14,風より
私は風。
音を持たないのに、どこまでも届く。
形がないのに、誰よりも触れてきた。
あなたたちがいた頃――
私は、あなたの頬を撫でることで、
あなたを知っていた。
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私は何度も髪をすくい上げた。
冬の帰り道、マフラーの隙間から覗いたあなたの首筋を、
そっと撫でた。
あなたは肩をすくめて、笑って、
「寒いな」と言った。
その声は、
今でも、私のなかで生きている。
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春の日、窓を開けたあなたが、
私の通り道をつくってくれた。
部屋のカーテンがふわりと揺れ、
あなたはベッドに転がって、
「ああ、いい風だ」とつぶやいた。
私はあなたの吐息に包まれて、
それが「生きている」ということなのだと知った。
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夏、あなたが汗をかきながら歩いた午後。
私は街の熱を押しのけるように、木陰へと導いた。
冷えた麦茶のグラスをあなたが持ち上げるとき、
私はその指先をかすめて、
「ここにいるよ」と言った。
あなたは気づかず、ただ目を細めた。
それでも私は、
あなたがそこにいるだけで、うれしかった。
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秋、あなたが落ち葉を踏む音のそばにいた。
何度も繰り返された季節のなかで、
あなたが一人になった日、
私は背中を押した。
言葉にはできないけれど、
「大丈夫」と伝えたかった。
あなたは歩き続けてくれた。
それだけで、
私は、自分の存在に意味があったと思えた。
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でもいま、
私はあなたの声を、
直接聞くことができない。
どれだけ木々を揺らしても、
どれだけ雲を押しても、
「寒いね」と言ってくれる人がいない。
それがどれほど、
深く、深く、
寂しいことか――あなたは、知らないでしょう。
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それでも、私は吹く。
カーテンを揺らす癖も、
草花をかき分けて走る速さも、
あなたの髪を撫でた手つきも、
全部、私は忘れていない。
私は風。
私は、
あなたがいなくなったあとも、あなたを恋しがる存在。
そして、
世界でいちばん長く、あなたを想っているもの。
だから、お願い。
あなたが、またどこかで目を覚ます日が来たら、
もう一度だけ、
「いい風だね」と言ってください。
私は、
そのたった一言のために、
今日も、吹いています。




