5 体調不良のソニア様
「エディリアーナ様、食欲はないと思いますけれど……せめてこちらを食べてくださいな」
「アリシャ、ありがとう……」
ジェスレーン様の希望で妊娠のメカニズムをエディリアーナ様にお伝えしたところ、すぐに対策をしてくださったおかげで無事に妊娠することができた。前世と人体の構造が違ったらどうしよう、という不安はあったけど自分の記憶を辿ってみても生理は規則的に来ていたし、違ったら別の方法を考えれば良いかと前向きでいるようにした。この方法が上手くいって本当に良かった。
万が一、という事があるのでエディリアーナ様が妊娠したという情報はまだ外部には漏れていない。医師の判断にもよると思うけど、安定期に入ったところで正式に発表されることになるだろう。
「サッパリとしていて美味しいわ。これなら食べられそう」
エディリアーナ様はつわりがあって思うように食事が出来ていない。前世の知識をなんとか思い出して対応しているけど今のところ大きな問題もなく生活を送れている。ジェスレーン様がエディリアーナ様の寝室に出入りすることを許可してくれたおかげで侍女さん達とも連携が取れていて、皆で協力しながら快適空間を維持しているところだ。
「それにしても、この香りは気持ちが落ち着くわ」
「アロマオイルの開発がうまくいって良かったです。エディリアーナ様のご実家お抱えの技術者は本当に素晴らしい腕を持っておりますね」
セーリオ帝国ではお香が広く使われているせいかアロマオイルというものが存在しなかった。そこで私はジェスレーン様が立会いの下で、開発を担っている職人たちと打ち合わせをしたのだ。10番目とはいえ皇帝の妻が単独で男性と会うのは許されない行為なのでジェスレーン様に立会いをお願いしたら即了承してくれた。
うっすらとした知識しか持っていなかったけれど、植物を蒸留したり圧縮したりすることで精油を抽出することができると説明した。精油が完成したらロウソクに混ぜてアロマキャンドルを作ったり、アロマポットで香りを楽しんだり、マッサージに活用したりと様々な使用方法がある。アロマオイルの可能性は無限大だ。
エディリアーナ様にはお湯を入れたコップに数滴アロマオイルを垂らすという方法で楽しんでもらっている。妊婦さんが使ってはいけないアロマオイルもあった気がするので無難にオレンジやグレープフルーツといった柑橘系に絞っているのだが、エディリアーナ様が喜んでくれてとても嬉しかった。それにセーリオ帝国は平民でもお香を楽しむ習慣があるのでアロマオイルもすぐに浸透するのではないかと思っている。もちろんこの発明もすべてエディリアーナ様のお名前で商品展開してもらう予定だ。
「何を言っているの? このような素晴らしい発明を思いついてくれたアリシャのおかげよ。本当に素晴らしいわ」
「エディリアーナ様に褒めて頂けて嬉しいです。あぁ、頼んでいたものが来たみたいですね」
「頼んでいたもの? 何かしら?」
侍女さんがキッチンワゴンを押してベッドの近くまで来てくれた。釣り鐘の形をした大きな丸い蓋をかぶせてあるので中身は見えない状態だ。
「セーリオ帝国では馴染みのない方法で作ったものです。つわり中でもこれだけは食べられたという話を聞いたことがあったので厨房に作って貰いましたの」
蓋を取ると、そこにはフライドポテトが並んでいた。
「たくさんの油で芋を焼いた料理です。こちらは食べられるか、食べられないかのどちらかなので無理はしないでくださいね」
親戚のお姉さんが妊娠していたときに『つわりが酷くてもフライドポテトだけは食べられた』と話していたことを思い出したのだ。他にもトマト、炭酸水という情報を聞いたことがあったけど炭酸水は見たことがないのでエディリアーナ様にはトマトだけ試してもらっていた。
「……おいしいわ。塩味がほどよくて……素敵な食べ物ね」
「お気に召したようで安心しました」
エディリアーナ様はフライドポテトを気に入ったようでモグモグ食べ始めた。
食べすぎが心配なので、水分をとること、頻度を調整することを侍女さんにお伝えしてから自室に戻ることにした。
ちなみにジェスレーン様にも試食してもらったところ、とても気に入ったようで度々お酒のお供にリクエストしているらしい。ポテトチップスの作り方と揚げ物レシピをいくつか書き留めておいて侍女さん経由で厨房に伝えてもらおうと思う。きっと気に入ってくれるはずだ。
この揚げ物レシピは味と見た目から大まかな作り方が分かるようで次々と広まっていき、あっという間に帝国中の民にも愛されるようになった。
これまでは部屋に引きこもって仕様書を書いたり読書をしたりする日々が続いていたけれど、今はエディリアーナ様お抱えの職人たちに手紙を出して、思いつく限りのマタニティグッズやベビーグッズを作ってもらっている。エディリアーナ様の妊娠が発表されたら専門店を立ち上げて大々的に売り出す予定だ。
帝国民に大人気のエディリアーナ様が使っている商品ならば同じものを使いたいという人は多いだろう。
「アリシャ様、お顔が……」
大ヒットの予感にニマニマと笑っていたらリィナに注意されてしまった。
「いけない、気が緩んでしまったわ。この手紙をお願いできる?」
「かしこまりました」
妊娠中期に入ってお腹が大きくなってきたら就寝中に寝苦しくなる可能性がある。その不快感を少しでも解消するために抱き枕の仕様書を書き上げて、エディリアーナ様の職人軍団に届けてもらうよう手配した。これでお針子業界にも仕事が増えることで好景気に繋がっていくはずだ。エディリアーナ様の評判はますます上昇するだろう。
「アリシャ様、お顔がだらしないですよ」
「まだ居たの……」
「ふふ、行って参ります」
リィナを見送って、本棚から読みかけの本を取り出した。今日の仕事はこれで終了なので今から至福の読書タイムだ。
「適度な労働と適度な休養を提案してくださったエディリアーナ様にはどれだけ感謝しても足りないくらいね」
「アリシャ様、お飲み物をお持ちしました」
「ありがとう。この後はもう予定がないから下がっていて良いわ」
「かしこまりました。何かありましたらベルでお呼びください」
侍女さんたちが退室していき、一人の時間が始まった。読書三昧の人妻ライフを約束してくれたジェスレーン様にも、どれだけ感謝しても足りないほどだ。
「……さま、アリシャ様!」
「えっ! な、なに?」
リィナから声をかけられてビクッとしてしまう。本の内容に集中しすぎていたようで声掛けされていることに気がつかなかった。
「なに? ではありませんよ。先ほどから何度もお呼びしているではありませんか」
リィナは優しく微笑んでみせると私の手から素早く本を取り上げた。油断させてから本を回収するまでの動きが本当に素早くなったと感心してしまう。
「入浴の準備が整いましたので移動をお願いします」
「えぇ、分かったわ」
前世の記憶が蘇ってからしばらくは他人にお世話をされることに少しの抵抗があったけど、今ではすっかり受け入れてしまっている。慣れって怖いなと思いながら侍女さんやメイドさん達に身を任せて入浴と着替えを済ませた。
入浴後に冷たい飲み物を味わっていると侍女さん達が慌ただしく動き始めた。まさかと思うけど……
「アリシャ様、今夜は皇帝陛下がいらっしゃるそうです」
「……なんですって?」
「時間がありませんので美容マッサージだけでもさせてくださいませ」
あっという間に飲み物を取り上げられて、あっという間に着たばかりの服を脱がされて、気づいたときにはマッサージされていた。それと同時進行でお部屋が整えられていく。こうしてジェスレーン様が突然やってくる日が度々あるせいか、侍女さん達の連携が日に日に洗練されてきている気がする。
「第9夫人のソニア様の日よね?」
「本日も体調不良との事です」
「そう……明日、お見舞いに行きたいわ。ソニア様の侍女に確認してくれる?」
ソニア様はイメラ王国に近い小国の姫で第1王女だった女性だ。初回の挨拶回りでは控えめな態度の優しい方だったと記憶している。そのソニア様が2回連続で体調不良を理由に閨を行われていない。これは心配だ。
お見舞いの品は来月に発売予定のトランプにしようと思う。侍女さん達も休憩時間に遊んでいると言っていたからソニア様もきっと気に入ってくれるはずだ。
「アリシャ様、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
「えぇ、みんなありがとう」
ソニア様のことを考えていたらリィナを含む侍女さん達が隣室に下がっていった。10日前、ソニア様が体調不良だった日もジェスレーン様は私の部屋に来てくれた。ソニア様には申し訳ないけれど、ジェスレーン様が来てくれることは素直に嬉しいと思ってしまう。ソニア様、明日のお見舞い品をたくさん用意するから許してください……
そんなことを考えているとジェスレーン様が到着したのでいつものご挨拶で出迎えた。
「久しぶりだな、アリシャ」
「ふふ……フライドポテトの試食で先週お会いしたばかりではないですか」
「フライドポテト、あれは良い。文官たちも気に入ったようだ。厨房から『芋の消費が激しい』と嬉しい悲鳴が上がっているらしいぞ」
ジェスレーン様はフライドポテトをお気に召したようだけど、凄いのは今からですよ。と内心ほくそ笑む。揚げ物レシピを厨房に流したから近いうちに鶏の唐揚げやトンカツといったヘビーなメニューが登場するはずだ。食欲旺盛な男性陣は揚げ物の虜になるだろう。そして養鶏や養豚をしている農家も忙しくなって経済が活性化すること間違いなしだ。
「ところで、ソニア様のお身体が心配なのですが……」
「ソニアは……あれは心の問題であろうな」
ジェスレーン様はソニア様の状況について話せる範囲で教えてくれた。
「祖国では容姿のことで使用人のような生活を強要されていたようだ」
「栗色の髪に緑の瞳、平民によく見られる色ですわね」
「第2王女は両親の色を受け継いでいたから溺愛されたようだがソニアは部屋に閉じ込められてひたすら事務仕事をさせられていた」
「なんてこと……酷いわ……」
身の回りのことはすべて自力で行うしかなく、顔を合わせるのは食事を運んだり書類を運んだりするメイドのみ。男性と話をしたことはほとんど無かったという話だ。セーリオ帝国は各国に密偵を放っているので国内の状況は手に取るように分かっていたらしく、平和協定のための妻にはソニア様を指名したとの事だった。
「ソニアを迎えにいった日、第2王女が私の顔を見るなり『ジェスレーン様の結婚相手は私ですの! お姉さまが私の立場を奪ったのですよ!』と言い出したときは笑ったな。まぁ、第2王女は無視してソニアを連れ帰ってきたが」
「素晴らしいご判断です」
あぁ……だからイメラ王国でイレーネ嬢が絡んできたときもジェスレーン様は彼女を無視していたのね。
「男が怖いということもあるだろうが今の環境に馴染めないのであろうな。初夜でも……」
「初夜も……?」
ジェスレーン様が珍しく言葉に詰まっている。その言葉を繰り返して反応を待ってみると少しの沈黙のあとで話してくれた。
「あまりに怯えるものだから例の酒に私用の酒を混ぜたものを飲ませて眠らせた。本人は寝ている間に初夜が済んだと思っているだろう」
「アレは意識が混濁しますからね……しかもジェスレーン様のお酒は酒精が強いですから、あっという間に眠りに落ちたでしょう」
「フフ……ラッパ飲みすれば酩酊するがグラス一杯であれば緊張がほぐれる程度で済むぞ」
私が初夜に色々とやらかしたことを思い出したのか、ジェスレーン様はクツクツと喉を鳴らして笑っていた。
「アリシャも環境が変わって自由な時間を過ごすことに不安を覚えたであろう? アリシャが良ければソニアの話し相手になってくれぬか?」
「もちろんです。少しでもソニア様の助けになりたいですもの」
私はエディリアーナ様のおかげで立ち直ることができた。ソニア様を救うだなんて、大きなことは言えないけど、誰かに話をするだけでも変わると思うから……明日はお見舞いに行って、ソニア様の調子が良ければお喋りもしてみよう。
「ソニア様のことを話してくださってありがとう存じます。ジェスレーン様は優しいですね」
ソニア様に初夜を強要せずに様子を見たり、ソニア様の話し相手になってほしいとお願いしたり……皇帝という立場があるのだから私にたった一言「話し相手になれ」と命令すればそれで十分なのに、私の気持ちを尊重してくれた。本当に優しい方だ。
「そうか? だが今夜のアリシャに優しくできるかどうかは分からんぞ」
「明日はソニア様のお見舞いに行くのでお手柔らかにお願い致します……」
心配していたけれど、ジェスレーン様は優しい人だった。
通常通りの時間に起きられる程度には加減してくれて、本当に良かった!