第九話
校舎の中庭に面した入り口にたどり着くと、先に着いていたニケが石畳の上で毛づくろいをしていた。
ちらりとこちらに視線を寄越すと、すぐにまた毛づくろいに戻る。その仕草は、まるで「遅い」とでも言いたげだ。
どこかミステリアスで、マイペースなこの白猫――
彼女も、僕と同じシステルの使い魔だ。
探知系魔法を得意とする僕に対し、防御系を得意とする彼女は、いつもその魔法で僕たちを守ってくれている。
さっきシステルが石段を駆け下りたとき、転んでいたとしても、きっとニケの魔法が怪我ひとつさせなかっただろう。
危険から魔法の壁で僕たちを守る――それがニケの役目だ。
でも、それだけではない。
彼女は、僕たちの中でも群を抜いて魔力量が多い。
その豊富な魔力は、生まれつき魔力量の少ないシステルを、影からずっと支えてる。
実際、ニケがいなければ、システルは魔力が不足して大きな魔法を連続して使うのがかなり難しくなる。
そんな彼女は、僕たちにとってとても頼りになる存在――なのだけれど、
もう十四年も一緒にいるというのに、いまだによくわからないことがある。
どうしてそんな発想に至るのか、不思議で仕方ないと感じることがしばしばだ。
いや、不思議というより、どこか“天然”が入っているというか。
そのあたり、システルと似ているような気がする。
だから僕は、心の中でこっそり、ニケを「システルと同じカテゴリ」に分類している。
一度、冗談半分にそれを口にしたことがあった。
「ニケって、システルに考え方が似てるよね」
そのとき、ニケはぴんと耳を立て、「一緒にするな」とむすっとしていたっけ。
そんなことを思い出しながら、荒くなっていた呼吸を整える。
中庭の時計を見ると、走ってきたおかげで、午後の授業にはまだ少し余裕がありそうだ。
僕は一度、大きく息を吐いた。
体は火照っているが、中庭には木立の影が多く、昼の光が降り注いでいるわりには涼しい。
眩しい光に目を細め、ふと空を仰ぐ。
灰みがかった大理石の校舎が、青空を背にくっきりと浮かび上がっていた。
まだ残暑が厳しい季節。開け放たれた教室の窓からは風が吹き抜け、白いカーテンをふわりと揺らしている。
中からは、にぎやかな笑い声が聞こえてきた。
高く、軽やかな声たちが空へと舞い上がり、鳥たちのさえずりのように校舎を包み込んでいく。
――まるで、鳥の巣みたいだ。
そんなことを、ぼんやりと思った。
システルが通うこの大理石の美しい学校は、魔法学校としては珍しい女子校だ。
始まりは数百年前。
七人の魔女がこの地に降り立ち、時折、近くの村の子どもたちにさまざまな知識を授けたのがきっかけだったという。
それが今では、中高一貫のこの学園に加え、川の向こうには大学、さらにその周囲には政府系の研究機関や民間企業の研究棟まで立ち並んでいる。
教員や研究者のための住宅街や商業施設も整備され、この一帯は巨大な学園都市を形作っていた。
たぶん、当時の魔女たちは、ただの暇つぶしのつもりだったのだろうが、今のこの発展ぶりを見たら、きっと目を丸くして驚くに違いない。
そんなことを考えていた、その矢先――
ふいに、視界の隅が白く、まばゆく染まった。
渡り廊下の向こう、転移門が設置された広場の方角。
昼の陽光にも負けないほどの閃光が、ほとばしった。
光はしばらく輝き続け、やがてふっと消える。
あの強烈な光と、持続時間。
きっと、午後の授業を担当する講師が、遠く離れた次層世界からやってきたのだろう。
この学校、セプタディア学園は異世界との交流も盛んだ。
先生や講師だけでなく、生徒にも別の次層世界の出身者は多い。
彼女たちは基本、寄宿舎で暮らしているが、中には親が大魔法使いや大富豪だったりして、
毎朝、たくさんの魔晶石を転送魔法に使い、自分たちの世界から直接登校してくる生徒もいる。
もちろん、一般生徒には転移門は使えない。
だから校門の脇に、専用の広場が設けられている。
登下校の時間になると、そこにはいくつもの光の球が現れては消え、また現れては消えが繰り返される。
その様子は、さながら家柄を競い合う、きらびやかなショーのようだ。
そして、まばゆい光が消えたあとには、制服に身を包んだおすまし顔のご令嬢たちが、ふわりと現れる。
実を言うと、僕のご主人様もそのご令嬢たちと同じように、毎朝、魔法で登校をしている一人だ。
ただ、状況は全く違う。
僕たちが住んでいる村は、学校と同じ世界にある。
一番近い街まで行けば、都市をつなぐ空間移動ポータルがあって、それで学校のすぐそばまで簡単に来ることができる。
金持ちでもない彼女がポータル料金の十倍以上もするような魔晶石を使ってまで魔法で学校に来る必要なんてない。
にもかかわらず魔法で登校をする。その理由は単純だ――ギリギリまで寝てるから。
朝はもう、修羅場そのものだ。
「緊急事態、緊急事態!」と叫びながらパンを口にくわえ、制服に腕を通しながら、杖を振り回している。
そのときの詠唱にはほんっと驚く。
ただでさえシステルの詠唱は鼻歌みたいなのに、パンを咥えたまま唱えるものだから、
隣にいる僕には、「ふが、ふが、ふが」と言っているようにしか聞こえない。
……これ、呪文なのか。
それでも、ちゃんと魔法が発動するのだから、感心してしまう。
しかも、転送魔法で校門に到着する頃には、咥えていたパンをきれいに食べ終えている。
転送なんて一瞬なのに、どうやったらそんな早業ができるのか。
きっとそんな芸当ができるのは、僕のご主人様ぐらいだ。
そんなことを思っていた、そのときだった。
中庭の奥から、はあ、はあと荒い息遣いが聞こえてきた。
そして、つぶやくような声が届く。
「……駄目だ、四本足には敵わないわ」




