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短編、集めました

たばこ 編集版

作者: なおぽん


 たばこは吸わないと決めていた。


 彼女の命日はお盆にかぶった。

 そのため、墓参りに行くときは多くの桶を持った人とすれ違う。

「おはよう」

 桶の水をかける。

「今日も暑いね。花火大会、明日行こうと思うんだ。ここからでも見えるかな、いや見えたらいいな」

 そんな適当なことを見繕って、手を合わせると過去を思い、そこを去る。


 彼女の墓参りに行く時、必ずすることがあった。

 それは、ここに来る前にたばこを一本だけ吸い、一本だけ欠けた、たばこの入った箱を彼女にあげることだった。


+-+-+-


 縄で作った輪っかの先に幻想が見えた。


 Phantasm.


「ねぇ、あれ何に見える?」

「なんだろう」

 雲を指さす彼女の傍ら、僕は答えを探さずただただ彼女の横顔を見ていた。


「この光の一つ一つに自分と同じ人間が住んでいると思うと不思議に思わない?」

「うん」

 暗闇の中、小さな街頭に照らされる彼女の笑顔は美しかった。


 End.


 別に楽しかった日々とかではない。鬱々とした気持ちになるといつも彼女が浮かんできていた。


 何でだろう。


 目的がなくただ生きる真っ暗な世界。ぽつんと一人で生きていくしかない現状で、もう一人の表には出せないような僕と背を合わせて生きてきたけど、もうそれも疲れた。

 不意に涙が溢れだす。

 怖い。これで終わってしまうと思うと怖い。

 刹那、感情とは体の現象に付随してくるものだと思った。

 決意を決め、グッと手に力を込めた、踏み台にした足場が震えた。

 力を込めて見えた輪っかの先には、居るはずのない彼女が見えた。目が涙で霞んでしまって何かを見間違いているのか、それともさっきたくさん飲んだ市販薬のせいなのだろうか。どちらにせよ、彼女は腕を横に大きく広げてこちらを見ていた。それはまるで僕を誘うように。

 それに答えるように僕はそこへ向かった。




 いや、本当に居た。

 天井を見上げる視界の中に彼女が居た。

「今死のうとしたでしょ」

「え」

 首が痛かった。やっとの思いで出た声で答える。

「えみ」

 その女性はえみという名の人。少しだけ透過していたえみ。その先に居間の光が見えた。この光はカーテン越しに透けていて、その光は夜の世界を照らし、ここにも人が居ると誰かに教えているのだろう。

 夜勤帰りの背中、家へとただただ足を進める人。人はここにも居て、その人は君たちと同じように時を刻んでいる、この光はそのことを教えているのだろう。

 いつも曖昧な答えばかりする僕に愛想をつかしてえみは去った。いや、僕が去ったのではないか。怖くなって、逃げた。

 乳房の下に隠れたほくろを見つけたあの日もごまかすばかり。「結婚したい」「え、ああ。そうだな」「いつもそれ、子どもが出来てからでも知らないよ」。

 ボーっと考え事をしていた僕に、不思議そうな顔をしてえみは尋ねる。

「久しぶりに会えたのに、どうしてそんな様子なの? もしかして私に興味ないの?」

 上の空だった僕を視線の前に戻したその声。視界はえみを捉えたが、まだ僕は上の空だった。

「わかった、考えさせてあげる」

 そう言うと、どこか透けているえみは恐る恐る顔を近づける。その様子はまるで初めての挑戦に緊張しているようだった。彼女との距離がゼロになる。彼女の唇と僕の唇が密着した。ふんわりと柔らかく、しっとりとしたえみの唇は、僕の脳を確実に溶かしていく。「ん」。

 チュッと唇が離れる時の音が鳴るまで僕の脳を溶かし続けた唇、残った脳細胞だけで考えるものはもう一度、もう一度キスをしたい、ただそれだけだった。


Some time.


「子どもね、預けた」

 散々汚したベッドに横たわる二人の間に声が響く。

「誰の子ども」「貴方の」「僕の」「うん」「預けたんだ」「うん」「誰に」「元カレ」「元カレ」「うん」。

「元カレは貴方にすごく似た人」「僕に」「そ、貴方に、でも貴方とは違って多分ちゃんと育ててくれる人」「ふーん、僕がちゃんと育てないみたいだね」「だってそうでしょ、あの日、子どものこと言った日、曖昧に返事して逃げたじゃん」「あれは」「知らない」そう言うと彼女は僕に背を向けた。

 布団に隙間ができそこから見る彼女の背中はきれいで、尾てい骨へ向かう曲線もきれいだった。ごまかすように抱きつこうと思ったが、体に力が入らずやめた。

 僕の子どもか、あれからだともう小学生になるのかな。今考えると、一目でも良いから会ってみたかったという思いが巡る。

 曖昧な返事。

 僕の人生はいったい何だったんだろう。

「今からじゃ遅いよね」天井に向かって彼女に聞こえるようにつぶやく。彼女は布団で口を押えながら「遅いと思うよ」とつぶやいた。

 何かを悟ったかのようにえみはこちらに体を向け、僕の腕を掴む。えみは自分の腕と僕の腕を布団から出して光に照らす。僕の手も透けていた。

「ほら」。

「ほんとだ」。


 少しだけ部屋の温度が下がったと思うと、居間をオレンジ色に照らしていた光もだんだんと消えていった。


+-+-+-


 ことあるごとに思い出す記憶がある。きっと脳裏に刻まれているのだろう。

 風呂上り、辛いこと、ぼーっとしている時、そんな時に浮かんでは、ひと時の泡のように消えていく、そんな記憶だ。

 

 Memory.


「たばこは体に悪いです」

 先生は言いきった。

 小学生が集まる教室で先生は正面を向きみんなに話す。保険の時間だ。

「さらにたばこには受動喫煙というものがあって、たばこを吸っていない人にも影響があります。赤ちゃんをもうけたお母さんがたばこの煙を吸うだけでも、体の中の赤ちゃんに影響があります。だから、たばこはあまりお勧めしません」

 たばこは体に悪いということは耳にタコができるほど聞いた。もうその言葉が耳に入るだけで気分が悪くなる。「はいはい分かっています」が頭の中をグルグル巡った。

 でもその日は違った。暇つぶしで見ていた斜め前の席。そこに座る人の教科書を見ていると、その教科書の余白に『最悪』と書かれていくのを見た。僕はその様子が気になって、その教科書を注視した。すると、続けて『たばこ』と書かれていた。


 End.


 僕は彼女のことが気になっていた。僕は彼女に気に入られたいという思いがあった。それもあってか、その二文字を見てからのこと、大人になっても絶対に、絶対にたばこを吸わないと心に決めていた。それは今年で三十歳になる今でも頑なに守っていた。


***


『ピロン』

 電話が鳴った。公衆電話からかかっていた。

『今○○病院、来て』

 聞き覚えのある声だった。その声の正体は小学生の頃、斜め前に座っていたあの子のものだった。



「来た、遅い」

「ごめん」

 夕方のひぐらしが鳴くとても良い時間帯、ムッとした表情でこちらをにらみつけてくる。

 彼女と最後に出会ったのは成人式以来だろうか、十数年ぶりの再会にしては不思議と緊張感無く話せそうだった。

「どうして病院にいるの?」と言いかける間もなく「これ書いて」と指をさす。その指さす先、テーブルの上にあったものは婚姻届けだった。

「え、」

「もしかして、結婚してる?」

 いやそこじゃない。

「してないけど、これはどういう」

「私死ぬの、その前にこれ書いてもらおうと思って、あなたとの子、一人にさせたくないでしょ」

 あれ、俺に子どもいましたっけ。いや、彼女とは中学生の頃、付き合ってはいたが、あれをした覚えはない、それなのに子どもができるわけがない。もしかしてここは付き合うだけで子供ができるファンタジーの世界なのか? まさか俺の記憶が書き換えられているのか? などと冗談を脳内に並べ連ねながら、自分にも言い聞かせるように「一回落ち着こう」と言った。


 話を聞くと、ある人と子どもが出来たけど、その人は子どもが出来たと分かると逃げたらしい。それで、5歳になるまで女手一つで育ててきたけど体を悪くして今は入院中。さらに余命宣告を受けたのだとか、いや、ここはちょっと曖昧らしい。このままだと死んじゃうぞみたいな感じだったかもって彼女は付け加えて言った。でも、この入院で今までの生活を見直し、自分がこの先、もし早くして死んでしまったら残った娘はどうなるのかと考えたという。もちろん彼女以外に娘を見られる人は、彼女のお母さんとして居て、入院中は娘をそこで見てもらっているのだが、彼女とお母さんとの関係はあまり良くないらしく、できれば自分でどうにかしたいと語った。

 少しでも彼女を知っている人にこの子がわたってほしい、という思いから始まった昔の彼氏に電話をかけ続ける生活。僕と同じようなやり取りをし、断られ、やり取りをし、断られを繰り返し良いと言う人を待った。大抵の人はドッキリに似たものに気分を害し、怒って帰っていったそうだ。そうなるのもよく分かる。でも、僕は気分を害すことはなく彼女の話に聞き入っていた。それは僕が最近、仕事以外で人と話をしていなかったことに関係があるのだろうか。


「今何しているの?」

 彼女が問う。

「小説家かな?」

「何で疑問形」

 さっきまでの話は一旦置いて世間話をすることになった。

「いや、それだけで生計をたてているわけじゃないから、夢みたいな」

「ふ~ん」

 夕日が彼女の顔を赤く染めていった。「君は」と聞こうとしたがあまりよくない想像が浮かぶのでやめた。

「結婚は?」

 再び彼女が問う。

「してないよ」

「ご予定は?」

「全く」

 彼女がちらっとさっきの婚姻届けを見る。いや、今はーというようにこちらを振り返る。

「久しぶりに見た私はどう?」

 返答に困る急な質問に驚きながらも、その言葉に答えるように、改めて彼女の全身を見た。彼女はベッドに座り、白い服を着て、点滴に繋がられている。良い女性になっていた。うん? この時の良いとは何なのか分からないが、頭に浮かんだのはその言葉だった。

「うーん、か」

 つい、肝心なところで言葉が詰まってしまった。

「か?」

 目が合う。

 そうだ、この瞳に惚れたんだった。

 不意に十年前の記憶が思い出された。


 Memory.


 振り袖姿の彼女はとても綺麗で、言葉を失った。

 彼女との付き合いは中学生にまで振り返る。中学生の頃、彼女とは一年弱付き合って、別れてからはほとんど関係を持つことは無く、話しすら交わさなかった。再び視界に彼女が入る。視界に入っても、特に話す話題が浮かばない自分がもどかしい。そこに拍車をかけるように、高校三年間、女性と話したのは「あー、うん」ぐらいで、もう異性との話し方を忘れてしまっていた。話しかけたとしてもそこから続く話ができない。いや、保育園、小学生の頃から異性と話すのを避けてきた人生だ。そんな僕に彼女ができたという事実そのものが不思議なくらいだった。

「ゆき」

「あっ」

 彼女に呼ばれた。いつも通り急に声をかけられると出てしまう「あっ」という言葉とも取れない声が漏れる。僕は率直な言葉を紡いだ。

「すごい綺麗」

 言った後に気付いた、急にこんな言葉を異性から言われるのは気持ち悪いのではないかと。素直に挨拶だけしておけば良かった。

 一瞬の間、後悔がそこを埋めた。その間を終え彼女の口から言葉が紡がれる。

「ありがとう」

 にっこりとした笑顔。それを見た瞬間、さっきの後悔が冷たいそよ風に吹かれた。

 そう言えば昨日、橋の下にある美容室で髪を切った時に着付けを明日の朝するからとても忙しい、という店員の話を聞いていた。その時にえみの名前も出てきていたことをその時、思い出した。


 End.


「かわいい、かわいいよ」

 目線をわざと合わせてくる彼女を振り払いながら言葉を紡ぐ。

「ふふ、ありがとう」

 彼女はあの時と同じように、にっこりとした顔で笑った。


***


「ねぇ、そこの引き出し開けて」

「ここ」

「うん」

 開けると中には色鉛筆と画用紙、その上に小さな長方形の箱があった。

「それ一本あげる」

 そう言われて取り出したのはたばこだった。

「あ、吸ったことある?」

 一本だけ取り出し、一本だけ欠けた、たばこの入った箱を彼女に手渡す。

「ないかな」

「じゃあ、初めてだね」

 彼女はそこで一息つく。それは世間で言うため息と呼ばれるものだろうか。

「いやー、生きるのが辛くなってね、気づいたら吸っていたのよね。吸っている時とその後は少しは気分が良くなって、まだこうして生きていられる」

「……」

 相槌を打とうにも上手く打てなかった。

「子どもの前じゃ無理だけど」

 そう言って彼女は苦笑いをした。それはまるで、教室の一席に座る小学生の頃の、小さな彼女に向かって答えるかのように。そして、その小さな彼女は教科書の余白に『最悪』と『たばこ』の二文字を書き連ねる手を止め、きっとこう言うのだろう「お姉さん、何で泣いているの」と。

 僕はとっさにハンカチを取り出しえみに手渡す。「ありがとう」と言うえみの声は震えていた。



 帰り道、コンビニエンスストアに立ち寄り、ライターを買った。

 カサカサと音をたてるレジ袋。

 夜道にすれ違う人々の背中は一回り小さく見えた。それは、その人たちが下をずっと見ているように僕が感じたからだろうか。

 周りを見渡すとほとんど人のいない公園が目に入った。そこのベンチに座りたばこに火をつけた。ふーっと一息といきたかったところだったが、げほっとむせた。もう一度、次はあまり空気を吸いすぎないようにして、同じように空気を吐き出した。それに連なるようにため息もでた。

「はぁ」

 何だか肩の力が抜けた。

 煙とともに凝り固まっていた信念が口から現れた。それは、周りの空気に紛れ、馴染んでいくと、いったいどれが自分の信念だったのか分からなくなり、その様子を観察した後にはもう見つけることは出来なくなっていた。

 今日あったことを思い出しながら、手をベンチに付けた。体を少し後ろの方へ、手の支えを借りて夜空を見上げた。オリオン座ぐらいしか分からない僕は適当に星をつなげて何かを作る。手の熱さを察知して、前方へ視線を動かすとたばこはすっかりと小さくなっていた。思っていたよりも時間が経っていたことに気付く。火の点いたたばこをじっと見つめていると、たばこの火はだんだんと移動していき、たばこの質量を確実にうばっていった。初めて吸うたばこは甘くて、苦かった。


+-+-+-


「パパ、花火間に合わないよ」

「ああ、ごめんごめん。今行く」

 ドア越しにみきの催促する声が聞こえた。浴衣姿のみきには重なるものがあった。

「ねぇ、まだ?」

「もうすぐだから」

 あの後、えみと病院で何度か会った。自分の気持ちが固まり、えみの退院のタイミングで彼女と婚姻届けを出した。

 来年、中学生になるみきにはえみの面影があり、みきを見ているとえみを思い出し、同時に自身の幼少期を思い出していた。

「よし、行くか」

「うん」

 えみのように、にこやかに笑うみき。

 えみの写真が入った手帳を持ち、浴衣に合う靴を履き、玄関を出て、花火大会の会場に向かった。手をつないで、会場までの道を二人で歩く。

「何してたの?」

「小説書いてたよ」

「読みたい」

「もっと漢字の勉強してからかな」

「わかった! もっと勉強する!」

 ぼちぼちと会場に向かう人が増える。

 手をつなぐことは少なくなってきたが、この日は人が多い花火大会、はぐれないようにみきと手をつなぐ。

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 花火があがる。まん丸な姿を空に見せると、瞬く間に消えていった。

「きれい!」

「きれいだ」

「きれいだね」

 再び花火があがった。

「見つけるの大変だったけど、ここまで来てよかったよ」

 最後をほんの少しだけ加筆させていただきました。

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