第十七話
轟音とともに、魔法の壁が崩れ落ちた。
金属を叩き割ったような響きがフロアに反響し、空気が一瞬で張り詰める。
振り返ったブリジットが、鋭く声を放った。
「私とシステル以外は姿を隠せ。鷹司は負傷者が出た時に備えて、一番後ろの壁の裏へ」
鷹司は静かに頷くと、呪文を唱えながら後方へ駆けていった。小走りに遠ざかる彼女の体は次第に透け、やがて完全に視界から消える。
「私は年寄りだもの。戦闘じゃ役に立たないわね」
あの老婦人が鷹司の消えた方を見やりながら言った。
「だから、私も後ろで隠れていましょう」
ブリジットが短く頷いて答える。
フロアのあちこちから呪文の響きが重なり合い、次々と魔女たちの姿が掻き消えていった。
ブリジットが僕に視線を向け、問いかける。
「あの老人は、どの扉から来る?」
僕は、外から伝わってくる感覚を確かめて答えた。
「階段の封印を破ってからは、ずっと中央の扉を使ってきてる。たぶん、ここに入ってくる時も同じだと思う」
ブリジットは頷き、ロキシーとクォータースタッフを構えた魔女に向かって短く告げる。
「手筈通りに」
「ったく、勘弁してや〜……」
ロキシーは苦笑しながら背中のロッドを外し、両手に構えて呪文を紡ぐ。彼女の使い魔も寄り添い、その姿は中央の扉に向かう途中で淡く揺らぎ、やがて完全に消えた。もう一人の魔女も同じように唱え、ロキシーの後を追うように姿を消す。
――今、ここで姿が見えるのは、システルと僕とニケ、そしてブリジットと彼女の使い魔の猫。
だが、この場には七人の魔女と七匹の使い魔が潜み、息を殺して待ち構えている。
フロアはしんと静まり返った。聞こえるのは、時折、封印に打ち付けられるような重い衝撃音だけ。時間そのものが凍りつき、呼吸すらためらわれる。
……その時だった。
突然、僕の頭の中にあの古代の岩絵が浮かび上がってきた。洞窟に描かれた、色あせた絵。巨人を囲む人々。研究者たちは口を揃えて言う。――あれは巨人を中心に、人々が踊る様子だ、と。
でも、あの絵の写真を初めて見たとき、どうしても僕には、そうとは思えなかった。
あれは踊っているというより、むしろ緊張した面持ちで巨人を取り囲んでいるように見えた。
――魔女の起源はシャーマンだと言われている。
あの岩絵が描かれた時代、彼女たち、いや彼らシャーマンは、すでにこの地に存在していた。定説では当時の彼らは魔法は持たず、おまじないや幻覚を見せる草で人を導いただけの、呪術師のような存在に過ぎなかったと言われている。
でも、それは本当だろうか?
あの絵が伝えるもの。それは魔女の祖となる彼らは、古より魔法を操り、巨人のような強大な敵と死闘を繰り返していたということではないだろうか。そして力で劣る彼らは、知識を知恵へと変え、仲間と助け合いながら、乗り越えてきたのではないか。
そんな思考が頭をよぎった瞬間――。
封印が破れる音が轟いた。
僕たちとブリジットが顔を見合わせる。残る壁は、目の前の正面の扉を守る一枚だけ。
「ニケ。ここにいる人たちを覆うようにシールドを展開して」
システルが低く言った。
足元のニケから、わずかな逡巡が伝わってくる。
さっきロキシーたちには最大のシールドを張った。そのうえで広範囲のシールドを展開すれば、システル個人を守る力は手薄になる。攻撃を受けた時に修復が間に合わないかもしれない。
一瞬の沈黙の後、ニケは小さく首を振ってから、システルの言葉に従った。透明な膜のようなシールドが僕たちを包み込んでいく。
それを見るとブリジットは足元にいた自らの使い魔に合図を送る。
すると、使い魔は尻尾で床を軽く一度叩いた。
その瞬間、僕の感覚が一気に研ぎ澄まされる。急に冷たい風が上から吹き下ろし、意識を鋭く削がれたような感覚が襲ってくる。
――ロゼ・クロノス。
ブリジットの特殊能力。効果範囲内の仲間の思考を加速させ、一瞬先の未来さえ垣間見せる力だ。
学園祭恒例の模擬戦でも無類の強さを誇り、彼女を自分たちのパーティーに迎えようとする熾烈な勧誘合戦の噂は、僕たち中等科の耳にも届いていた。
……そして。
あいつが最後の扉に手をかけた。
すぐそこにいる。薄い壁一枚を隔てて。
僕たちは自然と後ろへ下がる。ブリジットはポケットから杖を取り出し、低く構えた。
システルの肩の上からそっと横顔を盗み見る。
こめかみに滲む小さな汗。彼女は緊張している。でも、心の奥に――別の思考の影がちらついていた。迷い。何かを決めかねているような。
そんな感覚が伝わってくる。
一体、彼女は何を迷っているのだろう?
その時、扉を覆う最後の魔法が赤く変色し、音を立てて揺らぎ始めた。
ニケがシステルを見上げる。修復するか、と目で問いかけている。
だがシステルは視線を逸らさず、真っ直ぐに扉を見据えたまま答えた。
「いいわよ。このままで」
魔法の壁は赤く染まり、激しく震え、そして――。
眩い閃光とともに粉々に砕け散った。
光が消え去ると、そこに“あいつ”が立っていた。
貨物室で感じた時と同じ吐き気を感じるような不快感。圧倒的な威圧感。巨大な体。頭がもう、このフロアの天井に届きそうなほどだ。
システルの声が響いた。
「遅かったわね。待ちくたびれたわよ」




