城南事件帳 2
もうここ何年も同じ抱島屋にお茶を買いに行っていた。お茶が好きだった母親が、どうせ飲むならおいしいお茶が飲みたい、とお茶っ葉が無くなる度ごとに地下鉄都営浅草線を使って一本の日本橋に買い求めに行くのだ。その後、リウマチで足の関節がぼろぼろになり、杖をついて歩くのすら困難になった母親にかわり、親孝行のあるじは、よく抱島屋に買出しに出た。こどものころから、親の嗜好をそのまま慣らされて習慣づけられて、そうなると結局、まずいお茶は飲みたくないのだ。よって、母親が亡くなった後も、今度はあるじ自身のため、二月に一回ほどお茶を求めに行った。
が、どうしたものか、いつもどおりに買ってきた知覧茶の袋をハサミで切った。ふつうなら、温暖な薩摩で育っただけのことはある甘い香が鼻孔をくすぐる、はずだった。しかし、それがなかった。まあ、時にはそういうこともあるだろう。とりとめて気にせず、そのまま空いていたお茶の缶に葉っぱを移し替える。一人分の茶葉を急須で使うステンレスの網に入れる。あらかじめ冷やしておいた、浄水器でろ過された水をコップにひっかけた網に流す。そのままコップごと4,5分冷蔵庫で保管しておくと、カテキンが十二分に抽出されるのだ。夏場はそれが病みつきになるほどに甘くておいしい。はずだった。
しかし、袋を開けたと同時に期待した芳香が存在しなかったのと同じく、冷蔵庫からしばらくして取り出したそれは、いままでの抱島屋のお茶屋『右翼製茶』の知覧茶ではなかった。右翼製茶は知覧茶を85g1600円台で販売しており、銀座・築地あたりの海苔屋よりも割高なのだ。それでも、あるじは日本橋の抱島屋だから、とのれんを信頼して、お金を払い続けてきた。しかし、その信頼が一気に崩れ落ちた瞬間だった。まるで、そこらへんのスーパーのお茶と変わらない味のなさ。香のなさ。こんなことを天下の抱島屋がやってるのか? にわかには信じられなかった。信じたくもなかった。また、すぐさまメールや電話などで不満を伝えなどしたら、ひょっとするとクレーマー扱いされてしまうかもしれない。もしかしたら、自分の舌が、自分の体調がすぐれないがための、勘違いなのではなかろうか。そう、まずは自分を疑ってかかるあるじだった。
そもそも浄水器のフィルターも長いこと交換していない。ああ、水が悪いんだな、きっと。そう判断し、秋葉原のヨドバシアキバへ新しい浄水器を買いにいく。それと同時に、近所のスーパーにミネラルウォーターも買いにいく。それと、築地に本店のある、最近は銀座歌舞伎座内にも支店を開き始めた丸山海苔店にも、右翼製茶の知覧茶と同等のお茶っ葉を買いに行く。つまりは、実証実験、比較検討をみずからおこなったのである。
しかし、それでも、結果は変わらなかった。抱島屋の知覧茶がグレードを落としたという結論に。これをもって、メールにて伝えた。抱島屋のフロアマネージャー連中は、1週間後、返答をよこした。それは、以下のようなものだった。
毎々格別なるご愛顧を賜り、厚く御礼申しあげます。お預かりした 知覧茶「松」の検査結果について報告をさせていただきます。右翼製茶担当者を呼び、複数の弊社係員を含め水出しで試飲を実施いたしました。お預かりした「松」、店頭で販売中の「松」の試飲をいたしました。入れ方の問題もあるとは存じますが、香りや甘みに大きな差はないように感じられました。~~本社へ持ち込み、同社商品部の責任者ほか3名が、茶葉の検査手順に則り、試飲は約80℃の湯で行っております。茶葉の形状、水色(液体の色)、香り、味などについて、サンプルとの収穫時期や開封時期の違いを勘案しても味わいに問題は無く、同社商品の基準内であるとの報告を受けております。上記のことから、商品として問題は無いことを報告させていただきます。何卒ご理解賜りますよう、お願い申しあげます。
株式会社 抱島屋日本橋店 販売第20部 食料品担当 猪原 五郎 真津山 康孝
なんのことはない、入居している右翼製茶の担当を呼びつけ、試飲したが変わらなかった、とこういうことらしい。毎日飲んでいるあるじは、当然のことながら納得しなかった。天下の抱島屋が、値段は変えずに中身のグレードだけはしっかり落としたような不良品を常連の東京の人間に売りつけるのか、と。納得しないどころか、憤慨した。が、ここでやめておいた。ばかばかしい。これがどうやら会社としての回答らしい、と。それなら、こっちも、迷わず河岸をかえるだけのことだな、と。
というわけで、前に買ったまずいスーパーのお茶を引っ張り出して、つなぎとして、飲もうとしていたのだ。ポットからコップにお湯を注ぎ、別のコップを使って交互にお湯を入れ替えては80度から60度くらいにお湯を冷ます。そんな作業を繰り返していたちょうどその時、表のガラス戸がガラガラを引かれる音がした。だれだろう、と目を上げると、見知らぬガイジン女性がなにやら切迫した表情で立ちつくしているではないか。
「いらっしゃいませ」
「スイマセン、こちらは、エージェントですか?」
「・・・」
エージェント? あるじは、聞かれた単語の意味がわからなかった。エージェント? なんだ、それ?
「あっ、すいません。えっと、日本語なら、ダイリニン?」
代理人? なんだそれ? まだ、あるじは要領をつかめずにいた。なにせ、ガイジンのお客など、ほとんど、来ない店なのだ。そもそも、この有楽街だって、日本人オンリーという店が結構ある。北の端にある風俗店だらけの赤レンガビルだってそうだ。ガイジンのうるさい客とトラブルになるのも面白くないという店の方針なのだろう。
「オトコのヒトを紹介して、ください」若干、躊躇しつつも、はっきりと自分の言いたいことを伝えた白人女性だった。「タニンボウ、ひとり、お願いします」




