城南事件帳 2
その頃、五反田では・・・
JRの駅ならどこにでもあるようなバスやタクシーのロータリー。山手線内側に存在するそんな空間から北側へと続く道の入り口には「五反田」と「有楽街」というさびついた二つの看板が。街歩きを趣味としている御仁なら、ここがいったい、どういう場所であるかは、説明されるまでもないであろう。看板を見上げながら道を進み、すぐと、右斜めへとカーブがかかる。これも、ひとえに、電車のホームからは見通せませんよ、と強烈な意思表示を突き付けられているかのよう。きっと、明治あたりのお偉いさんが考えたにちがいない。紳士のたしなみを女子供に見せるわけにはいかない、とかなんとか・・
そのちょうど折れ曲がったところが果物屋だったのだが、店主とその妻が高齢のため、2023年、閉店となってしまった。しかし、その隣にいまだしぶとく商売を続ける店がある。それが、今となっては唯一の、この街の生き字引、古本屋『五反田書店』のあるじだった。
そのあるじ、もう歳は65歳をすぎ、おそらくは70歳にさしかかろう、と思われるような雰囲気だ。髪も白髪がかち、それを染めるそぶりもない。銀のフレームのめがねをかけ、どうしたわけか、上は白かストライプのワイシャツ、下は紺のスラックス姿で、黒のソックスに紺のサンダル履きときたもんだ。これが一年中変わらないからある意味すごい。もちろん、夏は半袖の、それ以外は長袖のワイシャツになり、寒くなればその上にチョッキだカーディガンだジャンパーだと羽織る程度。独身のせいか、身なりにはとんと関心がないらしい。数年前に最愛の母親を亡くしてからというもの、めっきり老け込んだ、というのが、この街で暮らす客引きたちのもっぱらの評判だった。趣味もないのか、日がな一日、店番をしている。外からあるじの姿が見えないと思ったら、奥の畳部屋で寝そべって昼寝なんかをしていたりする、そんな日常生活だった。
そのあるじ、昨日煎れたお茶がさすがに色ばっかりで味が出ない、と自分でも嫌気がさしたのだろう、冷蔵庫に缶のまま冷やしてあるお茶っ葉を引っ張り出しては急須の出涸らしと入れ替えた。そうそう、あるじはたしかにこれといった趣味は持たない。本人はべつに趣味なんて持たなくたってかまわない、そんな信条だった。趣味を持った分、余計な金がかかるじゃないか。それならその金を遠くない将来の老人ホーム代やもしものときの入院代に回した方がいい。そんな堅実な計算で、己のちょっとした欲求も適当にやりすごしている。そういう意味では、あるじはあるじなりに、しっかりしているといえなくもないのかもしれない。
ただ、最近、事故があった。いや、事故、というほどではないのだが、いつも買っていた日本橋の老舗デパート『抱島屋』の地下に入る、とあるお茶屋がインチキをしたことに、ひどく腹立たしさを覚えるとともに、人間に対する不信感・嫌気のようなものをこころのうちに抱えてしまっていたのだ。




