第四十二話
システルはそう言ってから、ブリジットの方を見た。
「転送魔法で、この船から脱出した人について。何か、知ってる?」
ブリジットは、短く首を振った。
「いや。特に何も聞いていない。脱出した者たちも知らない」
その答えを聞くと、システルはすぐに視線を外し、結界の作業を続けている人たちの方へ歩み寄った。
そして、その場にいる全員に届くよう、大きな声で問いかける。
「どなたか、転送魔法で脱出した人について、何か知っている方はいませんか?」
一瞬、音が消えたように感じた。
皆、まだ外の脱出ポッドの光景から抜け出せていない。
虚ろな目で、ゆっくりとシステルを見る。
そして、互いに顔を見合わせる。
誰も、何も言わない――
そう思った、その時だった。
フロアの一番端。
遠くにいた一人の女性が、ためらうように、ゆっくりと手を上げた。
「……わたしたち、魔法で逃げようとしたんだけど」
声は、かすれていた。
「逃げられなかったわ」
まだあどけなさの残る顔。
蒼白で、唇の色がない。
その背後には、同じ女子学生らしき数名が、身を寄せ合うように立っていた。
システルが、すぐに問い返す。
「逃げられなかったって……どういうこと?」
彼女は、小さく首を振る。
「わたしにも、よくわからないの。魔法はちゃんと発動したし、この船を離れた感覚もあった。でも……気づいたら、同じ場所に戻ってた」
その言葉を合図にしたかのように、あちこちから声が上がる。
「……私も、同じだわ」
「発動はした。でも、結果は何も変わらなかった」
胸の奥が、冷たくなった。
じゃあ――
魔法では、ここから逃げられない?
なら、どうすればいい。
システルは、女性を見たまま、重ねて聞いた。
「戻っていた……?」
彼女は、小さくうなずく。
「本当に、そんな感じ。魔法が終わって、周りを見たら、元の場所に立ってた。ここにいる、同じ学校の人たちも……みんな」
システルは、さらに踏み込む。
「何かに、引き戻された感覚は?」
女性は、はっきりと首を振った。
「いいえ。妨害されてる感じは、何もなかったわ。ほんとに……最初から、移動してなかったみたいな」
その時、別の方向から声がした。
「私の場合は、ぐるっと一周して戻ってきた感じだったわ。ループしたみたいに」
さらに、別の声。
「そうです。行って、戻ってきた……そんな感覚でした」
それを聞いたシステルは、口元に手を当て、深く考え込む。
かすかな呟きが、漏れた。
「行って戻ってきた……ループ……。
だったら、あれって……比喩みたいじゃない……?」
そして何かに気づいたように、彼女の目が見開かれる。
「じゃあ……あそこに見える、あのおかしな船は……。でも、まさか……」
言葉が、途切れる。
「……だけど、どこにもいないことは説明できる。微かに動いていたことも……」
信じられない、と言うように、首を振る。
「……どうして」
そう呟くと、システルは一度、大きく息を吸い込んだ。
そして、ブリジットの方を向く。
「あなた。この船のブリッジで、貨物室のあいつの様子を見ていた時……他に誰か、いた?」
ブリジットは少し考えるそぶりを見せてから、答えた。
「いや、私だけだ。一緒にいた船員は、後ろから見ようと思えば見られたかもしれんが……」
システルは、小さくうなずくと、続けて尋ねる。
「貨物室のあいつの詳しい様子……使っていた魔法とか、誰かに伝えた?」
ブリジットは即座に首を振った。
「いいや。他の者に伝えたのは、あの老人の“位置”だけだ。あの上に物資を落とす予定だったからな」
そう言って、
――それはお前の指示だろ、と言うように。
ブリジットは、ほんのわずかに笑みを向けた。
システルは、
「……そう」
とだけ答える。
短い沈黙。
再び、大きく息を吸い込むと、彼女はフロア全体――
いや、ここにいる僕たち一人一人を、見渡すように視線を巡らせた。
そして、問いを投げる。
「あなたたち……いえ、あなた」
その視線が、ある一点に定まる。
「どうして、廊下で私に“鏡を持ってくるように”言ったの?」
一拍。
「それに……なぜ、あいつが広範囲の解除魔法を使うことを、知っていたの?」
僕は、システルの視線の先を追った。
そこに立っていたのは――
このフロアで、位相のずれを起こしている人々の中で、
唯一、異なるずれを起こしてる人物。
鷹司だった。




