少女は春を孕む
王太子の婚約者である伯爵令嬢は、ある日相手の判らない子どもを孕んだとして大きな問題になる。伯爵令嬢は頑なに『妖精の子を孕んだ』と言い張ったが、それを信じない王太子はついに婚約の破棄をつきつけるのだった。
「アルドリッジ伯爵令嬢エステル、お前との婚約を破棄する!」
絢爛な宮殿のただ中にて、貴族たちの眼前で、王太子はそう宣言した。
やっぱりか、とエステルは内心で呟いた。
前々から王太子はエステルのことを気に入らないようだったので、何かしら理由を見つけて婚約を破棄されることは不思議ではなかった。それにしても、わざわざこんなに大勢の貴族を集める必要はなかった気がするけれど。
エステルの両親である伯爵夫妻や兄たちにも、どこか予想できていた様子だった。それでも、義務と考えてエステルは反駁した。
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
静かな声音に、王太子が大声で言い返す。
「お前が不貞を犯したからだ! お前が妊娠していることは、王宮侍医の診断でも証明されている!」
そんな、まさか、とやや態とらしく周囲の貴族たちがざわめいた。きっと貴族たちを集めたのは、最初からエステルの名誉を貶めるつもりだったのだろう。
「お言葉ですが」
真っ直ぐに姿勢を伸ばして、エステルは言い返した。
「わたくしが妊娠していることは事実です。ですがこれは、妖精に腹をお貸ししているからだ、と何度も繰り返しお答えしたはずですが」
「黙れ、そのような言い訳など聞きたくない! お前が男と二人きりで街を歩いていたという証言も出ているのだぞ!」
そりゃー、王太子の婚約者を蹴落とそうとして嘘八百の証言をする人間など掃いて捨てるほどいるだろう。鵜呑みにしているのか、都合が良いから証言を採用しているのか、エステルには知ったことではない。
「……婚約や婚姻というのは互いへの信頼がなければ難しいものですから、信じて頂けないのであれば仕方ありませんね。では、婚約の破棄を承ります」
「お前の有責だからな! 伯爵家は廃爵とし、財産は全て没収とする!」
言い分も聞かずにそれはあまりに横暴では。言い返そうとしたエステルよりも早く、父伯爵が口を開いた。
「承知致しました。では、すでに貴族ではない我らは早急に王宮から去りましょう」
「ふん、判れば良い。そもそもたかだか伯爵令嬢が王太子であるこのわたしの婚約者などと、最初から分不相応だったのだ」
そう言われても、そもそも王太子が一方的に惚れ込んだからという理由で王命により王太子との婚約を結ばされたのだ。
中途半端な身分のエステルに対して、王太子の側近候補や、もっと高い身分のご令嬢、それに教育係たちからはほとんど嫌がらせのような態度ばかり取られてきた。だというのに本来厳正に対処するべき王太子が何も対応しないから、伯爵令嬢である自分だけでは何もできずにこの数年は嫌な思いばかりをしてきたのだ。
その挙げ句にこの言い草か。つい王太子を睨みつけそうになったエステルを、兄がそっと促した。
「行くよ、エステル」
元伯爵家の両親、二人の兄、それに弟。足早に王宮から遠ざかりながら、エステルは小さな声で謝った。
「巻き込んでしまってごめんなさい、みんな」
「いやぁ、気にすることはないよ。婚約は王命だったし、エステルじゃどうにもならないことだった。我が家は伯爵家といったって、端っこも端っこの貴族だしね」
父に次いで上の兄が言う。肩の荷が下りたと言いたげな、軽い口調だった。
「そもそも、惚れ込んで無理やり婚約したなら、せめて相手には誠実に、困ったことがあったら守るくらいの気概は見せて欲しかったね。大方、公爵家や侯爵家のご令嬢と婚約を結び直したくて、エステルが邪魔になったんだろう」
お金はかかるが最も速い魔法馬車を呼び止める。三人ずつで乗り込んで、ぐっと伸びをしながら、父は笑った。
「さて、こんな国とはさっさとお別れをしよう。実はね、隣の帝国から誘いがかかっている。『妖精の子を孕んだ』という噂を聞きつけたらしい。何しろ僕らはもうこの国の貴族でもなんでもないのだから、どこに行くのも自由だよ」
***
それから季節が一巡りした春に、帝国に花が芽吹いた。
四季の一角である春の妖精女王の子が生まれたことを、妖精たちが喜んだことによるものだった。
春の花が芽吹き、夏の木々が茂り、秋の作物が実り、冬の雪が降った。春の妖精はもちろん、夏の妖精も秋の妖精も冬の妖精もそれ以外の妖精たちもみんなみんな大喜びして、帝国中に無邪気に祝福をばらまいた。
臨月を迎えていた母親たちはみな苦しみもなくするりと新たな子どもを迎え、命の消えかけていた赤ん坊も呼吸を吹き返した。病み衰えていた大人たちはあっという間に回復し、右も左も判らなくなっていた老人たちははたと記憶を取り戻して家族たちとの久しぶりの会話を喜んだ。
そんな、数百年に一度あるかないかの吉事のまっただ中には、一人の少女がいた。
エステル・クリーバリー伯爵令嬢。一年ほど前までは、隣の王国でエステル・アルドリッジと呼ばれていた少女だった。
エステルが宿していたのは、春の妖精女王の子どもだったのだ。妖精はときに、他の生き物の腹を借りて子どもを産むことがある。人間が借り腹に選ばれるのは珍しいことだった。
妖精女王は大喜びで生まれた子を迎え入れ、エステルに礼としてありったけの祝福を与えて去って行った。これからもつつがなく、この世界には春が来るだろう。
巨大な帝国がお祭り騒ぎに包まれる中で、寝台に横たわっていたエステルは一人の客人を迎え入れた。
「ご機嫌よう、殿下」
「あぁ、そのままで。ご機嫌よう、エステル」
帝国の第三皇子である少年だった。第三皇子はいそいそとエステルの近くに座って、小さな宝石箱を取り出す。
「この一年で意志の確認はしていたけれど、改めて言うね。わたしと結婚してください、エステル」
「はい、お受け致しますわ」
宝石箱から取り出された指輪を第三皇子に嵌めて貰いながら、エステルはくすくすと笑った。
「せっかちですのね」
「そりゃあ、今さら王国に横やりを入れられては堪らないからね。明日にも妖精女王の子を産み落としたエステルの話は記事になるだろう。体が弱っているところに本当に申し訳ないのだけれど、数日以内に正式な婚約書類への捺印式を行うからそのときだけ頑張って欲しい。エステルが妊娠している間は、妖精女王への不敬になるから婚約を差し控えていたからね」
「わたくしとの婚約を破棄してすぐに、王太子殿下は公爵家のご令嬢と婚約を結び直しております。今さらわたくしにどうこう言ってくるほど厚顔ではないでしょう」
「いや、絶対に言ってくるよ。あの手の人間の面の皮の厚さを甘く見ないほうが良い」
第三皇子があんまりにも真剣な顔で言いつのるので、エステルはおかしくなって本格的に笑い出してしまった。そうしているうちにぐるりと視界が回る。
寝台の上で体を倒しかけたエステルを、第三皇子が慌てて支えた。
「ごめん、無理をさせたね。いまのエステルは栄養も魔力も足りていない。捺印式だけは仕方ないけれど、しばらくは安静にするんだよ」
「ありがとうございます、殿下」
どうにかお礼だけは言ったけれど、そのあとエステルはすこんと意識を失ってしまったようだった。
それから一週間ほど経ったあとに、本当に故国の王太子から求婚の釣書が届いたのでエステルはびっくりした。いまだに固形物をろくに食べられないエステルの隣で甲斐甲斐しくミルクゼリーを食べさせていた第三皇子が、ふんと鼻を鳴らす。
「ほら、言ったでしょう。まぁエステルはもうわたしの正式な婚約者なのだから、何もかも遅いけれどね」
「あれほどわたくしのことを嫌っておりましたのに、釣書を届けてくるのですね。確かに妖精女王の祝福は頂きましたけれど、別に国がどうこうなるほどの力はありませんのに」
「そうは言っても、妖精女王のお墨付きで妖精から無条件で愛されるというのは、それだけでちょっとだけ国が豊かになるからね。この『ちょっとだけ』が命運を分けることもあって、意外と大切だったりする。もちろん、わたしが求婚したのはエステルに惚れ込んだからだけれど」
この一年近く体調を崩しがちなエステルに時間さえあればほとんどつきっきりだったために、いつの間にか器用にできるようになった果物の皮むきを披露しながら、第三皇子は続けた。
「大方、妖精女王の子を孕んだ女性との婚約を破棄した挙げ句に貴族籍と財産を剥奪して国から半ば追い出したことに対して、周囲から突き上げを食らっているんだろう。下手をすると王太子の座も危うくなっているかも知れないね。君が戻ってくれば、何もかも元に戻ると思い込んでいるんだよ」
「そもそも、わたくしは最初から王太子殿下に『妖精の子を孕んでおります』と言っておりましたのに。調べましたけれど、珍しいことではあっても前例がないわけではありませんわよね」
「そうだね。四季の一角の妖精女王が相手なのはさすがに聞いたことがなかったけれど。エステルの言い分を確かめようと思ったら、妖精と相性の良い魔法士を通じて小妖精なんかに尋ねるか、人びとに交ざって暮らしている人型の妖精にでも尋ねれば良い。調べる手段が全くなかったわけではないと思うよ」
「つまり、『何でも良いから婚約を破棄したかった』というのが先にあって、そこにたまたま理由はどうあれわたくしが妊娠したから、これ幸いと追い出したということですわよね。正直なところ王太子殿下とは相性が悪かったものですから、そんなことをしなくても婚約の解消を申し出て頂ければいつでもお受け致しましたのに」
呆れたように言いながら控えめに第三皇子の剥いたリンゴを囓るエステルに、第三皇子はにっこりと微笑んだ。
「安心してね、わたしはあの王太子のように移り気でも、不誠実でもないから」
エステルは応えて微笑んだ。
第三皇子が本当にエステルを愛しているのか、エステルに政治的な価値を見いだしているのかはエステルには判らない。けれどこの一年で、少なくとも第三皇子が好ましい人柄であることは判っていたので、エステルは第三皇子を信じてみることにしたのだった。
人外なんてのはお話が通じなきゃ通じないほどヘキに刺さりますからね! これはわたしのサビなので何回でも繰り返します
思いついたので深く考えずに書く。それくらいの温度感で生きております。なので皆さまも深く考えずに読んでください。特に妖精の妊娠周りは『そんなこともあるんだー( ᐛ )』くらいのノリで読みましょう。妖精には色んな生まれ方があると思っていて、別の生き物の腹を借りるのはその一パターン
本編で説明しきれていない気がするので一応補足しておくと、エステルは正確には妖精女王の子どもの揺りかごであって、妖精女王の子どもの母親というわけではありません。小さな小さな妖精の子どもが育つまでの間に、吹けば消えてしまいそうな曖昧な存在を守るための器として選ばれました。このへん、気力があれば修正するかも知れないし修正しないかも知れません
【追記20251124】
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/799770/blogkey/3539160/
【追記20251124】
ちょこちょこ修正ついでにご指摘いただいたエステルから家族への呼び名を修正しました。そうか、『皆さん』はおかしいのか。言われてみれば他人行儀すぎましたね。実子です




