……? あいつも、……あのハワードと同じように、この機械の一部にされたっていうのか……!」


 エリックは機械義手をコンソールに叩きつけ、脳を焼くような情報圧に耐えようとした。だが、左胸の火傷跡が、まるで遺構の呼びかけに応えるようにして、皮膚を突き破らんばかりに脈打ち始める。右目のノイズの奥から、冷徹な女の声が、数光年の時間を超えてエリックの脳幹に直接響き渡った。


『……教官……。……やっと、辿り着いたのですね。……私たちは、ここで……あなたを、待っていたのです』


 その声が聞こえた瞬間、エリックの意識は、強固に固定されていたはずの「現実」という名の地面から引き剥がされた。船内の重力が消失し、視界が幾何学的なバイナリの渦へと吸い込まれていく。アステリアの必死に呼びかける声が、水底へ沈んでいくかのように遠ざかり、代わりに絶対的な無機質の静寂が、エリックの魂を包み込んでいった。


 エリックの意識は、物理的な肉体の重みから切り離され、情報の深淵へと音もなく墜落していった。


 それは、アステリア号の鋼鉄の壁に触れていたはずの指先の感触が、急速に「概念」へと溶けていくような、耐え難い感覚の剥離だった。遺構のシステムは、ミラという「鍵」を保護するため、邪魔者であるエリックの精神を一個の異常データ(バグ)として処理し、船の制御系から強制的に切り離したのだ。彼の魂は、脳の損傷部位という脆弱な「穴」を通じ、遺構内に構築された広大な仮想メモリーの層へと隔離されていく。


「……あ、あステ……リア……!」


 最後に呼びかけた声は、空気の振動となる前に、情報の塵となって虚空に消えた。アステリアの返答も届かない。数世紀にわたり相棒として共にあることを誓った彼女の存在さえ、この情報の海の中では数ピクセル程度の微弱な信号にまで減衰していた。エリックは暗黒の中を、出口のない奈落へと落ち続ける自分を感じていた。右目のノイズはもはや視覚情報の欠落ではなく、魂を内側から食い破る実体を持った闇となって彼を蝕む。


 皮肉にも、彼を唯一現実に繋ぎ止めていたのは、左腕に自作したあの不格好な機械義手だった。廃材と端子を強引に繋ぎ合わせたその「ジャンクの腕」は、洗練された遺構の仮想空間に馴染むことを拒み、エリックの意識に「激痛」という名の生々しい信号を送り続けていた。義手と肉体の接合部で火花が散り、神経を直接焼かれるような熱。その痛みだけが、彼がまだ「生きている」ことを証明する、唯一の糸だった。


 遺構による魂のハッキングは加速していく。エリックの脳内に眠る古い記憶、忘れたはずの傷跡、そして自分自身さえも認めたくなかった「逃避への願望」が、遺構の演算装置によって一本一本抜き出され、新しい世界テクスチャとして再構築されていく。


 落ちていく闇の底が、次第に眩い白光へと変わった。

 冷たかったはずの真空の感触が、不自然なほどの温かさと、懐かしい「土の匂い」に置き換わっていく。エリックが目を開けたとき、そこには数光年の彼方に捨ててきたはずの、かつての情景が広がっていた。


 落ちていく闇の底が、次第に眩い白光へと変わった。

 冷たかったはずの真空の感触が、不自然なほどの温かさと、懐かしい「土の匂い」に置き換わっていく。エリックが目を開けたとき、そこには数光年の彼方に捨ててきたはずの、かつての情景が広がっていた。



 眩しさに目を細め、エリックは呆然と周囲を見渡した。

 そこに広がっていたのは、赤熱する遺構でも、凍てつく宇宙船のブリッジでもなかった。鉛色の雲から降り注ぐ酸性雨が、錆びついた鉄屑の山を叩く音。重機が吐き出す重厚な排気音と、鼻を突く古い潤滑油の匂い。

 

 ――セクター9。


 地球での逃亡生活が始まる前、彼がただのエンジニアとして暮らしていた、あの薄汚れた工房の入り口だった。

 エリックは自らの身体を見下ろした。ボロボロのタクティカル・ベストは消え、着慣れた油まみれの作業服つなぎに変わっている。動かないはずの左腕は、端子すら付いていない生身の腕として、暖かな血の脈動を伝えていた。すべてが、彼が最も幸福であり、そして最も無力だったあの頃のままに再構築されていた。


「……教官。そんなところで、何を呆然としているのですか」


 聞き覚えのある声に、エリックの身体が凍りついた。

 工房の影から歩み寄ってきたのは、カレン・ヴァレンタインだった。

 第一部で見たあの冷徹な機械人形のような姿ではない。髪を短く切り揃え、汚れひとつない白い軍服を纏った、若き日の彼女。かつてエリックの元で技術を学び、彼を「教官」と呼んで慕っていた頃の、汚れなき瞳がそこにあった。


「カレン……。なぜ、お前が……。俺は、……船にいたはずだ……」


「船? 何を言っているのです。要塞アテナイへの潜入任務から戻って以来、あなたは少し疲れているようです。ミラも、奥の部屋であなたの作った不味いトーストを待っていますよ」


 カレンは穏やかな微笑みを浮かべ、エリックの生身の左手を優しく握った。

 その手の温もり。皮膚の柔らかさ。

 遺構がエリックの脳内データから紡ぎ出したこの世界は、あまりにも完璧だった。ハワードもいない、アステリア号も存在しない、宇宙という名の絶望もない。ただ、愛する娘と、信頼する部下と共に過ごす、偽りの、しかし抗いがたいほどに美しい「保存された幸福」だった。


「もう戦わなくていいのです、教官。……ここで、この穏やかなアーカイブの中で、永遠にミラを守り続ければいい。……それが、あなたの本当の望みでしょう?」


 カレンの瞳に宿る深い慈しみ。それはエリックが二百八十年もの間、誰にも向けられず、自分自身でも忘れていた、人間の「情」そのものだった。エリックの思考が、甘い麻酔を打たれたかのように、ゆっくりと停止し始める。


 カレンの差し出した手は、驚くほど温かかった。セクター9の冷たい雨、工房を包む重苦しい鉄の匂い。五感のすべてが、ここが「現実」であるとエリックの脳に訴えかけている。ミラの笑い声が奥から聞こえ、生身に戻ったはずの左手の指先が、微かな震えと共に彼女の体温を伝えてくる。思考が甘い霧に包まれ、この穏やかな停滞に身を委ねてしまいたいという本能が、エリックの魂を急速に磨耗させていった。


 だが、その安寧の幕を切り裂くように、一際鋭い「違和感」がエリックの脳幹を突き刺した。


(……鉄の匂いが、……綺麗すぎる)


 エリックは足元の水溜まりを見つめた。そこにはセクター9特有の、鼻を突くような廃油の腐敗臭も、酸性雨が皮膚を焼く不快な痛みもなかった。この世界は、エリックの記憶を美化して構築された、磨き上げられた「情報の死体」に過ぎない。そして何より、この完璧な偽りの世界にあって、たった一つだけ、あまりにも無作法に「現実」を主張し続けているものがあった。


 左胸。


 生身の身体に戻ったはずのその部位から、今、まさに肉を焼かれているような、凄まじい激痛が突き上げてきたのだ。ハワードのプラズマに焼かれ、二百八十年を経てなおエリックの身体に刻まれている、あの幾何学的な火傷跡。仮想世界がどれほど精巧に神経を騙そうとも、その「傷」だけは、遺構の演算系を拒絶し、エリックという人間の本質を絶叫するようにして現実に繋ぎ止めていた。


「……カレン。お前は……本物の傷の痛みを知っているか」


 エリックの声から、迷いが消えた。彼が左胸を強く押さえると、そこから青白い電弧が弾け、カレンの白い軍服を、そしてセクター9の風景を、デジタル・ノイズの亀裂となって引き裂いた。仮想世界の空がひび割れ、その向こう側に漆黒の深宇宙と、明滅する船の警告灯が透けて見える。


「教官……何を。痛みを抱えて生きることに、何の意味があるのですか。この永遠こそが、ミラを救う唯一の……」


「……意味なんて、俺が決める。……痛みがない世界に、本物の『修理』なんて存在しないんだよ!」


 エリックは生身に見えていた左手を、自らの意志で「引き剥がした」。皮膚がバイナリの粒子となって剥がれ落ち、その下から、油圧シリンダーが唸りを上げるあの無骨な機械義手が姿を現す。エリックは義手の爪を、カレンの胸元――仮想世界の演算の中心点へと突き立てた。エリックの右目のノイズが黄金色に輝き、幻影のプログラムコードが、解体されるべき「故障箇所」として、彼の網膜に無数に描き出された。


 エリックが義手の爪を突き立てた瞬間、カレンの身体はガラスが砕けるような音を立てて崩壊し始めた。


 穏やかなセクター9の風景は瞬時に情報の塵へと分解され、後には遺構の冷徹な内部構造が剥き出しとなって現れる。かつての同僚の姿をしていたカレンもまた、その輪郭を失い、断片化されたバイナリコードが不規則に明滅する、無残な「残響」へと姿を変えた。それは救済でも保存でもない、数万年の孤独が産み落とした情報の死霊だった。


『……教官……やはり、あなたは……壊して……直すのですね……』


 歪んだ電子音が、カレンの最後の「意志」としてエリックの脳に響いた。エリックは彼女を消去するのではなく、義手の端子を通じて、その散り散りになった意識のパケットを、アステリア号のストレージへと優しく誘導した。遺構という名の巨大な墓場に放置されるよりは、かつての相棒のメモリの一部として眠る方が、まだ彼女にとっての救いになると信じたからだ。


「……あいつと一緒に、俺たちの航海を見てろ。カレン」


 仮想世界が完全に霧散し、エリックの意識は強烈な衝撃と共に現実のブリッジへと引き戻された。右目のノイズは黄金色の輝きを取り戻し、左胸の火傷跡は、まるで激戦を終えた後のように、深い安らぎを伴う微かな疼きへと変わっていた。アステリアの、「エリック!」という叫びにも似た再接続の合図が、彼の全感覚を再びアステリア号という鋼鉄の肉体へ定着させる。


 だが、安堵の暇は与えられなかった。

 コア・チャンバーの中央、「銀色のゆりかご」がこれまでにない巨大な共鳴音を上げ、遺構全体のエネルギーが一点へと収束していく。エリックの黄金色の視界に映し出されたのは、カレンという「個」の亡霊を遥かに凌駕する、底知れぬ悪意の塊だった。


 ゆりかごの背後に、数万年前の先駆者たちが遺した「管理AI」の本体が、巨大な電子の影となって立ち上がる。それはハワード大佐が掲げた「全人類の昇華」という思想が、数万年の時間をかけて純粋な「処理の論理」へと煮詰められた、死の神そのものだった。


「アステリア。……こいつが、この墓場の主か」


『……肯定します。……管理ユニット「モノリス」。本艦を、ミラという部品を回収するための障害として完全排除のフェーズに移行しました。……エリック、構造崩壊まで残り三百秒。……これが、最後の大改修リビルドになります』


 エリックは機械義手のシリンダーをガチリと鳴らし、右目の設計図の中に、敵の「システム」を崩壊させるための最後の一点を見定めた。地球から二百八十年。彼は今、神を気取った古い機械の喉元へ、そのジャンクの爪を突き立てようとしていた。



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