第四十一話
限界まで魔晶石を使って。
可能な限りの魔力をつぎ込めば――もしかしたら。
システルの転送魔法なら、この得体の知れない空間の魔の手を振り切って、どこでもいい、どこかの世界に逃げられるかもしれない。
僕の言葉に、システルは何も答えなかった。
ただ、じっと僕を見つめている。
その視線に、僕は耐えきれなくなって、思わず声を張り上げた。
「システルだって、もうわかってるんでしょ。
たぶん、僕たちは何かの魔法に囚われてる。
今、見えてるこの光景は――その魔法が、見せてるものだよ」
そう言いながら、頭の片隅に、少し前に思い出した記録がよぎっていた。
昔、読んだことのある、次光船の遭難事故の事例集。
ほとんどの事故は、捜索によって、無残な姿になった次光船が発見されている。
けれど、その中に――たった一件だけ。
船そのものが、どこにも見つからなかった事故があった。
僕は直感的に思う。
今の僕たちは、その事故と、同じ場所に立たされている。
そして、その記録には、こう書かれていた。
――生存者は脱出ポッドに乗った一名のみ。
でも、今、目の前にある脱出ポッドの有様を見れば、とても使えるとは思えない。
朽ちて、歪んで、長い時間に晒された残骸。
だから、賭けるしかない。
魔法で、逃げる。
それでも、システルは口を開かない。
険しい表情のまま、何かを必死に考えている。
……迷っているんだ。
僕は、構わず言葉を重ねた。
「システルも言ってたでしょ。やばいって。
僕もそう思う。
たぶん、あいつが軽くなってるのは、魔法の発動が終わりかけてるからだ」
胸の奥が、一度ドクンと鳴った。
「終わったら、きっともっと良くないことが起こる。
その前に、急いでここを離れないと」
それでも、彼女は答えない。
瞳を左右に動かし、考え込む仕草を見せる。
その瞬間――僕は、ある違和感に気づいた。
「……エラーラ先生は?」
思わず、口をついて出た。
「どうしたの?
なんで、姿を見せないの?」
船室を出てから。
貨物室で、システルのスマホ越しに声は聞いた。
でも――姿は、一度も見ていない。
最初は、あいつを閉じ込めるために、どこかで動いているんだと思っていた。
けれど、結界が完成して、状況が落ち着いても、先生は現れない。
あの人なら、真っ先に飛んできて、生徒たちの無事を確認して。
そのあと、貨物室での単独行動について、システルに雷を落としていてもおかしくない。
なのに――何もない。
連絡も、ない。
おかしい。
……いや、待て。
先生の姿って、船室を出てからどころか――
この船に乗ってから、見たか?
乗船許可が下りたと伝えに来た、あの時以降。
一度も、姿を見ていない気がする。
「システル……先生と、連絡、取れてる?」
彼女は何か言いかけて、すぐに口をつぐんだ。
その沈黙を見た瞬間、胸の奥から、苛立ちと、そして――
今まで感じたことのない、恐怖が込み上げてきた。
僕は、思わず叫ぶ。
「すぐ脱出しよう」
それでも、システルには、まだ迷いが残っているみたいだった。
その理由はわかっている。
僕たちが転送魔法で逃げれば――ここにいる大半の人を、置き去りにすることになる。
正直に言って、システル一人ですら、逃げ切れるかどうかわからない。
随伴者を連れていく余裕なんて、あるはずがない。
この船にいる、ほかの転送魔法が使える者たちも、同じだろう。
何百人もの人間を救うなんて、不可能だ。
だけど。
僕は、システルの使い魔だ。
どんな状況であっても、彼女の命を守る。
それが、大勢を見殺しにする選択だったとしても。
それが、使い魔である僕の誓い。
いや――願いだ。
僕は、システルの返事を待たず、頭の中で座標の策定を始める。
どこか。
どこでもいい。
彼女だけでも、壁の向こうへ。
そして、ちらりとニケに視線を送った。
彼女も、こちらを見返してくる。
きっと、僕の考えを理解したんだ。
もし、魔晶石の魔力だけで足りなければ。
彼女の魔力も使って――それで、なんとか。
そのとき。
システルの、澄んだ声が、周囲に響いた。
「待って」




