第十六話
夜が明けない世界がある。
空には時の流れを忘れたように永遠の星が満ち、月の光が湖面を照らす。
星たちのきらめきは星座を作り、神話の主人公たちは夜空を駆ける。
広大な湖が世界を覆い、陸地は小さな島が一つだけ。
──第84層世界。
人が統べる世界と、魔物が統べる世界との境界にある場所。
ここから下の階層は、すべてが魔物の世界。いくつかの層にはわずかに人が住んではいるけれど、幾重にも張り巡らされた結界と高い城壁に守られたわずかな空間に押し込められるように暮らしているという。
魔物に怯えながら暮らす「浮世」のすぐ上──それが84番目の世界であり、人の「現世」とを隔てる壁になっている。
それは、ただの比喩ではなく、本当の「壁」でもある。
この世界に暮らす人々は皆、あるものを守る「守り人」たちだ。
一つは、全次層世界の中で唯一、ここにだけに存在が確認されている「神託の木」──カンティークルの木。
そしてもう一つは、「門」。転移門によく似た、遥か昔に造られた古代の遺物。
カンティークルの木は神官や騎士たちが、門は魔女たちが守っている。
この世界を壁と呼ばせているもの──。
それは、魔女たちが幾世代にも渡り守り続けてきた太古から存在する門。自分たちでは鍵をかけることができない宿因の扉。それは常に封印の魔法をかけ続けていなければ、下層世界から強力な魔物が通り抜けてくるという。 残された歴史書には、かつてこの門を通った魔物たちが上層世界にまで押し寄せ、多くの都市が滅び、大勢の人々が命を落とした記録が残っている。
なぜ、そんな重要な門の守りを魔女たちだけで担っているのか。
その理由は、この第84層世界が「永遠に日が昇らない」世界だからだ。
日の光を魔力の源とする普通の魔法使いたちは、この世界ではやがて魔力を失い、魔法が使えなくなってしまう。だが魔女は違う。彼女たちの力の源は、太陽だけではなく、もっと別の「何か」をも由来としているのだ。だから彼女たちはここで魔法が使えなくなることはない。
そんな貴重な存在である魔女たちは、この世界では引っ張りだこの人気者。時にはカンティークルの木の警護にも動員されることもある。
そして、そんな魔女たちの暮らしや、永夜の神秘をひと目見ようと、わずかだが観光客も訪れる。
門の封印さえ安定していれば──安全な世界、穴場の観光地。
けれど、今──。
その封印が、少しずつ不安定になってきてるという。
本来は成人した魔女たちが担うべき封印の維持を、システルと同じ世代の──この島にある魔女の学校の生徒たちが代わりに担当しているからだ。
なぜ、まだ半人前の彼女たちが、そんな重大な任務を任されているのか。
理由はただ一つ。多くの魔女たちが、他の世界へと駆り出されてしまっているから。
──だから、門を守るのは学生たち。
そして、きっと僕たちも、そこへ向かうことになる。
会議室に集められたのは、この学校に在籍するたった四人の魔女。
高等科が三名、中等科が一名。
魔女をルーツとするこの学校にしては、あまりにも少ない人数。
だが、それには理由がある。僕たちの世界では魔女の数が年々減っており、さらにその多くは、生まれ持った力を伸ばすために、魔女専門の養成校へと進む。システルのように、杖を振り、呪文を唱える「魔法使いタイプ」の魔女を目指すのは、ごく少数だ。
「……現在、第43層世界では大規模な災害が発生しています。その影響で、全住民を避難させることが決まりました。しかし残念なことに、今の第43層世界では、魔法が一切使えない状態です」
静まり返った会議室に、ソーントン校長の落ち着いた声が響いた。
「魔法だけではありません。空間移動ポータルをはじめ、魔力を動力とするすべての装置が停止しています。ですが、まだ魔女の魔法だけは、使えると報告されています」
災害が起こる前まで第43層世界では、あらゆる生活基盤が魔力に依存していた。移動も、通信も、そして救助さえも。
だが、魔法が封じられた今、人々は避難すら困難な状況に陥っている。
ゆえに、全次層世界から魔女たちが呼び寄せられ、輸送や補助魔法による支援に奔走しているのだ。
校長は一呼吸おいて、続けた。
「そして、もうひとつ。第84層より下の階層では、魔物たちの動きが活発化しており、複数の要塞都市が相次いで襲撃されました」
結果として、門の封印を安定させるため第84層から派遣されていた魔女の一人が急遽戻ることになった。
その代わりに、僕たちの学校の高等科の三名が第43層世界へ派遣される。
……そして、僕たち中等科の生徒は──。
戻る魔女に同行し、第84層世界へ向かい、「門」の封印作業に加わる。
会議室の空気が、わずかに揺れる。誰もが静かに校長の話に耳を傾けていた。
……ただ一人、僕の隣にいる魔女を除いて。
教頭先生が補足した。
「保護者の方々にはすでに連絡済みです。本人の意思を尊重してほしい、とのことでした」
──つまり、もう話はついている。
システルまで声がかかるということは、状況はニュースで報じられている以上に、深刻なのだろう。
でも、彼女の考えは聞かなくてもわかる。
今にも口から飛び出しそうなほどのワクワクが、となりにいる僕にも伝わってくる。
机に座って授業を受けずに済むことへの「やったー!」という心の声すらも、聞こえてきそうだ。
……それにしても、第84層世界で起こっていることは、僕にとって初耳だった。
──きっと、まだ知らされていない何かがある。
校長の話を聞いている最中、そんな予感がふと胸をよぎった。
そして最後に、校長は僕たちをまっすぐに見つめて言った。
「システィール・パスファインダー……。特にあなたは目立つのですから、行動には細心の注意を払うように」
その瞬間、会議室にいた全員の視線が、彼女へと集中した。
二匹の使い魔を連れた、たった一人の魔女──。
でも、僕たちはそんな視線には慣れている。集まる視線を受け流し校長の顔をじっと見つめた。
僕たちが生まれるずっと前から、この学校の校長を務めてきた彼女。その表情が僕にはほんのわずかに微笑んでいるように見えた。




