城南事件帳 2
「あ~あ、なんだか眠いなあ」
大崎署刑事課では課員がすべて出払ってひとりだけフロアーに残っている羽生大也刑事が、椅子に座りながら、両手を上に伸ばし、のけぞり気味にストレッチした。時計の針は午後3時をちょっと過ぎたあたり。
「そろそろおやつの時間にでもすっか」
そう独りごちながら、机の引き出しを開けて、榮太樓の黒みつ飴と明治ミルクチョコレートと取り出して、まずはチョコの金色の包み紙を剥がして、手っ取り早く口のなかに放り込んだ。それから舌の上でしばらく待機させ、なるべく全体に甘みが行きわたるように努める。というのも、NHKのためしてガッテン!だったか、民放の情報番組だったかは忘れたが、チョコが疲れをとるのに有効だと頭にあったためだ。そうしながら、見るのはネット記事。であるなら、まだましで、どうしても、29歳の若さだからなのか、検索が脇道にそれる。どういう風の吹きまわしだか、Yahoo!Japanのサイトに「風俗無料体験動画」というワードが自然と打ち込まれ、たちどころに、3460万件もヒットした。
「いかんいかん。勤務中なんだから。真夜中の延長じゃだめだ」そう、己に言い聞かせる。が、
「動画プレイを自信を持って提供します!」
「人気ナンバーワン風俗嬢のガチ恋営業を受けてみろ」
などの挑戦的な文句が並んでいるのを目にすると、どうしたって、指が、手が、キーボードをポンっ!と叩いてみたりしちゃったりするのだ。しかし、そういう時に限って、相棒兼直属の上司・梅宮文太刑事がトイレから戻り、
「あ~、すっきりした。ほんと、毎日毎日、オレって、よくお通じ、出るよね。世の中、便秘薬だなんだって、宣伝流してるけど、健康的な食事と適度な運動があれば、そんな薬に頼らなくたっていいだろうにさあ。ねえ、羽生君」ドアを開けざま、大きな声で無駄にほざいて見せるのだ。
そうなると、さすがに風俗体験動画というわけにはいかず、かといって、慌てふためいてパソコンの蓋を閉じるのもわざとらしい。それゆえ、できるだけ、犯行がバレないように、右上のバツ印にカーソルを合わせ、マウスを左クリックして、まるで何事もなかったかのように、後輩刑事は応対するのだった。
「それは結構な話じゃないですか、梅宮さん。毎日健康で、いいお通じが出て。健康な食事と適度な運動って、まさに、良妻のたまものじゃないですか。奥さんに感謝したほうがいいですよ」
余計なことを口走ってしまった羽生。あ、いけねっ! と後の祭りになすすべもない。
「羽生君、君も早いとこ、カワイイ彼女見つけたほうがいいよ、ほんと。悪いこと言わないからさ。そうしないと、幼女誘拐したり、OLをストーカーして暴行したり、早晩、警察のお世話になることになるよ」
「わかってますって。探してますよ、彼女。だけど、いないからって、幼女誘拐だ、OLストーカー暴行はないんじゃないですか。飛躍しすぎですよ」
「それはそうだ。たしかに。申し訳ない」上司は素直に謝った。
「べつに、そこまで、言われなくても」とあまりの唐突さに恐縮の羽生。「事件を起こす連中ってのは、遊びが足りないんじゃないですか、ハンドルの遊びが。彼女がいないからって、振り向いてくれないからって、実力行使に走るなんて、理性ある人間のやることじゃない。短絡的すぎますよ」
なるほど、イイこと言うなあ、と感心しきりの梅宮だったが、一言、
「だからか、羽生君が、いつも、刑事課のデスクで、周りがみんな出払ったとみるや、おもむろにネットで検索かけて、動画を鑑賞しはじめるのは。なるほど。たしかに、人生にハンドルの遊びって重要だよね」
おい、神かよ! どこで見てんだ、このおっさんは? 羽生は少々気味悪さを覚えるとともに、自分の言った言葉に対して、ちゃんと仕返しをされることになるのが人間社会なんだということを学んだ。




