第十三話
「上のフロアで、脱出ポッドへの乗り込みが再開されたが、全員が乗り終えるまでにはあと三、四十分はかかるらしい」
──ブリジットの声が響いた瞬間、赤い星に奪われかけていた僕の意識は、現実へと引き戻された。
あと三、四十分か。
物資だらけの船だと思っていたけれど、思った以上に人が乗っているらしい。
僕はすぐに探知魔法を使い、あいつの位置を確かめた。
すぐに見つかった。まだだいぶ下のフロア、船尾側の階段を、相変わらずゆっくりと昇ってきている。
僕たちはエレベーターで先に上がった分、多少の時間の余裕はある。
それでも、あいつがこのフロアに来るまでに十分もかからない。つまり、脱出ポッドの搭乗が終わる前に、あいつはここへ来てしまう。
……でも、なぜ階段なんだ。エレベーターや転送魔法があるのに。
「あいつ……なんでエレベーターを使わないんだろう?」
そうシステルに尋ねると、彼女は口元をにやりとさせて答えた。
「そんなの簡単よ。あいつ、エレベーターを知らないのよ」
なるほど。あいつの振る舞いは、まるで大昔からそのまま抜け出してきたようだった。知らなくても不思議じゃない。
ブリジットの声が聞こえた。
「まずは、あの老人が来る前に守りを固めよう。結界やシールドだが」
その時、船首側から複数の気配が近づいてきて、僕は驚いて視線を向けた。
壁の開いたドアから、客席の合間を縫うように数名の影がこちらへ歩いてくる。服装はまちまちだが、全員女性のようだった。
「脱出が完了するまで、彼女たちと協力して足止めする」
ブリジットが言った。
たぶん、この船に同乗していた魔女たちだ。その中には、出発前にアトリウムで話しかけてきたあの老婦人の姿もあった。
ちょうどそのとき、ブリジットのスマホが震え、メッセージの着信を告げた。画面を見た彼女の表情が一瞬硬くなり、システルに目を向ける。
「下のフロアに逃げ遅れていた人たちが隠れていたが、老人は気にも留めず素通りしたらしい。やはり狙いは──システル、君で間違いない」
胸にざらりとした不安が広がる。
あいつの狙いが取引ならまだいい。けど、もし貨物室でのことへの仕返しだとしたら……。
同じ思いは皆も抱いたのか、短い沈黙が続いた。
それを振り払うようにブリジットが口を開く。
「取引の内容は、何と書いた?」
「何も書いてません。ただ『取引しましょう』とだけ」
システルが答える。
ブリジットはかすかに笑った。
「なら、都合よく後付けできるな」
「やはり望むのは、この船からの全員の安全な脱出、でしょうか」
鷹司が問いかける。
「今の状況だと船から出るだけじゃ不十分だろう。安全な避難先も必要だ。……もっとも、あの老人が素直に飲むとは思えんが」
そう言ってからブリジットは僕とシステルへ視線を向けた。
「あの老人に仲間はいるように見えたか?」
システルが困った顔をして僕を見る。
「たぶん、いないと思う。あいつ以外に同じ気配はなかったし、あの棺みたいなものも、どこかへ消えたままだ」
ブリジットは小さく安堵の息を漏らした。
「そろそろ始めないと時間が足りないわ。私はシールドを張りに行ってくる」
ニケがそう告げ、船尾の階段へ向かって歩き出すと、数人の魔女が続いた。
「ほな、自分も行こか!」
ロキシーの使い魔の猫も、尻尾を揺らしながら後を追う。
僕はシステルを見て言う。
「僕も行くよ。あの人たちに、あいつの位置を常に伝えないと」
彼女が頷いたのを見て、僕は駆け出した。
だが、すぐに足を止め、振り返って言った。
「でも、もし結界で足止めしたら、あいつは取引が嘘だと悟って、この船ごと吹き飛ばしたりしない?」
「むしろ歓迎よ」
システルは真顔で言った。
「あいつは、あの貨物室の“もの”を安全な場所に移してからじゃないと船を吹き飛ばせない。だから必ず貨物室に戻る。その間に私たちは逃げればいい」
なるほど……。でも、本当にそんなにうまくいくのだろうか。
そう思いながら前を向いた時、背後でシステルの声がかすかに聞こえた。
「そうだわ……あと一回、テレポートが使える。これを上手く使えば」
振り返ると、彼女は左手首のブレスレットを見つめながら、独り言を言っていた。
ブリジットの声が重なる。
「だが、あの老人が探している他の“もの”はここにはない。場所もわからない。嘘の情報で誤魔化せるかどうか……」
「私に考えがあります」
システルが低く答える。
「あいつの仕事を増やしてやりましょう。もしかしたら、あいつは……」
その言葉の続きを聞きたい気もしたが、階段へ向かったニケたちの姿が頭をよぎる。
僕は結局、彼女らを追うことにした。




