6 ソニア様の自己肯定感を爆上げさせよう大作戦
「アリシャ様、お見舞いに来ていただきありがとうございます」
「押しかけてしまってごめんなさいね。少し瘦せられましたか?」
翌日、ソニア様の侍女を通して約束していた時間に訪問してみると温かく迎えられた。『少し痩せましたか?』と質問したけれど、ソニア様は最初の挨拶をしたときと比べて明らかにゲッソリしていて、やつれているように見える。
「もともと小食なのですが、少し痩せてしまいました」
「それは心配ですね……。食べやすいお菓子やフルーツなどを持って参りましたので良かったらどうぞ」
リィナに目配せするとお見舞いの品を入れた籠がソニア様の侍女に手渡された。
「あと、来月発売する予定のトランプをお持ちしましたの」
「トランプ、ですか?」
「えぇ。あとで遊びましょうね。あら……そちらはリバーシかしら?」
ソニア様の後方に置かれたテーブルにリバーシが設置されていることに気が付いた。
「先日、ジェスレーン様に頂きました。気晴らしになるだろうと……。ですがまだ使えていないのです。ジェスレーン様がアリシャ様に教えてもらうと良いとおっしゃっていたのですが、イメラ王国の上級貴族であるアリシャ様をこのような事でお呼びするのもどうかと思いまして……」
「まぁ! ソニア様、私たちはジェスレーン様の妻なのですから母国の事はどうか気になさらないで?」
ソニア様の母国ルーティはイメラ王国よりも小さな国なので委縮してしまうかもしれない。王女として暮らしてきたわけではないから社交の仕方も分からなかったのだろう。ただ、ルーティではソニア様が事務仕事をしていたという事だから、学びはじめたらあっという間に立派な淑女になれるはずだ。
「さっそく遊んでみましょうか? お喋りを楽しみたいから侍女たちには下がってもらって良いかしら」
「えぇ、皆、下がっていてもらえる?」
侍女さん達に指示を出す声にも戸惑いが感じられる。長いあいだ命令される立場だったから指示を出す事に不安があるのだろう。
「ルールは分かりますか?」
「はい。ルールブックの内容は覚えました」
「まぁ、凄いですわ!」
ソニア様が少し照れたように笑ってくれた。もっともっと、いっぱい褒めてあげたい。ソニア様の自己肯定感を爆上げさせる方法は無いものか……
「ソニア様、まず謝罪をさせてください。ジェスレーン様から大体の事情を教えていただきましたの」
「アリシャ様が謝る必要はありません、こうして会いに来てくださったことが本当に嬉しいのです」
パチ、パチ……とリバーシの駒を盤面に置きながら他愛ないお喋りを続けていると、ソニア様が悩んでいることを少しずつ話してくれた。
「優しい人ばかりで、怖いのです」
「怖い?」
「ルーティにいたころ、私の周りにいた人はみな怒ったような顔で、話し方も乱暴で、メイドにすら見下されているのが分かりました」
国王夫妻に愛されていない、第2王女ばかりが溺愛される、そんな状況では使用人がソニア様のことを軽んじるのも時間の問題だっただろう。
「ここには私のための侍女が5人もいます。物心ついてからは着替えも入浴も食事もすべて自分でしてきたのに、ここですべてのお世話をされることに慣れることができなくて……」
それは理解できる。私も前世を思い出してからしばらくの間、少しの抵抗があった。アリシャとして生きてきた17年の記憶があるから今ではすっかり慣れてしまったけれど、ソニア様の場合は難しいだろう。
「ジェスレーン様にも申し訳ないことを……」
「ジェスレーン様?」
「初夜のときは緊張が取れなくて、用意されていたお酒を飲んだら眠ってしまったのです。ベッドに出血の跡があったので初夜が済んだことは分かったのですが……」
実際のところ、極限状態で例の甘いお酒とジェスレーン様の強いお酒を飲んだために急激な眠気に襲われたのだけど、これは黙っていることにした。出血の跡もジェスレーン様が細工して初夜が執り行われたように見せかけたのだろう。
「それから一度も閨を行えていないのです。男性に慣れていないせいで身体が震えてしまって……」
「そうだったのですね……」
「ジェスレーン様は私の部屋まで来てくださいますがお喋りをして過ごしているのです。妻としての務めを果たせなくて申し訳ないと思っております」
ソニア様は眉を下げてシュンとした表情になっている。年齢は確か私と同じ17歳のはずなのに、護ってあげたいと思ってしまう。
「ジェスレーン様はいつもアリシャ様の話をしてくださるのですよ」
ニコッと微笑まれて言葉に詰まってしまう。いったいどんな事を話しているのか……
「アリシャ様の隣にいると気が休まるのですって。きっとソニアとも気が合うだろうから会って話してみなさいと勧めてくださいました」
「そ、そうだったのですか、なんだか恥ずかしいです」
パチっと音がして最後の駒が盤面に置かれた。
ソニア様の圧勝だ。
「……リバーシは初めてでしたよね?」
「ルールブックを読み込んでおりましたので」
初見の対戦相手(エディリアーナ様、ジェスレーン様、侍女さんたち)には無敗を誇っていた私が……負けた……?
「ソニア様、凄すぎます。頭の回転が恐ろしく速いです。私でなければ見逃していました、ソニア様の才能を……」
「ふふ、大げさですわ。あぁ、とても楽しかった……」
まるで初恋の相手を見るような表情で盤面を見つめているので、もう一勝負することにした。
「実は私も環境が変わったことで精神的に不安定になってしまった時期がありました」
自由な時間が増えたことで不安になって体調を崩したこと、そしてエディリアーナ様のすすめで適度な労働と適度な休養をとることで回復することができたという話をしてみた。
「ソニア様も少しずつお世話される範囲を増やしてみてはいかがでしょうか。高貴な女性のお世話をする事は、ここで働く侍女やメイドの大切な仕事なのです。それが出来なくなると彼女たちも困ってしまうと思うのです」
「仕事……」
荒療治になってしまうけど、優しいソニア様なら『使用人が困る』ことを伝えたら少しずつでも任せてくれるようになるだろう。
「アリシャ様のおっしゃる通りですね。ジェスレーン様が集めてくださった侍女たちのためにも、少しずつ任せてみようと思います。お世話をされるのも仕事だと思ったら、上手く対応ができそうな気がしてきました」
「無理はしないでくださいね。仕事を任せているうちに、侍女たちの好意や尊敬の心に触れることができると思いますよ」
そう言ってみると、ソニア様は明るく微笑んでくれた。
そして、最後の駒が置かれる頃には盤面がほぼ一色に染まっていた。
いや、いくらなんでも強すぎるでしょ!!
「ソニア様は頭の回転が速いというか処理能力が恐ろしく高いのでしょうね、素晴らしいですわ」
「そ、そんなことはありません、アリシャ様がお相手してくださるから、楽しくて……」
褒められる事に慣れていないソニア様は喜びで頬を真っ赤に染めてゴニョゴニョと『私なんて……』と呟いていた。
こ、これは……使える……!!
リバーシだけでなく、トランプでも様々な勝負をしてソニア様の才能を引き出すのだ。名付けて『ゲームでソニア様の自己肯定感を爆上げさせよう大作戦』だ!
「次はトランプで遊びませんか? これはリバーシと違ってたくさんの遊び方があるのですよ」
「まぁ……楽しみです」
神経衰弱から始まって、七並べ、スピードなどを楽しんだ。侍女さんたちを呼び戻してババ抜きや大富豪といった運要素の強いゲームも試してみたところ、ソニア様はルーティにいた頃の名残で人の顔色を窺うのが得意だったようで心理戦に持ち込んで華麗に勝利を掴んでいた。
私の『ソニア様の自己肯定感を爆上げさせたい』という意図を察したらしい侍女さんたちも『ソニア様お強いですね!』『ソニア様さすがです!』と事実に基づくヨイショをしたおかげで良い雰囲気になったと思う。
「あとはソリティアというゲームがあるのですがルールがうまく説明できなくて……」
「どんなゲームなのですか?」
ソニア様の目がキラキラと輝いている。短時間でここまで変わるなんて……ルーティにはソニア様を褒めてくれるような人が周囲に居なかったのだと再確認してしまった。ちなみに、ソリティアはパソコンに入っていたアプリでたまにプレイしただけで実際のトランプを使って遊んだことはない。他にもスパイダーやクロンダイクといった種類があったと思うけど、ざっくりとした説明だったのにソニア様はあっという間にルールを理解してくれた。
「ソニア様あなたは天才ですか?」
「そ、そんなことはありません、アリシャ様の説明が分かりやすかったのです」
「トランプのルールブックを準備しているところなのですが、ソニア様さえ宜しければ協力して頂けませんか? 私にはソニア様が必要なのです」
真っ直ぐに見つめてお願いしてみるとソニア様は耳や首まで真っ赤に染めて『わ、私で良ければ……』と答えてくれた。
「アリシャ様、それではまるで求婚です。ソニア様がお困りですよ」
リィナが注意をしてくれたおかげで場が和んだ。ソニア様の侍女さんたちも、ソニア様が元気になったことが嬉しいのか優しく微笑んでいる。
「あら、もうこんな時間……名残惜しいですがそろそろ失礼しますね」
「アリシャ様、今日は私のためにありがとうございました。このように楽しい時間は生まれて初めてです。また……私と遊んで頂けますか?」
「もちろんです。私も楽しかったですわ。トランプのルールブックを作るお仕事もありますし、次は私の部屋にご招待させてくださいね」
ソニア様の弾けるような笑顔が眩しい。少しずつ自信をつけていってくれることを願って『ソニア様の自己肯定感を爆上げさせよう大作戦』は今後も続けていこうと思う。
――数時間後。
昨日はソニア様の日だったけれど今日は私の順番だ。私がソニア様の部屋で遊んでいる間に侍女さんたちが準備をしてくれたようでお部屋はすでに整えられていた。お菓子を食べすぎてしまったので夕食は軽めに済ませる。そのあとは入浴からの全身マッサージだ。侍女さんたちが張り切っているので身を任せていると、あっという間にジェスレーン様が部屋に訪れる時間になった。
「ジェスレーン様にご挨拶を申し上げます」
「アリシャ、いつも言っているがそのようにかしこまらなくて良い」
「ふふ……ありがとう存じます。今日は良い報告がありますわ」
ジェスレーン様と一緒に長椅子に腰掛け、今日の出来事を順番に報告していった。
「ソニア様には誰かに褒められて、認められる経験が必要だったのです。私も気を付けていきますが緩やかに回復していくことと思います」
「素晴らしい成果だ。アリシャ、よくやった」
よしよしと頭を撫でられて思わず笑ってしまう。いくつになっても褒められることは嬉しい。私に褒められて嬉しそうにしていたソニア様の気持ちが理解できた気がした。
「それだけではありませんのよ。ソニア様は天才です」
「ほう……?」
類稀な記憶力、頭の回転の速さ、処理能力の高さ、他人の感情を読む表情認知能力……そのどれもが素晴らしい。育った環境のせいで身に着けざるをえなかった能力というところが悲しいけれど、これらは全て誰にも奪われることのないソニア様の宝物だ。
「早速トランプのルールブック作りに協力をお願いしました。無理のない範囲で少しずつ部屋から出られるようお手伝いしたいと考えております」
「アリシャに任せて正解だった。何か褒美はないかと聞いても返事は決まっているのであろうな」
「いいえ、今日は欲しいものがございます」
おねだりをするのは淑女らしくないけど、ジェスレーン様には恥ずかしいところをたくさん見られているから猫かぶりは止めた。
「抱っこしてほしいのです」
「だっこ……?」
「前に抱き上げてベッドに運んでくださったでしょう? 前世ではあれが『お姫様抱っこ』と呼ばれていて、子どもの頃から憧れていたのです」
ジェスレーン様は優しく笑って私を抱き上げてくれた。急に視界が高くなったので慌ててジェスレーン様の首に手をまわしてしがみつく。
「これで良いのか? いくらでも抱いてやるぞ」
「このまま、くるくる回ってくださいませ……きゃあああ! 早いですわ! ゆっくり、ゆっくりでお願いします!」
「アリシャ様! 悲鳴が聞こえましたが……失礼いたしました、引き続きお楽しみください」
私の悲鳴に驚いたのか、リィナが部屋に飛び込んできた。……そしてそのまま隣室に戻っていった。
「うう……明日、リィナに笑われますわ」
「良いではないか。アリシャへの褒美なのだ。リィナも喜ぶであろう」
しばらくの間お姫様抱っこを楽しんでいたけれど、抱き上げられたままでベッドに移動した。
「可愛らしいアリシャの姿を見てしまったからな、今夜は抑えられるかどうか分からぬ」
「明日は……特に予定がないので、その、大丈夫ですわ……」
ジェスレーン様の前でつける淑女の仮面はとうの昔に投げ捨ててしまった。
素直に返事をした結果、私が目を覚ましたのは翌日の昼食時間だった。