第二十二話
「と、いうことは……取引は成立、ということでいいのよね?」
システルが探るような声で問いかけた。
あいつは、しばし黙ったまま考え込むような仕草を見せ、それから、ほんのわずかに首を縦に振った。
その瞬間、胸の奥にたまっていた空気が一気に抜ける。
僕はあいつに悟られないよう、小さく息を吐いた。――これで、船の全員を脱出ポッドに乗せるだけの時間は稼げた。
あとは、存在しない“もう一つ”を信じ込ませ、あいつをあの展望室に誘導して閉じ込める。問題は、どうやってその筋書きを自然に導くか、だ。
視線をシステルに移した僕は、表情を見て、はっとした。
彼女は薄い笑みを浮かべ、挑発的とも思える視線をあいつに送っていた。
そこに安堵の色はない。だが、警戒に神経を張り詰めている様子でもなかった。
あの表情──僕は、以前にも見たことがある。
家族みんなでゲームをしていたとき、勝利を確信した瞬間に彼女が見せた、あの顔だ。
その時を思い返して僕は思った。今、彼女は自分だけの時間を進めている。自分で決めたスケジュールの上をひたすら突き進んでいる。
取引が成立しても、彼女の時計の針はそこでは止まらない。あのストップウォッチのように、今も時を刻み続けている。
彼女は、次の一手をもう決めている。
あいつが、重く口を開いた。
「ですが……少しでもこの船を離れる素振りを見せれば、すぐに――」
「あなたも忘れっぽい人のようね」
システルが遮った。
「さっき言ったでしょう? 取引が終わるまでは、この船からは誰も離れないって」
そう言いながら、掲げていたスマホをゆっくりと下ろす。
まるでそれが合図だったかのように、ブリジットが傷を負った魔女に肩を貸しながら、静かに後方へと下がっていく。
あいつの視線がそちらに流れるが、動きはない。
その様子を見ながらシステルが口を開く。
「取引の場所だけど……あの貨物室はどうかしら? あそこなら、私からあれを受け取ったあと、あなたはすぐに二つまとめてこの船を離れられる。悪くない話でしょ?」
彼女の、またしても予想外の提案に、僕は思わず息を呑んだ。
なぜ、あそこを選んだ……?
そうか。システルの魔法具が、まだあの貨物室に潜んでいるとすれば……。それを使って、一気に決着をつけるつもりなのか……?
だが、あいつを展望室に閉じ込める計画はどうなる?
それに、素直にあいつが了承するとも思えない。あの爆発だ。貨物室を取引場所に指定すれば、罠を疑うのが自然だ。
視線を送ると、案の定、あいつは眉をひそめ、システルを疑う目で見据えていた。
システルはその視線を受け止めると、大きく息を吐き、少し間を置いて――提案を変えた。
「やっぱり、だめか……じゃあ仕方ないわ。特別サービスよ。本当は私たちが場所を決めるはずだったけど、あなたに歩み寄ってあげるわ。この船の一番上にある展望室はどう? あなたが最初に私を見た、あのガラス張りの部屋」
あいつが再び考え込むように視線を落とした。
――来た。最初の計画通りだ。
あの展望室は狭く、身を隠せる場所も障害物もほとんどない。外からは中が丸見えだが、逆も然り。戦闘になれば、僕たちは圧倒的に不利。
ただあいつを閉じ込めるだけなら、結界や封印に必要な魔力が少なくて済み、こちらが有利。
――いったい、あいつはどう考える?
沈黙が落ちた。
僕たちは息を殺して、あいつの返答を待った。
やがて、あいつは低く告げた。
「……では、場所はこの船の一番上。あの部屋にしましょう」
システルが微笑む。
「じゃあ、時間は――」
「一時間、差し上げましょう」
今度はあいつがシステルの言葉を遮った。
思わぬ譲歩に、僕は内心でうなった。余裕か、寛大さを見せたのか、それとも……企みか?
「そう? それは助かるわ。時間が足りなさそうで、どうしようか悩んでたのよ」




