第三十四話
どうして自然公園に、わざわざそんな言葉をつける必要があるんだろう。
あの日――僕たちは、公園の中をのんびり散策して回っていた。
園の中央を、穏やかな川がゆったりと流れ、両岸にはまっすぐに延びるサイクリングロード。
林に踏み込めば、キャンプ場や山へ続くハイキングコースが姿を見せる。
どれもよくある公園の風景で、特別なものなんて何ひとつなかった。
システルたちと並んで歩きながら、僕はときどき足を止め、周囲を見回した。
遺跡の跡、古い石碑、埋もれた杭……いや、案内板ひとつでもいい。
歴史を名乗るなら、何かしらの痕跡はあるはずだ。
けれど結果は、空振り。
それらしいものは一つも見つからず、風にそよぐ野草ばかりが視界を占めていた。
どう見ても、ただの自然公園だった。
その時の僕は「本当にこの名前で合ってるの?」と呆れていたけど
でも――。
その、ちぐはぐさに、何か重要な手掛かりがあるのではないか?
そう思った僕は、あの公園について詳しく調べてみることにした。
幸いこっちの情報は、特に隠されている様子もなく、量こそ多くはなかったが容易に辿り着けた。
あの公園が整備されたのは、四十年以上前。
そして、その頃からすでに“歴史自然公園”と呼ばれていたらしい。
いや、むしろ当時のほうが、ちゃんとした歴史自然公園だった。
あの場所に、かつて――あったもの。
それは後に形が残らないもの。
だから遺跡も何も残っていない。
でも、その存在を僕たちは確実に知ることが出来る。
それは――声だった。
女性の声。
正確には、歌声。
あの公園に歴史と付けることになったその歌声は、まるで間欠泉のように、決まった時間になるとどこからともなく湧き上がり、毎日、あの一帯に響き渡っていた。
けれど、その歌詞は、どこの言語とも判別できない、まったく未知の言葉で紡がれ、意味は解明されないままだった。
それでも、その調べは、まるで誰かに何かを呼びかけるように、聞いた者の心へ届いていたという。
――どこから聞こえていたのかは、誰にもわからない。
この謎めいた声は大昔から延々と続き、やがて多くの神話や童話の題材となった。
呼び名もさまざまで、妖精の歌声、大地の調べ、神への祭儀……どれも、得体の知れなさと畏れが混じっている。
この声は無害とされていたが――ただ一度だけ、例外があったらしい。
数百年前、その声を聞いた人々が突然、狂ったように踊り出し、そして死ぬまで、その舞をやめなかったという。
それ以来、歌声には新たな呼び名が加わった。
――魔女の歌声。
だが、それきり同じ現象は起きていない。
そのため、歌が響いていた一帯は、最近になって歴史的価値を評価され、公園として整備された……らしい。
――だけど。
僕たちはあの日、午後から日が暮れるまで、長い時間、公園にいた。
けれど、その間、一度だって歌声なんか聞こえてこなかった。
それに形が残らない現象とはいえ、案内板のひとつすらないのは、不自然すぎる。
そこで、さらに深く調べてみた。
どうやら、その歌声は――今から二十年以上前、ある日を境に、ぴたりと途絶えてしまったらしい。
前触れもなく、唐突に。
原因はいまも不明とされているが、当時は地下深くにある巨大な魔晶石の魔力が枯れたとか、地下水脈の流れが変わったとか、そんな噂がまことしやかに囁かれていたようだ。
そして僕が見つけた資料には、その下の方に、小さくこんな情報も書かれていた。
――あの僕たちがオーガと遭遇した山の山頂に、歌声について、大昔に誰が建てたのかもわからない石碑が忘れられたように残っている、と。
だけど、僕たちはあの事件に巻き込まれたせいで、そこへは行っていない。
システルが子供たちを見たのは、あの山の中腹あたりだ。
そして――あの子供たちは、魔法が発動する直前の時間が止まった世界の中で、システルの目に動いて見えた。
展望室のあいつも、同じだ。
止まった世界で、システルは動いた、と言った。
僕たちがオーガに遭遇した世界は、第37層世界。
もし、本当にこの船がいる空間が、第34層世界付近の境界領域だとしたら――。
僕たちは、ごく近い世界で、似たような現象に二度も遭遇したことになる。
あいつ……いや、あの老人と、山で見た子供たち。
この二つの間に、なにか共通点があるのか?
ぞくりと背筋が冷える。
僕の中でさっき黄色に変わったばかりの信号が、再び赤に戻ったのを感じた。
僕は思わず、システルを見上げる。
彼女は、ただ黙ったまま、天井に描かれたあいつを封じ込める輝く巨大な輪を、じっと見つめていた。
その様子を見ながら僕の胸の奥に、もうひとつの不安が浮かぶ。
消えた歌声が、“魔女の歌声”と呼ばれていたことに。
深い考えに沈んでいた僕の身体が、ふいに微かな風の流れを捉えた。
ひげがかすかに揺れ、意識が現実へ引き戻される。
そちらへ視線を向けると、僕たちが入ってきたドアが静かに開いていた。
数人の船員が段ボール箱を抱えて中へ入ってくる。足取りは急ぎ気味で、どこか張り詰めた空気をまとっていた。
その後ろには――飲み物や食料と思われる荷物を抱えた、システルと同じ年頃の少女たちが続いていた。
長期戦に備えて、物資を運び込んでいるのだろうか。
僕は、彼らの動きをなんとなく目で追っていた。そして、あることに気付き首を微かに傾けた。




