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考えすぎないほうがいいよ。

作者: 倉田四朗

(ああ……また彼女が"うわさ"をしている……)

 私はそう感じて、固い机から顔を上げた。7月の真昼の突き刺す陽光が薄手のカーテンを貫通する学校の教室内は、談笑するクラスメイトたちで賑わっている。顔を上げたとたん、それぞれが持ちこんだお弁当のおかずの匂いが鼻をくすぐって、私は自分の腹が空腹を訴えるのを感じた。

 私は聞こえてきた声のほうに視線をやった。私が座っている教室のいちばん奥の席から真反対、教室の出入口に近いあたりで、数人の女子が勝手に他人の机を寄せ集めて談笑している(彼らに机をとられた男子はかわいそうに)。彼女らが話しているのは、学校に関するうわさ、芸能人に関するうわさ、顔も知らない誰かのうわさだ。彼女らはいつもうわさについてばかり話している。なにぶん声が大きくよく通る人たちの集まりなので、その話し声はいちばん離れた席で突っ伏していても耳に入りこんでくる。

 私は不愉快な気持ちで彼女らに視線をやる。ケラケラと笑いながら話す彼女らの口から出てくる言葉は聞くに耐えないものばかりだ。隣のクラスの誰々が万引きをしているらしいとか、あの芸能人の誰それの性器の大きさがどうとか、下の学年の誰々と誰々のカップルはコンドームを知らないだとか……私はうんざりしていた。

 空腹もあいまってイライラする。今日は家に財布を忘れてきてしまったせいで昼食を買うことができなかった。水は廊下にある給水器でなんとかなっているが、それで空腹をごまかすのはなんだかみじめな気持ちになるし、トイレだって近くなる。だから私はこの昼休み、スマホをいじるか寝ているかしかできない。

 スマホを開き、SNSのタイムラインをチラッと見て、すぐにとじる。SNSもうわさで溢れている。どこかの知らない人が不倫しているんじゃないかという邪推、誰かインフルエンサーの投稿を曲解して不愉快な推測を立てるアカウント、オカルトを根拠にした疑似科学、陰謀論……めまいがしそうだ。

(『唐突なめまいは脳梗塞の前兆だといううわさだ』)頭のなかに声がよぎる……私は、これが自分の思考だということを知っている。

 思考は私の脳の右半分に陣取っている。思考はゆったりと椅子に腰かけ、ほおづえをつきながら足を組んでいる。

 ときどき、私はこうして自問自答する。自分の思考に勝手に喋らせて、自分の理性と会話させるのだ。他人がその人の脳内でどういう風に思考をまとめているかはわからないが、おそらく世の人も似たようなことをしているのだろう。私は目をつぶり、机に肘を支えにして、うなだれた。

(『一種のイマジナリーフレンドなのかもな?』)私の思考が自嘲するように言った。

(『だけどそのおかげでおまえはこうして昼休みにぼっちでも退屈しないってわけだ』)

(「うるさいな」)私の理性が口を尖らせる。理性は私の脳の左半分に陣取って、直立不動の姿勢でいる。

(「今日の最高気温は37度だ。冷房がきいた教室から出ていきたくないのは誰だってそうだろう」)

(『だったら友達のいるほかの教室でもいいんじゃないか? そうしないのはどうしてだ?』)

(「わかった、認めるよ。私は友人らしい友人がいない」)

(『さすが"理性"様はお話がはやい』)思考がくつくつ笑った。

(自分で質問して自分で回答するのだから、話がはやいのは当然じゃないか)と、思考と理性の会話を眺める、"客観的な自分"がツッコミをいれるが、思考も理性もそれを無視した。そこを掘り下げてもしかたがない。

(『しかしさっきおまえはこう考えたな? "他の人も脳内で同じようなことをしているだろう"と、それは本当か?』)思考が首をかしげる。

(「知らないよ、あくまで予想だ。だって私にはその人が脳内で何を考えているか知るすべはないし……小説とか映画でそんな描写をしているのを見たことがあるだけだ」)理性が肩をすくめる。

(『知ってるか? 頭のなかで複数の人間が会話しはじめるのは統合失調症の症状のひとつだってうわさだぜ?』)

(「自分に対して"知ってるか?"だって? それにまたうわさの話か。きちんとした医学的根拠はあるのか?」)

(『自分に対して"根拠はあるのか?"だって? さぁな、私はうわさをどこかで見たか聞いたかしただけで、きちんした医学的論文を探すほど興味があったわけじゃない。ただ悲観的な未来にふれて自分を憐れみたかっただけだ』)思考は皮肉っぽく言った。

(「まったくそのとおり。探せばあるのかもしれないけれど、自分の頭はそこまでよくない」)理性はそっぽを向いた。

(『まったく"理性的な"判断だな』)思考は手をぱちぱち叩く。

(『だけどときにはその"理性的な"判断を捨てて、興味の赴くままに動いてみてもいいんじゃないか?』)思考がぐっと身を乗り出して私を見る。

 私は「なんのはなしだ」と小さく呟いた。

(『いい加減内向的であるのをやめろという話だ。顔に明るく笑顔を浮かべて、誰でもいいから話しかける。それだけでおまえはこの退屈な昼休みから解放される』)

(「それで得られるものは? 友達というやつか?」)理性がせせら笑う。思考が肩をすくめた。

(「つまり、おまえは私にあいつらの一員になれというんだ」)理性が教室の出入口のほうを指さした。 

(「ぎゃあぎゃあと人語をしゃべる狂ったカラスみたいな群れのなかに入れと? あいつらのように口から生ごみのような言葉を吐き出し続けろと?」)

「そんなのいやだ」私の唇の端から言葉がもれる。

(『おいおい、ずいぶんな言い草じゃないか。どうだろうな、話してみると案外いい奴らかもしれないぜ? それにあいつらじゃなくてもいい。別の人間が相手でもいいじゃないか』)

(「誰が相手でも同じだよ」)理性がうんざりした様子で教室内を眺めまわす。

(「4月に入学したころはみんなそれなりに節度をもった会話をしていた……だけどそれがだんだん誰かへの不満の共有行為となり、陰口のシンポジウムとなり、週5回で開催されるようになった…………自分だけが、唯一そのシンポジウムに参加しないでいられるんだ。あんなもののなかに放りこまれたくない」)

(『栄光ある孤立気どりか?』)思考が目を細める。

(「そういう自由もある、と言いたいだけだ」)理性は顔をそむけた。

(『まぁ、そういうのが苦手なのはしかたないよな。そういう人間だもんな』)思考は私に微笑む。理性が何か言おうとしたが、私は黙らせた。

(『だがしかし、孤独なのはよくない。孤独は人を狂わせるってうわさだぜ』)

(「またうわさだ!」)理性がもううんざりといったジェスチャーをする。

(「うわさ! うわさ! うわさ! 最近うわさの話ばかりじゃないか! 私の思考はいつからそんなうわさの話に支配されるようになった!?」)理性が、理性らしからぬ激しさで頭をふった。

(『そんなにうわさの話ばかりしているか?』)

(してるよ)客観的な私が指を折る。(少なくとも1日平均10回はうわさの話をしている)

(『そんなにか? 気づかなかった』)思考が目を丸くした。

(「自分の属する集団でなにが起こっているか、気にするのは当然のことだ。いま流行っているうわさについて気にしがちなのは当たり前のことだ……それは理性的にとらえている」)理性が腕をくむ。

(「だがやはり最近は度が過ぎている。おかげで私は自分の内面にじっくり向き合う時間もとれない」)

(『そりゃあ……悪かったよ』)思考がばつが悪そうに後頭部をかいた。

(「なぁ、私の思考はいつからこんなにも"うわさ"に支配されるようになった?」)理性が、客観的な自分に顔を向けた。

「……だいたい1ヶ月くらい前からだ」私は呟く。

(『1ヶ月……っていうと6月か。ちょうどあのころだな』)

 思考の目配せに、理性がうなずく。(「ああ」)

(「"彼女"が転入してきたころだ」)

 理性の声をうけて、私は再び教室の出入口にたむろする集団に目をやった。

 下品な話題を大声で談笑する女子の集団のなか、その中心にひとりの女生徒があぐらをかいている。ひときわ声が大きく、身ぶりも激しい彼女は、6月にこのクラスにきた転入生だ。

 彼女がくるまでは、このクラスの昼休みにあんな耳障りな単語が飛び交うことはなかったと思う。だがしかし彼女がよく困った人を助ける親切な人であるのは私も知っているし、いつもはつらつな態度を崩さないのは天性のリーダーシップのようなものを備えているからだろう。彼女は転入してきてからアッと言う間にこのクラスに溶け込み、中心的な役割を果たすようになった。

(「彼女に非はない」)理性が言った。

「それはわかってる」私は小さな声で答える。

 私は、彼女のその真夏の太陽のような性質が苦手だった。頼んでもいないのに親切にしてくるし、毎朝顔を合わせるたびに笑顔でおはようと言ってくるのが、まるで自分の部屋に勝手に踏みこまれているような落ち着かさなさを感じるのだ。

(「それは私がたんに内向的で人見知りなだけだ。彼女を非難するのは違う」)理性の言葉に、私は頭をふる。

「そんなことわかってる」呟く。

(『だがそういった"内向的"な人間の存在を考慮しないのは彼女の非じゃないのか? この世の人間がみんな自分と同じ性質をもっていると当然のように思いこんでいる。相手の都合や事情を考慮しないという点において、誰かれ構わず親切かつ明るく接することは、一方的な暴力となにが違うんだ?』)

(それは言いすぎだ!)客観的な自分が怒鳴った。

(『すまない』)思考が頭を垂れる。

(「だが思考が言うことにも一理あるな……彼女がいちいち私の内面のことを考慮する理由がないことを除けば、だが」)理性が手を顎にやり、考えこんでいる。

(「そもそもなぜ彼女のことをそんなに気にする? 話し声が耳障りだからか?」)

(わかってるくせに)客観的な自分がくすくす笑った。

(私は本当は彼女と仲良くなりたいんだよ。あの"ぎゃあぎゃあと人語を話す狂ったカラスの群れ"の一員になりたいんだ)

(『でも毎日のように不愉快なうわさ話ばかりしなきゃいけないのは嫌だ、ということだな』)思考が腕を組む。

(不思議だよね)客観的な自分が首をかしげる。

(あんなに不愉快なうわさばかり口からばらまいている人間が、なぜかみんなに好かれてる。それに本人はいたって普通の人だ。なにかちぐはぐに見えるなぁ)

(『もしかしたら、彼女の普段の親切な一面は演技かもな』)思考が横目で彼女を見た。当然、彼女がこちらに気づくことはない。

(「演技だって? 根拠は?」)理性が咎めるように思考を見る。

(『彼女が転校してきた理由だよ……』)思考がぐっと顔を寄せ、声を落とす。

(『彼女は前の学校で問題を起こして転校してきたってうわさだ』)

(「なぁ、やっぱりおかしいって」)理性が言う。

(『そうだな、彼女の二面性はおかしい』)

(「そうじゃなくって」)理性が思考を指さした。

(「"思考"だよ。私はことあるごとに"うわさ"のことばかり思考している」)

(たしかに)客観的な自分がうなずく。

(なにかの影響だろうか?)

(『そんなにうわさのことばかり考えてるか……? いや、そうだな。たしかに考えてる』)

(「以前からずっと私はこんなだったか?」)理性が客観的な自分に問いかけた。

 客観的な自分は首を振った。

(最近になってからだ……最近、私の思考はずっと何かのうわさに支配されてる)

(『思考が支配されてるだって!? そんなのあるわけない』)

(「でも現に私の思考は外部からのうわさのことばかり考えている」)

(私の周りの外部の何かが、思考の傾向に影響を与えることはありうることだと思うよ。一日中工事現場の近くで暮らしている人はずっとイライラしているだろう)

「私が何かの影響を受けるとしたら……きまってる」私は彼女を見た。

(『彼女の影響?』)

(「可能性は高い」)

(彼女がずっと大きい声でどこかの誰かのうわさの話ばかりしているから、自分も影響をうけたって? 彼女とはろくに話したこともないのに!)

(「でもあの話声は嫌でも耳に入る」)

(『"耳に入る"……そうだ、そのとおりだ』)

 そのとき、私の頭のなかにひとつの想像が浮かんだ。彼女の口から出た言葉が何か細長い生き物になって、私の耳の中に入り込もうとする想像だ。それらは両手で耳を覆っても指の隙間にグイグイと頭をおしつけ、できた小さな隙間から耳の穴に体をねじこもうとしてくる。

(「そんなのただの想像だ」)理性が言う。

(『いまこうやって話している私たちだって想像の産物だ。実在非実在は、理解には関係ない』)思考が頭をもたげる。

(『もう少し具体的にイメージしてみよう。"何か細長い生き物"とはなんだ?』)

(「蛇のようなものでは?」)

(もう少し嫌悪感を抱けるほうがより感覚に近い)

(『じゃあ昆虫か? ムカデがいいかな』)

(「ムカデは昆虫ではないが……足があったほうがより力強く身体を掴んで侵入してきそうで気持ちが悪いように感じるな」)

(『ムカデもいいが、ミミズのような線虫もいいんじゃないか? 数え切れないほどの細かいミミズが私の頭の側面をまるごと覆って耳の穴を目指してぐいぐいと指を押しのけようとするんだ』)

(気持ち悪くなってきた)

(「いいね、私が抱く"うわさ"のイメージに近いように感じる。それでいこう」)

 少し胃が縮み上がる感覚があった。だが頭のなかに明確に描かれたイメージは脳内にこびりつき、ますます鮮明になる。私が手で覆った耳の穴の中へ、ヌメヌメした粘液に覆われた無数のミミズたちが、ぬたぬたと音をたてながら、その全身を使って私の指を押しのけて入り込もうとしてくる。私は防ぎきれず、とうとう穴のなかへミミズたちの侵入を許す……ミミズは私の穴のなかににゅるにゅるずるずると滑り込み、鼓膜をいとも簡単に押し破った……だが痛みはなく、手の届かない頭の横をたくさんの粘り気のあるのものがのたうち回る不快感があるだけ……頭の横をいくらかきむしっても、自分の皮膚と骨に阻まれて私はそれらをかき出せず………ミミズたちはそのまま穴の奥深くへ進んでいき……とうとう頭蓋骨の内側へたどりつく。脳と頭蓋骨の間をミミズたちが這い回る感覚に総毛立つ……。

 私の脳の隙間にミミズたちが入りこんでいく……柔らかい表面の皺に沿うようにミミズが這い回り、右脳と左脳の間の隙間に身体をねじ込んでいく……無数のミミズたちが私の脳を犯していく……ぞわぞわとする感覚が全身を走り、筋肉が私の意思を無視して震えだす。喉の奥に酸性の液体がせり上がってくる。

(『やめろ! そんな想像はするべきじゃない!』)思考が叫んだ。だが思考の身体の表面はすっかりミミズに覆われていて、頭の中もミミズだらけなのは明らかだ。

(「ミミズは比喩表現だ。存在しないものだ」)理性が言うが、私の脳はミミズの粘液にまみれてぐちゃぐちゃにされてしまって考えがまとまらない。

(「これはミミズじゃない! "うわさ"の比喩表現にすぎないんだ!」)理性が必死になって叫ぶ。だが理性の身体ももはや半分以上がミミズに覆われて、もうその輪郭がつかめない。理性はもがくが、ミミズたちを振り払うことはまるでできない。

(そんなの無駄だ! 原因を断つんだ!)客観的な自分が言った。

(『机の中にカッターがある! それを使うんだ!!』)思考が手を伸ばして、必死に叫ぶ。思考の大きく開いた口に、ミミズたちが殺到する。思考は苦しそうな声をあげて、とうとう床に崩れた。

 私は机の中からカッターナイフを乱暴に引っ張り出した。手にぶつかった教科書や筆記用具が床に溢れる。となりの席のクラスメイトが私を見た気がする。

 理性がミミズに覆われて動かなくなった。客観的な自分が腕をあげて、どうすればいいのか指示をしている。私の身体を動かすものは、もはや私自身ではない。

(つまりすべての苦痛の原因は、私の脳が生み出す想像力にある)

 客観的な自分の言うとおりだった。

 首すじに金属の冷たい感触があった。







「………ねぇ、このあいだ、いきなり教室で首を切った人、いたじゃん。あれ、結局何が原因だったの?」

「さぁ? もともと頭がおかしかったってうわさだよ」



おわり

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