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パスファインダー  作者: イガゴヨウ
第三章
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第二十八話

あと、もう少し――。

あと少しだ。


僕は固唾をのんであいつを凝視した。


あいつの身体から、眩い光がほとばしり、その周囲を無数の光球が音もなく旋回していた。


中で、あいつがもがいている。

だが、もう輪郭は見えない。

光が濃すぎて、形が掴めない。


それでも――僕は目を凝らした。

まだ、あいつはこの世界と繋がっている。


急速にあいつの体内から放たれる光が強くなっていく。

空気が震え、壁に刻まれた影が瞬きをする。


僕がその光の眩しさに思わず目を細めたその瞬間、

凍りつくような冷気が、あいつの方から吹き抜けた。


息を吸う間もなく、その風が僕の身体を貫いていく。

心臓の鼓動が、一瞬だけ止まった気がした。


……道が、繋がった。システルの魔法が完成に近づいている。


確信と同時に、あいつの周囲の魔力が収束していくのを感じる。

うねり、螺旋を描き、やがて一点へと凝縮していく。


空間が軋む。

耳鳴りのような低い振動が、足下から伝わってきた。


――あと、何秒だ?


もう十秒もないはずだ。


そのとき、僕はあることに気づいた。空気の揺らぎに混じる、かすかな異質の波動。

転送魔法とはまるで違う。

背筋が凍る。

それは、僕が最も感じたくなかった――気配だった。


光の渦の中を凝視する。

幾重にも重なった光の層の隙間に、あいつの姿がわずかに見えた。

頭を垂れ、自分の胸元を見つめている。

……ああ。


思わず、息が漏れた。

肩が落ちるのが自分でも分かる。

やっぱりだ――あいつは気づいてしまった。

この作戦は、もう駄目だ。


術者を倒せなければ、魔法を殺せ。


あいつはいま、自分自身に解除魔法をかけようとしている。

システルがかけた転送魔法を、己の手で断ち切ろうとしている。


貨物室でも、ここでも――あいつは常に、自分に影響が及ばないように前方へ解除の魔力を放っていた。

それがいま、あいつ自身に向けられている。


白い輝きが徐々に濁りはじめた。

水色の粒子が混じり、強烈だった光が、まるで燃え尽きる炎のように弱まっていく。

周囲を駆け巡っていた魔力の渦も勢いを失い、光の粒は、ひとつ、またひとつと数を減らしていった。


まるで――消えていく意志そのものを、僕は見ているようだ。


僕はもう一度、深く息を吐いた。

ため息というより、諦めの音に近い。

そして、あいつから視線を外してゆっくりと背後を振り返る。――もう、あいつに見つかったところでたいした事態は変わらない。


最初に目に飛び込んできたのは、鷹司に抱き起こされるあの怪我をした魔女の姿だった。

上体を起こしたものの、その顔は苦痛に歪んでいる。


どうする――。


懸命に思考を巡らす。

たぶんブリジットも鷹司も、転送魔法を使える。潜んでいる魔女たちの中にも、同じ術を扱える者がいるかもしれない。

この船の中の移動だけなら、詠唱にそれほど時間はかからないはずだ。

詠み終えるまでの時間、ニケのシールドで耐えられる可能性も……ゼロじゃない。


何とかこの場から逃げることはできるか。


僕は天井を見上げた。

あの上のフロア――避難は終わっただろうか。


ブリジットは「あと三、四十分かかる」と言っていた。

今の時間を考えれば……まだ二十分ぐらいは残っている。

つまり、まだ間に合っていない。


小さく息を吐き出す。


ふと、さっきのどうでもいい記憶が頭をよぎった。

家族みんなでゲームをした時のこと。

実はあの話には続きがある。

システルは、最後の最後に――パパに大逆転負けを食らったんだ。


勝ちを確信して油断したのか。

あるいは、勝ちを急ぎすぎたのか。

どちらにしても、彼女は“最後の一手”で失敗した。


……まるで、今の状況みたいだ。


あいつが「一時間くれてやる」と言ったのだから、脱出ポッドへの乗り込みが終わってから事を始めてもよかったかもしれない。

……いや、違うか。

もし、さっきのあいつの言葉が本当なら――僕たちがここから逃げ延びられる可能性なんて、ほとんどない。


脱出ポッドに乗ろうが、乗るまいが。

生きて帰れる確率に、大した違いはないのかもしれない。


きっと僕たちは、もう帰れないのだろう。

そう悟った瞬間、胸の奥で何かが静かに軋んだ。


これがゲームなら、セーブポイントに戻ってやり直せる。

ミスをしても、リセットボタンひとつで、何度でもやり直せる。

けれど――これは現実だ。

一度選んだ道は、戻ることも、分岐することもできない。


そして、いまの道の先は、限りなくバッドエンドに近い。


ほんの一瞬、思考が止まりかけた。

けれど、すぐに頭を振って、意識を現実へ引き戻す。


――まだ終わっていない。


状況は、最悪に近い。

それでも、あいつが動き出す前にやるべきことがある。


まず、このフロアから離れなければ。

ここに留まる限り、僕たちは確実に詰む。


そう考えた瞬間、心の奥にわずかな熱が戻った。

怖さも焦りも、もうとうに麻痺している。

今はただ、次の一手を打つしかない。


僕は、あいつの様子を確かめようと視線を送った。


すでに転送魔法の光は、ほとんど消えていた。

あいつは、自分の透けなくなった右手を見つめ――ほんのわずかに、笑った。


その笑みが、やけに薄気味悪く見えた。

もう、時間がない。

僕は、ブリジットたちにここから離れようと口を開きかけ――


その瞬間。


あいつの腰のあたりで、何かがきらりと閃いた。

銀色の棒のようなもの。

それが、音もなく、一直線に右肩の高さまで跳ね上がった。


「――おりゃっ!」


短い掛け声と同時に、轟音が響いた。

銀の閃光があいつの右肩に叩きつけられる。


直後、空気が裂けた。

あいつの喉から、獣の断末魔のような絶叫がほとばしり、

その瞬間、このフロアの窓という窓が一斉に砕け散った。


爆音。

破片が光を反射して宙を舞い、

スプリンクラーの水が蒸発し、

白い水蒸気が一瞬にして視界を覆い尽くす。


僕は、息を呑んだ。


今の光――あれはロキシーのロッドだ。

間違いない。

彼女は、あいつが転送の解除に気を取られていた一瞬を狙ったのだ。


あいつは自らの防御の鎧すら解き、全身を無防備に晒していた。

その一点を――ロキシーは逃さなかった。


ずっと、あいつの背後に潜んでいたのか。

気配を殺し、呼吸を殺し、機を窺って。


まるで、息そのものを封じていたかのように。


あいつは最後の最後まで彼女の存在に気づいていなかった。


不意を突かれた、あいつの身体は叩き下ろされた衝撃で宙を舞い、焼け焦げた客席の列に叩きつけられた。

乾いた破裂音とともに背もたれが弾け、破片が火花のように飛び散る。

あいつはそのまま、椅子を砕きながら通路を滑り、衝撃でねじれた身体が最後に跳ね返され、客席と客席の狭間へと転がり落ちた。


床を擦る鈍い音が静寂を切り裂く。


だが、すぐに、あいつは身を起こした。

頭を振り、背後を振り返る。

攻撃者を確認するように――そして見つけた。


ロキシー。


姿を現した彼女に、あいつは反射的に右手を突き出した。

反撃の構え。

だが――


その瞬間、あいつの口と目から、そして耳から青白い炎が噴き出した。


ごうっ、と音を立てて、炎はたちまち全身に広がり、

その巨体を包み込む。あれは、ロッドに宿った魔法の効果だ。


あいつは、苦悶の叫びをあげ、狭い通路の中を暴れ回った。

座席をなぎ倒し、金属を軋ませ、焦げた布と樹脂の匂いが空気を満たす。

青い炎は、ただの火ではない。

燃やしているのは、あいつの肉体だけじゃない――魔力そのものを焼いている。


ロキシーは、その光景を一瞬見届けると、無言で踵を返した。

靴音が水の残る床を打つ。

そして、迷いのない動作で最も近い扉を開け、このフロアを出ていった。


その光景を僕はただ呆然と見ていた。


信じられなかった。

目の前で起こった出来事を、頭が理解しようとしない。


だが、そのとき。


まだ燃え続けるあいつの身体のまわりに、淡い光の粒が浮かび上がった。

それらは次第に軌道を描き、回転を始める。

空気が震える。詠唱の声が、かすかに耳に届いた。


――誰かが、魔法を使っている。


音の方向をたどる。

反対側の扉の近く。

そこに、三つの影が立っていた。


きっと、あれは魔女たちだ。

彼女たちはあいつに向けて右手を掲げ、再び転送の呪を紡ぎ始めていた。


青い炎にのたうつあいつを、再び“縛る”ために。

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