城南事件帳 2
大崎署刑事課に戻った二人は、出がらしのお茶で、とりあえず、お疲れ様と互いをねぎらう。女性3人のうち、2人は日本人蔑視の、在日期間17年目になるカナダ人編集者ジョン・マッコイによる犯行と判明。いっぽう、明治の森を守れ!ともっともらしく日本人たちを扇動しては結局は己の手柄、待遇改善のために利用していた、マッコイの恋人の一人、アメリカ人建築家エディングも大麻法違反で、2人とも、現在拘置所のなかで、裁判を待つ身である。
「しかし、梅宮さん、私が谷渕とその愛人のAV女優鈴村まなとの他〇棒として貸し出される意味って、いったいなんなんですか? 」
部下としても、こんな役目を引き受ける必要などあったのだろうか、とはなはだ憤慨気味の羽生は、あきれ顔で詰問すると、
「はっ、はっ、はっ、はっ、」とまるで他人事のように大口を開けて気持ちよさそうに笑った梅宮刑事は、「まあ、人生、何事も経験だよ」
よくわからないなぐさめの言葉を後輩に掛けた。
「ところで、あの、五反田書店のご主人、本名はなんていうんですか?」
そうなのだ。羽生も、一度は梅宮から紹介を受けてはいたが、肝心の名前は教えてもらわなかったはずなのだ。なんで、教えてくれなかったのだろうと疑問が頭のなかから消えなかったのは、2度も、ホテル「ベル・エポック」で見ず知らずのカップルの単独さんをさせられたことに起因しているのは間違いない。あれだけの仕打ちを受ければ、だれだって己を雇用した張本人の素性を知ってしかるべきではないかと、怒りがむくむくと腹の底からこみあげて来るのだった。
「ああ、あのご主人ね」言ったそばから、吹き出す梅宮。クッ、クスクスと笑いをこらえているのだ。羽生はますます悔しくてならない。
「ねえ、教えてくださいよ。なんていうんですか、あの古本屋のおやじさんの名前は?」
すると、先輩は、重い口を開いた。まるで、これを聞いたら、天地がひっくり返るかのような大災害が起こるやもしれないというほど、真剣な面持ちを無理に作ったことがバレバレな顔で。
「荒井さんって言うんだよ」
そうじゃない。上だけじゃだめだ。苗字と名前の両方を後輩は知りたかったのだ。
「じゃ、下の名前は?」
「ユヅルさん」
「ユヅルさん?」
なんだか、最近、よく耳にするような名前だな。ぽかんと思考停止に陥った羽生刑事。すると、今度は梅宮が、
「フィギュアスケートの金メダリスト羽生結弦選手とまったく同じ結弦なんだ。すごいよね、あのおやじさん、とっくに還暦を過ぎてるってのに」
梅宮はさも、おやじさんの下の名前を名付けた両親がさも進取の気性のある人たちなんだとでも言いたげに感心しきりの様子。ああ、なんだ、その名前か。だから、よく耳にしてたんだ。羽生はストンと胸に落ちた。と同時に、そんなに驚くことかなあ、昔の親が息子に結弦という名前を付けることが、と冷静にみていた。
「羽生君、それだからさ、いろんなニックネームがあってね、あのお人には」
ニックネーム? なんだそれ? ただの古本屋の主じゃないか。
「前、教えたよね。店の『五反田書店』にちなんで何て言われてるかって」
「ええ、たしかに、教えていただきました」
「彼は、離婚寸前の夫婦を何組も救い出してきたってことで、『ドクター荒井』とも称されている」




