第四十四話
揺れが収まると、床にしゃがんでいたシステルは、ゆっくりと立ち上がった。
「……もう、あまり時間はないみたい」
その声は、周囲のざわめきとは不釣り合いなほど低かった。
フロア全体は、激しい揺れの余韻に包まれ、人々のどよめきが波のように広がっている。
けれど、そんな外界の騒音とは裏腹に、僕の頭の中は疑問でいっぱいだった。
僕は鷹司へ視線を投げる。
「いったい、彼女は何を考えてるんだい?」
自分でも驚くほど、声だけは冷静だった。
「まさか……高等科の他の二人も、この企てに一枚かんでいるのかい?」
そう言って、ブリジットとロキシーの方を見る。
二人は、こんな状況だというのに、一言も発しない。
ただ、まるで示し合わせたように、鷹司だけを見つめ続けている。
あまりにも不自然だ。
その違和感が、僕の口を動かす。
「システル。これって、もしかして……上級生たちが僕たちに仕掛けたドッキリなんじゃないの?」
そう考えれば、エラーラ先生が姿を見せない理由も説明がつく。
先生も上級生と組んで、どこかの舞台裏で魔法を駆使し僕たちを驚かす演出をしている。
寄宿舎では、新入生に向けた“ちょっとしたびっくりパーティー”があると聞いた。
――きっと、それと似たようなものなんだ。
そうだと、いいんだけど。
システルは僕の言葉を聞いても、まるで聞こえなかったかのように反応しない。
険しい表情のまま、スマホを数度操作し、軽く首を振る。
そして何度も周囲を見回したあと、最後に、窓の外へ視線を向けた。
そこには、まるでイソギンチャクのように、僕たちの船に張り付いて離れない、あの船があった。
僕は、彼女の背中に声をかける。
「……鏡のことだけど。学校で、高等科の人たちがシステルに“持って来い”って言ったの?」
返事はない。
「魔法で逃げても、元の場所に戻ってきてしまうのは、船の周囲に魔法の鏡みたいなものがあって、全部はね返されてるからなのかい?」
それでも、システルは答えない。
僕は構わず、言葉を重ねる。
「あの船って、その鏡に映った……僕たちの船だって、システルは考えてるの?」
ほんの、わずかな間。
システルは視線を外さぬまま、低く答えた。
「私は最初、鏡が指しているのは“形のある物”だと思ってた。でも、違ったのよ」
一拍置いて、続ける。
「比喩だったんだわ」
僕は、思わず口を挟む。
「でも、それって……おかしくない?
僕たちを罠にかけようとしてるのに、気づけるようなヒントをくれるなんてさ」
返事はなかった。
システルは、さっきからの僕の問いかけなど存在しなかったかのように、ひとり言を呟き始める。
「……たぶん、もう同じ手は使えない。別の方法を考えないと」
そう言って、彼女は僕とニケを順に見た。
「あなたたち、黒晶石はいくつ持ってきてる?」
「……黒晶石?」
あまりに唐突で、僕はオウム返しをした。
けれどすぐ、船室に置いてきた自分のマジックバッグの中身を思い浮かべる。
「うーん……三個か、四個くらいかな」
隣で、ニケが即答する。
「私は、六個だと思うわ」
システルは小さく頷いた。
「私は三個。……多くて十三個、か」
指先で空をなぞるように計算し、眉を寄せる。
「十分じゃないけど……足りる、か。
いや、向こうに誰か持ってるかもしれない」
その言葉を聞きながら、僕は考える。
黒晶石。
魔晶石が内部の魔力を放出するのとは逆に、周囲の魔力を吸収する石。
用途が限られているから、普段はあまり持ち歩かない。
それでも、旅に出るときは、念のため数個は持つようにしている。
――いったい、何に使うつもりなんだ。
「黒晶石なんて、何に使うんだい」
問いかけても、システルは答えない。
代わりに、静かに言った。
「あんたなら、私がやろうとしてること……必ずわかるわ」
その言葉に、胸の奥が嫌な音を立てる。
システルは、まっすぐに鷹司を見据えた。
「私の役目……いや、役はなに?」
声に、迷いはなかった。
「時計の針を進めるには、私は何を演じればいいの?」
鷹司は答えない。
ただ、もう知っているでしょうとでも言うような視線を、彼女に返す。
そのときだった。
船が、再び小刻みに震え始めた。
そして、徐々に強くなっていく。
システルは、短い沈黙のあと、口を開いた。
「……出るには、身代金が必要」
そして、僕の方を見ると、早口で言った。
「あんた、予習好きでしょ。忘れないでよ」
次の瞬間。
彼女はポケットから杖を引き抜いた。
一瞬の手首の閃き。
ほとんど光と区別のつかない速さで――
システルは、鷹司を撃った。




